ミャンマーのクーデターを、軍事政権側は「クーデターではない」と言っているそうだ。合法的な手続きを踏んでいると説明し、「クーデター」と報道するメディアの記者を逮捕しているという。なんだ、これは?
ふと、思い当たったのは、彼らは武家政権のイメージを引きずっているのだ、ということ。考えてみれば、タイもそうだ。王政ということもあるが、軍部が政治を司るってセンスは、そういえば歴史過程の一つとして、つい75年ほど前まで日本も経験してきたことであった。現代中国の共産党独裁だって、軍を所有・掌握しているのは共産党という独裁権力だ。でもこれは、軍部が政治を司っているわけではないから、武家政権とは異なる。
こうも言えようか。国家として社会を統一する過程は、暴力装置を背景にしていなくてはならない。なぜ、暴力装置が政治を司ることが可能なのか?
社会の統一というのは、有無を言わさないことだからではないか。そもそも統一ということ自体が、本来ばらばらであるものをひとつにまとめる「暴力的」なことにほかならない。有無を言わせぬということは、「統治」の意味や目的という「理屈」を許さない。ダメなものはダメというのと同じ、原初的な「定理」だからである。そのような「定理」を定理たらしめているのは、暴力的な力である。
だが「定理」が暴力だけに基盤を置くと考えるのは、いかにも訝しい。それでは「統一」ではなくて「征服」・「平定」にすぎない。つまり「統一という定理」には、人の社会の結束には、暴力支配に対する恐怖だけではない、(社会を構成する人々の)集団性の情念が大いに作用しているからだ。しかもそれが、集団の構成員にも十分感知されているからにほかならない。だから、暴力的に強い(だけの)ものが支配することを「正統/正当」とはみなさず、神による信託とか、血統の正統性とか、法治の支配とか、多数の支持による民主的代議制という物語を作り出す必要があったのである。
この物語の推移を生成的に、歴史的にたどってみると、暴力性を後背に押しやり、道義や法や文化的な統治の理由が前面に押し出されてきていることがわかる。部族や氏族という近縁者による社会的関係を、見知らぬ者にとってもそれなりに関係を取り結ぶことができる、集団性の情念のなかの公平性とか公正性がうかびあがってきたとも言える。近代的な法の支配とか、選挙を通じての民衆の支持を得た政権が(後景に退いた暴力性を)掌握する文民統治へ向かってきた。つまり、近代法の支配というのは、歴史的な所産としては、力のあるものが思うままに力を揮う統治権力を規制する「法」というベクトルを意味していたのである。
つい去年まで日本国家の統治をしていた「安倍政権」を想い起してもらうとわかりやすいが、彼の政権では、「法」を「人民が従うべき規範」と上から下への「規制」と切り換えた。国家権力を規制する「法の支配」を排除してしまった。こうして、歴史的正統性を、かなぐり捨てたのであった。
むろん、そのような仕儀に相成ったのは、世界最強国のトランプ的振舞いが寄与している。というか、それと同様の、#ミー・トゥー精神がもたらしたものと言える。だからトランプに先んじているのだが、恥ずかしげもなくそれが横行するのは、やはり国際的な剥き出しの利権優先精神が露わになってからであったといえる。
ミャンマーは、武家政権のセンスを強く残している。欧米的な、あるいは第二次大戦後的な民主主義の流れに震撼しながら、崩壊していく武家政権を何とか立て直そうと、クーデターを起こしたといえる。だがそれは、ミャンマーという国が、「鎖国」的な閉鎖性を保ち続けていなければ、持続しえない国家体制だといえる。
江戸は遠くないのである。
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