2021年8月31日火曜日

Discourseの気合いこそが民主主義への贈り物だ

 マキャベッリの『ディスコルシ』(永井三明訳、ちくま学芸文庫、2011年)は、文字通り、談論風発の意気込みを内包している。「ローマ史」と書名の副題で銘打っているが、むしろ当時マキャベッリが身を置いていたフィレンツェの政治状況を、長い目で見て立て直すには何が必要かを、ティトウス・リウィウスの著した『ローマ史』(BC.56)を起点に論じてみようという意気込みに満ちている。この「意気込み」こそが、マキャベッリが現代の私たちに遺した贈り物ではないかと思いつつ、目下、読み進めている。

 専制か民主制かは、中国ばかりか、ミャンマーも、アフガンなどを巡ってもっぱらの政治論議の中心課題になる。情報を巡るフェイクかトゥルースか、告発と中傷を巡る争いもまた、500年後のいまと同じように、当時のフィレンツェでも論題になっていたようだ。それの善し悪しを直に据えるのではなく、ローマ史に学ぶというスタンスでマキャベッリは俎上にあげ、いろいろな記述事例を引用して、展開する。王制がいいか共和制がいいかをやりとりする視野が、始祖のロムルスからはじまるから、いわば、マキャベッリが本書を書いているまでの2000年間のローマやフィレンツェ(イタリア)を一視に納めて、回遊する。リウィウスのローマ史が読むものの共通起点として作動しているのであろう。それとして記述されているわけではないが、そう窺われる。私などは、高校時代の世界史で学んだ記憶が、せいぜいの共通認識。

 つまり、フィレンツェの状況をめぐるマキャベッリ自身の胸中がどのように形づくられ、どうすることをよしと考えているかが、ローマ史を引き合いに出すかたちで記述されているのだ。そこには、彼の民衆観や社会観、国家観、とどのつまり人間観が脈々と流れていて、ではおまえさんはどう考えるのかねと、読者である私は問われているように感じながら、読み進める。それこそが、実は、共和制的な(いまで謂う)民主主義のプロセスだと感じさせるのである。その感触は、政治学を動態的に論じている気配ともいえようか。

 マキャベッリという人は『君主論』の著者くらいしか印象を持っていなかった。というか、近代政治学を築いた人と考えてはいたが、権謀術数や政治構想の泥沼を結果責任に結びつけて、政治論議を機能的に見えるようにした人物と考えていた。

 だがそうではない。彼自身が、本書を記しながら、政治体制の有り様を探っている。そのプロセスが実は共和制的なプロセスに欠かせない「近代化」だと、もし後の時代を見ることができていれば、マキャベッリは謂ったにちがいない。そう思わせる興味深い記述である。それだけの共通の文化遺産を伝えてきたイタリアって、ワインの里ってだけじゃなくて、面白そうだ。

2021年8月30日月曜日

地図を喪失する

 数学者の森田真生が面白いことを言っている(雑誌「新潮」2020年7月号「危機」の時代の新しい地図。藤原辰史との対談)。

《現代は誰もがスマートフォンを携帯するようになったことで、「自分の現在地を見失う(ロストになる)」感覚を忘れてしまったのではないか》

 はっとさせられたのは、4月の私の滑落事故につながった山歩きは、「現在地を見失う感覚」だったのかもしれないと、指摘されたように感じたこと。森田は、こう続ける。

 《生き物の知性は基本的に、「自分の居場所がわからない」状況でこそ働いてきた……「迷子の状態」であることは知性が駆動する条件ですらあるのではないか》

 面白い。私は、4月の事故にいたる我が身の状況は、「獣になった感覚」と感じていた。自然と溶け込むように一体となった忘我の境地。「至福の滑落」と考えた。それを森田は、「知性が駆動する条件」と置き換えている。私がはっとしたのは、「獣になる」ことと「知性が駆動する」こととが切り離されず、ひとつとして扱われていること。

 つまり、般若心経の言葉をつかうと、「心」と「意」とがひとつに「身」としてとらえられていることであった。「新しい地図」というのが、ヒトが動物として新たな一歩を踏み出すときの、興味津々に、警戒心をたたえて「状況」を見つめる目と心を取り戻すことと受け取った。

 逆に言うと、今の地図は、天空から見下ろして現在地を指定し、見通しの悪い先行きの方向を定める役を果たしているのだが、そのために天空からの視線しか身の内に沸き起こらず、現場の現在を右往左往することの具体性を見失っていると言っていると受けとったわけだ。その具体性にこそ、面白さとそれを味わう「かんけい」の精妙さが揺蕩い、それを味わい尽くしてこその人生だと理解した。

 もう少し踏み込んで解釈すると、現在は天空からの視線でみる「状況」と現場で味わっている「世界」とが切り離されて、総合されていない。言葉では「神は些細に現れる」というけれども、それさえも「普遍」を語る言葉として用いられるか、些末に心を砕いて味わいなさいと現実的な視線で見つめることとが、切り離されている。断裂している。だが、それに気づかず、もっぱら「普遍」の言葉を用いて語ることが「知性」の働きと勘違いしている。

 この森田真生のことばは、藤原辰史が森田の数学に関する見方を「新しい地図」を提出と見なしたことをきっかけにしている。2020-1-2のこのブログで「メデタクもありめでたくもなし」で、藤原辰史『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019年)の一節にふれて、「〈共〉が腐敗する」ことを取り上げている。いま読み返してみると、藤原の視線に共感を覚えていることがわかる。こういう発見は、うれしい。我が身の「核心部分」に強調点を打つような気分だ。いいところに来ていると、褒めてやりたいといおうか。忘れては、こういうことをきっかけにして思い出す。我が身にしみこんで「発酵した」思念が、森田の開けた穴を通してぽっと噴き出したと言おうか。でもこれって、我が身の思念が、先端的な思索の地図に居場所を見つけたようなことではないのか。それにホッとうれしさを感じているのは、天空から見下ろす地図感覚と同じじゃないか。そういうパラドクスも感じて、そう感じている私がうれしい。

2021年8月29日日曜日

大学入試の多様性は人柄を育てるか

 関西の知り合いがやってくる。コロナ禍で2年ほどのご無沙汰。久々に会うことになった。話を聞くと、子どもの進学先を見ておきたいという。聞いて驚いた。私が知っていた頃の埼玉の高等学校と、まるで違う。進学志向が違うのか、高等学校経営が違うのか。それに対応する大学側の体勢も、20年ほど前とすっかり違っていて、様変わりに驚いたという次第。

 知人の子どもは、商業系の学校。ただ、関西とか西日本の商業系の学校は、進学熱が(関東に較べて)非常に高い。普通高校とどちらがいいかわからない様相があることは、香川県の例などを耳にしてはいた。それが具体的に目の前に表れたような驚きであった。

 その高校の昨年の国公立大学進学者は80名に近い。関西に国公立志向が強く、関東には私立志向が強いとは知っていたが、これほどの差があるとは思わなかった。関東の商業系の高校の国公立進学者は、一桁ではないか。

 むろん高校は関西にあるから西日本の国公立が圧倒的に多い。だが、北は小樽、北大から関東甲信越は、筑波、群馬、埼玉、横浜国立、新潟、長岡科学技術、信州、静岡と人数は(年によって)1人、2人いるかいないかと広く散らばっているが、進学している。資料を見ると、指定校推薦をはじめとする推薦入試を主としているが。それにしても80名近い国公立進学者を出すというのは容易ではない。関西の私立高校は、予備校に行かなくても進学態勢がとれるをウリにしているそうだという。

 商業系の高校は、簿記検定に始まる「資格取得」に力を入れている。それらの取得と成績平均という数値を基本にして、面接と入試もある。まずは、高校内部での人数制限を突破する「内部選考」の競争が厳しい。あるいは大学によるが、共通テストも必要だったり、本番入試もあるから、希望すれば皆が合格とはいかない。何人が受験して何人が合格、あるいは不合格という数字は、明らかになっていないが、こうなると高校生は、入学してから卒業するまで気を抜くことができない、と思ってしまう。

 成績平均だって(推薦の場合)「3・5」以上は必須。国公立ともなると「4・3」とかを求められる。ひとつの学年の2割もがそういう高い成績平均をとるわけにはいかないであろう。あるいは「3・5」以上と受験資格を下げているところは、案外、共通テストや本格入試で厳しい競争を求められているのかもしれない。様々な条件をつけて全国から幅広く、いろいろな手法を駆使して受験生を集め、期待できる学生を集めるという大学側の思惑も多様になってきているのであろう。

 受験生としては、推薦入試と本格入試の二度のチャンスを持つことができると言えば、聞こえはいいが、それは「実力」に力のある伸び盛りの生徒が謂う台詞。たいていは、実力に自信がないのが普通だ。まして成績平均で相当程度をとることができる生徒は、コツコツと真面目に日頃のなすべき事をなして高校生活を送ることを得意としてきたであろう。人柄もよく、穏やか。周りを押しのけてでも競り出していく気迫に自信があるとは思わない。

 案外推薦入試って謂うのは、いわゆる「学力」とは異なって、日頃の安定した生活習慣が培う心の習慣がゆったりと落ち着いていて、周りとの関係づくりとか人柄にも不足がない人を求めるのには、いいかもしれない。大学が(国公立も)そういうところに目をつけて、推薦入試をするのであれば、高校生活ももう少し変わるであろうが、皮肉なことに、そうは順接していないようである。大学側にも、高校側にも、今のところ、そういう趣旨が込められているとは思えないのが、残念である。

 子の親たちの思いが、(今の学校教育に欠ける)人を育むことに向けられているだけに、システムの国家百年の計が相変わらず、経済競争に打ち勝つ「人材」育成というようでは、先行きの希望がない。そんなことを思った。

2021年8月28日土曜日

コロナウィルスが突き刺す針になるか

 2020年8月27日の本欄記事、《独裁制を望む「核心的感情」》は、今も新鮮な響きを持っている。


 暮らしが立ちゆくかどうかに伏在している「核心的感情」は、我が身がおかれている「現在の直感」に導かれている。ということは、日々の一つ一つの出来事に抱く感情が積み重なり、それが「私の暮らし」に結びついて感得されたときに生まれる感情とも言える。


 アフガンの混乱や中東の混沌は、対岸の火事。せいぜい日本はそうはなっていないと思うだけで、中央や地方政府に対する信頼感は、まだ崩壊しない。だがコロナの広がり方と行政の対応を見ていると、おいおいこれで大丈夫なのかよと、慨嘆したくなる。中央政府の対応が、後手と呼ばれているが、泥縄式。モンダイが目前に迫ってから、どうしたらいいかを考えている。これって、ワタシらとおなじセンスだよね。優秀と思っていた官僚組織がまるで機能しない。そう感じたとき、専制的権力とか、独裁的手法で果敢に前途を切り開いてくれる政治家が渇望される。


 先日BSフジの討論番組を見ていたら、アフガンに出張っていったアメリカは、第二次大戦後のドイツや日本を民主化できたという錯覚があったとやりとりが始まった。出席者の桜井よしこは、聖徳太子の17条憲法を取り上げ、アフガンや中東と違って日本には民主主義の芽が合ったと力説する。ま、象徴的なこととして指摘するなら、それはそれでかまわない。ところが勢い余ってか、それ以来日本は、民衆を大切にする統治が行われてきた、イスラム世界にはそれがないという風に言ってしまった。馬鹿だなあ、そんなに言うと、象徴的な一事例ではなく、全面肯定になっちゃうじゃないか。イスラムだってコーランを読めば、それがどれほど困っている人たちを救う道を現実的に考えていることが書き込まれているとわかる、そういう一端が見えると、エリートというのが、ご自分の思念の世界で独り歩きしてふんぞり返っているだけなのかなと思って、その印象が心に刻まれる。


 むしろ、橋下徹のように、自分のわかっていることだけをきっちりと分別して言葉にしていく方に、はるかに信頼を寄せる。現実に何もやっていない人はエラーをしながらやっている人に較べて、それだけで「核心的感情」において優位に立つ。自民党が沈めばそれだけで(相対的に世論調査などで)立憲民主党が浮上するってわけだが、ま、いずれも政治家であるだけに一桁台の上下しか望めない。そこへ、敵を明確に指摘して事態を打開しようと先制者が登場してくれば、そこへ我が身の暮らしを預けてみようと願わないではいられなくなる。ヒトラーの演説を直に聴いた兵士のように。


 日本はいま、その端境に立っている。とはいえ、そこそこ暮らしが成り立っている年寄り層が、岩盤のように旧来の伝統的統治を支持しているから、なかなか若い人たちの思いが届かない。さあ、どこでそれが弾けるか。コロナウィルスが、膨れ上がる「核心的感情」の鬱積を突き刺す針になるか。

2021年8月27日金曜日

昔と変わらぬ風景

 今日の朝日新聞に《「平凡な校長」の直訴》というインタビュー記事があった。大阪市立木川南小学校長・久保敬さんが、現場で感じてきた学校教育の実情を訴えた手紙を市長に宛てて書いた。それに対して「訓告処分」が下された。その小学校長の真意を語らせたインタビュー記事である。

 私がすぐに思い起こしたのは田中正造の足尾鉱毒事件。田中が天皇に直訴して大騒ぎになったことであった。なんだ、その時代と何も変わっていない。お上は聞く耳を持たない。直訴するなんて不埒なことと「処分」を下す。学校の教師なんて、一人前の顔をしてお上の施策に文句を言うんじゃないよと謂わんばかりだ。これで民主主義って謂うんだから、笑っちゃう。

 このお上の人たちは、選挙とそれによって組み立てられた仕組みだけが民主主義って思ってるんじゃないか。民衆の意見を聞くのは選挙のときだけ。それも、自分たちの思考の範囲で組み立てた論理と倫理とご都合に満たされ、それに対する結果も、数字で計量できる範囲の、さらにご都合主義的な解釈によって「民意」を推し量り決めつける。

「処分理由」が「教育委員会の対応に懸念を生じさせた」というから、分を超えた振る舞いとみたのであろう。なんとも大時代的。そういえば大阪市長は「維新」を名乗っていたっけ。ふるいわけだ。まさしく田中正造よりひと時代前のセンスを看板にしている。

「平凡な校長」は、私より19歳若い。来年春に定年を迎える。「学校が週休二日になる頃から変わってきた」と述べている。小中高校に週休二日が導入されたのは、1992年の9月。もうじき満29年になる。その週休二日は、しかし、学校教育上の理由ではなかった。バブルで湧かした時代の名残というか、日本人は働き過ぎ、労働時間を年間300時間ほど短縮せよ、国内需要をもっと増やせとアメリカから強く要求されていた余波を受けて組み立てられたものだ。

 だから教育カリキュラムを削るという発想はもとよりなく、政府も文科省も、7時間目をもうけて6日間でやっていた教育課程を5日間にはめ込むという無理を、学校現場に押しつけた。GDPを押し上げることが即ち世界2位の経済的地位を守る絶対条件といきり立っていた。すでに聞こえていたバブル崩壊の音もあったから、余計に詰め込みを現場に求めたとも言える。

 と同時にその当時、「ゆとり教育」という大きなテーマも動きだしていたのだが、その本意を現場に反映するときに「学力向上」しか眼中にない施策の提示となった。簡略に謂えば、能力のあるものはどんどん伸ばす、ないものはそれなりに学べばよいと謂うものであった。多様な学びというのも、人それぞれに自分の人生を見切って、組み立てなさいというもの。結果的には何もかも、個々の家庭と子どもたちがかぶるように競わされることになった。

 論じればそれはそれで、深さもある「論題」であったから、学校現場に身を置いていた私たちもその論議に加わった。だが、若手の現象学の哲学者ですら、「教育施策を論じたいならどうして文科省の役人にならなかったのか」と私たちにいうほど、上意下達の社会的仕組みのセンスは、左右を問わず、進歩派か保守派かを問わず、確固と浸透していたのであった。私たちは基本的に現場教師に語りかけるように言葉を発していた。

「平凡な校長」は勇気がなかった自分を反省して市長に手紙を書いたと述べている。私はそのような「勇気」を校長に仮託することさえも無理と思っていたから、そうだ、それぞれの持ち場で言葉にすることができるようにならなければ、現場のことは「お上」に伝わらないし、お上も聞く耳を持つようにならないと、あらためて思う。

 一通の手紙を書いた勇気が、マス・メディアの目にとまり、それが私たちのところへ届けられた。ここからが出発点だと感じる。まさしく「処分」されることによって、対立構図が明快になり、焦点を絞った論議が開始される。身を捨ててこそ生きる瀬もあれ。明治維新の薩長藩士たちも、そうした思いの下級武士の思いをくみ取っていたからこそ、成し遂げられたのではなかったか。そんなことを思った。

2021年8月26日木曜日

法的言語と生活言語の齟齬の現在

 北九州市の特定危険指定暴力団・工藤会の総裁・野村悟に死刑の判決が出た。利権を巡って障害となった漁業組合長を殺害するなど、市民への4件の殺人と殺人未遂について罪に問われ、組織の長であることからこの判決を受けることになった。工藤会の会長・田上不美夫も無期懲役と罰金2000万円という判決。

「事件の指揮や指示をしたと認められた上層部に刑事責任が課された」というが、その論理は、《「厳格な統制がなされる暴力団組織」で組員らに犯行を指示できる上位者は両被告であると想定される》として、「事件を配下の組員が単独で行うことができるとは考えがたい。両被告の関与がなかったとは到底考えられない」として共謀を認めたと、報道はいう。異例のこと。

 これまでは、指揮や指示、共謀の事実(証拠)がなければ有罪とされないというのが、司法の「常識」であった。そこに通用していたのは「法的言語」。だが、暴力団の組織において上位者と組員の間に意思疎通がないはずがないという見立ては、私たち庶民の「生活言語」の常識。今回の司法判断が「異例のこと」というのは、「法的言語」から「生活言語」へ重心が変わってきているということを意味する。

 こうも言える。暴力団・工藤会が、自らの組織の利害に関わることの障害になる市民を殺害した。組織の幹部に不快な振る舞いをしたなどの理由によって殺人未遂が行なわれた。それでは堪らないと、庶民は感じている。その市民感情があったからこそ、今回の「異例」が具体化した、と。逆に見ると、「法的言語」が機能しなくなっている。「法的言語が機能する」とは、司法判断がそれなりに国民に信頼され、すべてが腑に落ちるというほどでなくとも、ま、そうだよなと、だいたい得心できる部分が多いことが必要なのだ。

 そもそも近代社会の刑事司法とは、市民の間の直接暴力的関係を法的手続きと法的罪科に委ねることにあった。逆に言うと、市民(集団)の直接的「解決」を国家が占有して取り上げることでもある。それが市民の間の争いを穏やかに処理する方途として制度化された来た。いわば、暴力を国家が独占することの裏の保障装置でもあったわけだ。だからアメリカのように、市民には自ら身を守る権利という(銃砲所持の)権利は、広い大陸の(国家社会の手が十分行き届かない)中で自律的に社会関係を紡いでいく必要とか、国家自体の暴虐に対抗するという(歴史的経験に学ぶ)教訓を体現していなければ、暴力装置を市民が分割所有することは現実化しなかったであろう。

 日本のように、すべてを司法に委ねるしかない社会では、それだけ統治者は生活言語からの乖離に気を配らなければならないはずであった。だが現実の状況を見ると、暴力団の世界だけでなく、政治家や官僚や企業経営者という、おおよそ統治者の側に立つ人たちの用いる法的言語は、ずいぶん空洞化してきた。情報社会でどんな些細な場面で使われた言葉でもすぐにマス・メディアに乗る事情も作用しているであろう。なんてひどいことをいうのか、馬鹿だなあと、用いられた言葉にチェックが入る。その様子が繰り返し報道されるだけでも、空疎さが広がるのに、さらにそれに輪をかけるように空疎な弁護やいいわけが重ねられる。

 選挙で買収をした議員が処罰を受けても、それに多額の資金を提供した党の幹部たちは、司法によって何も問われない。役人たちの、記録を改竄するなどの不法な振る舞いがあっても、政治家たちはその解明に手をつけようとしないばかりか、改竄を指示した役人を出世させるという処遇をする。それを目にしてきた市民は、彼らの駆使する「法的言語」の虚ろさをいやというほど感じてきている。

 「状況証拠」だけで処罰を決めていいのかと「法的言語」世界ではいうであろう。それは手続き面での不備を問うものであるが、事件の真相に迫るものではない。そこへ生活言語世界が介入すると、とどのつまり権力を握っているものが思いのままに「状況」を差配することが許容されるから、当然、弱い立場のものが不利にあしらわれる。それも困る。しかし今回の事件の場合、市民の暮らしを明らかに脅かす「事件」の真相に迫らずに、末端だけを始末していては、暮らしの脅威は取り去れない。庶民はその端境でコトを判断しなくてはならない。今回の事件でいうと、とりあえずは真相に近づいて判決してもらう方が「脅威」を取り除くことになる。それが、司法判断をするヒトを支えたのであろう。

 だがテキも然(さ)る者。工藤会総裁は法廷で裁判長に「生涯このことを後悔するぞ」と言い放ち、会長は「ひどいねあんた、足立さん」と捨て台詞を残したそうだ。もう、これだけで「事件」だと、私などは思う。

 さ、これを司法ばかりでなく、立法や行政がどう受け取り取り仕切るか。興味は湧く。でも、何か動きがあるとは思えない。それが私の実感の現在である。

2021年8月25日水曜日

時代を超えて面白いこと

  2020-8-24の記事「なぜホンネをさらけ出すのはみっともないのか」を読んで、思ったこと。

 昨日の「村八分の論理と倫理」は、いわば江戸時代のトランプ社会の「生き延び方」でもあったと、上記記事を読んで思う。これをもって「いつの時代になってもヒトって変わらないんだ」と言ってしまえば、超時代的になって仏教の「解釈」と同じになってしまう。も少し細かく時代を区切って、その間に積み上げてきた社会関係や国際関係とそれにともなう時代思潮の変化を読み取れと謂うことだろうか。トランプがひっくり返しているのは、せいぜい「戦後社会」の国際関係だ。目先のことしか見ていない子どもが、口先の理屈をこねて反抗するとき、もっと長い目で見ている大人は、全く馬鹿だなあと呆れるようなものか。

 今読んでいる本『ディスコルシ 「ローマ史」論』(ちくま学芸文庫、2011年)は、マキャベッリの著書。「君主論」の前に書きはじめ「君主論」のあとに仕上がった作品のようだ。これが「君主論」の政治論と異なり、古代ローマのたどった足跡を吟味して、「古代の先例に救いを求めようとするものは、誰一人として見当たらないのが実情である」と、本音を隠して相手を欺くのも英明な君主の役割と説く「君主論」と異なり、共和制への思いを綴って、こう言う。


「むしろ歴史から学ぶのは、手間がかかるばかりでなく、不可能なことだと決めてかかっている。まるで、天空、太陽、元素、人間は、昔あった姿と、その運行、体系、働きを変えてまったく別物になってしまっているかのようである」


 トランプがそう考えていたかどうかは知らないが、彼の振る舞いはまるでそのまんまであったように、戦後過程を無視して、我が儘であった。500年も前のイタリアに、同じような状況が見られたと謂うことか。

 文庫とはいえ、750ページもある大著。だがマキャベッリは、ローマの物語が面白いからとそれを読むのを良しとしない。今の時代と比較して、吟味しながら読んでいけと、今の時代の物語として読み返していくことを勧めている。面白い。物語や言葉がいつだって、象徴的に用いられていることを示している。500年の時間的隔たりが苦もなく超えられているのは、読んでいて面白い。

2021年8月24日火曜日

村八分の論理と倫理

 政府や都が都内の全医療機関に、病床確保の要請を行った。逼迫どころか、すでに崩壊と言われる事態になって、やっとこういう為体だから、行政が庶民に信用されないのも無理はない。[公助]は常套句のかけ声ばかりだ。庶民の方は、[自助]と[共助]でしのぐしかなく、「自宅療養」という名の引きこもりを、なんとか専門家の診察を得て行えないかと思案している。

 [公]と[共]と[私]を考えていると、江戸期の村落自治の様子が気にかかる。身分制という大きな枠組みの中での村の自治は、為政者から見ると年貢などの村落請負を意味する。村の住民からすると、庄屋を中心とした行政的側面とは別に相互扶助的な関係を維持する社会保障の役割を持っていたと言える。

 村八分というのを、村落自治からの[排除]と受け取ることが多いが、残された二分(火事と葬儀)は相互扶助に組み込まれている。さらに年貢などの請求もされなかったのかどうか。田を作るのに必要な水が分けてもらえなければ収穫は見込めないであろうが、となると隠里のように山奥に田や畑を作って自律的に暮らすことも考えられる。それらの人たちを、村落がどう処遇したか、為政者がどう見なしたかに興味が湧く。青山文平の小説にそういった集落が、当たらず障らずにおかれた設定で描かれていたのがあった。だが歴史的に、そうであったか。自ら調べてみようという気合いはない。

 ということは、前回取り上げた宮本常一の村落自治の談合決定の方法という昭和初期の地方の寄り合いの話などを持ち上げて、江戸期の村落自治のモデルにしてしまうのは、早とちりもいいところとなる。ただ単に、そのような「全員一致」の気風が垣間見られたというほどの評価を与えて、[共]の再構成を図る話が荒唐無稽ではないという参照項にしておきたい。

 もうひとつ。明治期の中央集権の推進に対して、村落から異議申し立ての声が上がったことがあった。ことに学校制度を布いたとき、農繁期に(子どもとはいえ)手間をとられるのは困ると反対の声が上がった。後知恵で謂うと「国家百年の大計」に吸収されてしまうが、当時の村落としては、読み書きができるようにすることも自治的にやるところはやってきていたから、「お上」が余計なところに手を突っ込んできたと受け取ったのかもしれない。あるいは学校維持のために経費を請求されたことが、反発の大きな理由であったのかもしれない。でも、余計なことをしてくれるなと謂う自治村落側の意気があったことは、いまのご時世と較べても、遜色がないように思える。

 明治維新の当時は、国民国家的な意識(ナショナリズム)よりも、旧藩を「くに」と感じる愛郷心(パトリオティズム)がより強かったこともあろう。だが、パトリオティズムは、生まれた後に身に刻み込まれた空間や時間の感覚がベースになっている。近代の国民国家は、それを国家へ点綴することに力を入れ、愛国心へと育ててくることを行った。私たちはそれに苦い経験を持っているから、国家と社会を分離して考えるのと同様に、ナショナリティとパトリオティズムとを、やはり分けて受け止めることを、戦後の政治体制の元で身につけた。それは、ナショナリティの発生的には、正統性を持つていたのであった。

 そうして今、[公共]が[公]と[共]とに分かれ、[私]の領域がどう構成されているかが問われている。それは、画然と腑分けできる静的なことではなく、動態的な対応が迫られている[関係的な]ことがらである。私たち自身の、身につけてきた気風とも関わっている。さらにまた、今の日本の行政社会が長年習慣化してきた「法的言語」による規範のありようにも、関わっている(国旗国歌に関する法的な規定がよくそれを現している)。「法的言語」による規範意識は、事態を静的な関係にとどめ、動態的な関係において認知することを妨げるのだ。

 共同体というと古くさい集団主義を思い起こす。コミュニティというと行政的な下請け機関としての町内会や自治会の地域ボスの跳梁する「地域関係」が思い浮かぶ。学者などはアソシエーションと言い換えて、古い時代のそれとは別であるとイメージ喚起をしていたりする。しかしそれらは、どう名付けられようと、古くからの感覚や観念と地繋がりの「関わり合いの意識」である。それらを市場原理に預けているかどうか、行政組織に預けっぱなしにしているかどうかも含めて、改めて一つ一つ暮らしの場面を振り返って吟味し、思い切って自律の方向へ舵を切らなければならない。

 コロナウィルスがもたらした今回の事態は、まさしく「自律」が切迫した課題であることを突きつけている。自身でどうするか。自身たちでどう身を守るか。そう問うている。

 病もそうだが、歳をとると身が不自由になる。そうすると、[私]で始末できる部分が極端に狭まり、それとともに[公]や[共]に依存せざるを得なくなる。だが現状では、[公]は頼りにならない。とすると、[共]の部分を「市場原理」に任せるか、自律的にネットワークを作り上げるか考えなければならない。そうなってすぐに[共]を起ち上げるわけにはいかない。だが、なんとか手を打って、市場原理にも手助けを得ながら、この事態に対処しなくては、生きていけない。

 ま、頑張るべ。遠くの親戚より近くの他人。その人たちと相互扶助の関係を作っていく方向を、探りながら、今を凌ぐしかない。

2021年8月23日月曜日

新しい[公]とは?

 今日(8/23)の朝日新聞文化欄に、斉藤公平のインタビュー記事が載っている。「[私]は肥大化 いま作る「公」]と大見出しをつけ、「格差が広がり、環境にも負荷。「私有」が基本になったのは西欧でも200年~300年」と小見出しが論旨を現しています。

 古い共同体での[公]から自立したのが[私]とみたとき、その[私]を公的に担う役を担ったのが資本家社会の市場システム。その最大化が現在であり、それが格差と環境への負荷を大きくしている。「公vs.私」と切り分けてきた[私]を制限して、新しい[公]を作り出そうと呼びかけている。

 だがちょっと大雑把に過ぎないか。古い時代の[公]と[私]を対立させはしたものの、そう簡単に切り分けて扱えない。隣人との関係や身近な自治的関係をどちらの側に押しやって、集約してしまったのか。またそれが、古い共同体から自立する時代の、西欧ではキリスト教のカトリックやプロテスタントの持っていた倫理的枠組みが保っていた相互的な社会関係が、後の資本家社会の進展によって突き崩され、[公]と[私]のいずれかに分解されて市場原理に預けられ、現在に至って不自由を感じている、と。

 菅首相がコロナ禍に際して、[自助][共助][公助]と表現したことがヒントになるが、[公]が行政を意味するとしたら、[共]は自治的なネットワークを意味している。ご近所であったり、家族間の繋がりであったり、同好の士のネットワークであったりする。つまり[共]は、個々人が関係を紡ぐ相互的な努力によって作り上げられるものだ。

 それを区分して受け取ることなく、[公]は行政の役割と見なしてきたのが、日本の現在ではないのか。それは、長く、屹立する行政権力を尊大にさせ、人々を大きく依存させてきた。「寄らしむべし、知らしむべからず」と基本構図は同じの時代を、近代社会の中央集権制として作り上げてきたのが、現在の日本の姿だ。

 かつて村には自治的な集団的社会関係があった。だがそれは、中央集権的統治に都合よく組織されることが多く、集団的な日常関係にまで抑圧的な規制が多かったとも言える。もともと相互扶助があったわけだが、固定的な上下関係の秩序は、その外の支配関係と相似形をなしていた。もっとも宮本常一の(昭和期の)調査では、全員一致的な習いもあったようだから、一概に抑圧的とばかりも言えない。逆にまたそれは、だから抑圧的であったとも言える。そこには、いまなら[情報]の公開と相互に意見を取り交わして意思集約をする仕組みがあったかどうかによるとも言える。

 [公]がもっぱら行政システムを指し、公共の[共]が[公]から消えたことが、現在の日本のやっかいさとでも謂おうか。[共]は、[公]を介さずに人と人とが共同する自律的メンタリティを指している。そこには、[私]をある程度さらして、協調する領域を広げていくこともしなければならない。[プライバシー]として囲い込み、それへの侵入をさせないと謂うことは、逆の場合に、[共]の立ち入りを禁じて拒むことになる。

 [共]がすべて[公]となると、公権力の立ち入りという課題になってしまう。いまの「ロックダウンの論議」などを見ていると、[公]と[私]との関係だけでやりとりが交わされている。その橋渡しになる[共]という領域が、社会の共通規範から消えてしまっているからである。

 そのあたりに斉藤公平は、分節的に踏み込んでいない。だが、「新しい[公]:コモン」ということで、消えている関係を起ち上げたいと希望を語る。

 インタビューをした記者が「取材を終えて」次のように記している。

 「[公]に戻るのが、過去の家父長制の強い社会に立ち返るのであれば、「私には無理」……。水や森林の共同管理に限らず、服を共有する仕組みを作ったり友達とルームシェアして家電を分け合ったりするのもコモンのひとつ。……楽しく[脱ー私」をしたい」

  守ってきた[私]の身にしみついた観念も、[脱=公]とともに離脱して、新しい公を獲得できるといいのでしょうが。言葉だけではなかなかうまく運ばないですね。

2021年8月22日日曜日

夏の中学生

 昨日(8/21)、日差しは強いが雲が出ている分だけ、所々和らいで歩きやすいかと思って家を出た。2時間も歩けば十分と考えていた。

 雲がとれて帽子や首に巻いたバンダナ程度では日除けにならない。背負っているリュックさえ暑苦しく前に回す。けど、今度は胸と首がうるさい。

 しばし休憩を取ろうと、途中にある図書館へ入る。

 広いロビーに何かの展示物がある。人はいない。目に入った一面の掲示物には、「戦争はとめられないか」「差別をなくそう」と書いたいくつかの断片がイラスト付きで貼り付けられ、いかにも中学生の制作発表という感じ。

 そのうちのひとつが目にとまった。「人と較べないようにしよう」「上下を考えるのが間違い」と、道徳的な常套句が並べてあって、「人は多様」とコメントしている一コマ。

 何だかなあ。こんな徳目が、中学生の心にとまるのだろうかと思う。でも、中学生の制作とはどこにも書いていない。だれだ、これは? 

 見ていると、中学生らしい若い人たちが何人かやってくる。その一人に「どこの中学校?」と聞く。「この近所の……」と、答え方が妙だ。いくつかの学校、それも中学生だけではなく、いろいろな人が関わっているらしい。夏に、この会館に集まっている有志の中学生たちが、夏の成果を発表しているという雰囲気だ。

 目にとめた掲示物を指さして、「これも、あなたがた?」と尋ねる。彼も当事者の一人らしい。「誰か大人はサジェストしてるの?」と重ねて尋ねる。う~ん、と困っていた彼が、向こうの方からやってきた女の人を指さして、ああ、あの人が先生、という。40代のふくよかな方。

 彼が「何か?」という顔つきをしたので、「ああ、わたしの感想」と断って、目にとめたコメントについて話す。

 「人と較べるってのは、人の性だと思うんだよね。そうしないと自分が何者かわからなくなるから、誰もがそうしないではいられないことじゃないか?」

 「だから、較べないようにしようって呼びかけは、できないことをやれって謂っているように思うんだよ」

 「上下をつけないのが大切って謂うけれど、スポーツだって優劣を争って勝ち負けを決めるだろ? それって面白いじゃない? あれも、自分を何者かと考えるときには、優劣や勝ち負けが自分を際立たせて、自分の輪郭を描き出すからじゃないかと思うんだよ」

 中学生はうなずきながら、ふんふんと聞いている。ほかの仲間が呼びに来た。何か用があるらしい。ああ、そちらの方が呼んでるようだねと、私は話を切り上げる。中学生は「ありがとうございました」と頭を下げて、仲間とそちらの方へ向かった。

 土曜日のせいか、図書館に人が多い。冷房も効いている。予約本が届いていたことを思い出し、それを受け取って、しばらく長椅子に腰掛けて目を通す。「ビジョナリー・カンパニー」というアメリカの経営コンサルタントが書いた本。「はじめに」を読む。半世紀以上の経営を続けてきている中から優良企業を選んで、その経営手法やどこが優れているかを分析した本という。その企業の選択方法とその理由を書き、それと比較対照させた企業名を挙げて、12の指標を取り上げると明快である。なんでこんな本を予約したろうか。この本を引用した何かを読んで、「ビジョナリー・カンパニー」って何だと疑問を持ったからだったか。経営の本だとは思わなかった。でも、会社とか経営とか利益と企業活動の意味とをどう仕分けしているかとか、そういう視点を持ってみると、面白いかもと思いつつページをめくる。

 小さい子どもがキャアキャアと言いながら目の前を通って、転んでは歩いて、後ろから来る父親を慌てさせている。いつの間にか1時間も過ごしている。こんなことをしていたら、お昼に戻れない。グレン・グールドのピアノ曲CDを借りて、外へ出る。暑い日差しが戻ってくる。生協まで行って買い物でもしてこようと思ったが、生協のカードを持ってこなかったことを思い出し、うちへ帰ることにした。

 風もない。日陰もない。裏通りの日差しの強い道をとぼとぼと歩いて、家路をたどる。公園にも人影はない。貸し家庭菜園には、一人男が畝を作っている。その脇のミニトマトが腐りかけてたくさんぶら下がっている。食べきれないのだね。

 駅から区役所行きのバスがやってくる。覗くと一人だけ客が乗っている。

 夏休みもあと一週間か。うちへ帰ってそう考えていると、コロナの感染が広がっているから、夏休みをもう少し続けようかという話題が取り沙汰されていた。おやおや、中学生も、また気合いを入れなおさなければならないのかも。大変だね。

2021年8月21日土曜日

第12回seminar ご報告(5)大自然への敬意が消えていた

  イセキさんの鉄との向き合い方が、実はよく理解できなかった。工業製品を作っていると謂えば、もっとドライに、機能的に関わればいいものを、どこかその向き合い方に、こだわりがあるような感じがしたのだ。何だろう。何が愛おしいのか。どこに「執着」しているのか。鉄のどこが彼をそれほど惹きつけるのだろうか。あれこれ考えても、しっくりこない。

 ひとつ、ぱっと閃いたのは、鉱業誕生の不思議、と思った。鋳鉄の話のはじめに青銅器や銅の精錬がいつ頃どこでみられたかから入った。あるいは、「もののけ姫」の動画を収録して、鞴(ふいご)と蹈鞴(たたら)の様子が活写された部分を見せてくれた。「活写」と表現したが、活き活きとしていたのは、文字通りそこで働いている女たちの様子であった。

 私たちは、農業の様子は目にして育っている。だから、農民がどう大地に働きかけ、土を作り、作物を栽培しているか、身をもって感じている。だが、鉱業となると、日比精錬所近辺に育った人たちはどうだか知らないが、製品しか目にしていない。どう大地に働きかけたら、そのような製品ができてくるのかに、さして関心を持たなかった。大自然の不思議が消えてしまっていた。

 自然と私たちの仕事の関わりを象徴的にイメージするのは、もっぱら農業であった。私は教師をしていたとき、子どもの成育と米作りを重ねて、「百姓は田を作る。米は田が作る」と喩えて、教師や親の思い通りに育てようとすることの傲慢さと、方法的短絡を指摘したことがあった。つまり「教師は学校を作る。学校が子どもを育てる」と方法的迂回と思われる学校作りをすすめ、たとえ教室で教えていることでも、教えたことがそのまま伝わるわけではなく、生徒の内面に蓄積している、生育歴中の環境がもたらす諸事情を濾過して、生徒の身にしみこんでくると、教育論を論じたことがある。

 その私と同様の自然との関係を、イセキさんは鉱業の分野で感じ取っていたのではないか。それが、単純に、工業製品の原材料を造る工業過程の一部として受け取られるのでは、肚の虫が治まらないという思いがあったのではないか。そう感じたのであった。イセキさんがseminarの終わりの方で、今はお内儀と二人でやっていると話したことに、(たぶん私は)ある種の執着、愛おしさをもって鋳物の話をしていると感じたのであった。彼の仕事を「現代の鋳物師」と名付けたのも、無意識のそうした感触を表現したかったからだろうと、振り返って思う。

 鉱業における大自然と人との関わりを、どう表現したらいいのだろうか。「もののけ姫」では、自然破壊と大自然との闘いとして現れた鉱業の誕生を、自然との共存へと落ち着かせる方途を探るように、物語は運んでいたと記憶している。それがどう決着したかは、忘れてしまったが、(たぶん)宮崎駿も同じような絵柄を骨にして物語ろうとしていたのではないかと、漠然と受け取っていた。

 その、大自然が恵みをもたらす鉱業における不思議と魅力を、イセキさんは私たちに伝えたかったのではないか。いわば一生かけて、その仕事に巡り会いその仕事に携わってやってくるうちに、不思議の魅力にとりつかれていった。しかし世の中の流れは、それがどれほどの利益を上げ、いかほどの労力と費用を要するかばかりに関心を傾け、しかも、開発途上国の安価な製品と較べて、より安くと要求してくる工業界。そこには、鉱業の不思議が醸す「ものづくり」への敬意がみられない。そのことへの、持って行きようのない、言葉にならない憤懣が、イセキさんの身の内にこもっていたのではないかと、推察した。大自然への畏敬というのは、それに携わる人の営みへの敬意でもある。

 そう考えてみると、彼の鋳鉄という「ものづくり」の、経済的情勢にまつわる変容がどうであったかと問うた、私の質問は、愚問も愚問。むしろ、「ものづくり」への敬意が鉱業界と工業界で違いがあるのか/ないのか、鉱業界では大自然への「畏れ」がどのように活きているのかを問うべきであったと、これまた反省的に振り返っている。

 そうした点から、金属器が始まったことへ目を移すと、イセキさんが、よくわかりませんがと謂いつつ、関心を少し振り向けた青銅器の鳥取・島根における発見などのモンダイが起ち上がってくるように思える。邪馬台国や卑弥呼との関係、畿内説との確執なども、面白いテーマとなるように思った。しかしこれは、私の傾き、悪いクセである。

2021年8月20日金曜日

言葉って何だ?

 昨日(8/19)の朝日新聞「折々の言葉」が引っかかった。詩人・茨木のり子の言葉。

「言葉が多すぎる/というより/言葉らしきものが多すぎる/というより/言葉と言えるほどのものが無い」

 それに付け加えて、鷲田清一はこう続ける。

「そうしてつぶやく。「さびしいなあ/うるさいなあ/顔ひんまがる」と。世には言葉が洪水のように溢れる。が、真に「ふかい喜悦」をもたらしてくれる言葉、渇いた心を芯から潤してくれる言葉にはめったに出会えない。人々はもはや言葉を信じていない。詩人はそこに「某国のきざし」を見た。……」

 この詩人には軽い好感を抱いていたから意外であった。好感を持って読んでいた「わたし」が変わったのか。あるいは、詩の読み方てっものがあるのか。

 沈黙しろっていうのなら、よくわかる。

 でも「言葉らしきもの」って何だ? 私が鷲田の引用した茨木のり子のことばを感じるのは、常套句にどっぷり身を浸して疑わないマスメディアや政治家や評論家や市井の人の言葉に接したとき。だがそれとても「言葉らしきもの/言葉と言えるほどのもの」とは謂わない。それが「言葉」だからだ。言葉にだって美醜はあると、茨木のり子は謂うのだろうか。私はまず、自分の「ことば」がそれほどのものとは思わないから、そういう決めつけはできないが。詩人・茨木のり子が「そういう鬱憤」を抱くのは理解できる。彼女は言葉のエリート。でもね、「言葉と言えるほどのもの」って、「ふかい喜悦」をもたらしてくれるものだけなのかい? 

 ヒトは言葉が第六感と私は思っているから、美醜や貧富は抜きにして、ヒトのくっちゃべる言葉はどんなものであれ、「言葉」だ。詩人が口にする「ことば」が、庶民の日頃口にするおしゃべり言葉や実用向きの指示言葉などと違うことはわからないでもない。でもね、第六感て、霊感や魂が繰り出してくる胸底の言葉ばかりじゃないからね。「わあ、疲れた」ってため息も、「もうやってられんわ」という愚痴も、「きゃあ、うれしい!」って喜びも、第六感の繰り出す関係的表現よ。そういう次元に持ち込んで、謂えばさ。

 あるいは、指示言葉にしても、人と人との間をつないで用を足すのには欠かせないお役目を果たしている。世の中が広くなり、多様になり、重層化して複雑になるにつれて、こうした実用語はたくさん繰り出されるようになった。

 あるいはこんなことも言える。外国語の歌を聴いて、その歌詞が何を言っているかわからないけれど、リズムやテンポやメロディというか揺蕩うような韻律が、涙を誘い、心持ちをほぐし、あるいはいやな感じを増幅するってこともあるじゃないか。言葉は意味だけで構成されている訳じゃないんだよ。若い人たちが何を言っているのかわからないけれど、何倍速もの猛烈な早口言葉で繰り出してくる饒舌調の歌は、そのトーンというか、声の響きだけ聞いて、面白いって感じているってこともあるじゃないか。それもこれもヒトの属性、「言葉」だと思えば、ひっくるめて「ことばじゃないよ」っていわれると、じゃああんたがしゃべっている「言葉」ってのは、何様なのと聞きたくなる。

 茨木のり子の詩の引用者・鷲田清一は、「人々はもはや言葉を信じていない」と話の次元を変えた。面白い。鷲田さんは、では、あなたのいう「人々が」しゃべっている言葉は「言葉らしきもの」「言葉と言えるほどのものではない」の、どこに位置しているんだ?

 もちろん「ことば」が変容することを知らない訳ではない。人々が日常取り交わす言葉が「つまらないもの」だとしたら、その人々の日常はつまらないものなのだろうか。世の中を流れ伝わり、使い使われて「ことば」として広まっていくことを考えると、手垢にまみれて「言葉」になり、ヒトはそれらを物真似のように使いながら、文法作法を自らの裡につくりだしてヒトの世界に参入する。後に学校というところで「文法」とかで「正しい使い方」という社会的正当性が君臨していることを知るけれども、それを知らなくても、使い方は見様見真似と、我が身の裡で作り上げた作法とで、どうにかできる。それで十分と言っているんじゃないが、それを「言葉らしきもの」とか「言葉と言えるほどのものではない」と誹られる謂れは、ないぞ。誹るあなたは、では、何者なの? どこに立っているの?

「ふかい喜悦」をもたらす言葉なんて無用という訳じゃないけど、ただ無意味に、くっちゃべっていることばでも、それ自体で、そのヒトにとって意味を持つ。しゃべらなくても、裸でただ抱き合っているだけでも、ヒトは心落ち着き、外へ向かって攻撃的に振る舞うことを遠ざけておくことができる。沈黙しろって、言ってくれよ、そうならさ。

 それさえできなくなるような観念の洪水、言葉の洪水の方が、遙かに「亡国のきざし」に見える。常套句にまみれて、ただ何かを口にしない訳にはいかないから言葉らしきものを発しているってことは、(歳をとってからは少なくなったが)ない訳ではなかった。ヒトの社会って、そういう風に、心にもないことを言わざるを得なくていってしまうことって、結構あったじゃないか。儀礼と階級的秩序に覆われた社会の現役だと、そういうことはしょっちゅうあるじゃないか。

 それとても、私は、ヒトの属性として、まずは毛嫌いしないで「せかい」に位置づけようと考えている。ヒトの(社会の)悲しい性として。詩人・茨木のり子はさておいても、鷲田清一までがそれに悪乗りしては、臨床哲学者の名に傷がつく。

2021年8月19日木曜日

風に飛ぶ蒸し暑さ

 昨日(8/18)秋が瀬公園を歩いた。ちょうどカミサンがサクラソウ自生地で植物案内をする予定があり、そこへ車で送っておいて、わたしは散歩をしようということ。サクラソウ自生地は、昨日までの雨で水がたまっているんじゃないかと思っていたが、そうでもなく、萱が入口通路を塞ぐようにぼうぼうと生い茂っている。見て回るには、かき分けて進まなければならない。先月半ばにもここに来て歩いたが、わずかひと月で、これだけの勢いをもつなんて、まるでコロナウィルスみたいだと思った。

 子どもの森公園の駐車場に車を止める。いつもなら何台も止まっているのに、わずか2台。木陰に止めてある。並べて止め、歩き始める。9時。人はいない。蝉の声が騒がしく、鳥の声は聞こえない。双眼鏡を車に忘れてきたなと思い、ま、カメラと水はもっているから、今日はしっかり歩くのでいいかと、とろとろと森の木陰に踏み込む。昨日までの雨、今日の高い気温に、虫が出るかと思って長袖を着てきたが、それほどつきまとわない。30分も歩いてふと重い首に手をやる。双眼鏡をかけている。おや、ぼけが来たかと、外へ向かっていた感触の目が内向きになる。

 先を歩く年寄りの姿が見える。マスクをする。すぐに追いつくと思ったのに、間が縮まらない。ここ一週間ほどの雨でたっぷり水を吸った道から湿気が上がってくる。風がなければ、ぐっしょりするところだが、結構風が強い。深い森を吹き抜けて、さわさわと心地よい。木立の向こうにテニスコートが見える。まだ若いというか、アラフォーの壮年期の人たち。平日お休みの職場の同僚というところか。小さい青蛙が道を横切っている。見事に鮮やかな緑っぽい青色だ。しゃがみ込んで見るが、逃げる気配がない。

 浦和レッズの練習地に出る。右の方でボールを蹴っているのはレッズ・レディーズか、左の方で動きが激しいのは若手の育成組のようだ。浦和レッズは、長年の間、キッズから育成している。それが学校のサッカー熱にも伝わって、地域の伝統的なお家芸になっている。熱烈なファンも多い。その熱烈さがわたしにはよく理解できないのだが、レッズを応援しているわたしが好き! という風な雰囲気があって、勝っても負けても浦和レッズ。そういうところは、阪神ファンと共通する心情なのかもしれない。今年の阪神ファンは、4月からずうっと、無論ご機嫌。

 ピクニックの森へ至る野球場もサッカー場も、人気はない。湿っぽい森は、たっぷりの水を浴びて青々と元気がいい。向こうでデジカメを構えて葉っぱを覗いているアラカンの男がいる。近づくと、ぱっと何かが飛び立つ。ヤンマだ。

「ヤンマですか」と声をかける。

 と、振り返って「ギンヤンマです」と笑顔が返ってきた。木々の緑に浸って、細かく「盛夏」を探している人もいるってことだ。

 おや? 雨が落ちてきた。木陰を歩いているから、さほど気にならない。でもすぐに止み、日差しが戻ってきた。見上げると青空も見える。お天気雨だ。

 いつも鳥観のカメラマンが集まっている地点にも、人一人いない。この蒸し暑さに出歩いては熱中症に見舞われると気遣っているのかもしれない。バーベキューの釜にブルーシートをかけた広場には、テーブル付きのベンチに腰掛けた年寄りが二人いた。本でも読んでいるのだろうか。なかなかおしゃれだ。

 時計を見ると大体1時間歩いている。少し疲れてきた。車に向かう最短距離をとる。ヘリコプターがばりばりと激しい音を立てて、西側の河川敷で何か演習をしているようだ。10メートルくらいの高さにホバリングをして、ザイルを下ろしている。と、上へ何かをつり上げ、少し北の方へ飛び上がり、また舞い戻って同じ高さを維持している。それとも、土手修復の作業をしているのだろうか。

 木立の日陰をたどるようにして駐車場に戻る。3台ほど車が増えている。気温は31度。窓を全開にしてクーラーを止めて家に向かう。1時間20分、9000歩ちょっとの歩行。風に助けられた散歩だった。

2021年8月18日水曜日

なぜスポーツに共感熱狂するか常套句を排して考える

 朝日新聞夕刊(8/17)の「取材考記」で東京スポーツ部・勝見壮史記者が「なでしこ「今」と向き合って進もう」と、「W杯優勝から10年 五輪8強サッカー女子」の五輪奮戦記を書いている。


「優勝国(カナダ)、準優勝国(スウェーデン)と比べて現在地を測れる材料が、日本の手元にはある。比較するべきなのはかつての「自分」ではなく、今のライバルたちなのだ。感情に流されるだけでは進化はない。」


 と、カナダやスウェーデンと戦って善戦した戦いぶりをあげて、今後の活力源を探り当てようとしている。スポーツは限定した「場」での、つまりルールのある戦いと、以前にも言った。この「取材考記」は、まさにそれを物語っている。戦いによって、自己像が明白になる。敵も変容する。それとの戦いによって、「現在地を測れ」る。かつての自分と較べてどうかというよりも、限定した「場」での敵との比較によって自己像をつかむことが、チームにもプレイヤーである選手たちにも必要なことなのだ。

 と(まるで素人のわたしが)、あたかも五輪出場選手やそのチームと心情的に一体となったような感触でゲームを見ることができるのは、どうしてなのだろう。

 人生という長い行程においては、それぞれの人にとっては欠かせない「自分の現在地を測る」尺度が、他の人との角逐にあると言い換えることができる。むろんそれは、火花を散らすものでなくともいい。我が身のうちで密かに戦い、密かに敗れ、相手がそれと気づかぬ間に訣れてさえいる。自分は何者かという問いは、どこから来てどこへゆくのかと問うことと同じだ。それは広い湿原の沼に浮遊する浮島にたって現在地を問うことに等しい。

 ここではスポーツに限定して話を進めるが、スポーツと人生とを重ねて「感じる」ことができるのは、スポーツ・ゲームの持っている要素が生きることの様々な局面のことごとと相応するものを現しているからだ。ホイジンガーは人をホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)と規定した。生活することを逸脱して遊び興じる人の性(さが)というわけだが、これは逆に、ヒトは命を紡ぐためのみに生きているかのごとく暮らしに追われていることを皮肉った文明批判と受け取ることもできる。

 スポーツがいきなり五輪に結びつくのは、TVや新聞といったマス・メディアのせいである。それ以前は、ご近所や学校や地域や地方や国といった単位の、スポーツの裾野と言われる次元のスポーツであった。それが国際的な次元とひと繋がりにみえるのは、情報化社会の進展と符節を合わせている。その次元の、入り口の方からみてみると、ご近所の朋友と遊び興じることと五輪とが共通して持っている要素は、限定した領域のルールがゲームの勝敗を決していることであり、戦う双方がそれを承認していることだ。

 ご近所の場合は、ルールさえ勝手に決めはするが、戦う双方がそれを承認していなければゲームが始まらない。だが五輪は、あの手この手で「勝ちに行く」ことが画策される。異なる文化が出逢って(負け込むとわかって)、ルールが細かく変更されていった水泳競技のルール規定がそれだ。ドーピングや五輪(出場の)標準記録というのも、それに当たる。多分わたしが知らないゲームが始まる前の規定がもっといろいろとあるに違いない。でも、目にする世界最高レベルのゲームは、間違いなくご近所の遊びから始まるゲームと同質の要素を含みこんでいる。ゲームを見るときの次元と角度が分節化されているかいないかだけに過ぎない。

 五輪は、スポーツゲームのエッセンスを目にすることができる。しかも見ている人々は、分節化されない(人間諸力の)諸要素が混沌のご近所ゲームと通底する「何か」を感じとる。それが観客が熱狂する理由でもある。その視線と熱狂がまた、エッセンスの発動に力となる。「観客」が五輪の大きな要素の一つと五輪の哲学が説く根拠は、そこにある。

 しかしその「熱狂」の危うさが、国民国家の形成と符節を合わせて明らかにもなってきた。五輪と政治を切り離すというかけ声は、切り離せないという事実の裏返しであった。「平和の祭典」と呼ぶのは、そうでない事実が露わになっていたからである。だから「五輪と政治を切り離す」とか「平和の祭典」としゃあしゃあと常套句をしゃべる政治家やコメンテータは、端から信用されない。逆にこう言えようか。そういう常套句を口にする人たちは、スポーツゲームの表現している限定性に気づいていないか、それを利用しようとしている。その表現を受け取る自分の価値意識に無頓着である、と。

 マスメディアについても、同様のことがいえよう。そうしたスポーツの熱狂を「報道」する人たちは、五輪の哲学を意識して、報道する自らの体現している価値意識に自覚的でなくてはならない。そうして、自己を対象化するように(つまり自己批判的に)筆を振るわなければならないと思う。 

2021年8月17日火曜日

ブログを書き続けるモチベーション

 1年前のブログに「じかに目を見つめ合う「かんけい」」をアップしている。

 山際寿一『「サル化」する人間社会』(集英社、2014年)を読んだ感想。

                                      *

『「サル化」する人間社会』の一番のポイントは、霊長類はアナログが本質ってことだ。人類に限らず、ゴリラもチンパンジーも、コミュニケーションというのは、じかに触れるもので交わされなくてはならないという一言に尽きる。

 ゴリラは目をのぞき込むように見つめ合って、共感性を自らの内部に湧き立たせていく、という。(今の)人は直に目を合わすことを避ける。それは山際寿一によれば、たぶんに近代的な「サル化」した人間社会の、もたらしたものだという。ゴリラと違ってサルは目を合わすのを避ける。それは「ガンをつける」「がんをとばす」という喧嘩の作法に含まれる挑発行為。つまり、「かんけい」に優劣を持ち込み、その決着をつけるのが、その目のうごきだ。「目をのぞき込む」のは、優劣を含まない「かんけい」において、有効に作用するコミュニケーション手段だというわけである。

 わかるだろうか。群れのボスゴリラに対しても、目をのぞき込むようにする子どもゴリラは、じつは優劣とかを感じていない。彼らの群れに、そのような「かんけい」がない、という。

 これを知って私は、中動態という言葉を想いうかべた。原初の頃のことばには、じつは優劣や高低、勝敗という価値的な意味は含まれていなかった。それが時代がすすむにつれて、ひとの「かんけい」に価値的な善悪や良否が含まれてくるようになり、モノゴトを価値的に見るものの見方が伴ってくるようになった。

 つまりヒトの文化は、ゴリラ時代から現代にいたるにつれて、つねに力関係を身にまとう「かんけい」に終始するようになり、いまやその出発点をかたちづくっていた「家族」ですら、解体して個々人単独の思いが先行するようになり、その結果、「サル化」していっていると山際寿一はみている。

 デジタル化の時代に生きている人たちには、なかなかわかりにくいかもしれないが、ヒトとヒトとの「かんけい」は、間接的になってきた。電話もそう、ファクシミリもそう、電子メールもそうだし、インターネット社会というのも、文字通り間接的な「かんけい」である。こうすることで、上下関係や避けがたい優劣関係を、文句の付け所のない必然的なシステムと観念させている。それに適応しようとするヒトの習性が、ますます人間を変質させてきている。そう山際寿一は、みてとっている。

                                      *

 ゴリラの子どもが、今まさに怒り猛けんとするオスゴリラの目をのぞき込んで、鎮まらせている画像を見たことがある。あるいはまた、2年前のことになるが、見送りに行った成田空港で姪っ子の幼い次女が天真爛漫に振る舞い、わたしの目をのぞき込んできた愛らしさを思い起こす。戯れるって、こう振る舞うことだといたく感じた。

 人に限らず幼生自体が、向き合う攻撃者の気分を鎮まらせ、むしろ保護的に振る舞うことを誘い出す。オオカミに育てられた子の話や、大型犬にじゃれつくる子猫の姿も思い浮かぶ。他方で、発情したオス熊が小熊を殺して母熊の発情を促す画像も思い浮かぶ。サバンナで小さい草食動物を襲うライオンやチーターの姿も忘れるわけにはいかない。

 ということは、幼生だからというわけではなく、逃げるものを追う、悪意を感じさせずやってくるものには好意的(?)に向き合うという心的習性をもっているのか。あるいは、霊長類や家畜化した動物の特徴なのかもしれない。幼生という実体的なありようがもたらすというよりは、向き相方の関係的な要素が誘い出す習性なのかもしれない。

  すぐそれを、人と人との関係や国と国との関係に転嫁するわけにはいかないだろうが、人の築き上げてきた文明文化が、関係的な優劣を礼儀やしきたりとして固定化して、さらに次の段階の安定的秩序として固定化してきたことは否めない。「ありがとうもごめんさないもいらない森の民」と文化人類学者・奥野克己が紹介したボルネオ島のプナンの民は、社会関係として対立抗争することを巧妙に避けるかたちを作り出してきた結果の振る舞いであろう。

 そこへ戻れということはムツカシイだろうが、現在の(相争う)かたちが、人類の文明文化が作り出してきたことを意識して、できるだけ中道態的にモノゴトをみていく習性を取り戻していくことを、国際関係にも組み込んでいくことが必要なのではなかろうか。では、どうやったら、それが可能なのか。

 政策的には、様々な段階を考えて、ひとつひとつ策定していく必要があろう。だが庶民の側から考えると、社会的な日々の関係で、中道態的なものの見方と振る舞い方を実践していくしかない。カント的にいえば「中動態的実践理性批判」を意識して、我が身を振り返り、人との関係を一つ一つ対象化して洗い直すような心持ちが必要だ。

 とまあ、こう言って、このブログを書くモチベーションにしているわけでございます。

2021年8月16日月曜日

7年という距離

 お盆明けの今日が、母親の正月命日。もう7年になる。104歳、長命であった。父親は75歳で亡くなり、今年37回忌を迎えると衣鉢を継いだ弟のヨメさんから聞いて、思いを新たにしている。

 両方の享年を単純に平均すると、私は92,3歳まで生きることになる。正直、いやこの先、まだ長いなあと感じる。だが私の末弟は64歳で病没しているし、長兄は77歳で突然の死を迎えているから、子と言えども親の寿命をそのまま受け継ぐわけではないと、これまた単純にわかってはいる。ただ、躰の資質そのものはそれなりに受け継いでいるであろうから、あとは時代的な環境と、何をどのように食べ、どのように暮らしてきたかという自らの生き方が関わってくるといえそうだ。

 後者のはじき出した寿命が、いわゆる平均寿命だ。2019年の日本人男性は、約81歳。それと前者の寿命数値93として、その平均をとると、87歳。こうなると、いまから8年ということになる。うん、これくらいなら身のうちの感触として「納得できる」ほどの数値だと思う。

 宇野千代だったかが百歳を迎える頃、「わたし死なないんじゃないかしら」といったのを耳にした(か目にした)ことがある。生きている人としては、自分の寿命を事前に感知することはできないのかもしれない。物語の世界で、主人公が死期を意識して振る舞うということが時々見られるが、あれは、重い病を患って身のうちからひたひたと寿命の針が残りの時を刻むのが響くからであろう。青山文平の小説であったか、仕えていた殿の没後、殉死をせず、その殿の時代の編年記録を書きつづけ、それが何年か後に仕上がってから腹を切ったというのがあった(ように思う)。自らのお勤めを死ぬことと見つけたりという死生観がなければ、つまり彼岸から現在を見る目をもたなければ、なかなか自らの死期を察知することができない。

 まして、今の時代のように、何をおいても生き続けることが第一という死生観が社会に蔓延していては、自ら命を絶つこともかなわない。にもかかわらず、「ちょっと長すぎる」と感じたり、「納得できるほどの数値」と感じるのは、何だろう。

 漠然とこれまでの人生を概括して、我が身につけてきた視線の先へ届く距離だろうか。それ以上になると、視界はすっかりぼやけて見通しも立たない。視界距離の体感である。歳をとるとまず、体力が衰える。目も悪くなる。何よりも、生きようとする気力がだんだん希薄になってくる。

 そしてすでに彼岸に渡った父母や兄弟が、日々近しい感触で我が身の傍らにいるように感じることが多い。先を見るよりも、歩き渡ってきた過去と形跡がよみがえって現在の我が身の振る舞いと重なって「意味」をもたらしてくるが、気になる。

 伝え残すことは、あまたあるようにも思うが、いやそれほど気負わなくても、大丈夫よ、あなたなしでも、子ども世代はやってけますよと、コロナウィルスで自粛している生活が事実として示しているともいえる。せいぜい7,8年。それくらいが適当だ。

2021年8月15日日曜日

36会第二期第12回seminarご報告(4)汗と悔恨のこもる現代鋳物師の思い

 ここで一つ質問が入った。

「鋳物というが、3Dプリンタなんかが入ってきたから、昔流の生産方法は難しいんじゃないか」

 イセキさんは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、そちらに話を移す。発泡スチロールを用いた整形が容易に行われる。電気代が安い。電気代といえば・・・と、浜岡原発から安く電気を供給されて急成長した会社があった。古い鋳物会社は21円でやっているのに、5円~17円で提供を受けている。日本の発電会社は停電しない・と、仕事の日常が染み出してくるように、電気代の1円2円が会社の存立に関わるように語りだされる。規模の大きな企業に比して小規模企業はいろんなところで競わせられてしまうのだね。

 こんな品物をつくってるんよと写真で示す。「コラム」とか「テーブル」と名付けられた工業部品。それがドイツ製品にまさる品質を持っていたと誇らしげだ。だが、船舶用のシリンダーなど、造船業における改革が図られて、国が大型の設備投資をしたところには敵わなくなる。3K業種が取り残されて、傾いていく。

 質問がつづく。

「70年年頃の高度成長期、その頂点に達したと言われる80年代からバブルが弾けるまでと、その後の低迷する◯十年と言われる時代の、鋳鉄などの工業生産では、大きな違いがあったんじゃないか」

 この質問に答えるあたりから、イセキさんの話には自責と怨念の響きがこもり始めた。「いや、自分たちが悪かったといえば悪かったんですよね。あの時代に、もっと先を見て、生産性向上などの手を打っていれば、自動車産業などの要求にうまく答ええることができたんでしょうが、そうはしなかった。韓国や中国の格安製品がのしてきた。」

「でも、品質ってことでいうと、安かろう悪かろうというのが、日本企業の製品との違いだったんじゃないですか。それを見極めて、高くても日本製品を使うってことができなかったのか」

 と、矛先が、自動車の設計製造をやってきたMさんに向かう。Mさんにすると、車の設計製造をしている会社が、日本の鋳鉄技術を衰亡させないために日本企業に発注するという方針を持つことはできないと率直だ。そこにこそ資本家社会の市場原理が働いているのだ、と。それは市場主体の考えるモンダイではなく、政府や政治家たちや学者らシンクタンクが担う分野というわけである。

 イセキさんの話は、具体的で率直だ。

 部品の発注者は発展途上国の品質粗悪な製品の値段をもって、価格交渉にやってくる。品質の違いを訴えると、なるほどそうだねと理解を示す。だが、彼らの手元にある粗悪品の値段だけはそのままに残り、おっしゃるとおりのいい品質のものを、この値段でつくってくれと「発注」に及ぶ。下請け企業は、それを受けなければ会社をたたむほかない。殆ど利益無しで「発注」に答えて「納品」する。

 あるいは、例えばトヨタのカンバン方式。何時にどの部品をいくつ納品せよと言ってくるが、その時刻にその部品だけを積んで運ぶには少なすぎるし、時間に遅れたらそれこそ一発でその後の発注はなくなってしまう。結局当時「道路を部品置き場に変えた」と言われたカンバン方式は隆盛を極めた。親企業の「発注」に応える経費は全部、下請け持ちというわけだ。

 あるいは同じ頃、部品製造地に組立工場を建設する方向へ方針が変わる。逆か。部品の中小企業を引き連れて製造業が海外へ拠点を移し始める。日本には、いわば本社機能と企業名だけが残り、いわゆる産業の空洞化が始まる。

 イセキさんは、山崎豊子の「大地の子」を思い浮かべたようだ。TVドラマにもなった。そういえば、あれは、日本が政府開発援助の一環として製鉄事業に対する技術援助を日本産業界を上げて行うことを横軸にしていた。縦軸になったのは、敗戦時に中国現地に取り残された残留孤児と、その父親。別様のテーマとして言えば、日中の戦後関係回復の物語であった。当然のようにそこには、両国の平和な関係が、経済的な関係も政治的な力関係を含めて、日本の優位がそのまま続くという見通しが底流にあった。だが事実はそうはならなかった。

 いつしか、中国が日本の鋳鉄業界を脅かすようになり、ついには、付加価値の高い精密機械の設計などは日本が、それを受けて単純生産を担当するのは中国という分業の構図が出来上がっていった。GDPで中国が世界第2位の地位を獲得する頃には、政治的な力関係の違いは如実になって、中国はアメリカと覇権争いをするかのように圧倒的になった。

 イセキさんの話は、鋳物業界の製品製造のありようと時代的な変遷に応じて常に価格競争に駆り立てられて技術革新をしてきた/こなかったことと思いが交錯して、青森県竜飛岬の風力発電のこと、ロボット導入のことから、鋳鉄管、遠心鋳造でパイプを作ること、回転する金型に溶解した鉄を流し込んでつくること、エンジン製造、キャリア、ヘッドプレート、ポンプケージと、製造技術と製品の名前が続く。

 その声のトーンは、ここまでの歩みが平坦な道ではなく思い起こせば、涙なしでは語れないような様相であったと推察される。そうしてここで突然私に「久冨さんはいつくるの?」と質問が飛ぶ。

「・・・ん?」何を聞かれたのか、わからない。

 いやじつは、と「ミーハナイト技術」の導入に話がゆく。

 おや、どこかで聞いた名前だ。なんだったろう。そうだ、思い出した。2016年3月26日のseminar で、久冨慶子さんが玉野高校から東京の三田高校へ転向するきっかけになったのは、玉野の(三井物産にいた)彼女の父親が「トウキョウ・ミーハナイトの鉄鋼製造部門」(現・三井ミーハナイト)に転勤したと話していた(『うちらあの人生 わいらあの時代』p145)。なんだそうか、イセキさんの関わった大阪の会社も含め、ミーハナイトは三井造船の関連部品を製造するメタル会社というわけだ。

「忙しくて仕事ができない」とイセキさんの話はつづき、ハイ・キャストという言葉を口にする。文脈がよくわからなくなってきた。

 実はこの間に、日本の技術の継承と産業政策と製造戦略を描くのはかつての通産省ではないかということを、ハマダさんに確認しようとフジタが声をかけた。しかしハマダさんは「聞こえない」と、立ち上がってやってくる。

 話を聞いてみると、彼は耳が遠くなり、ほとんど今日の話も少しも聞こえていなかったと分かった。じゃあどうして黙って座っていたのか。早く言えば、座席を変えるなりしたのにと思う。

 イセキさんは「もののけ姫」のアニメ動画の一部を見せて、これがフイゴ、これがタタラと話し、「たたらを踏む」というのがどうして、おっとっとっとと勢いあまって踏み外した意になるのかわからないと加える。でも、アニメを見ると、何人もの人が肩を並べて踏んでいる足元は、大きく浮き沈みして怪しそうだ。いつ踏み外してもおかしくない気配に満ちている。暑さで汗びっしょりになっている姿が、イセキさんの鋳物師として歩いてきた浮き沈みのある形跡のご苦労と重なって笑えない。「たたらを踏むのは5~6人で1馬力くらいかな」という表現が、イセキさんの歩いてきた理系の資質を表している。

 銅の精錬の技術は日本独自と言ったろうか。ヤマタノオロチというのが、溶けた銅や鉄が流れ出すさまを指していると言ったろうか。何本もの暴れ川の流れがいくつもの頭を持つ龍のように例えられたとも言われる伝説。それにも金属溶解の物語が込められていたとすると、それを治めていた大国主(オオクニヌシ)というのは、すでに相当の力を持っていたと考えられる。そこへやってきた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に「国譲り」する「力比べ」する話は、これまたseminar「お伊勢さんの神秘入門」で行った(前掲書p190)。考古学会でも、そのあたりが取り上げられ、邪馬台国との関係が論じられている(藤田憲司『ヒミコの鏡が解き明かす 邪馬台国とヤマト王権』えにし書房、2016年)。イセキさんが疑問としていた、金属精錬技術が朝鮮由来かどうかといった論点に触れている。(つづく)

2021年8月12日木曜日

こんなことがあったのか

 20世紀前半にドイツ語圏で健筆を振るった、作家・ジャーナリスト、カール・クラウスの言語論を取り上げた、古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ、2018年)を読んでいて、二つの事実を知った。

(1)ナチス・ドイツでも「言語浄化運動」というものがあり、ドイツ語に混じるフランス語起源の言葉をドイツ語に「戻す」運動があったと言うこと。日本でも戦前、日常語として使われている英語由来のカタカナの外来語を「日本語にする」ことがあった。アメリカ渡りのスポーツであった野球にはことに多く、大変だったと、ほとんど冗談話のように耳にしてもいた。そうか、ドイツでもあったんだ。古田が取り上げている事例は、フランス語由来の「Adresse(住所、宛名、上奏文、請願書、メッセージ、等)」を避けて、「Ansehrift(住所、宛名)」で代用させようというもの。

 クラウスはAdresseというフランス語が人々の暮らしの中で蓄えてきた多面的な「意味」が、ドイツ語で宛名、住所を意味するのは「Aufschrift」だが、それは、上書き、レッテル、碑文、銘文、宛名、住所を意味して請願書やメッセージという意味合いがこめられない。AdresseはAufschriftに置き換えることはできない。だからこそ、外来語としてドイツ語圏で導入されたのであろう。それを避けようと、「Ansehrift」と切り替えたのだが、逆にそれは、「書かれたものといういうイメージを無理矢理抑えつけて初めて獲得されるような意味」となり、平板化をもたらしてしまう。

 つまり、言葉の持っている生成由来は、ヒトの暮らしの形をなしたものであって、機能的に意味するものを限定して用いられている記号ではないということだ。だから、外来語には、そうなる由来があるわけであって、それを用いるときは、その都度、文化的な壁を越えていくだけの多面的な「意味」の言い換えや付け加えが必要となると言える。

(2)「最近では言葉の意味を閣議決定するケースすら出てきたことなどを鑑みれば・・・」と古田が記し、クラウスの指摘する「そうした文化」が現代日本でも生じていることを示している。へえ、そういうことがあるんだと脚注を参照する。脚注には、2017年4月19日に安倍晋三首相が国会答弁で使った「そもそも」という言葉には「基本的という意味もある」と応じた正当性を明かすために、5月12日の閣議で決定したとあった。

 とっくに私は政治家の国会答弁に関心を持たなかったから知らなかったが、そういうことを閣議決定するというのは、暮らしの中で培われた多面性を削ぎ取って、政治支配の符丁にしてしまう所業である。安倍晋三は、そのように自分の言葉の正当性を外部的に取り繕ってもらわねばならないような言葉の使い方をしてきたと言うことがわかる。だがそれ以上に私が懸念するのは、その閣議決定は、安倍首相の用語法を正当化するよりも、閣議の権威を損なうものだと思う。この宰相はしばしば閣議決定というものを、そのように用いてきたが、それは着実に政府の権威を損なっており、庶民の政治に対する信頼を失わせることになっている。

                                          ***

「そもそも」という言葉を、古典基礎語辞典でひくと「接続詞のソモを二つ重ねた語。ソモは話を切り出すときの発語。ソモソモはこれをつよめたもので、やはり物事を説き起こしたり、強く切り出すときに用いる」と、解説がつけてある。語釈としては「接続詞として、いったい。さて。それとも。名詞として、はじめ。おこり。近世以降の用法」と付け加えている。閣議決定の「基本、土台の意味」はどこを探してもない。

 政治家の空疎な言葉だけではない。言葉がヒトの第六感というのは、人類史的な歩みの集積であるが故に多面的であり、いろいろな意味合いが含まれ、言い換えも聞く。しかし、その言葉が適切にしっくりくることこそ、実は、その言葉を使っている「わたし」が人類史に連なっている瞬間であり、それを実感するときなのだ。クラウスは立体的に言葉を理解すると言ったり、趣味やこだわりではなく言葉に対する責任の問題と言っているらしい。そうか、人類史的な暮らしへの「責任」を、いまの「わたし」も背負っているのだと思った。

2021年8月10日火曜日

ゲシュタルト崩壊と物語

 オリンピックが終わった。全国紙が5ページ全面を使って「入賞者と日本選手の成績」を一覧にしている。こんなにたくさんの種目が行われていたというのを、関心がないこともあって、知らなかった。ときどきTVで報道されるのを気ままに観るだけだったから、ま、普通の庶民。

 おやっ? と思う報道があった。アメリカの女子体操選手が「決勝を出場拒否」と聞いた。シモーネ・バイルズという方。これまで金メダルを19個も取っていて「絶対女王」と呼ばれていたらしい。その彼女が「心の問題」で出場を拒否という。チラリと見た記事では、「自分が何をしているのかわからない」と惑泥していたそうだ。

 ああ、ゲシュタルト崩壊が起こっていると、私は受け止めた。ゲシュタルト崩壊というのは哲学者が好んで使う用語だが、ゲシュタルト=形、が捉えられなくなる。自分がしゃべっているコトバが、ある瞬間に何を言っているのかわからなくなるとか、書き慣れているはずの漢字が、はてこれでよかったろうかと、違って見えるような感覚を指している。

 シモーネ・バイルズに起こっているのがそれかどうかは知らないが、「絶対女王」が団体決勝を前にして「自分が何をしているかわからない」というのは、体操という競技の限定された場でどう振る舞うかというだけでなく、その振る舞っている自分の人生において、それはどういう意味を持っているか、自分の振るまいが世界に反響してアメリカの栄誉として跳ね返ってくることとは、どういう意味を持つのかと、自分自身でもわからなくなる。そういう惑泥ではなかったろうか。

 スポーツは限定したルールの「場」で競い合うと考えていたが、その「場」そのものがスポーツ選手にとっては人生そのものを賭けているようにさえなる。まして、「絶対女王」と呼ばれ、ヒロインとして讃えられ、ネーションを担うかのようにコトバを浴びせられる。それに応えようとするのも、人の常。そう振る舞ううちに、「わたし」はなんで、今、こんなことをしているんだろうと、宇宙からの視線で我が身を観るように感じる瞬間がある。そうしたとき仏教では、「色即是空 空即是色」と達観を教えているが、それは自分の立ち位置を固定しないで、全体像を眺めたときの印象のようなものだ。「絶対女王」という「色」=ゲシュタルト=かたちは、金メダルを受けたその瞬間のものであって、「是空」に過ぎないと受け止めなさいと教えている。

 ルールは限定しているが、我が人生はそれで終わりってわけじゃない。限られた「場」で得た栄誉は、すなわち「空」と考えていないと、わけがわからなくなる。ましてアメリカの黒人であるバイルズにすると、常にその狭間に身を引き裂かれるようにして活動しているから、自らの人生を通して今この瞬間に行っている活動がどう位置づけられるのかと意味を自問自答することになる。まして今アメリカ社会は、人種モンダイなどが混沌の様相を呈している。その中でナショナルフラッグを背負って限定された「場」で活躍する「絶対女王」って何だと、自問自答したくなるのは(何かの領域で頂点に立ったことなどない私がいうのは、あまり妥当ではないが)よくわかる。

 著名人としてのバイルズの振る舞いが、報道を介して大衆に伝えられるときには、庶民にも通じる物語が必要として添加されるから、わかりやすく鄙俗になり、その時代や社会の一般的な物語を反映する。柔道の阿部兄妹やレスリングの川井姉妹の同時金メダルとか、卓球混合ダブルス金メダルの、水谷隼と伊藤美誠の15年前からの兄妹のような話とかは、わかりやすい。そうした涙の物語がウケる。報道を介してみるオリンピックは、そうした物語のオリンピックでもあった。強制送還のような話もあれば、亡命もあった。

 二つ、私の目を引いた物語があった。

 ひとつ、自転車女子オムニアム銀メダル・梶原悠未。オムニアムの競技のことは知らないが、ケイリンの一種。彼女は自身の競技トレーニングを続けながら、大学院に身を置いて目下、修士論文の制作にも力を尽くしている。そのテーマは、自転車競技でトップアスリートになるまで。その教科書を書いていくことと、自らのトレーニングと、(たぶん)この後の人生で自転車競技を広め盛り上げていきたいと考えていることとが一つになって、今回の銀メダルは是非ともほしかった勲章であるし、この銀メダルでいくらか自転車の面白さを皆さんに知ってもらえると喜んでいるというTV番組の話だ。面白い。かっちりと競技と人生と彼女の「せかい」とが噛み合ってここまで来たんだなと感心する。

 もうひとつ。ボクシング女子フェザー級金メダル・入江聖奈。これも金メダルを取って後のTV番組で観たのだが、いまの大学を卒業したらボクシングをやめるという。「どこかでキリをつけたいけど、卒業したらやめるとしないとずるずるといってしまいそう」というのが、面白い。「場」を限定して自らの人生を生きている。しかも卒業したら「カエルに関わる仕事をしたい」と、これまた趣味丸出し。ぺこりぺこりと行儀がいいと褒められると、「愛想よくしてると敵が少なくなる」と笑い飛ばす。ああ、いまの若い子たちは、自分の「かたち」を「場」を切り分けてとらえている。バイルズもこの境地にまで至っていれば、「心の問題」にならなかったかもしれないと、人種モンダイのやっかいさをすっ飛ばして、思っている。

 ふたつとも、自らを対象として見つめる視線がきっちりと備わっている。

2021年8月9日月曜日

奇妙な電話

  このところの雨は、何だ。台風は去ったのに、その後を追って、第一陣、第二陣と夏雨前線が後から後へと押しかけてくる。九州に上陸して四国中国を縦断する台風9号が、長い東の腕を伸ばして関東地方に雨を降らすというのなら、わからないでもないが、まだ、直接それは関係ない。異常気象というから、何から何まで異常だと思えば、この雨は何だと訝しがるのもオカシイか。

 12日から奥日光へ昔の友人のお誘いで遊びに行く予定がある。はじめ12日は晴れであったのに、雨に変わった。しかし降水量はゼロだからと高をくくっていたら、降水量も3mmとか5mmと増えている。13日となると、降水量が13mmと、大雨に近い。新型コロナは感染爆発、異常気象も爆発。年寄りはおとなしく「自宅蟄居」しなさいとお天道様もいっているのだろうか。

 先ほどヘンな電話があった。我が家の給湯器の6年目の無料点検に伺いたい、という。リンナイと名乗った。室外からの点検ですのでというが、給湯器はベランダにある。外からは見えやしない。いないと困るだろうというと、いてほしいという。いついつの何時から何時の間に伺う、作業員の名は○○ともいう。了解した。ふと、うちの給湯器はもう15年以上にもなるのに、6年目って何だ? と思った。

 古い給湯器の取扱説明書を見ると、故障して修理してもらった作業内容と請求書と領収書が挟んであった。みると2015年に故障して、部品を一つ取り替えている。そうか、6年経ったかと作業者の部分を読むと、東京ガスのサポート事業所となっている。東京ガスは別途契約して後の点検をするかどうか迷った覚えがある。では、どうしてリンナイが、いまごろ、と思った。そうか、東京ガスがリンナイの機器を取り付けたのかと、ベランダの給湯器を見に行った。松下電機製作所となっている。リンナイじゃない。

  東京ガスのサポート事業所に電話をした。電話口に出た係のひとは、こちらの名前と住所を聞いて、2003年に新製品に取り替え。2015年に一部部品の取り替え工事をしていると、我が家のチェック記録を確かめる。と同時に、パナソニックの製品だともいう。そうして、他社製品なのにリンナイが補修チェックをすることはあり得ないが、念のため、リンナイの顧客センターに問い合わせることをおすすめすると、電話番号を教えてくれた。

 そちらへ電話をする。そういう案内電話はしてないと応じる。東京ガスの依頼でリンナイ製品を取り付けたときは、10年目点検などで伺うことはあるが、他社製品の点検をすることはないときっぱりと返答する。もしご心配なら警察へ電話をして相談してくれと、ご親切に付け加えた。

 気持ちが悪い。我が家の電話はNTTの昔の電話帳を見れば出ていようから、詐欺にせよ留守宅狙いにせよ、在宅強盗にしても、電話をしてくることは容易なことだ。じゃあひとつ、駅前交番に電話をして話だけしておこう。

 電話帳を調べて駅前交番へ電話する。おまわりさんが話を聞き、似たような事件があるかどうか調べて折り返すという。しばらくして電話があった。この管内に、事件はない。ただリンナイのホームページには、「リンナイを騙って給湯器の点検に入り、ここが故障しているから修理が必要と工事を持ちかける詐欺事件が起こっているのでご注意を」という警告があったと教えてくれた。

 そうか、わかった。ありがとう。奇妙な電話ということにしておこう。予告通りに作業の人がやってきたら、他社製品のチェックもするのかといい、リンナイではそのような作業通知はしていないといっていたと告げて門前で帰ってもらおう。

 そう交番のおまわりさんには返答した。騙されたふりをして捕まえるってこともありですよと、おまわりさんは笑い声で話す。でもなあ、こちらはそれほど捕まえたいわけでもない。出来心が、冷や水をかけられて引っ込めば、それも悪くないかなと思っている。

2021年8月8日日曜日

「哲学不在」とは?

  8/5の朝日新聞にオリンピックの「魅力や意義とは何なのか。」と問い「集まる、観る、讃える 五輪の求心力」と題する記事が載った。「納富信留・東京大学教授(西洋古代哲学)と考えた」大内悟史記者のまとめ。

 これまで何回かこのブログに掲載してきた五輪と新型コロナ禍との関係に目をとめた企画記事。いくつか気になる点があった。

(1)「ギリシャ世界の神ゼウスに捧げる宗教的な祭典」であったという。「肉体と精神の鍛錬や国際交流といった魅力の核心部分は、現代でも失われていない」というが、その共有されている中核部分の「神ゼウスに近づく」精神に取って代わっているのは、現代においては、何であろうか。大衆社会や情報化社会のもたらす「栄誉」とは何か。それが「資本家社会的な市場経済」の論理に組み込まれて作動するのは、致し方ないのではないか。それを総括する「哲学」とは何か。

(2)神なきあとの「栄誉」を支える「哲学」とは何か。「集まり、観る、讃える」という「国際交流の魅力」だとすると、もはやオリンピックだけではなく、スポーツ競技の世界組織と大会はそれなりにしつらえられている。オリンピックならではという「集まり、観る、讃える」魅力が、マイナーな競技や小国からの参加も含めて交流することにあるとすると、それを支える「哲学」とは何か。

(3)「紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけての1100年超の間に293回開かれた」間の、紀元前4世紀の半ばにはアレクサンドロス大王のギリシャ統一と東方遠征が開始され、大帝国が築かれていった。その後は、ローマ帝国の登場といういわば(当時としては)世界大の「帝国」が成立していた。「ギリシャの神ゼウスに捧げる」という宗教的求心力と世界秩序のルールがアレクサンドロスの帝国なりローマ帝国なりの政治的支配力に依存することによって支えられてきた。後者の、政治的支配力は、米中という中心軸の移動変容はあるにしても、それなりにある。だが(グローバルに観て)、ゼウスに代わって「神」の位置を占めているのは「資本家社会的市場原理」である。でもそれは、機能的なメカニズムではあっても、精神的な基軸ではない。その位置に座るのは「貨幣の物神崇拝性」かと、冗談交じりにでも行ってみたくなる昨今の気配。

(4)「「より速く、より高く、より強く」という比較級の形で神に近づくこと目指す選手たちの実践活動」が、神なき里の人の行為として「生産力主義的」に見えるのも無理はない。それが逆に、人の振る舞いとして限定的な場であるというルールを示しもする。「神に近づく」という絶対的行為ではなく、「人の世の限定的振る舞い」とすることによって、スポーツは「場」を定め、たかがスポーツ、されどスポーツという認知を得ることになった。人類史的な人間活動の延長と観ることが、ヒトとしての共感性を呼び起こす。それが「観る、讃える」根底にある。ヒトとしての共感性とは、動物としてのヒトの自己認知でもある。そこに自然観が含まれ、ヒトとしての求心力になる。つまり、他の動物や生物との対比が予感できる端境の領域に立つことによって、次なる次元に自らを位置づける「哲学」の端緒につくのである。

 この記事の文中に「古代ギリシャにもオリンピックを批判する知識人がいた。」として「競技参加者が専業化して精神と肉体の均衡を失っている、優勝者が過度に優遇されている、政治指導者や富裕層が権力や富を誇示する場になっている、などと現代にも通じる論点が見られたという」と、表層をなぞる批判を取り上げている。これでは「哲学」に至らない。競技を観ることによる「求心力」は、もっとヒトの本性に沿って掘り下げ、底に足がついた地点から組み上げていくしかない。「過度な美化を避けながらも、オリンピックの原点に立ち返った改革を模索すべきだ」というお定まりの提言で締めくくっては、せっかく「哲学不在」から論を立て直そうというのに、不十分である。面白い論点を流してしまわないように、そんなことを思った。

2021年8月7日土曜日

おや、バッカさんになっちゃった

  「五輪は感染爆発とは関係がない」と、バッハIOC会長ばかりか菅首相も言ったと聞いて、呆れている。単なる責任逃れの発言だとすると、この人たちは頭に立つ資格がない。わが身に降りかかる火の粉を振り払うのに精いっぱいで、この人たちの元で力を尽くしている人たちや生活している人たちが、何を心配し、どう気遣って暮らしているかに気付いていない。

 そもそも五輪というのが、お祭りである。「(開催している社会と)関係がない」というのなら、はじめっから「五輪は日本国民とは関係ありません」と言えばいい。どちらの頭も、そういうことは言えまい。一方でお祭りを行い、他方で、静かに暮らしてねと自粛を要請したり営業停止を命令したりするのは、単に矛盾というだけでない。そういう政府を信用しない風潮を広げている。

 コロナウィルスの蔓延によって、矛盾したことを行わねばならない苦しい立場に置かれているというのなら、その苦しい立場というのを率直に表明して、「ご協力をお願いしたい」と言えば、判官びいきの好きな国民性からしても、政府への不信感は広がらないであろう。だが、去年の新型コロナウィルスのはじまりのころからして、政府には「困った局面で苦しんでいる」という気配は見えていない。新型コロナウィルスを甘く見ていたのだ。

 感染が拡大する不安に満ち満ちていたのに、「コロナ禍がひと段落したら、感染症に関する秩序に必要な法的整備を考える」と言い、「(他の国に較べて)民度が高い」から他国のようには拡大しないと高をくくっていた。あたかも今回の新型コロナ禍がすぐに収まることのようにあしらってきた。加えて、go-toトラベルキャンペーンを張って、あたかもコロナ禍が収まるかのように振る舞っていたではないか。これらが、政府への不信感を間違いなく広めた。さらに政治家たちの「自分たちは特別」と言わんばかりの「自粛破り」の振る舞いやそれを弁護する幹部たちの発言が、いっそう不信感を確かなものにした。その総仕上げが、五輪だったといえる。

 五輪をコロナ感染と切り離すという「バブル方式」が、手抜きだらけのデスクワークということは、実施の前から周知の事実のようであった。何も、人々みなが「文春砲」になる必要もなかった。政治家や官僚たちが組み立てるコトゴトが、実務的に実施されるとは思えない。そういう気配を感知した「情報化時代の大衆の目」にマスメディアが加担して、一つひとつの逸脱事実や逸脱行為を報道する。ますます人々は確信を深めた。

 今の政府は、自己保身だけに走っているばかりか、民衆の健康のことを感知して動いているようには思えなかった。もし政府が「国民の安心安全を第一に考え」ているのだとしたら、「言葉に対する空疎感」が大衆化したといってもいい。フェイクニュースが混じっていると気づいた。民衆は言葉を選り分けて吟味して受け取るようになった。何しろ新型コロナウィルス禍と付き合ってすでに1年半が過ぎる。それなのに、今ごろ、医療逼迫を理由に「自宅療養を基本とする」というとんでもない世策を当然のように打ち出したからでもある。

 五輪を実施するのは当然の流れと政府がすすめていると知ったとき、庶民は(と私はみなさんと感性を共有していると思っているが)、自分のことは自分で決めろという時代になったと、政府と社会を切り離して考えるように決めた。若者が、コロナの感染拡大を気にしていないのではない。何を心配したらいいのか、何ひとつ身に沁むような「警告」を関係当局から受け取ったことはないと、ほぼ確信に近い認知をしていたのである。

 政府機関も都知事たちも、「緊急事態宣言」とか「蔓延防止措置」とはいう。けれども、要するに「三密」を避けろ、「ステイホーム」「マスク着用」という以外に、「酒が元凶」という以上のことは、何も言っていない。1年もあれば、「酒が元凶」ということを社会実験をして例証することだって出来ただろうに、その知恵すら持ち合わせていない。「自己防衛の要点」は、1年前から繰り返し聞かされてきて、私たちには、ほぼ習性にすらなっている。だのに机上の統計数値をみて、同じような「宣言」や「措置」を打ち出されても、それがどのような緊張状態を表しているのか、伝わりもしない。メディアの報じる「感染爆発の数値」をみて、身を引き締めるばかりなのだ。

 その伝わらない目下最大の理由を為しているのが、五輪である。もし政府の人たちや五輪関係の人たちが「五輪は感染爆発と関係がない」と眼前で言ったとしたら、「ばかいうんじゃないよ。おととい来いっ」て謂うよね。「政府は、国民とは関係ない」っていうのと同じなのだから。

 バッハさん、バッカさんになってしまったんじゃないの?

2021年8月6日金曜日

先を考える

  もう30数年も前になる。その高等学校の教務主任を務めてきた、齢がひと回り上の方が(その役回りから)身を引くことになり、私にお鉢が回ってきた。当時私は、夜の学校の経験しかなく昼間の大規模校の教務主任が何をするものなのか見当もつかなかった。それを気遣い、彼は引継ぎの時に子細なメモをつくって渡してくれた。

 学校というのは、世の中の移ろいに合わせるというよりも、ひとが暮らしの中で積み上げてきた文化を次の世代に継承していくという、ちょっと時代遅れになってついていくルーティン・ワークが、基本をなしている。世の移ろいは、それを受け継ぐ生徒たちの抵抗や反抗や不服従の姿に現れてくる。

 教務主任というのは、そのルーティン・ワークの部分を教師たちがスムーズに運べるように調整する役回りであると、私は受け取った。似たような位置にいるのが教頭だったが、教頭は学校現場と教育行政との調整役を務めるのを主とする。そのときの教頭が新着任だったこともあって棲み分けることにした。それほどに県当局への「報告文書」が多かった。

 身を引く先輩教務主任がつくってくれたメモのなかに、今でも記憶に残る印象深い箇所があった。


《年間の学校季節の進行をイメージして、①来年必要なこと、②次の学期に必要なこと、③来月必要なこと、④来週必要なこと、⑤明日必要なこと、⑥今日必要なことを、それぞれ考えて、打つべき手を打っておく。そうすれば、あとは不適宜に出来する出来事に対処すれば、手落ちなく役廻りを務めることができる》


 そんなことを思い出したのは、「コロナ患者の受け入れを医師に任せ、重症(のおそれある)者以外は、自宅待機とする」と、発表したからだ。考えてみると、菅首相が得意として来た(官房長官という裏方的)領域は、教務主任と同じである。ただ舞台が、日本という国民国家の大きな場面をベースとして、世界という異なる文化と向き合うスケールの大きさではある。そして、官房長官が宰相になった。

 感染者数が諸外国に比して少ないことを「民度が高い」と鼻に掛けてきた政府が、いつしか「感染者数」を目安から外して「医療逼迫」を目安の一つに加え「ベッドの空き数」確保を指示していると応じて、安全安心を謳ってきた。一年も前のことだ。その間にも、自宅待機者の数が増えている、待機者の中から死者が出ていると報道されるようになり、それが突然、「自宅療養を基本とする」ような発表になったのだから、一体政府はこれまで何をしていたんだと、怒りというよりもあきれてものが言えない。

 スケールが違うから、動かす人がうんと多くなる。人の数が多くなると、それだけ思惑が絡む。裏方が考えたように人は動かない。でも、先輩教務主任は、人の動かし方をメモしてくれたわけではない。全体をみるというときの、時間軸による目の配り方を示唆したにすぎない。これは、自分が何をどうしたいということを抜きにして「全体」を見渡すときに必要とされる視線である。そうでなければ、「不適宜に出来する出来事」に対処する場当たり的な対策にしかならない。

 一体政府は、去年一年間のコロナ禍をなんだと思っていたのだろう。すぐにでも収まるパンデミックとでも考えていたのだろうか。それとも、インフルエンザと同程度の、ワクチンができれば簡単に収まるとでも思っていたのか。でも、だとすると、ワクチンの手配くらいは、早々と済ませておいてもよさそうなものなのに、いまの出後れをみていると、それも見通していなかったのかと思わざるを得ない。

 エリートを誇った日本のお役所も、宰相の忖度をすることしか眼中になくて、その日暮らしなのだろうか。たぶん今年、90歳になっているであろう先輩教務主任の方が、宰相を支える人の目にふさわしい。

2021年8月5日木曜日

オリンピックの共感性

 いま東京オリンピックが開かれています。国民には、コロナウィルスの感染が拡大しないように「自粛」を要請しているのに、世界各国から人を招いてお祭り騒ぎをするとは何事かと、強い反対論がある一方、日々繰り広げられるゲームではメダルをとった、惜しくも入賞だったとメディアもはしゃいでいます。なぜスポーツは、人を熱狂させるのでしょう。

 日頃山歩き以外に私は、それほどスポーツに熱はいれていません。プロ野球の阪神戦のチケットをもらって後楽園球場や西武球場に足を運んだり、埼玉スタジアムでの浦和レッズのサッカー観戦に、友人のお誘いで一緒に行ったりするくらいです。そんな私ですが、オリンピックのゲームは、ときどきTVの画面で楽しんでいます。TVもないし、新聞もとっていない方々は、どうしているのでしょうか。

 関心を持ってみているのは、ソフトボール、野球、サッカー、バレーボール、卓球のゲームです。柔道や陸上も目に留まるとしばらくはみています。ゲーム全部をみるのは、それほどありません。根気が続かなくなっているのですね。でも、接戦となってはらはらするのは、とても楽しいことだと感じています。何が楽しいのだろう。

(1)ごひいきのチームがあること。(2)ルールを知っていて、ゲームが接戦であり、それが観ていてわかること。(3)まったく知らない競技でも、新しい時代を感じさせる要素があること。

(1)では、つくづく「わたし」はニホンジンなのだと思っています。ついつい日本チームを応援しています。日本チームが出ていないゲームだと、その競技の(その場面における)運動能力の高さをみて驚きます。これは(2)です。何とヒトはこれほど高く飛ぶのか、こんなに速く走るのか、というだけではありません。鉄棒の空中離れ業も、床運動のバック転も、自転車の空中での回転と手放しときちんとそれをつかんで斜面を下る技も、みていて美しい。いや、なかなか若い人はやるねえと、わがことのようにうれしくなっている。予選を1位で通過した15歳の選手が、難度の高い技に挑戦して失敗して泣きじゃくっている。これは、ワザというよりも、難しい技に挑戦する心持ちが、駆け寄って慰めるほかの選手たちの振る舞いで分かるから、心粋に感じているのかもしれません。これは(3)ですね。

 こういうときに感じる美しさは、一体感と言うよりも、ヒトを超えようとする意気込みを「共有」しているとも言えましょうか。スポーツが「平和」と結びつくのは、その「共感性」にあります。ところが、「ニホンジン」に共感しているとすると「平和」とは少し違っているように思います。でもニホンチームを応援している自分を否定する気になれません。「わたし」はこれを、「ナショナリズム」(日本という国家にたいする共感性)ではなく、私の躰に刻まれた「くに」という「ふるさと」への共感性(愛郷心)だと見分けています。政治家は、これを一緒くたにしてオリンピックを政治的に利用しようとしています。それをみると、なんだか「わたし」が政治的に利用されているような気分の悪さを感じ、止めてよと言いたくなります。

(2)は、オリンピックだからこそ感じることです。今、国政関係は、我が儘をいかに通すかを争っています。アメリカも中国も、戦後世界がつくりあげた国際関係で有力国としての地位を得ていながら、その国際関係を自分流に、「#ミーファースト」を力づくで押し通す。力の強いものの言い分が通るというのが国政政治の常識になっています。

 ところがオリンピックでは、「ルール」がはっきりしています。それに従うことによって競技が成立する。その限定された「ルール」の元で強いものが勝つという舞台を共有している。それは競う領域をきっちりと限定している。それが清々しい。だから逆に、力を競うことが世界的に共有される。スポーツが世界の平和に貢献しているとすると、まさしくその競技の領域を限定し、ルールを共有しているという点にあります。

2021年8月4日水曜日

36会seminar 報告(3)お洒落な街並みの縁の下

  イセキさんがプロジェクターで写していたパワーポイントのファイルを、送ってもらった。じつは、当日のスクリーンに映し出されるそれの文字は、年々目が悪くなっている私には読み難く、大雑把に、図示していることとか、大きな文字の見出しくらいしか解読できなかったので、seminarが終わったときに、お願いして送ってもらったのでした。

 pdfにしてくれたそれをみると、細かく鋳物師の伝来も記され、青銅の作り方が朝鮮から伝わり、日本独特の製法になったようなこととも、伝来の時期をつけて記してあった。そういえば、秩父で見つかった銅鉱石から最初に和同開珎と呼ぶ通貨をつくったと、昔日本史で教わったではないか。また、愛媛県の別子銅山では戦後しばらくまで銅を算出していたし、玉野市の日比精錬所は銅を精錬して排出ガスで近隣の山を禿山にしてしまっていたではなかったか。つまり銅は、日本の伝統的金属精製のお家芸だった。その由来をイセキさんが話してくれていたわけだった。

 また、ふいごが地下に設えられていたように書いたのは私の勘違い。ファイルの図示ではちゃんと地上の、溶解炉の両脇にそれらしきものが記されている。「もののけ姫」の動画は室内であったから、私が地下と勘違いしたものであった。

                                            *

 パワポのファイルには「3.現在の製鋼 1)高炉、2)転炉」の説明がある。みている私の関心は、例えば2000度を超える高熱で溶けた鉄を入れている転炉の容器は、どんな材質でつくられているのかと横路へそれるが、それはみな棚上げしたまま、次へと展開する。

「4.現在の鋳鉄の製造」では、「1)キューポラ」「2)電気溶解炉」が分解図と写真付きで「3)造型、鋳込み」について、「非量産部門」と「量産部門」にわけて、つくる製品の事例をあげて説明している。

 イセキさんは「キューポラは、高炉とは違う。CO2煤煙が出る。今は電気炉。キューポラと電気炉とどう違うか。薪と電気釜とではどちらが御飯は美味しいか」と話しを具体性に落としてつづける。キューポラと聞くと、映画「キューポラのある町」、吉永小百合を思い出す。学生のころだったか、いま住んでいるすぐ隣り町の川口が舞台。中学卒で故郷を出て働いていた「金の卵」の物語であった。だが、そのキューポラがどんなもので、内部構造がどうであったかなどは、まったく印象に残っていない。後に、川口に生まれ今も住んで居る友人がベーゴマの話をして、そうかあれも鋳物かと気付いた程度。知的な偏りというものが、具体性を欠いてすぐ普遍性に拠りついてやりとりしてきた歪(いびつ)さを感じさせる。いや、お恥ずかしい。

 また、「5,鋳物の種類と用途」として、鋳鉄、鋳鋼、アルミニューム合金、銅合金、その他にわけて、用途例が挙げられている。

 イセキさんは「電気用回路について、篠山の、30トン兵庫県M社を示しながら、型を作って流し込む、造型と鋳込み。砂で型を取り流し込む」と話し「鋳鉄は、輸送機械や産業機械、鋳鋼、アルミ合金、銅合金、その他ニッケル合金、チタン合金」と鋳物がどうや轍そのものだけでなく、種々の金属の合金によって製品の品質と材料の関係が多様になってきたことを明かす。

 それらを一つひとつを聞いていると、日本の産業に占める鋳物業の幅広い領域が目に浮かぶ。そうした具体性を欠いたまま、生産とか市場とかに焦点を当てて経済関係を論じ、生産性や需要や供給を云々し、多品種少量生産などと言っていたことが、これまた可笑しい。まるで金回りだけに光を当てて企業経営を考えているみたい。金融資本のカネの部分だけをシホンと考えて論じている経済学者のようだ。浮世離れしている。

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 それらを前提にして、イセキさんの話しは、現代社会における鋳鉄製品の製造と競争の現状へと続いていく。

「6.日本の鋳物の材質と精算材料」はまず「1)材質生産比率2019年」を紹介する。

 鋳鉄鋳物が64%を占める。ダイキャスト21%、軽合金9%と併せおおよそ95%になる。ダイキャストというのは、「アルミニウムや亜鉛、マグネシウムなどの合金を高温で溶かし、金型に流し込む鋳造法の一種」をいう。

 「鉄鋳物の半分は自動車。アルミが増えている」と2019年の統計をみせる。「コロナで生産はがくんと減った。素材の需要が減るのも、また遅れる」と経済活動の一端を垣間見せて「鋳物生産は景気指標のバロメータ、64%が自動車産業が占める」。

「2)銑鉄鋳物用途別製品比率:2019年」は、自動車64%、産業機械器具14%、その他一般・電機品9%、金属工作・加工機械3%などであった。イセキさんがかかわった1970年代からの変遷を考えると、占める業種に大きな変動があったであろうが、その辺りを話している暇はなさそうだ。

 そして、「中国が生産はダントツ。インド二位。米国3位。日本は4位、ドイツ5位」と鉄の鋳物生産に占める割合を順位付けする。

「7.世界の鋳造品の生産量上位10か国」の表が状況をよく示している。1位……中国49.,000トンほど、2位……インド13,000トン、3位……アメリカ11,000トン、4位……日本5,000トンなどである。鉄製品の生産量が工業生産の実力を示しているとすると、まさに今世界は、中国によって差配されようとしている。

 イセキさんは「溶鉱炉は火を止めることはないが、新日鉄も住金、神戸製鋼も、いま、高炉を止めている。生産量を落としている。中国がいま懸命に製鉄技術で追いつこうとしている。世界トップ。インドがそれに続く」「日本は2、あるいは3位。薄い鋼板を作ったりしている」と、製鉄技術の面でアドバンテージを日本がとっていることを匂わせる。

 いろいろな製品にその技術が生かされていることを、いくつかの写真を使って説明した。「景観鋳物」という珍しい言葉。道路を飾る街灯や道路標示、ランドマークというにはちょっとした小さい、地点表示のメルクマールのような置物など、なかなかお洒落でアーティスティックな作品がある。そう言えば、1990年代、日本の国内需要を増やせとアメリカにせっつかれて、600兆円という莫大な額の国内需要創出を約束したことがあったっけ。そのおかげで、町の通りはタイル張りになったり、歩道が広がって電線が消えたり、歩くこと自体が目の保養になるような街並みに変わってきた。そういう変遷の、切り出しを担っていたのかと、イセキさんの仕事を思い浮かべた。(つづく)

2021年8月2日月曜日

人流と感染と良い役回り

 可笑しなことを言う。感染の爆発的拡大をどう思うかと聞かれた宰相が「人流は減っている」と、応えた。

 なんだ、それ?

 応えるなら、感染は爆発しているが、人流は減っているから、来週には感染は収まり始める、とでもいうのかい。人流を減らしてはいるが、居酒屋が自粛要請に耳を貸さずに酒を提供するものだから、感染が爆発しているとでも言いたいのかい。

 そうすると、なにかい? お前さんのお役目は人流を減らすことで、感染抑えることじゃないとでも、いうんかい?

 あるいは、こうか? 若い人たちがワクチン接種に向き合いもせず、勝手放題に遊び惚けて感染拡大をしている。つまり「自助」しようとしていないから、この結果だ。わたしのせいじゃないよ、と?

 いや、違う。オリンピックを中止せよといいたいんじゃないか、あなた方メディアは。だから、そう応えているんだよ。非常事態宣言を出したんだよ、政府が。お上の意向が効き目がないなんて非難したいんだろ? だから、違うぜ、人流は減っているぜと、宣言の効果があることを応えてやってるんじゃないか。少しは他人の心を読めよ。そうして、質問しなさいよって、財務大臣みたいに言ってみたくもなるよ。

 一度始めたオリンピックってものをね、途中で中止するってことは、そりゃあ、ないでしょ。そんなことをしたら、日本の世界的信用ってものは、ゼロになっちゃうよ。それこそ、一番避けたいことよ。バブルで囲って、国民生活とは切り離してるって、最初から言ってるでしょ? だから、皆さんは知らないうちに、世界からわんさと人が押し寄せてきているのよ。

 TV観てたらわかるでしょ? 開会式の時に、いつこんなにたくさんの国から選手が来てたんだって、驚いた人は、多かったでしょ。各競技会場でも、観客席で声をあげて応援している人たちって、誰なの? どこから来たの? いつ来てたの? って、そう思わない? ねっ、国民が知らないうちに、選手や関係者があれだけ来てるのよ。バブルで囲うってのが、成功している証拠よ。

 えっ? バブルって、コロナウィルスのことだけじゃないのかって? そりゃあそうだけど、人と人との接点で感染が広がるじゃない。ヒト・モノ・カネの、国民との接点を断ち切る。当然、情報も断ち切る。どこかの間抜け選手や電気技術関係者がすり抜けて街へ出たのを処分したのも、とうぜんミセシメよ。

 裏街道情話って、日本の伝統だけどね。コロナウィルスとの兼ね合いもあって、皆さんの視線がみんな文春砲になって厳しく光っているから、情話を絡める「お・も・て・な・し」は、無しってことよ。処分されたジョージアの人たちって、東京タワーを見に行ったんだってね。そりゃあ、観たいでしょうよ。パリ大会へ行ってたら、エッフェル塔をみたいってのとおんなじ、自然の気持ちだわね。日本国民が、この気持ちをわかってくれたら、裏街道情話にすることもできたのに、情報化社会って、いやですよね。文春砲の人たちって、反日よ、ホントに。

 人流が減っていても、感染爆発が進行するってところを、説明してよってか? そりゃあ、デルタ株だよ、デルタ株。厚生労働大臣が、そう説明してるでしょ。何でもかでも政府の責任にもってこないでよ。

 感染拡大、恐れるに足らずって言いたいのかって? いい質問だ。

 インフルエンザだって、年間に死者1万人を出す感染症だよ。でも、いまとなっては、それほど恐れちゃいないし、それほどの死者が出てるってこともニュースにはならない。つまり、情報化社会の落とし穴に入ってしまうと、そこだけ際立って「脅威」に感じられる過敏症になってしまう。リスクゼロって叫んでいた政治家もいたけど、神経症的な「生-政治」は自然に反するからね。庶民というのは、その「情報」に惑わされて、不安になる。

 大きな視野に立てば、「ワクチン」と「人流」が減ることこそ、コロナウィルスに対抗する最終手段。その決断は政治がやることなんですよ。それがね、総合的に判断する人智ってもの。専門家の意見もそれは大切にするよ。それが「緊急事態宣言」なわけ。でも庶民の不安を鎮めるのは、総合的な判断に拠るしかないのよ。何もかも明らかにして表に晒すってのは、大船の進行方向を決める舵を取り払って、波や風向きや海流の速さを航海するようなもの。ますます不安になる。「緊急事態宣言」は、その不安を取り払う作用して「人流」を押さえているってわけよ。

 ま、メディアは、不安を煽ることをもって商売としているから、刺激的な情報の発信に力を入れるのでしょうけど、もっと大局的に人類史的観点に立って、舵をとることにも気を傾けてよ。

 えっ? どうしてそういうふうに国民に言わないのかって?

 政治は結果。自分で言っちゃあ、自慢でしょ。あなた方メディアに、そう言ってほしいのよ。どう、いい役回りでしょ。 

2021年8月1日日曜日

奇妙な散歩

  昨日(7/31)、食糧棚に賞味期限が7/31のいなり寿司の味付け衣をみつけた。私が元気なら、5月になくなっていたはずのもの。いつも山へ行くときのお昼につくってもらっていた。安売りの時にたくさん買い入れて置いたもの。4月に怪我をしてからは、幾袋か残っているのをカミサンが鳥観や植物観察の折に持っていったのだが、その余りが一つあった。お昼にでも食べようと二人分をつくった。そして今朝、「せっかくお弁当をつくったから、散歩に行こうか」とカミサンの声がかかり、出かけることにした。門番を雇ったから門をつくろうという話を聴いたことがある。奇妙な散歩だが、私のリハビリ度合のチェックにとカミサンが気遣ったのであろう。

 青空の晴天。気温は33度まで上がると予報は告げている。9時半、リュックに水を入れ、双眼鏡を首に下げ、カメラも持って歩きはじめる。昨日までの奥日光の歩きが久々に身にこたえて、ふくらはぎが少し痛む。でも、これくらいなら、いいトレーニングになるかもしれない。そう思って、首にタオルを巻き、ひさし付きのモンゴル帽をかぶって日差しの中へ飛び出す。日陰を選んで歩く。思ったより暑さがきつくない。湿度が低いのだろうか。

 土曜日とあって、ご近所の公園にも、子ども連れの姿が見える。車の通りも多い。非常事態宣言に切り替えようと政府が言っているが、それに街の人たちが頓着している様子はない。無論私たちもマスクをしている。人通りが少なくなったら外そうと思っているが、たけのこ公園へ入っても、すれ違う人が絶えない。

 さすがに木陰の連続になる。マスクを取り、通船堀沿いを東へ向かう。芝川が逆流している。東京湾が満潮なのだ。このところの雨のせいか、水量は多い。通船堀の大木が一本倒れて、堀の中程を塞いでいる。見沼用水路の東べりから流れ込む多い水量が、この大木で堰き止められそうになっている。いつからこうなっていたのだろうか。

 東べりに沿って川口の自然公園へ向かう。公園にはたくさんの人が遊んでいる。釣り堀に糸をたれている人も多い。子ども連れは、カマキリをとって遊んでいる。ベンチで一休みする。右の肩甲骨が張ってきた。こりゃ、当初予定していたマルコまでは行けそうにない。大崎公園までにするよとカミサンに断る。

 東べりから高台へ上がり植栽の養生地を通り抜けて、越谷道路を渡る。手前のぶどう園やナシ園には車がたくさん止まって地方発送の受付を頼んでいる人が多い。そうか、お盆か。暑中見舞いか。いや、もう残暑見舞いか。

 大崎公園も、小さい子ども連れの家族がたくさん来ている。テントを設営して、昼寝もさせて帰ろうというのか。いかにも夏休みの芝生は、はしゃぐ声。お子様に向いている。高台の東屋のベンチに腰掛けて、お昼を開く。11時半。

 ゆっくり食事を済ませ、子ども動物園へ入る。鳥も山羊もけだるそう。アカリスだけが元気に飛び跳ねている。ガンやカモといった水鳥たちも木陰にひっそりと身を隠している。

 また炎天下へ身を曝して、調節地へ向かう。人影はない。満潮が終わって、芝川の水も順流に流れている。肩甲骨の張りが酷くなり、リュックを左肩だけにかけ、右肩を楽にする。さかさかと歩いて日影に来るとゆっくりついてくるカミサンを待つ。ムクドリが傍らの木に群れて騒がしい。「コムクドリがいるんだってよ、この中に」と、後から来たカミサンが鳥の師匠に変身する。

 芝川を渡り、運動公園脇を通る。少年野球のチームがゲームをしている。終わったチームの保護者が車での送迎に勤しんでいる。子どもたちの声がセミの声に混じって忙しない。

 そこを過ぎると、日影がない。背の高いビルの影がところどころにあるが、身を隠すには小さい。汗びっしょりになって、黙々と歩く。それもまた、心地よい夏の風景と感じている。家にたどり着いて、リュックを肩から外す。文字通り、やっと荷を下ろした。

 シャワーを浴びる。この瞬間が、何よりのご褒美。今日から、ちょっとずつでも、散歩を再開するかな。