2021年8月25日水曜日

時代を超えて面白いこと

  2020-8-24の記事「なぜホンネをさらけ出すのはみっともないのか」を読んで、思ったこと。

 昨日の「村八分の論理と倫理」は、いわば江戸時代のトランプ社会の「生き延び方」でもあったと、上記記事を読んで思う。これをもって「いつの時代になってもヒトって変わらないんだ」と言ってしまえば、超時代的になって仏教の「解釈」と同じになってしまう。も少し細かく時代を区切って、その間に積み上げてきた社会関係や国際関係とそれにともなう時代思潮の変化を読み取れと謂うことだろうか。トランプがひっくり返しているのは、せいぜい「戦後社会」の国際関係だ。目先のことしか見ていない子どもが、口先の理屈をこねて反抗するとき、もっと長い目で見ている大人は、全く馬鹿だなあと呆れるようなものか。

 今読んでいる本『ディスコルシ 「ローマ史」論』(ちくま学芸文庫、2011年)は、マキャベッリの著書。「君主論」の前に書きはじめ「君主論」のあとに仕上がった作品のようだ。これが「君主論」の政治論と異なり、古代ローマのたどった足跡を吟味して、「古代の先例に救いを求めようとするものは、誰一人として見当たらないのが実情である」と、本音を隠して相手を欺くのも英明な君主の役割と説く「君主論」と異なり、共和制への思いを綴って、こう言う。


「むしろ歴史から学ぶのは、手間がかかるばかりでなく、不可能なことだと決めてかかっている。まるで、天空、太陽、元素、人間は、昔あった姿と、その運行、体系、働きを変えてまったく別物になってしまっているかのようである」


 トランプがそう考えていたかどうかは知らないが、彼の振る舞いはまるでそのまんまであったように、戦後過程を無視して、我が儘であった。500年も前のイタリアに、同じような状況が見られたと謂うことか。

 文庫とはいえ、750ページもある大著。だがマキャベッリは、ローマの物語が面白いからとそれを読むのを良しとしない。今の時代と比較して、吟味しながら読んでいけと、今の時代の物語として読み返していくことを勧めている。面白い。物語や言葉がいつだって、象徴的に用いられていることを示している。500年の時間的隔たりが苦もなく超えられているのは、読んでいて面白い。

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