今日(8/23)の朝日新聞文化欄に、斉藤公平のインタビュー記事が載っている。「[私]は肥大化 いま作る「公」]と大見出しをつけ、「格差が広がり、環境にも負荷。「私有」が基本になったのは西欧でも200年~300年」と小見出しが論旨を現しています。
古い共同体での[公]から自立したのが[私]とみたとき、その[私]を公的に担う役を担ったのが資本家社会の市場システム。その最大化が現在であり、それが格差と環境への負荷を大きくしている。「公vs.私」と切り分けてきた[私]を制限して、新しい[公]を作り出そうと呼びかけている。
だがちょっと大雑把に過ぎないか。古い時代の[公]と[私]を対立させはしたものの、そう簡単に切り分けて扱えない。隣人との関係や身近な自治的関係をどちらの側に押しやって、集約してしまったのか。またそれが、古い共同体から自立する時代の、西欧ではキリスト教のカトリックやプロテスタントの持っていた倫理的枠組みが保っていた相互的な社会関係が、後の資本家社会の進展によって突き崩され、[公]と[私]のいずれかに分解されて市場原理に預けられ、現在に至って不自由を感じている、と。
菅首相がコロナ禍に際して、[自助][共助][公助]と表現したことがヒントになるが、[公]が行政を意味するとしたら、[共]は自治的なネットワークを意味している。ご近所であったり、家族間の繋がりであったり、同好の士のネットワークであったりする。つまり[共]は、個々人が関係を紡ぐ相互的な努力によって作り上げられるものだ。
それを区分して受け取ることなく、[公]は行政の役割と見なしてきたのが、日本の現在ではないのか。それは、長く、屹立する行政権力を尊大にさせ、人々を大きく依存させてきた。「寄らしむべし、知らしむべからず」と基本構図は同じの時代を、近代社会の中央集権制として作り上げてきたのが、現在の日本の姿だ。
かつて村には自治的な集団的社会関係があった。だがそれは、中央集権的統治に都合よく組織されることが多く、集団的な日常関係にまで抑圧的な規制が多かったとも言える。もともと相互扶助があったわけだが、固定的な上下関係の秩序は、その外の支配関係と相似形をなしていた。もっとも宮本常一の(昭和期の)調査では、全員一致的な習いもあったようだから、一概に抑圧的とばかりも言えない。逆にまたそれは、だから抑圧的であったとも言える。そこには、いまなら[情報]の公開と相互に意見を取り交わして意思集約をする仕組みがあったかどうかによるとも言える。
[公]がもっぱら行政システムを指し、公共の[共]が[公]から消えたことが、現在の日本のやっかいさとでも謂おうか。[共]は、[公]を介さずに人と人とが共同する自律的メンタリティを指している。そこには、[私]をある程度さらして、協調する領域を広げていくこともしなければならない。[プライバシー]として囲い込み、それへの侵入をさせないと謂うことは、逆の場合に、[共]の立ち入りを禁じて拒むことになる。
[共]がすべて[公]となると、公権力の立ち入りという課題になってしまう。いまの「ロックダウンの論議」などを見ていると、[公]と[私]との関係だけでやりとりが交わされている。その橋渡しになる[共]という領域が、社会の共通規範から消えてしまっているからである。
そのあたりに斉藤公平は、分節的に踏み込んでいない。だが、「新しい[公]:コモン」ということで、消えている関係を起ち上げたいと希望を語る。
インタビューをした記者が「取材を終えて」次のように記している。
「[公]に戻るのが、過去の家父長制の強い社会に立ち返るのであれば、「私には無理」……。水や森林の共同管理に限らず、服を共有する仕組みを作ったり友達とルームシェアして家電を分け合ったりするのもコモンのひとつ。……楽しく[脱ー私」をしたい」
守ってきた[私]の身にしみついた観念も、[脱=公]とともに離脱して、新しい公を獲得できるといいのでしょうが。言葉だけではなかなかうまく運ばないですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿