2021年8月29日日曜日

大学入試の多様性は人柄を育てるか

 関西の知り合いがやってくる。コロナ禍で2年ほどのご無沙汰。久々に会うことになった。話を聞くと、子どもの進学先を見ておきたいという。聞いて驚いた。私が知っていた頃の埼玉の高等学校と、まるで違う。進学志向が違うのか、高等学校経営が違うのか。それに対応する大学側の体勢も、20年ほど前とすっかり違っていて、様変わりに驚いたという次第。

 知人の子どもは、商業系の学校。ただ、関西とか西日本の商業系の学校は、進学熱が(関東に較べて)非常に高い。普通高校とどちらがいいかわからない様相があることは、香川県の例などを耳にしてはいた。それが具体的に目の前に表れたような驚きであった。

 その高校の昨年の国公立大学進学者は80名に近い。関西に国公立志向が強く、関東には私立志向が強いとは知っていたが、これほどの差があるとは思わなかった。関東の商業系の高校の国公立進学者は、一桁ではないか。

 むろん高校は関西にあるから西日本の国公立が圧倒的に多い。だが、北は小樽、北大から関東甲信越は、筑波、群馬、埼玉、横浜国立、新潟、長岡科学技術、信州、静岡と人数は(年によって)1人、2人いるかいないかと広く散らばっているが、進学している。資料を見ると、指定校推薦をはじめとする推薦入試を主としているが。それにしても80名近い国公立進学者を出すというのは容易ではない。関西の私立高校は、予備校に行かなくても進学態勢がとれるをウリにしているそうだという。

 商業系の高校は、簿記検定に始まる「資格取得」に力を入れている。それらの取得と成績平均という数値を基本にして、面接と入試もある。まずは、高校内部での人数制限を突破する「内部選考」の競争が厳しい。あるいは大学によるが、共通テストも必要だったり、本番入試もあるから、希望すれば皆が合格とはいかない。何人が受験して何人が合格、あるいは不合格という数字は、明らかになっていないが、こうなると高校生は、入学してから卒業するまで気を抜くことができない、と思ってしまう。

 成績平均だって(推薦の場合)「3・5」以上は必須。国公立ともなると「4・3」とかを求められる。ひとつの学年の2割もがそういう高い成績平均をとるわけにはいかないであろう。あるいは「3・5」以上と受験資格を下げているところは、案外、共通テストや本格入試で厳しい競争を求められているのかもしれない。様々な条件をつけて全国から幅広く、いろいろな手法を駆使して受験生を集め、期待できる学生を集めるという大学側の思惑も多様になってきているのであろう。

 受験生としては、推薦入試と本格入試の二度のチャンスを持つことができると言えば、聞こえはいいが、それは「実力」に力のある伸び盛りの生徒が謂う台詞。たいていは、実力に自信がないのが普通だ。まして成績平均で相当程度をとることができる生徒は、コツコツと真面目に日頃のなすべき事をなして高校生活を送ることを得意としてきたであろう。人柄もよく、穏やか。周りを押しのけてでも競り出していく気迫に自信があるとは思わない。

 案外推薦入試って謂うのは、いわゆる「学力」とは異なって、日頃の安定した生活習慣が培う心の習慣がゆったりと落ち着いていて、周りとの関係づくりとか人柄にも不足がない人を求めるのには、いいかもしれない。大学が(国公立も)そういうところに目をつけて、推薦入試をするのであれば、高校生活ももう少し変わるであろうが、皮肉なことに、そうは順接していないようである。大学側にも、高校側にも、今のところ、そういう趣旨が込められているとは思えないのが、残念である。

 子の親たちの思いが、(今の学校教育に欠ける)人を育むことに向けられているだけに、システムの国家百年の計が相変わらず、経済競争に打ち勝つ「人材」育成というようでは、先行きの希望がない。そんなことを思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿