昨日(8/21)、日差しは強いが雲が出ている分だけ、所々和らいで歩きやすいかと思って家を出た。2時間も歩けば十分と考えていた。
雲がとれて帽子や首に巻いたバンダナ程度では日除けにならない。背負っているリュックさえ暑苦しく前に回す。けど、今度は胸と首がうるさい。
しばし休憩を取ろうと、途中にある図書館へ入る。
広いロビーに何かの展示物がある。人はいない。目に入った一面の掲示物には、「戦争はとめられないか」「差別をなくそう」と書いたいくつかの断片がイラスト付きで貼り付けられ、いかにも中学生の制作発表という感じ。
そのうちのひとつが目にとまった。「人と較べないようにしよう」「上下を考えるのが間違い」と、道徳的な常套句が並べてあって、「人は多様」とコメントしている一コマ。
何だかなあ。こんな徳目が、中学生の心にとまるのだろうかと思う。でも、中学生の制作とはどこにも書いていない。だれだ、これは?
見ていると、中学生らしい若い人たちが何人かやってくる。その一人に「どこの中学校?」と聞く。「この近所の……」と、答え方が妙だ。いくつかの学校、それも中学生だけではなく、いろいろな人が関わっているらしい。夏に、この会館に集まっている有志の中学生たちが、夏の成果を発表しているという雰囲気だ。
目にとめた掲示物を指さして、「これも、あなたがた?」と尋ねる。彼も当事者の一人らしい。「誰か大人はサジェストしてるの?」と重ねて尋ねる。う~ん、と困っていた彼が、向こうの方からやってきた女の人を指さして、ああ、あの人が先生、という。40代のふくよかな方。
彼が「何か?」という顔つきをしたので、「ああ、わたしの感想」と断って、目にとめたコメントについて話す。
「人と較べるってのは、人の性だと思うんだよね。そうしないと自分が何者かわからなくなるから、誰もがそうしないではいられないことじゃないか?」
「だから、較べないようにしようって呼びかけは、できないことをやれって謂っているように思うんだよ」
「上下をつけないのが大切って謂うけれど、スポーツだって優劣を争って勝ち負けを決めるだろ? それって面白いじゃない? あれも、自分を何者かと考えるときには、優劣や勝ち負けが自分を際立たせて、自分の輪郭を描き出すからじゃないかと思うんだよ」
中学生はうなずきながら、ふんふんと聞いている。ほかの仲間が呼びに来た。何か用があるらしい。ああ、そちらの方が呼んでるようだねと、私は話を切り上げる。中学生は「ありがとうございました」と頭を下げて、仲間とそちらの方へ向かった。
土曜日のせいか、図書館に人が多い。冷房も効いている。予約本が届いていたことを思い出し、それを受け取って、しばらく長椅子に腰掛けて目を通す。「ビジョナリー・カンパニー」というアメリカの経営コンサルタントが書いた本。「はじめに」を読む。半世紀以上の経営を続けてきている中から優良企業を選んで、その経営手法やどこが優れているかを分析した本という。その企業の選択方法とその理由を書き、それと比較対照させた企業名を挙げて、12の指標を取り上げると明快である。なんでこんな本を予約したろうか。この本を引用した何かを読んで、「ビジョナリー・カンパニー」って何だと疑問を持ったからだったか。経営の本だとは思わなかった。でも、会社とか経営とか利益と企業活動の意味とをどう仕分けしているかとか、そういう視点を持ってみると、面白いかもと思いつつページをめくる。
小さい子どもがキャアキャアと言いながら目の前を通って、転んでは歩いて、後ろから来る父親を慌てさせている。いつの間にか1時間も過ごしている。こんなことをしていたら、お昼に戻れない。グレン・グールドのピアノ曲CDを借りて、外へ出る。暑い日差しが戻ってくる。生協まで行って買い物でもしてこようと思ったが、生協のカードを持ってこなかったことを思い出し、うちへ帰ることにした。
風もない。日陰もない。裏通りの日差しの強い道をとぼとぼと歩いて、家路をたどる。公園にも人影はない。貸し家庭菜園には、一人男が畝を作っている。その脇のミニトマトが腐りかけてたくさんぶら下がっている。食べきれないのだね。
駅から区役所行きのバスがやってくる。覗くと一人だけ客が乗っている。
夏休みもあと一週間か。うちへ帰ってそう考えていると、コロナの感染が広がっているから、夏休みをもう少し続けようかという話題が取り沙汰されていた。おやおや、中学生も、また気合いを入れなおさなければならないのかも。大変だね。
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