今日の朝日新聞に《「平凡な校長」の直訴》というインタビュー記事があった。大阪市立木川南小学校長・久保敬さんが、現場で感じてきた学校教育の実情を訴えた手紙を市長に宛てて書いた。それに対して「訓告処分」が下された。その小学校長の真意を語らせたインタビュー記事である。
私がすぐに思い起こしたのは田中正造の足尾鉱毒事件。田中が天皇に直訴して大騒ぎになったことであった。なんだ、その時代と何も変わっていない。お上は聞く耳を持たない。直訴するなんて不埒なことと「処分」を下す。学校の教師なんて、一人前の顔をしてお上の施策に文句を言うんじゃないよと謂わんばかりだ。これで民主主義って謂うんだから、笑っちゃう。
このお上の人たちは、選挙とそれによって組み立てられた仕組みだけが民主主義って思ってるんじゃないか。民衆の意見を聞くのは選挙のときだけ。それも、自分たちの思考の範囲で組み立てた論理と倫理とご都合に満たされ、それに対する結果も、数字で計量できる範囲の、さらにご都合主義的な解釈によって「民意」を推し量り決めつける。
「処分理由」が「教育委員会の対応に懸念を生じさせた」というから、分を超えた振る舞いとみたのであろう。なんとも大時代的。そういえば大阪市長は「維新」を名乗っていたっけ。ふるいわけだ。まさしく田中正造よりひと時代前のセンスを看板にしている。
「平凡な校長」は、私より19歳若い。来年春に定年を迎える。「学校が週休二日になる頃から変わってきた」と述べている。小中高校に週休二日が導入されたのは、1992年の9月。もうじき満29年になる。その週休二日は、しかし、学校教育上の理由ではなかった。バブルで湧かした時代の名残というか、日本人は働き過ぎ、労働時間を年間300時間ほど短縮せよ、国内需要をもっと増やせとアメリカから強く要求されていた余波を受けて組み立てられたものだ。
だから教育カリキュラムを削るという発想はもとよりなく、政府も文科省も、7時間目をもうけて6日間でやっていた教育課程を5日間にはめ込むという無理を、学校現場に押しつけた。GDPを押し上げることが即ち世界2位の経済的地位を守る絶対条件といきり立っていた。すでに聞こえていたバブル崩壊の音もあったから、余計に詰め込みを現場に求めたとも言える。
と同時にその当時、「ゆとり教育」という大きなテーマも動きだしていたのだが、その本意を現場に反映するときに「学力向上」しか眼中にない施策の提示となった。簡略に謂えば、能力のあるものはどんどん伸ばす、ないものはそれなりに学べばよいと謂うものであった。多様な学びというのも、人それぞれに自分の人生を見切って、組み立てなさいというもの。結果的には何もかも、個々の家庭と子どもたちがかぶるように競わされることになった。
論じればそれはそれで、深さもある「論題」であったから、学校現場に身を置いていた私たちもその論議に加わった。だが、若手の現象学の哲学者ですら、「教育施策を論じたいならどうして文科省の役人にならなかったのか」と私たちにいうほど、上意下達の社会的仕組みのセンスは、左右を問わず、進歩派か保守派かを問わず、確固と浸透していたのであった。私たちは基本的に現場教師に語りかけるように言葉を発していた。
「平凡な校長」は勇気がなかった自分を反省して市長に手紙を書いたと述べている。私はそのような「勇気」を校長に仮託することさえも無理と思っていたから、そうだ、それぞれの持ち場で言葉にすることができるようにならなければ、現場のことは「お上」に伝わらないし、お上も聞く耳を持つようにならないと、あらためて思う。
一通の手紙を書いた勇気が、マス・メディアの目にとまり、それが私たちのところへ届けられた。ここからが出発点だと感じる。まさしく「処分」されることによって、対立構図が明快になり、焦点を絞った論議が開始される。身を捨ててこそ生きる瀬もあれ。明治維新の薩長藩士たちも、そうした思いの下級武士の思いをくみ取っていたからこそ、成し遂げられたのではなかったか。そんなことを思った。
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