2021年8月21日土曜日

第12回seminar ご報告(5)大自然への敬意が消えていた

  イセキさんの鉄との向き合い方が、実はよく理解できなかった。工業製品を作っていると謂えば、もっとドライに、機能的に関わればいいものを、どこかその向き合い方に、こだわりがあるような感じがしたのだ。何だろう。何が愛おしいのか。どこに「執着」しているのか。鉄のどこが彼をそれほど惹きつけるのだろうか。あれこれ考えても、しっくりこない。

 ひとつ、ぱっと閃いたのは、鉱業誕生の不思議、と思った。鋳鉄の話のはじめに青銅器や銅の精錬がいつ頃どこでみられたかから入った。あるいは、「もののけ姫」の動画を収録して、鞴(ふいご)と蹈鞴(たたら)の様子が活写された部分を見せてくれた。「活写」と表現したが、活き活きとしていたのは、文字通りそこで働いている女たちの様子であった。

 私たちは、農業の様子は目にして育っている。だから、農民がどう大地に働きかけ、土を作り、作物を栽培しているか、身をもって感じている。だが、鉱業となると、日比精錬所近辺に育った人たちはどうだか知らないが、製品しか目にしていない。どう大地に働きかけたら、そのような製品ができてくるのかに、さして関心を持たなかった。大自然の不思議が消えてしまっていた。

 自然と私たちの仕事の関わりを象徴的にイメージするのは、もっぱら農業であった。私は教師をしていたとき、子どもの成育と米作りを重ねて、「百姓は田を作る。米は田が作る」と喩えて、教師や親の思い通りに育てようとすることの傲慢さと、方法的短絡を指摘したことがあった。つまり「教師は学校を作る。学校が子どもを育てる」と方法的迂回と思われる学校作りをすすめ、たとえ教室で教えていることでも、教えたことがそのまま伝わるわけではなく、生徒の内面に蓄積している、生育歴中の環境がもたらす諸事情を濾過して、生徒の身にしみこんでくると、教育論を論じたことがある。

 その私と同様の自然との関係を、イセキさんは鉱業の分野で感じ取っていたのではないか。それが、単純に、工業製品の原材料を造る工業過程の一部として受け取られるのでは、肚の虫が治まらないという思いがあったのではないか。そう感じたのであった。イセキさんがseminarの終わりの方で、今はお内儀と二人でやっていると話したことに、(たぶん私は)ある種の執着、愛おしさをもって鋳物の話をしていると感じたのであった。彼の仕事を「現代の鋳物師」と名付けたのも、無意識のそうした感触を表現したかったからだろうと、振り返って思う。

 鉱業における大自然と人との関わりを、どう表現したらいいのだろうか。「もののけ姫」では、自然破壊と大自然との闘いとして現れた鉱業の誕生を、自然との共存へと落ち着かせる方途を探るように、物語は運んでいたと記憶している。それがどう決着したかは、忘れてしまったが、(たぶん)宮崎駿も同じような絵柄を骨にして物語ろうとしていたのではないかと、漠然と受け取っていた。

 その、大自然が恵みをもたらす鉱業における不思議と魅力を、イセキさんは私たちに伝えたかったのではないか。いわば一生かけて、その仕事に巡り会いその仕事に携わってやってくるうちに、不思議の魅力にとりつかれていった。しかし世の中の流れは、それがどれほどの利益を上げ、いかほどの労力と費用を要するかばかりに関心を傾け、しかも、開発途上国の安価な製品と較べて、より安くと要求してくる工業界。そこには、鉱業の不思議が醸す「ものづくり」への敬意がみられない。そのことへの、持って行きようのない、言葉にならない憤懣が、イセキさんの身の内にこもっていたのではないかと、推察した。大自然への畏敬というのは、それに携わる人の営みへの敬意でもある。

 そう考えてみると、彼の鋳鉄という「ものづくり」の、経済的情勢にまつわる変容がどうであったかと問うた、私の質問は、愚問も愚問。むしろ、「ものづくり」への敬意が鉱業界と工業界で違いがあるのか/ないのか、鉱業界では大自然への「畏れ」がどのように活きているのかを問うべきであったと、これまた反省的に振り返っている。

 そうした点から、金属器が始まったことへ目を移すと、イセキさんが、よくわかりませんがと謂いつつ、関心を少し振り向けた青銅器の鳥取・島根における発見などのモンダイが起ち上がってくるように思える。邪馬台国や卑弥呼との関係、畿内説との確執なども、面白いテーマとなるように思った。しかしこれは、私の傾き、悪いクセである。

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