18歳以下の子どもへの給付金をめぐる政府の右往左往を(安部=菅政権の一点の瑕疵も認めない突破主義と違って)、岸田政権の「聞く力」の現れと私もいくぶんの好感を持って観ていたが、ふと気づいたことがある。安部=菅=岸田の差異などという蝸牛角上の問題ではなく、政治家も官僚機構も貫くような大きな勘違い、視野狭窄に陥っているのではないか。勘違いというのは、国の統治って事を経済的な市場原理でしか考えられなくなっているってコト。
というのは、マイナンバーカードを全国民へ拡げるのに、なぜ2兆円もの財政出動をしているのかを考えていたからだ。アメリカのように社会保障番号を登録させ、それと政府の財政支出とを連動さえるという仕組みをつくるのは、いわば統治そのもの。つまり命令して徹底周知する事柄のはずである。それを市場経済的に切り回そうと発想しているのが、今回の2兆円の財政出動だ。しかもそれは、健康保険証とリンクすればとか、預金通帳とリンクすればという選択が設けられているから、全国民にマイナンバーカードを付与し流布せしめるという初発の趣旨は、とうてい実現しない。笊も笊、結局何のためのナンバーカードか疑わしくなる事態を招来するばかりになる。
なぜ、こんな為体になってきたのか。二つの次元の異なる統治体験が、戦後の統治機構の中に併存してきたからではないか。
ひとつは、統治過程の国家がになうべき「強制力」という暴力装置的部分を極力避けて通ったにもかかわらず、一時、アメリカを凌ぐような経済的成功体験。この錯誤のワケはすぐわかる。アメリカが仕掛けた「日本の軍事的無力化」に乗っかって、冷戦時代をもっぱら経済的な活動に専念することができたからだ。国内的にも、占領が解け、自律して後にも、暴力的命令要素を念頭に置くことなく、ことごとくを市場原理的に処理するという錯誤に統治体質が馴染んでしまったことだ。
善し悪しは脇に置いておくが、戦争直後の貧窮生活から「一億総中流」時代への経済的階梯を上るときは、統治者が何をしていようと庶民大衆は黙っててもついてくるものだ(今の中国をみればよくわかる)。その成功体験への上昇渦中に生まれた人達が、いまの政治家・政府官僚たちだ。
大事なのは、もう一つのこと。
冷戦時代を凌ぐにも、アメリカの御威光があったからとはいえ、「非武装」という看板を掲げて過ごすことができたのは日本国憲法の前文と第九条が国際的にも周知のことだったこと。まず、「日本の軍事的無力化」は第二次世界大戦における連合国軍の合意戦略でもあった。その証拠は国連憲章の第53条、所謂「敵国条項」が未だに残されたままである。だから日本政府としては、憲法の精神を徹底的に遵守して、戦後の安全保障と外交を続けるしかなかった。
アメリカの庇護の下に、その政治的・軍事的要請にしたがったのは致し方ないとしても、なるほど日本はそこまで「徹頭徹尾・平和国家」を貫いているという姿を繰り返し、晒し続けて行くしかなかった。それらしいことをしたのは、田中角栄くらい。アメリカの先を越して中国を承認し、国交回復をした(だから角栄はアメリカの謀略によって獄中の人となったとまことしやかにいわれている)。それ以外は、そろそろと口先だけの、国内的にしか通じない言い訳をしながら再武装をすすめ、そのうち「不沈空母」としてアメリカの「同盟国」にまでのし上がった。
その径庭をみていたものとしては、政府の統治センスは戦前のままだと思うほかなかった。戦前からの(伝統的な)「お上」の統治センスは、いまも残りつづけている。つい最近までの宰相が、「人事」と「策」を弄して中央官僚機構を手懐け、中央から地方への伝声管を(上意下達的に)確保し続け、結局中央政府の説明責任も国民に対する情報公開もネグレクトして、恬として恥じない統治機構の体質を保ち続けてきたことをみると、よくわかる。
戦中生まれ戦後育ちの世代からみると、日本国憲法の「日本の民主化」さえも、ほとんど顧みられることなく、その形式だけが取り繕われ、統治者と庶民大衆の関係は選挙の時を除いて「統治-被治」の関係を変えることなく続けられた。そこに「民主国家として再出発」した戦後政府が果たすべき課題があったはずなのだが、統治機構内の(せいぜい与野党という次元の)争いに終始して、それも市場原理に任されてしまったと言えよう。
そういう積み重ねが、統治者としての政府・中央官僚の頭脳を市場経済脳に代えてしまったといえようか。
資本家社会的市場原理は、その初発段階で壮大な暴力性を発揮していた。資本の原始的蓄積といわれるが、農村を解体し、人々が労働力として雇用されて以外に生きる手立てを失う状況へと追いやった。しかしアダム・スミスが市場原理を説明したときには、その原始的蓄積のことはすでに社会的前提となり、自由な取引をすすめていけば自ずから神の手によって資源の配分も節約も最良の道を取ることができると考えられるようになった。
それと同様に日本の為政者もまた、経済に邁進するあまりに統治が必然とする支配の暴力性を忘れ、あたかも良き統治は自ずから人々の同意を得て振る舞いを一つにすると信じているかのように施策するようになったと言えようか。言葉においても、「命令」を忌避して「指示」にしたり、自らに決して瑕疵はないことを貫き通そうとしたりして、かえって言葉自体の混沌を招いていることに気を配らないできている。
こうも言えようか。政権にある為政者は、施策を経済脳で考えているにもかかわらず、統治の暴力性が必要であることに気づいている。ことに安部=菅政権は、それが発動できない元凶は「憲法」だとばかりに、私権の制限だとか、集団的自衛権の合法性を閣議決定や法解釈の手続き的な変更によって実現しようとしてきた。それは、暴力性を発揮しないで、謂わば経済的合法性の流儀の上に強権統治を実現しようという歪んだ国家権力の姿であった。
岸田首相が「新しい資本主義」ということを説いても、統治の暴力性を消せるわけではない。というか、その暴力性を消せば消すほど、現実に展開する強権性をもみ消すために御正道を曲げてしまっている。それは言葉や文化の面での崩壊を引き寄せ、日本語によって保ってきたナショナル・アイデンティティすら失わせかねないと私は危惧する。いや、実際に政治家やかんりょうやなど、エリートと考えられてきた人たちが貧しい言葉を左右してみっともない姿をさらしているのは、日本人としての誇りを傷つけ、貶めている。それこそ、防衛という安全保障の根幹、「何を護ろうとするのか」を消し去ってしまう振る舞いである。日本国憲法の「平和条項」は、その土台の上に築かれるはずであったと、わが身の裡側をみながら思うのですが……。
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