賀状に取りかかった。今年最大の事件は、4月の山での私の遭難。秩父山岳救助隊の記録には「70代、軽傷」とあるそうだ。私は「至福の滑落」と題して、その経緯を書き記した。だが賀状に書くのは気恥ずかしい。心裡では自慢話のように響く。
カミサンは「コロナ時代には何をしなかったかが記録だからね」と、意味深なことを言う。そうか、山に行かなくなって、リハビリ通いが9ヶ月も続いている。でもコロナのせいじゃないな。
しないことというより、できないことが年々増えていく。でもそんな他人の話を聞きたくないよね。となると、それまでやっていたことをしなくなったために、見えてきたこと、感じてきたことを考えてみる。
すると、隠岐の島町の玉若酢命神社の八百杉が思い浮かんだ。樹齢2000年、屋久島の縄文杉よりは若々しい木肌。深い森の中の縄文杉と違って神社入り口にあって日差しが当たっていた。触ることもできた。あやかることができるか。
ご近所の散歩となると、見沼田んぼ。天気がいい日には西の方に富士山が姿を見せる。元旦には調節池に行ってみようと思っていたら、「元日の富士に逢いけり馬の上」と漱石が詠んだ句に出くわした。そう言えば、調節池も工事が終了して五年ほどになるか。整いすぎて素っ気なかったのが、年を経て寂がついてきた感触が芽生えてきた。こちらの身にも錆がついてきた。これが寂になるかどうかは、生き方の粋がかかわろうから、いまさらどうしようもない。そう考えてみると、何もしてこなかったなあとわが身の来し方を振り返る。ま、そんなところだ。
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