知り合いの息子さんが受験生。先月「推薦入試」を受験し、結果が出てきたという。残念ながら本命には手が届かず、滑り止めとしていた所に決まると知らせがあった。本人は落ち込んでいるらしい。何とか声をかけたいが、どういったものか。
その子の大学進学かと考えていて、61年前の私自身のことが胸中に浮かんできた。時代が違うから、今とは比べものにならないが、高校までの暮らしと大学のそれとは、私にとってはコペルニクス的転回であった。天動説が地動説に変わるような体験だったのだ。
岡山県の片田舎の町と東京との文明・文化の違いが、まず絶大であった。5年は遅れていたろうか。トイレが違う、電話機も電話のかけ方も違う、食べているものや食べ方が違う。ナイフとフォークの使い方に戸惑い、大学の同級生と洋食を前にしたときに見よう見真似で教わったこともあった。また、全国あちらこちらから出てきた同級生、あるいは東京育ちの同学年生の言葉遣いも振る舞いも、読んでいる本も違う。なにより自分の意見を主張するときの勢いとか、人に対する畏れ具合も違う。何しろ堂々としている。これは、ショックであった。
そのうちこの違いは、高校生までの私の生育歴との違いだと、わが身を振り返って思った。まず私は、洗濯の仕方を知らない。掃除をするのも畳の間をざっと掃くくらい。ゴミの始末もわからない。自分で食事を作ることもできない。ああ、こんなに生活能力がないんだ、親にすっかり依存してきていたんだと気づき、がっかりした。こりゃあ、勉強するどころじゃないぞ、と。当時の言葉で言えば、頭でっかちだったってことだね。
この感覚は、学生生活が終わってからもずうっと続いた。結婚してからは、連れ合いに頭が上がらない。男社会と謂われる時代に育ったせいもあるが、暮らしの基本は連れ合い任せ。連れ合いが黙ってそれを引き受けてくれるのをいいことに、私は家事のことを忘れて生きてきた。
山に行くようになってやっと、少しばかりテント暮らしのような料理をしたり、下山後に洗濯したり、用具の手入れや片付けをするようになって、独りでも生きていけるような生活習慣が少しは身についてきたかなと感じている有様だ。
この子が大学生活を始めるに当たって、この子のコペルニクス的転回は何だろうと、思い巡らしてみた。そう考えはじめてみると、私はこの子のことをほとんど何も知らないと気づく。そうして思い起こしたのが、「推薦条件」である。つまり3年間こつこつと頑張ったこの子にとって、暮らしの術はさほど難しくないにちがいない。そうだ、今もピアノを弾いて愉しんでいるという。夏にはどこかの幼稚園で子どもたちの要望に応えて即興でピアノを弾いて会を盛り上げたとも聞いた。そこまで鍛錬することのできる粘りを持っているのなら、暮らしの技術を身につける壁は、簡単にクリアできるだろう。よかった、よかった。
とすると、もう一つの壁がこの子のコペルニクス的転回になるかも知れない。
東京へ出てきて受けた最大のショックは、私が高校まで身につけてきた知恵や知識は一体何だったのだろうという戸惑いであった。東京出身の同学年生たちの言葉や振る舞いをみると、自信に満ちている。私が本を読む中で見聞きし覚えた難しい言葉が、まるで身の裡から発した言葉のように口をついて出てくる。
そのとき感じたことが、その後の私の大きな関心事になった。
私が高校までに身につけた知識は世間の常識とする知識であり、自分のものになっていない。考えてみると、私が話している言葉も、世の中の人々がふつうに遣っている言葉である。言葉には、感性や感覚、ものの見方や考え方が込められてる。だが知識として学んだ言葉は、まだ私の身の裡を通っていないのかも知れない。簡単に言うと、学校で教わったこと、目にした本や新聞や人から聞いた言説を、そのまま受け容れてきたのが、高校までの学び方ではなかったか。それが、私の戸惑いの原因であり、自信のなさにほかならない、と。
そうか、「わたし」は、私が生まれ成長してくる間に出逢った親や大人や文化がもっている感性や感覚や価値観などが、全部まるごとわが身に投げ込まれて堆積している。それが「わたし」の感性や感覚や価値観になっている。「わたし」が自分で選んだこととは言えないかも知れない。ほほう、そんな風に感じているんだ、そういう風に善し悪しを見極めているんだと、まるで他の人のそれらをみているように、ひとつひとつ意識してとらえかえしてやっと、自分のものになっていく。そう思った。これは、「わたし」のコペルニクス的転回であった。
モノゴトにぶつかるごとに、なぜそう感じるのか、なぜそう思うのか、どうしてそう判断するのか。そうしたことを一つひとつ吟味して、身に備わった知恵知識を振り返る。そうしてみても、しかし、なぜそう感じ、考えているか分からないことも多い。それは一端棚上げにしておいて、ひょんな時に思い当たって、ああアレは、そうだったんだと一気に氷解することもあった。それはまるで、ものを考えることで自画像を描くような振る舞い。自画像は変わりに変わる。しかもそれは、来年80歳を迎える今でも続いている。
そうして私は今、思っている。「大器晩成」と小学6年の担任教師が私のことを母親に言ったのは、単なる(母親への)気休めではなく、人生って、結局生涯を通じて自画像を描き続けることですよということじゃなかったのか。出世するとか、お金持ちになるとか、有名人になるという世の中的な成功者になるかどうかなんて「小器」のお噺。自画像を描く。それが人間としての「大器」なんだ、と自画自賛している。
この歳になって、それができているって、素敵じゃないか。ほらっ、私の言ったとおりだったでしょと、6年の時の担任教師が笑っているように見える。
この子が大学への進学を機に、コペルニクス的転回をみつけ、これまでの天動説を地動説に転回する道を見つけて行くのは、きっと面白い冒険だろうと思い、ちょっとわくわくする心持ちが湧き起こってきた。
そうか、こんなことを認めればいいか。そんなことを考えている。
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