1980年代の後半であったか、コンビニがあちこちに広まり始めた頃、レジで客層や当日の天気、何がどれくらい売れたかがチェックされ、そのデータがコンビニ本部に集約されて、次の配送計画につながっていると聞いたのは。ほほう、そこまでデジタル化が進んでいるのかと感心した覚えがある。それから30年余、ハンナ・フライ『アルゴリズムの時代 HELLO WORLD』(文藝春秋、2021年)は、実情がもっと驚く段階にあることを記している。
たとえば、その一つの章「データとアルゴリズム」では、スーパーなどで顧客の買い物データを(店舗カードを通じて個別にも)集積して、ある設定したアルゴリズムを使って処理すると、その顧客が妊娠していることとか、いつ頃出産の予定日であることなどがある程度判明するという。そのデータをもとに顧客にクーポンを送って、出産から子育てに至るまでのリピータとしてキャッチすることもしている。しかもそうしたデータを売り買いして、誰に何をコマーシャルとしてデジタルを通じてモニター画面に表示するように仕掛けることも行われており、社会的なアーキテクチャーとして整えられているシステムを利用するだけで、そのデータはどんどん集積されているという。
いや、今ごろ何を言ってんだと若い人たちには言われそうなのは、よく分かる。
こちらはデジタル難民。パソコンにせよスマホにせよ利用機能のほんのごくわずかな部分しか使えていない。にもかかわらず、フェイスブックやアマゾンやグーグル、アップルが独占しているとかデータの利用に問題があると欧米で取り沙汰され、社名を変更までしているという情報は伝わってきていて、ふ~ん、なんだろうと思ってはいたのだ。ま、カーテンの向こうの世界って感じ、対岸の火事であった。
そりゃあ30年前と違う世界が展開しているってことは、何も知らなくても感じてはいる。デジタルの処理速度が相乗的に上がっていることも伝わっている。顔認証が子細にできて、「容疑者」がどの駅から乗ってどこの駅で電車を降りたってこともチェックできると、ニュースを観ていて知っている。広告会社が政党の委託を受けて選挙の時に投票行動を左右するフェイク情報を流すことも為されているらしいと、事件があってはじめてだが、わかってはいる。逆に、その社会のアルゴリズムに合わせるために人間が変わってきているというのは、私の関心事でもある。
コンピュータの処理手順をアルゴリズムと考えていたが、それが司法判断や医療、交通、犯罪や犯罪追跡に絶大な力を発揮している事実を(上手くいっていることばかりでなく、誤作動や誤表示することを含めて)子細に述べているのを読むと、AIが人の知恵を越えてヒトを規定するようになるというシンギュラリティがやってくるというのが、いかにも早すぎる想定であると共に、それ以前に、AIに振り回されて、ヒト自らが自分の世界をごちゃごちゃにしてしまうって予感が、増してくる。
それらの具体的なケースが、要点をついて記されている本書を読むと、はたしてマイナンバーカードをいろんなことに紐付けして行こうと考えている日本の為政者たちは、そこで集約されていくデータが、行政ではなく商業的に、国内だけでなく世界的に利用されていくってことを(ただ単にデータの流出を防ぐってレベルではなく)どう考えているのだろうと不安になる。と同時に、デジタル難民でホッとしているわが身の現在も感じている。
ほんとうに時代に取り残されているんだと、深く深く思う。
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