去年の記事「これから明るくなる冬至」を覗いた。
一読、わが身を振り返った。去年は掃除に取りかかるのに「腰が重い」と実感があった。今年はそれが、ない。それは、やらねばならないという義務感が胸中に残っていたのが去年、今年はそれもない。4月以来のリハビリ中の右肩が思うように上がらないこともあろうが、掃除をしなくちゃあとわが身を責める視線も消えてしまっているから、焦りがない。「腰が重い」と気づく動機もなくなっているってコトだ。
歳をとるって、そういうことか。「これから明るくなる冬至」というのは、わが身の外の物理的自然現象。それに引き換えわが身は「もう明るくならない証」を背負って冥府の暗闇に向かっているのか。それとも、「気にならない」という明るさが冥府に待ち構えているというのか。う~ん、ひょっとしたら後者かも知れない。そうだ、あくまでもわが身ありて実存ありとすれば、わが身が実感できないことは存在しないこと。年末清掃の義務感もきれいさっぱりとなくなって、明るくこの世を過ごすことができる。
そうだね。たいていの神経症って、自己意識が自らを責めさいなむことが発端。何で悩むのよ、一切放下。投げ出しなさいよってことね。そうしたら、明るい冥府がまっている。
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