2022年6月30日木曜日

遊びとしてのエクリチュール

 半世紀以上も前からの友人で、目下もっとも昵懇に文の遣り取りをしているマサオキさんから今月の便りが来た。私が「無冠」と題する月刊誌を書き送っているから、彼もやむなく返書を認める。となるとこちらも、返書のつもりで「無冠」を書き付けるという、白山羊さんと黒山羊さんの関係のようになって久しい。いつもは葉書の裏表に小さな手書き文字ビッシリなのに、今月は便箋五枚に認めて封書であった。

 まずは、お目通し下さい。身辺ご家族の近況は中略としたが、前段、句点なしの一気通貫の体調報告は、一つのエクリチュールの遊び芸と言っても良い彼の持ち技。この人の日頃の体調を墜落しない低空飛行とハラハラしてみているパソコン派ライターの私からすると、手直しなしで直に書き付けて乱れぬ筆致に、感嘆。読み終わって、そうかこれが彼の周囲にまき散らしていた文化の香りなんだと、半世紀経ってやっとわが身が感じ入った。そのことは、彼のお便りを読み終わって考えてみる。


***マサオキさんの手紙 2022/6/24


 Guten Tag! 你好吗? 今年の関東は梅雨時前に梅雨が如き天気が続き、本番の梅雨の季節はどうやら空梅雨で夏本番の猛暑が早速にも襲ってくる由で暑さと女に弱いゆえ、それに頭も弱くなったことも手伝ってその酷暑を乗り切っていけるか、今から心配しているのですが、御存知のように秋の御彼岸が満七十九歳の誕生日なるも、そこに辿り着く前に哀れ暑さのために斃れ、色即是空也と悟達する遑もなく本当の彼岸に配送されてしまうことだって考えられないことはないし、どうせ暇な毎日だから、そこら辺よしなに御高配の程をと庚申様や閻魔様に些少ながらの賂を添えてお願いしとこうかしらと思案したものの何を今更神仏頼りかよと嗤われそうだし、ここはそれ、成り行きに任せるは若くになしと随分とへっこんでしまった腹を括っていたら、昨日どうした勢みか、その腹がごぼごぼ下り、加え、腹とは別機能の排尿系にも異常を生じ、尿が水と言ふより何か膿みっぽい濃げ茶色になり、のみならず排出してもひどい残尿感がありすぐまたトイレへと言ったパターンがそうさなあ四、五時間も続き、その膿っぽい尿に向かって、熱中症死はともかく心臓や肺臓の原因の死だったら世の中にまあ真っ当な死に方として別に気にもされまいが、尿死というのはどうも頂けないので勘弁してくれよと藁にも縋る思いで懇願したところ、その願いや通じたらしく5時間後には何事もなかったが如く旧に復し事なきを得たのですが、考えてみれば尿という漢字の部首「尸」は「しかばね」だったと改めて気が付き、前日夜に何ぞ良くない物を喰った祟りが大なり小なり便証されたのかとも思い致され、此様にまだ因果律にいいように翻弄されているうちはまだこの世の存在であり続けていられるのではとひとまずホッとしたとはいえ、前述したように危惧すべき本物のホット、ホッター、ホッテストが待ち受けているとなればホッとしてもいられまいし、成り行きに任せるにしても、ここはまたひとつうまく事が成り行くように庚申様や閻魔様に加え、観音様や菩薩様にお祈りしておいた方がよいかもしれません。以上体調報告です。

                            (中略……ここも長文)

 後れてしまいましたが、「無冠」no.70ありがとうございました。前便で「ふらり遍路の旅」始末の途中で「飽きた」事に絡め、bb(変音記号)に因んで遍路は変ロに変調したと駄洒落ておりましたっけがその伝の続きで駄洒落るならば、件の始末記の題も「ふらっと遍路の旅」とした方がいいかもと余計なことをまず考えたりして、いけませんねえ。ところで、「小夏」の話がまた出てきましたね。私の大学時代の旧友の娘に「夏夏」という名前の子がいます。「小夏」は何かかわいらしい感じがしますが、「夏夏」となると翻然暑苦しい雰囲気に襲われますが、御本人は今四十代前半くらいかなあ、逆に涼しげな顔立ちの所謂スレンダー美人で、そう、譬えてみればNHK夜7時のニュース(平日)の天気予報を担当する晴山紋香さんのような雰囲気の人です。季節名に「小」の字を付けるのは秋、冬はなく、「小春」が断然多いですね。村田英雄の唄う「王将」坂田三吉の女房の名も〽愚痴も言わずに女房の小春~~でしたし。「み」が付くのも「春」が多い。例外は「剣客商売」に出て来る田沼意次の娘「三冬」ぐらいで、小生の戯作に於いても、主人公は将来娘が出来たら「ミハル」と名付けると夢の中で披露しています。尤もこれには嘗ての三春藩三剣士との繋がりからの連想もあるし、また奥方がドイツ系の人なのでミハイル、ミシェル、マイケル、ミッチェル等々に通じると見てそうしたのかもしれませんし、それとも浦和K馬場のかぶりつきで生まで見た美人騎手フランスのミカエル・ミシェルさんの残像があったのかも。ミカエル、ミシェルとダブルで天使ですものね。いや、何の話になってしまったやら。ああ、そうでした御遍路途中飽きちゃった始末記の話しでしたね。行脚を通じて道程いろいろなことがあったとの記述を見ていますと、何かその都度その都度毎に体感的、語感的、心感的に「無受想行識 無眼耳鼻舌心意 無色声香味蝕法」の境へ各駅停車しているような風情で、いやこの遍路記事に限らずここ数年の当誌の通奏低音が般若心経になってリウように見受けられ、別しては最近頓に御年傘寿になられたことも随分と意識し、これまで80年に亘る人生遍路に於ける己と交通した人達、己が存在した諸種相の社会、そしてそうした具体物を突き抜けた自然または宇宙、あるいは純粋世界(あるとすれば)等と己の関係をこの際一遍に手繰り寄せて、言って良ければ言葉として約するもの、言説の落とし所として「発見」したのが色即是空の言であり堺なんでせうね。この間どんな人について述べていても、どんな本について記していても、どんな事柄や現象について言及していても、結語の部分が色即是空になっている、そんなベクトル感が感ぜられてなりません。八十年の遍路歴程に於いて、語り尽くされ釈きつくされている色即是空の心意を改めて剔抉したと言うより、己流の思惟方法で個的に新しく意味づけしたと称した方が当たっているかもしれませぬ。いやはや、お経は音感的にとらえることにしていると放言(ほざ)いている男が言えた話しではありませんね。

 今日は24日(金)、冒頭に記したように陽が照って朝からカアーと灼熱状態。水分取られて干からびてしまいそう。外歩きの際はどうぞ日射病にお気をつけ下さい。いっかな身心元気と思っていても、〽今年八十のお爺さん~なんですから何があるか分かりません。努々油断召されるな! ほならまた。Aufwiedersehen!

                                    ***

 いや、余計なことを書き付けてマサオキさんの文が湛えている気配に、いま我が雑感を放り込むのは無粋極まりない。そういう身の裡からの声も聞こえてきた。マサオキさんの書き言葉、エクリチュールのおしゃべりが醸し出す気配は(いつぞやも記したが)まさしく「あそびをせんとやうまれけむ」ヒトの真骨頂。どうあがいても私には辿り着けない彼岸の業と思ってきました。これが、恒に常に対岸に狼煙を上げているのを目にして半世紀以上、やっと今ごろ大真面目に世相文化論を取り上げてきたお前さんへの根柢的な批評だったのではないか。いやここでお前さんと呼ぶ私のことではない。「わたし」らヒトのやっていること、やってきたことの、殊にエクルチュールという(知的と思われてきた営みの)あれやこれや、何から何までを総ざらいして、「あそびをせんとやうまれけむ」ヒトの本性を見誤っているんじゃないのと、声が響いてくるようだ。子細は、また後ほど。

 なお、マサオキさんの遊びとしてのエクリチュールに関する記述は、以下の本ブログ「記事」でも触れているので、ご笑覧下さい。

「コロナウィルス禍の思わぬ贈り物」(2020-11-29)

「茫茫たる藝藝(1)」(2019-11-22)

「茫茫たる藝藝(2)風のような読み物、稗史小説という構え」(2019-11-23)

「茫茫の藝藝(3)経験と見聞の埒外に出られるか」(2019-11-27)

「茫茫たる藝藝(4)あそびをせんとやうまれけむ」(2019-11-28)

2022年6月29日水曜日

いい加減な「二院制2・0」認識

 先日、参議院はなくてもいいんじゃないかと口を滑らせた勢いで、東浩紀の「日本国憲法2・0」おぼろげな記憶を記してしまった。もっとちゃんと書かなくてはと思い、出典を探した。「編集長東浩紀」として『日本2・0』(株式会社ゲンロン、2012年)に収載されている。本棚の片隅にひっそりと置かれていた。またその本誌の別冊として小冊子『新日本国憲法ゲンロン草案』が「ゲンロン憲法委員会」の名で付け加えられている。しかもその小冊子には「巻末のライセンスにしたがい自由に複製および頒布が可能です」と注が付いている。読んで想い出した。

 発行当初、日本国民に関する規定だけを記載していた現憲法を改正して「国民」と「住民」とを区別、継続的に在住する住民にも選挙権を与えている、憲法の条文を第一部と第二部に分け、第一部のみを改正対象とすることが出来るとし、第二部には「改正することが出来ない権利規定」を記載している。現憲法の「第九条」を三条に分け自衛隊を明記していることもある。たぶんそれらに気持ちがいっていて、二院制については、ちょっと見だけであったと分かる。住民院と国民院の両院制とし、国民院が現在の参議院に当たる。

「日本およびそれ以外の地に居住する日本国民を代表すべく、国籍、居住地のいかんを問わず、優れた識見を有するものとして法律によって定められた条件を満たした者の中から選挙された議員で、これを組織する。」

「国民院は、すべての日本国民が直接的な利害を有する、国民共同体としての主権を護持するため、住民院および総理を監視し始動する。」

「国民院の議員は無給とする。但し活動に要する軽費は支給する。」

 などと規定されている。これを「貴族院」と私が記憶していたわけである。何とも粗忽。だが、的は外していない。この憲法草案に関しては立案に携わった5人の人たちの各項目に関する簡略な概説が付いているが、ま、ここでは一先ず置いておこう。いま読み返してみると、なかなか出色の出来映えである。今後憲法改正が俎上に上がるときには、読売新聞の草案とか安倍私案とか言うものより、はるかに論議的に参考になると思うが、早すぎた「改正草案」ということになろうか。

 おっと、これから今日は、病院へ行って手術前の事前検査をする。じつは右手の掌の筋拘縮があって、それを手術することにした。その事前チェックを今月初めに受けたところ、心電図にちょっと心配があるからと、今日同じ病院の循環器医が事前チェックをし、その後に手術執刀医が結果を参照して面接することになっている。ま、手術してもしなくても、どっちでもいいという気持ちがあるから気楽なのだが、術後一ヶ月は温泉などに入ってはいけないと言われている。運転はしてもいいとか、風呂は手に水が入らないようにとかいろいろと言われている。ちょっと手術なるものをしてみんとてするなりだから、これまたいい加減なものだ。

 今日も暑い。手術よりも、検査の往き来が大丈夫かなと思う。いい加減だなあ。

2022年6月28日火曜日

梅雨が明けた、いまさら!

 気象庁は昨日(6/27)梅雨明けを宣言した。何を今更と猛暑に汗をかきながら市井の老爺は嗤う。ほんの1㌔ばかりの銀行に行ってくるのに、建物の日陰を伝うように歩く。往復するだけで汗びっしょりになる。

 風呂の湯船が暑苦しい。何日か前から、シャワーにする。掛け布団も跳ね飛ばすように寝ていた。タオルケットに換える。もう3日も前から猛暑といっていたし、2週間先まで晴れの暑い日が続くと予報もした。そのときから「梅雨明けのようなもの」とメディアも話題にしていた。

 だが気象庁は、用心深い。「戻り梅雨」ってこともあると考えたのだろうか。太平洋高気圧がそのまま押し上げてくるのかどうか、気配を窺っていたのだろうか。気象庁が何を護ろうとしていたのか、ちょっと気になる。

「予報」というからには読み違えることがある、って考えないのかもしれない。気象庁が間違えたら、科学が信用を落とすと思っているのか? もし「予報」が違えば、なぜ違えたかを解き明かすことが科学的態度であり、且つ、広範にそういう姿勢を啓蒙する機会でもあるんじゃないか。つまり、気象状況の判断者としての正確さを期するために、却って経験的な判断に嗤われるってワケだ。これも(施策判断の根拠を公開しないで)、大自然との向き合い方を人事が誤らせるような事態と言えようか。

 そういうことでいえば、国境とか国の安全ということも、その当事者が何を護ろうとしているかを率直に俎上にあげて、遣り取りすることがあれば、これほど力尽くに振る舞うこともあるまいと思われる。人事(によって生じた面目)を護ろうとしているのであれば、それに先行するより大自然に近い前提を尊重するように公に考えていくことをすれば、関係する人たちの啓蒙にもなるし、モンダイを解きほぐして少しずつでも解決へ向かうことが期待できる。理知的には、そういうふうに暴力によらずに対立するモンダイを当事者間で俎上にあげる方法を考えることができる。これは気象ではなく気性。台湾モンダイとかウクライナにたいするロシアの懸念をイメージしながら考えている。プーチンや習近平の気性ってワケだね。

 だが市井の老爺からすると、身に備わった文化的なあれやこれやが(どう作用しているのか、分からないが)絡み合って、身の裡に「人事の正統性/正当性」を形づくっている。現実は、その何十年も何百年も2500年ほども堆積してきた「人事」が、もはや大自然的事実のように骨格を形づくり、それを根拠にわが身に感じる正統性を打ち立てている。それを私は、身に刻んだ経験的な知恵と考えている。ヒトの自然て、そういうものなんだ。

 国民国家の支配を続けている為政者たちも、彼らなりの経験的(on-job-training)な堆積を元に判断して、その正統性/正当性を崩されては適わないと論理的には考えているのであろう。実態は、しかし、論理の矛盾をものともせず、わが理が成り立つことなら何でも動員して根拠とする展開をして、煙に巻く。巻けなくなるとフェイクだと誹って、事実そのものをみえなくしてしまう。何処から切り取ってわが理の根拠としているかと考えると、ロシアも中国もアメリカもEUもインドもまた、勝手なことをいってると思う。一つ一つをまっとうに取り上げて論理的に咀嚼するのも煩わしい。まさしく「色即是空 空即是色」だ。それでも、プーチンや習近平、バイデンのそれを解きほぐしていかないと、核戦争になってしまうとすると、捨て置くわけにはいかない。

 身に押し寄せてくるありとある情報が経験だとすると、みな勝手に自己主張して、正統性を起ち上げているが、はたして「正統性/正当性」ってなんだろうと、市井の老爺の情報処理装置が作動し始める。つまり「わたし」を当事者として「せかい」をもういちど総覧してみる心持ちを、持とうと試みる。結局わが身が何を根拠にその「正統性/正当性」を判断しているかにかかっている。その情報に心揺さぶられるのは、なぜか。煩わしいと感じるのはなぜか。コイツ嘘をついているとか、こりゃあ平然と否定しているが非道だと、「わたし」がみているのは、なぜか。そう自問自答して、「わたし」なりの応えを導き出す。

 その応え方の中に、気高さを保持する考え方は、どう盛り込めるのか。そのときの気高さとは何か。「わたし」の経験的な、とりあえずの応えは、《できるだけ大自然の要素に立ち返り、まず人がヒトとして地上に現れた地点から辿り返して、「人事」が支配するようになりそれが圧倒するほど社会を席巻することになった経緯を押さえ、原点に立ち返って解きほぐしていく》という迂遠な道が浮かび上がる。遠近法的消失点ていうんだもの、少々迂遠であっても、騒ぐことではない。どうせ、その迂遠な道も、全部自分が解きほぐしたものではなく、累々たる積年の知恵知識の堆積が教えることだ。せめてそうやって、わが身(の抱く感懐)を滅却するようにして「せかい」に身を重ねていく。それが気高さの獲得には欠かせない。

 でもねえ、そんな厄介なことに誰が付き合うか。経験的な庶民も、お前さんくらいだよと別の私が声を上げている。いいんだ、それで。どうせ、世界のgerm、黴菌が呟いているだけさ。一匹の蝶の羽ばたき、一頭のgermの囁き。世界ってそういうものさ。

2022年6月27日月曜日

1年後の感懐

  1年前(2021/6/25)の記事「コロナウィルスの声を聴け」を読んで記す。

 そうだった。1年前にはオリンピック開催の喧噪の中であった。結構大真面目に、日本の行政のモンダイを指摘している。そして1年後の今日、もうすっかりコロナウィルスの感染拡大には肚を据えたのか諦めたのか、政府も政治家もメディアも、感染拡大が高止まりで底をついたことを気にしないかのように振る舞っている。

 いや、そもそも、昨秋の衆院選挙のときに自民党内の権力争いにメディアの関心が移り、そこだけを焦点にした選挙結果で、今の政権に移行したわけだから、コロナウィルスに聞け! って言葉は、何処へいったやら。今年に入って冬のオリンピックが終わるかどうかの頃から今度は、ウクライナ戦争の話題一つにメディアは流れ、コロナウィルスどころではなくなった。それをいいことに、「じねん」のままにコロナ禍に馴れてきて、知らぬ顔の半兵衛ってワケだ。これじゃあ、行政が反省するきっかけもないし、為政者が良くなる契機もない。

 参院選だって? だから何よ? 参議院なんて、なくたっていいんじゃないか。そう思うような為体だよね。

 それで想い出した。いつだったか哲学者の東弘紀が「日本国憲法2・0」で、参議院を「貴族院」のようにしろっていっていた。子細は忘れたが、日本の知恵を代表するような「有識者」を選んで、彼らに衆議院と政府のやっていることが、長い目で見て、あるいは現実社会の展開の流れに位置づけて、妥当であるかどうかを審議する機関にしたらというような「建議」をしていた。

「貴族院」という言葉に抵抗を感じたが、今ふり返ってみると「貴族的」という言葉自体が、私たちの日常生活から姿を消している。それとともに、ひときわ抜きん出て頭角を現す存在をも、金銭感覚で平地に引き降ろすセンスが行き渡り、所謂「選良」と呼ばれた人たちも、法に触れなければいいんでしょと平然と庶民未満の行為をして恥じない風潮がふつうになっている。

 社会の何処に身を置いていても、ひときわ抜きん出た存在であることが、世の中に生きる庶民のモデルであったことがある。竹林の七賢もそうだし、縁の下の力持ちもそうであった。そう言えば私の亡父なども、八百屋をしながら書をものして、漢文の古典から菊池寛の文章まで拾っていた。私が生まれた年の秋に書いた「般若心経」が今私の枕元の条幅にある。これは、「わたし」の知的好奇心の源になっているのではないかと、思うこともある。

 つまり、文化的な「ひときわ抜きん出る存在」の私の原型モデルというわけだ。と同時に、私だけではない。私と同じ世代の人たちの「教養」のモデルでもあった。そういう「抜きん出たモデル」としての「貴族性」を日常性から追放してしまった。それが、戦後77年目の現在である。

 ま、そんなことを一般的に、原理的に嘆いても、何の足しにもならない。どこかの国の、企業経営者が「日本名滅びる」と人口減少を指して宣告なさったようだが、人口以前にすでにして、文化的に滅びははじまっている。

 そう思う私は、保守派なのだろうか?

2022年6月26日日曜日

暑くなった!

 暑くなった。昨日はじめて冷房を入れた。午前中カミサンは買い物に行く。往復おおよそ8㌔を歩く。これまではたいてい私も一緒に行って荷担ぎ役をするのだが、昨日の私はパソコンに向き合ってわが身の調子をふり返っていた。

 開けている窓から風が入ってくるとよろこんでいたら、10時を過ぎるころには、もう暑くなっていた。南西の風が強く吹いて外の樹木が揺れるのは、見ている分には涼しそうだが、気温はどんどん上がっている。11時過ぎて本を読むころには室温30℃。冷房を入れた。一昨日の段階で空調機の掃除をしておいて良かった。

 お昼前に帰ってきたカミサンは、本日特売の牛乳を3本と米酢など5㌔ほどの荷を担いで、「お年寄りがこんな日に出歩くなんて自殺ものといわれそう」と外の暑さを悦んでいる。そうだ、夏女だ。お昼のニュースは、「速報」とタイトルを付けて、群馬県伊勢崎市で40℃を超えたとテロップを流している。カミサンは「何度に設定してるの? ちょっと寒すぎる」とリモコンを覗いて、1℃設定を高くした。

 夕方、電話が鳴った。どこかの通信社。参院選に関する世論調査にご協力をという。いつもなら、その機械音を聞いて直ぐに電話を切るのだが、これは中年男性の声。「いいよ」と応じる。20~30代の若い人の声を聞きたいというから、悪いね、こちらはその何倍も生きながらえている、埒外だねと返事をする。でも直ぐには切らないで、どの候補に投票するつもりか、支持政党はあるのか、岸田政権を評価するかしないかといくつか質問して、最後に年齢を70歳以上と確認してきた。安くあげるために使っている電話回線にモンダイがあるのだろうか、バリバリと雑音が入って音声が聞き取りにくい。私の耳が悪くなっているのだろうか。

 問いに応えようとして、支持政党がないことに気づいた。というか、小選挙区制ならあれかこれかという二者択一だから、気に入らない政党の逆の側を思い浮かべるが、埼玉県が一区の中選挙区制。ほぼ全部の政党が名を連ねる。

 障碍者に議席を確保してそれだけで参議院に風を吹き込んだ政党の名をあげると、意外そうな声の響きが伝わってきた。どうしてというから、意外性かなと応えた。岸田政権をどう評価するかと聞かれて、う~ん、前のアベ・スガに比べたら迷いを見せているところが微笑ましいけど、何かをしたわけじゃないからねと応えた。後からアベさんの声が聞こえてくると、イヤお前さんよりはこちらの方がましだよと思うが、評価となると何をやったかだからね。何もやってないじゃない?  と応える自分に驚く。支持政党はと聞かれ「今の政治家には愛想が尽きている」と応じたら、低声で共感するような笑い声になった。

 後で電話を聞いていたカミサンが「れいわを支持するの?」と驚いたようにいう。自分でも思っても見なかったなあと、口をついて出ただけの「わたし」の瞬発力の源をふり返る。そうだね、これからどうするか考えよう。

 でもね、判官贔屓っていうじゃない。一番いじめられているグループを応援したいって気分は、何か私の出自生育由来に拠ることがあるのかな。そんなことを思いながら来し方をふり返っている。なかなか選挙の当事者にはなれそうもない。

2022年6月25日土曜日

何をしてるんだろう?

 昨日は月例のご近所さんとの飲み会。近くの公民館で「男のストレッチ」という講座をしている人たちの6人ほどが集まっておしゃべりをする。夕方5時頃から2時間程度だが、珍しく昨日は二次会へ繰り出し、9時頃のご帰還。何を喋ったかはほとんど覚えていない。

 いつも飲み過ぎて翌朝は内臓不調に苦しむ。先月がそうだった。昨日は少し自制したせいか、今朝は4時半くらいに目を覚まし、小部屋で新聞を読む。

 そうだ、先々月は「お遍路」に出ていたので、私は参加していなかった。先月はその「報告会」だねといわれたが、話すのはメンドクサイので、このブログにアップした「ぶらり遍路の旅ご報告」を印刷してご笑覧下さいと済ませた。話しはいつものようにポンポン跳んで何を話したか、何を聞いたかも忘れてしまったが、こうやって飲むと必ず飲み過ぎる。ま、昔のように二日酔いになるほどは飲めなくなっているから、たいしたことではないが、アルコールを分解する能力も衰えているから、身の裡の不調が午前中一杯続いたりした。

 一つ思い出した。誰かが「何をそんなに書くことがあるの?」と私に問い、「ま、クセですね。書くおしゃべりですよ」とは言ったものの、でもなぜ書いてんだろうと自問自答が身の裡で続いていた。そして、口にはしなかったが、ぷかりと一つの応えが浮かんでいたんだった。「当事者研究」だ、と。

 ウクライナ戦争のことを考えるのは、「お前はどういう当事者なんだ?」と問われているように感じるからだ。TVでミャンマーのことを忘れないでと誰かが訴えると、そうだね、どうしてウクライナにはこんなにビビッドに反応するのにミャンマーにはなぜそうしないのかと、わが身への疑問が湧く。少子化問題で日本は移民を受け容れないのはなぜかと書いた本を読むと、外国人をガイジンと見ていた自分を浮き彫りにしてわが身の裡へ潜り込んでいく。この歳になってもまだ、わが身の裡がわからない。

 目にし耳にするデキゴトをわが身への問いにする。そしてそれに応えようとする。それ自体が、そのモンダイを社会化することであり、同時に「わたし」を当事者にすることになる。どこに立って、なぜそう感じるのか、なぜそう考えるのか。その根拠は何にあるのか。コギトじゃないが、そうやって「思っている」ことがわが身の実存を確かめることになるからか? まさか、とデカルトさんの帽子を被った顔を思い浮かべて、自答している。それが面白いと感じる。

 この世の当事者としての「わたし」を、何につけ位置づけたい。どうして? わからない。わからないが、この「せかい」からみるとゴミどころか虫けらにも値しない「わたし」が、当事者として位置付く地平こそ、「わたし」が主体として自律できるところだという感触がある。

 自律してどうしようっていうの? わからない。わからないが、そういう衝動は身の裡から湧き起こってきている。こういうのをカントさんは定言命令って言ったんではないか。そうだ、こういう定言命令がわが身に湧き起こってくるってことは、それなりに何か、社会的由来がある(はずだ)。まずそれを事実として承認すること。そうして、その社会的由来を探求してみること、それが「当事者研究」ってワケだ。後期高齢者というよりも末期高齢者になってやっと、世界のどんな事象に巡り逢っても「当事者」といえる立場をみつけることができる。良いも悪いもない。そういう事実から出発しよう。

2022年6月24日金曜日

自己完結へ傾くのはなぜか?

 昨日の話に続ける。「日本人どうしでいる状態を失うことが怖い」かどうかはともかく、「日本人どうしでいる状態」を心地よいと考える思いは分かります。気脈を通じるという言葉がありますが、言葉にしなくても、ただそばに座っているだけでなんとなく心穏やかにしていられる顔見知りというのは、居心地が良い。これは身の覚え。

 そういう気脈を通じるのに近い関わりを持ったアメリカ人もいました。コスタリカやカリフォルニア、アラスカを案内してもらったバーダー。2011年の3・11のときは「さいたまも危ないのではないか」と心配してくれたりしました。あるいはまた、ベトナム・タイの旅の途次で出逢ったオーストラリアからの旅人もいました。ビールを飲みながらバンコクからメナン川を遡る旅を共にしたことがあります。世間話が苦手ということもありますが、言葉を交わすのは草臥れます。さほどに英語がしゃべれないこともあって、いつも緊張している。母国語でない言葉を話すというのは、一言一言を意識して構成し発話する過程を取っているからだと思います。身がついていかないのでしょう。日本語で向き合うというのが、まず私にとっては緊張を高めない第一条件です。つまり身と心の心地よさは、つねなる緊張を望んでいない。

 むしろ議論でもした方が、下手な英語を忘れて面白かったという思い出があります。いつであったか、タイからの帰りの飛行機の中で隣り合わせたスイスの老婦人。ワイナリーを息子たちに委ねて四国の旅の何度目かを愉しみに来ている方。彼女がスイスの自国防衛の軍事訓練を誇らしげに語ったので、ナチスがスイスを攻めなかったのは国際金融のパイプとして残しておくと見たからではないのかと話を振って、ちょっとした議論になった。老婦人はナチスが(攻め手にあぐんで)スイス攻略を断念したと力説して、スイス金融パイプ論を一蹴した。お酒を飲みながらの話しであったから、いつしか日本の自然信仰の話になり、ヒンドゥーとか仏教と対するに唯一神の自然観の話になったら、非番で移動中のタイ人CAが話しに加わって、ずいぶんあれこれと喋ったことがありました。これなどは、それ自体が意識的な発話だったからだとふり返って思います。つまり意識的な関わりのときは、緊張感にあふれる身の感触を面白いと感じているとは言えます。身の覚えが、分裂しています。

 ま、私の世代と私の子どもや孫たちの世代とでは、外国人や外国語、海外情報と接する機会も多くなって、さほどの抵抗感を抱いていないようには思います。ガイジンが日常化してくると、**人という異なった文化に身を置く人との交通というニュアンスが起ち上がり、ガイジン一般が消えていっています。私たち戦中生まれ戦後育ちという世代は、戦後復興から高度経済成長を経てバブル経済の時代まで、まさしく外国とのふれあいが頻繁になり、海外文化との接触を身にしみて感じてきた、その途上の世代でしたね。エマニュアル・トッドがいう日本人の心性は、その私たち世代の(受け継いできた)文化的特徴を指しています。

 子や孫の世代は、海外との交通が日常化してきています。彼らは、「日本人どうしに居心地良さを感じる」というのとは違った感性をもっていると、若い人たちの振る舞いを見ていて感じます。いうまでもなく、海外文化に対する好みも形づくられている。それに応じて、それぞれの国を出自に持つ人たちへの選好も生まれている。私たち世代のように、中国人や朝鮮人・韓国人に対して(過去の侵略を思い出すから)一歩退いて話を聞こうとするような斟酌はしない。率直に言いたいことを良い、耳を傾けるべきことには素直に遵う。海外で働くのは恒に緊張を強いられてしんどいけれども、それはそれで人々の力になっているのだと頑張っている。個々個別の人たちとの向き合い方は、若い人たちに学ぶような時代なのだと思います。

 とは言え、目下の日本を牛耳っている為政者は頼りなく、昔気質のというか、古い夢をもう一度というセンスに満たされた年寄りたち。トッドが感心した「先見の明」を、相変わらず堅固に保持して30数年。人口問題など、もはや「先見の明」どころか「後顧の憂い」になっているほど放置して、一向に恥じることのない方々です。

 若い人たちを大事に育てようという識見も持たっていない。相変わらずガイジンを差別的に扱って恥じない。バブル経済期の遺産を食い潰している「日本人の誇り」を再興しようと称揚して、足下を危うくしています。

 この人たちが政治の主導権を握っていられるのは、市井の庶民の心持ちにおいて「日本人どうしに居心地良さを感じる」心性に依存しているからです。バブルに向けて懸命に走っていた時代の経済戦士たちは、すっかり草臥れて、これが「わたしたち」の望んでいた豊かな社会なのかと迷ったことがあります。80年代。ひょっとするとアメリカ経済を抜いて世界一の経済大国になるんじゃないかと夢を描いた経済界のトップもいたくらいです。でも下っ端の戦士たちは、世界標準の豊かな経済には、何処かついて行けないものを感じていたのではないでしょうか。

 それは私たち日本人の暮らし方を見直すような声ともなり、金儲けよりも社会や暮らしを豊かにしようという方向へ舵が切られて行きます。日本の街を整備する投資が増えたのも、あながちアメリカから内需拡大を要請されたからとばかりは言えません。それに伴い海外勤務を断る人たちも増えたのは皮肉でした。そのときから日本の企業は、中小下請け企業を含めて海外へどんどん進出していったからです。その後の「失われた*十年」は、まだバブルの経済的蓄えを食い潰して来ましたから、日本経済全体が未だ先進国であるかのような顔をしていますが、その分配や活力源を見ると、そろそろ恥ずかしげにした方が良いような気配です。

 まあ、社会の埒外に身を置く年寄りは、そういう日本社会の変容の邪魔をせず、むしろ岡目八目で成り行きを見守るようにすることになりそうです。何もせず成り行きを見守る。こう言うと、何だか今の政治指導者をみているようです。せめて引退勧告でもしましょうかね。

2022年6月23日木曜日

日本は埒外だね

 30年ほど前、日本が少子化する検討を始めたことを知ったフランスの人口歴史学者エマニュエル・トッドは「日本人の先見の明に驚いた」と記しています(『自由の限界』中公新書ラクレ、2021年)。そのとき欧州はドイツとイタリアで人口減少がはじまっていたが、何の検討も行っていなかった。意見を聞かれた彼は「日本は移民を受け容れられるか?」と逆に質問し、即座にそれは無理と返答を得て、後に彼はこう見て取ります。

    《日本はなぜ移民を拒むのでしょう。人種差別主義、あるいは外国人嫌いなのでしょうか。やがて私は問題の核心を理解します。外国人を敵視するのではなく、日本人どうしでいる状態を失うことが怖いのです。日本人どうしの居心地は申し分なく、幸せなのです。日本社会は自己完結の域に達していると言えます。》(2019/2/28)

 思えば、彼が人口問題で意見を聞かれたのは、日本がまだバブル経済の最中にあったとき。日本経済の絶頂期です。移民受け容れを「無理」と応えたのがどのような立場の人なのか記していませんが、ひょっとしたら政府高官か、それに連なる人ではなかったかと思います。その十年ほど後の小渕内閣のときに、「毎年60万人、十年かけて600万人の移民を受け容れなければ減少する人口を埋め合わせられない」と答申が出されたのです。つまり当時の政府高官とか官僚は、その(先見の明といわれる)程度に時代の先を読むセンスを持っていました。ともあれ、その「(移民受け入れは)無理」が未だに尾を引いて30数年後の現在、人口減少は手が付けられないところへ来ていて、未だに(見当違いの方策にしか)手を付けていません。

 移民受け入れを無理という反応は、外国人労働者の受け容れ方の実態を見ようとしない行政の振る舞いを見ているとよく理解できます。あるいは不法滞在者に対する処遇をみても、おおよそ彼らと共存していこうという気持ちを持っていないことがわかります。トッド氏がいうように、「日本社会は自己完結している」という市井の人の気分は、じつは我胸に手を当てて考えても分かります。たぶん井の中の蛙と呼ばれていた日本人の身に刻まれた居心地良さは、相変わらず顔見知りの間で安堵する心性に起因しているようです。経済のグローバル化がこれほど進んでも、海外諸国から来る人たちはみなガイコクジンとして一括して(共生する社会の)埒外に置くスタンスに染みこんでいます。これがじつは逆に、今の時代、わが身を世界から埒外に置くことになっているのだと思わせます。

 何でそんなことを思い出したか。ブレイディみかこ『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)を読んだからだ。面白い。著者の今が、歩いてきた形跡共々、イギリスの元底辺中学校とその周辺の様相を交えて移り変わるのが、ピリピリと伝わってくる。それはまた、見事に日本のとか、「わたし」の現在を照らし出し、どう経過してきたか、これから通過するのかと思わせる余韻を残す。

 これまで私は、4度この著者に触れたことがあった。

    ・「暮らしが社会や政治と繋がるところ」(2020-7-4)、『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』(新潮文庫、2020年。2016年太田出版初出)。を読んだ感想。

    ・「底辺をみる慧眼」(2020-11-21)『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017年)

    ・「何処から「違い」が出てくるのか」(2020-11-24)上記の本に関して別様の見方を記した。

    ・2021-7-7のそれは、齋藤浩平の『人新世の「資本論」』をブレイディみかこの上記感想と対照させたものだから、名前をちょっと借りただけのようなこと。

 いずれも、しかし、この著者の慧眼と視界に広さへの驚嘆、挫けない心持ちに感嘆しながら読後感を記している。

 本書の表題『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が著者の息子の通う中学校で出くわした感懐を表した言葉。人種差別と言えるこのような言葉が、どんな場面でどのように誰に向かって誰から発せられているかを、場面と登場人物をきっちりと押さえながら書き記す。と同時に、この著者の前著がその視界と視線を示しているが、その場面や登場人物がどのような社会的な背景の中でどういう言葉を発することに至ったかを見落としなく加えて、その発言の持つ社会的意味と当事者に対して与える衝撃とを押さえている。

 それを読み取ると、移民が2割を超えるイギリス社会の人種差別的な振る舞いに関して辿ってきたであろう社会的苦しみや人々の苦悩が手に取るように感じられる。もちろんブレイディみかこが日本人であり、彼女の息子がアイルランド人との混血であるという風貌が、何処に身を置き、誰と遭遇するかによって、その言葉との出遭い方は異なる。日本人である母親と混血である息子への違ったあしらいも、細かく気に留めている。中学生であるから、それに対する向き合い方も変わってくる。と同時に、自分の隣にいる友人が浴びせられた差別的な言葉に、どう対処するか。力で押し戻す子もいれば、その出来事に心傷める姿も描かれている。それだけではない。それを契機に取り巻く大人たちの言動にも細かい目配りをして書き落としているから、さらに行間に潜む堆積した文化の様々が思い浮かんで、そうだよねえ、社会って種々雑多、猥雑とも言える文化の径庭を経て、それぞれの身に堆積してきてるんだよねと人と社会の大きさにため息をつく。と同時にそれらを包摂するイギリスという社会の包容力も感じる。

 個々個別事例に対処するイギリス社会の取り組みをみてみると、それぞれの学校の立ち位置によって取り組み方が違うとは言え、元底辺中学校周辺の差別的振る舞いに対する社会全体の意識的な取り組みが根付いていることがみえる。シティズンシップ・エデュケーションと名付けられた試験もある講座が中学一年生から行われている。幼児から中学生(日本でいえば中高生)の子どもたちに「教える」それぞれの段階の教え方にも、移民を受け容れていく社会的な同意がバックアップしている。しかも、アフリカの文化やハンガリーの文化といった文化系統の違いから(祖父母や父母との暮らしを通じて)伝わって来る伝統的な文化価値の置き方にも影響されて、子どもたちの日常の振る舞いに噴き出してくるから、そこまで視界にとどめておかないと、ただ単に形式的に口にしてはいけない言葉というだけにとどまって子どもたちに受容される。学校教育自体が、その文化の違いとそれが生み出す差別的な事態を想定して、子どもたちに教えている。

 だが著者(とその息子)が身を置く世界は、底辺の暮らしをする白人たちと旧植民地など、あちらこちらから渡ってきた(どちらかというと生活的才能にあふれるほどの活力を持った)移民やその子どもたち。一概に移民だから底辺生活をしているわけではない。むしろ白人の生活困窮者(やその子どもたち)が差別的に振る舞う。掛け値なしに彼らは、身に刻んだ差別的な言葉を気分に任せて、相手にぶつける。あるいはいじめる。つまり否応なく、いろんな世界からやってきた人々の文化的な堆積を感じとり、それを組み込んでその子たちへの向き合い方を考えていく姿が、わが身の経てきた径庭を振り替えさせる。

 そうして痛切に感じることは、日本の社会では、これだけの取り組みは無理だわというわが身の感触であった。と同時に、一つ希望を託すところがあった。

 先述のシティズンシップ・エデュケーションで、国連の子どもの権利条約などを学んだ後の最初の試験に出た問題。「エンパシーの意味」。

    《エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。両者の違いは子どもや英語学習中のガイコクジンが重点的に教わるポイントだが、オックスフォード英英辞典のサイトによれば、シンパシーは「1,誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解誌的にかけていることを示すこと」「2,ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為」「3,同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と書かれている。一方、エンパシーは、「他人の感情や経験などを理解する能力」とシンプルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは、「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」」なのである。前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうでもそうではなさそうである。》

 と見て、さらにケンブリッジ英英辞典でエンパシーを引いて、

    《「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている》

 と踏み込む。そうして次のように分ける。

    《シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だがエンパシーは……自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかも知れない》

 これを私は、「希望」ととらえた。そうだ、これまで私は、シンパシーとエンパシーとを区別しないで胸中の一続きの感覚とみていた。だがこうして腑分けしてみると、シンパシーをベースとしているところはあるものの、エンパシーを身につけることによって「日本人どうしが居心地が良い」感性から抜け出すことは出来る。つまり、日本人が外国人をガイコクジンとしてではなく、日本社会という空間を共有している人々として受け容れていく感覚を培っていけば良いのだ。いや日本人がというよりも、「わたし」がまずそれを身に備える。それにはまず、「わたし」が身に持っている文化が、どのように外の文化と異なるのか、それ自体も対象化していかねばならない。

 とは言え、まず「わたし」のシンパシーには、内部と外部が(海という結界によって)自然に形づくられている。日本語というおおよそ似た言語を喋っているという共通性も、「日本人どうしが居心地が良い」感性のベースになっている。これも、どちらかというと、自然に形成され身に刻まれてきた文化であって、「日本社会という空間(場)を共有する」ことの大きな要素だ。それを取り払うばいいとは思えない。多文化主義というか、例えば公用語も日本語だけでなく、英語も中国語もハングルも認めましょうということになるのは、それは違うだろうと、別のわが身が応じている。知的作業としてエンパシーを高めて行くには、その辺を曖昧に放置しておくわけにはいかないとも思う。

 そのうえで「希望」を紡ぐとすれば、どうするか。いや、面白い。こういうふうに、考えていく刺激を受けた。ブレイディみかこに感謝だ。

2022年6月22日水曜日

クールな話しはうざったい?

 近頃のこのブログ記事を見ていると、1年前の記事を読んでとか、前日書いたことの延長とか、発端の想起域が狭くなっている。以前にはもっとたくさん、本を読んでいた。新聞にももう少ししっかりと目を通していたし、TVも、ドラマやドキュメンタリー、ニュース構わず観ていた。映画も月に何回かという程度に観に行った。だんだん自分の外部のメディアにかかわることがメンドクサクなり、目をやり耳を傾けることが少なくなった。

 これは「わたし」の身の裡の外部との交信装置が劣化してきている証しなのかも知れない。感度が鈍っているとは思っていない。むしろ、新聞やTV、本に書いてあることがぱ~っと「わかってしまう」ように感じる。既視感があるというか、「わたし」の「せかい」にすっぽりを収まるように思えて、直ぐにつまらなくなる。飽きてしまうのだ。

 では、何が劣化なのか。

 外部の物語は、波瀾万丈が面白い。ドラマでもそれより奇なる出来事でも、あるいは何が起こっているか分からない混沌の世界が語り手によって物語化していく過程も、意外性に満ちている方が、ハラハラドキドキして惹き込まれる。

 もちろんそれには「作法」があって、例えば長編小説などは、何百頁かを読み進めないと全体の構図が浮かび上がってこないから、そこまで我慢しなければならない。というか、長編小説の作家としては、そこまで読み進める気持ちを持ち続けるだけの(この先、何かあるぞ)と思わせる仕掛けを、前段の各所の文中に仕掛けておく必要がある。もちろん事件でなくても良いわけで、ごく日常の暮らしと思われてきた景色を切り裂くようなものの見方が突き出されてくることもあった。

 そうか、劣化というのは、そういう地平に出るまで我慢することができなくなっているのか。それは、体力に我慢の限度があるからなのか、前段の文脈を読み取ることに力が必要で、その集中力とか、読解力が足りなくなっているのか。たぶんわが身の内発的な何かに起因して、そうした力の継続ができなくなっているような気もする。たとえば、何日か掛けて読み進めていると、前の方の記述を忘れてしまうとか、人と人との関係がぼやけてしまうとか、身体的な感受性にかかわって衰えていっているような感触なのだ。

 TVも1時間とか2時間のドラマを観るのがしんどい。飽きちゃうと自分では思っていたが、新聞の見出しのように早く読み取らせろよと、身の我慢が利かなくなったこともあって気が急くのかも知れない。つまり、早く自分の「せかい」に落とし込んで、始末を付けたいという気分が露出してるだけ。年寄りはせっかちになり、我が儘になるというのが

「わたし」にも及んでいるってことか。まいったねえ。頑固になってるんだ。

 ということは、外からの刺激を受けとる力が衰えている。学ぶことも少なくなり、ふ~んと思っているうちに、そのふ~んの刺激も雲散霧消して消えていってしまう。そうすると、観ているドラマもドキュメンタリーも、つまらなくなるから、スウィッチを切ってしまうことになるという次第。何か感じたことがあったなあと後で思い起こそうとしても、ふ~んと思った体感だけが残って、それが何であったかを思い出せない。

 そういう「わたし」の裡側を脇に置いて、しかし、予定調和的な設えのドラマやドキュメンタリーが多くなっているように思う。直ぐにつまらなくなる。これは、ひょっとすると、長編小説の仕込み段階も含めて、手近にまとめてみようとする「わたし」のクセが表出しているのかもしれないが、私は別様に考えている。予定調和的なお話しは、たいていスマートでクールだ。良い話しなのだ。それの味付けとして少しばかりアクシデントがあったり、不運が襲いかかったりしても、最終的には結構上手くいったじゃんと腑に落ちる運びになっている。それは見終わって、なんだこれは、つまんないじゃないかと強く感じる。そう感じている「わたし」は、ヒトの不幸を願っているのだろうか。制作者の(お話しをまとめる)手際の良さを見せつけられたようで、出来勝負じゃんと思っているのだろうか。

 そうじゃない、とわが身の裡の何かが反応している。起承転結をきっちりしなければお話しは終わらない。そういう物語の構成に長年飼いならされて、そういう習性が身についてしまったのじゃないかとわが身を疑っている。

 80年近く生きてきてかんじていること。それは、お話しは結末をもたないってこと。ただそれを制作し、読み取る者が、勝手にそこで切断し、終わらせているだけ。それなのに、あたかもそこで「せかい」が完結するかのように受けとって自足しているんじゃないのか、ふ~んと感心してみている「わたし」は、と自分に対してどこかで感じている。つまり、結末はさらに先へ送り、延々と続くのよ、でもね、「わたし」が受け止めるのは、ここまでと、見切っているのかも知れない。

 でも、この「わたし」が感じている感触は、わが身のことなのか、この社会のことなのか、いや、今の世界のことなのか、分からない。ただクールな話しは嘘くさいというか、うざったい。これはわが身の裡で自ずと予定調和にしてしまっている「わがせかい」がうざったいということなのかもしれない。

2022年6月21日火曜日

大自然の読み取り方とヒトの世界

 1年前の記事、「大自然と言葉を交わすということ」を読んで記す。

 大自然と言葉を交わすということは、自然の営みを感じ取り、言葉にしてわが身の地平の置き換え、その後に大自然に位置づけて対象としてみるということである。つまり、感受し、言語化し、かつ超越的視点からわが身を大自然においてみるという三段階を経て、大自然とわが身の関係を読み取ることと言える。

 今日は夏至。半年前の冬至のときに「これからは明るくなる」と「希望」を交えて記した。明るいということに「希望」を見て取るというのがなぜなのか根拠は分からないが、たぶん視覚が感官機関の大きな部分を占めているからであろう。だが自然は必ずしも「明るさ/暗さ」に正負の価値付けはしていない。

 思えば、蝉が地中で何年、何十年と過ごし、地中から這い出て殻を脱ぎ、蝉となって私たちの目や耳にとまるとき、蝉の一生のはかなさを感じたりするのは、寔にヒトの身勝手、自分の感官を押しつけて世界を観ている。

 蝉の一生の大半が地中にあるということは、そこが主たる一生の「蝉生」であって、外に出てきてからの生涯は繁殖という世代交代の最後の一場面に過ぎないということだ。にもかかわらず、ほとんどそれを蝉の一生とみてとって可哀想に感じるとのは、ヒトの思い入れ。完結しない人生って一杯あるじゃないかと、ヒトの身をふり返ってみても気づくことだ。

 ということは、大自然を感じ取るときの私たちの作法は、ヒトの一生を重ねて我田引水に読み取り、その都合に合わせて大自然の苛烈さや酷薄さ、あるいは恵みや豊かさを選り分けて、あれこれ評価を下しているに過ぎない。それが如何に身勝手であるかを、じつは自然科学が解き明かし、大自然を鏡にしてわが身を映し出している。

 にもかかわらず、自然科学をそうは考えず、ヒトの自然制覇の道具としてのみ有用性を認めていくようなことをするから、自然科学の超越性を見損なってしまう。有用性に限定するときに、映し出され照らされているわが身がみえないってことになる。それが、現在のヒトの大自然との関係の行き着いたところである。

 先日、福島原発に関する最高裁判決にふれたとき、「事故を防ごうとして予防措置を講じていても防げなかった」と判断したことを「ヒトが原発を扱うことはできない」と判断したと読み取ったのは、この最後の局面で「原発そのものがヒトが扱える代物ではない」と最終段階までの安全性をヒトは保証できていないことに着目したからだ。だが、産業界や為政者は、これまで原発運用を肯定したとして「国に責任がない」判決を歓迎した。これは、大自然との関係をまだ、最終局面まで見切っていない証しである。昔のヒトなら、ヒトの浅ましさと呼んだかも知れない。

 そのヒトたちも含めて、夏至は太陽の移ろいとして地球の日照時間を見て取り、ヒトの暮らしとの関係でときの移ろいを言祝いでいる。その太陽の大きさと地球の小ささ、太陽系と銀河系の中の恒星の大きさとを比べてみると、如何に地球が小さいか、その小さい地球で、何をヒトは齷齪と争い合っているか、よく分かる。恥ずかしくなるような思いがする。季節を分けて読み取ることを鏡にする方法がみつかって、広まっていけば、ヒトもまた、少しは変わるかも知れない。

2022年6月20日月曜日

動物化する動物になる,同じ地平に立つ

  1年前の記事《「ヒトのじねん」のあしらい》を読んで。

 暑い日が続く。昨日は久しぶりに秋が瀬公園を散策した。公園中央のテニスコート脇の駐車場に車を止め、北の方へ歩を進める。日差しは強い。木陰を辿る。僅かな風が心地よい。昨夜降った雨のせいか、ムッと蒸す。木陰の地面も水溜まりがあったり泥濘(ぬかる)んでいたり、覚束ない。

 テニスコートにはゲームを楽しむ人たちが一杯。広い芝地はドックランの会場らしく、スタートをカウントするマイクの声がかしましい。周りと取り囲むように参加者が張ったテントがたくさんある。森に入る。草木の勢いの旺盛さが,梅雨の暑さと雨を寿いでいるようだ。水溜まりに降りたっているカラスやスズメ、カワラヒワが飛び立つ。

 コロナ自粛が解かれた日曜日、左側の何面もある野球場では何組ものチームが、野球やソフトボールのゲームに興じている。右側のレッズの練習場では、レッズ・レディースやキッヅの声が響いている。今年の梅雨は、人の暮らしに好都合だ。雨が降るのは夕方から朝方までの暗いうち。昼間外出する年寄りには朝夕の涼しさがありがたい。

 ピクニックの森に入る。それまでも聞こえていたオオヨシキリの声が強くなる。おっ、見つけた。近くの葦のてっぺんに止まっている。「鳴いてる?」と師匠が聞く。「いや、鳴いてない。違うかな」と応じる。「あれはホオジロ」と双眼鏡を覗いた師匠が同定する。

 木々を飛び交う小鳥が覚束ない。双眼鏡で観るとエナガの幼鳥。一カ所にまとまってエナガ団子を作る時期は過ぎたようだ。そちらこちらの木々の間を行ったり来たりしている。6,7羽まで数えた。親か子かも分からない。カラスも、幼鳥が混ざるのか声が幼い感じがする。

 池の裏側へは泥濘んでいて入れない。カイツブリが4羽、浮かんでいる。親鳥1羽と幼鳥3羽。親鳥がポクリと水に潜る。幼鳥も相次いでぽくりぽくりと潜り込む。子育ての最中のようだ。

 ピクニックの森のバーベキュウ場の設えられた窯場は、たくさんの食材を持ち込むひと、刻むひと、すでに焼き始めている人たちで一杯になっている。空いているベンチに腰掛けて水分を補給する。傍らの若い女性たちグループのおしゃべりが鼓膜を素通りするように通り過ぎていく。若い頃にはこんなに早口で喋っていたろうかと,ふと思う。ノンビリとフォークソングを歌っていた1970年頃と違って、ビートも早くなってきた。8ビートになり驚いていたのが、16ビートになって、もう違う世界になっていったように感じていた。若い彼女たちのおしゃべりも、中味は透明になり、テンポの速さだけが印象に残って世界が違うと感じている。

 師匠は「世間話ができない。そんなことを喋って、何になるのと、すぐ思ってしまう」と、その違いを解きほぐす。でもそれって、おしゃべりの中味をとらえている。その通りだが同時に、口にする言葉の「意味」を受け止めてきた世代と、口にする言葉の音声や響きを,口にしている場との折り合いに関心を傾けて喋る若い人たちとの違いは、ひょっとすると、案外深い文化の亀裂が入っているのではないか。そんな感触が、ある。「言葉が消滅する前に」という副題のついた哲学者の対談を読んだことがあるが、その「言葉が消滅する」って、こういうことではないのか、と。そう言えば、この哲学者たちはアラフォーの若い人たちであった。

 公園最西端の木陰に沿って草地を踏んで南端のサクラソウ自生地へ向かう。道路を挟んだ東側の広い芝地には、タープやテントが立ち並ぶ。コロナ自粛解禁で、暑さをモノともせず家族連れなどが出張ってきて、マスクを外して愉しんでいる。

 子どもの森からちょっと森の中に入り、うっそうとした樹林の中を歩く。道路のすぐ際なのに、「ここははじめて」と師匠は言う。私は何度も歩いている。やっと道路に出ようかというところで、師匠はやっと見当がついたとみえて、もっと奥への道を辿る。藪の中に踏み込み、そうそうこれがあったんだと何やら萱の名を口にする。カメラに私は収めたが名を忘れてしまった。

 サクラソウ自生地へ行く途中の野球場も、ラグビー場も、ゲームに興じる人たちが(入れ替わり立ち替わり)いて、木陰ではバドミントンをしたりキャッチボールをしたり、バットの素振りしている。トイレの前には,若い人がたくさん屯している。ドラムを叩く音が響く。管楽器の音色がそれに絡みつく。広いひろい公園だから、何処で音がしているのか分からない。いや、一カ所じゃない。あちらでもこちらでも,でも互いに邪魔にならない感じで楽器が賑やかだ。

 正午過ぎ。サクラソウ自生地の木陰のベンチに腰掛けてお弁当を食べる。日差しの当るベンチに横になって寝ている人が何人かいる。左の方の人は上半身裸になってディレクターズチェアに腰掛けて本を読んでいる。「日長パソコンに向かって仕事をしているひとは、こういうのが大切なのかも」と師匠が言葉にする。私もパソコンに向かっているが、この日差しに身をさらすのはごめんだなと口にする。ああ、これって、歳の差なんだね。

 と同時に、NTTだったか、在宅仕事を原則として出社するときは「出張扱い」というニュースがあったことを思い出す。on-job-trainingを原則と考えてきた私たち世代は、もはや通用しない世界。勤めを始めるときすでに人は完成品とみなされている時代なのだ、今は。その割には初任給が低いよなと思っていたら、今朝のニュースで、どこかの会社が初任給を9000円アップするとニュースが流れていた。そうか、そういう風にして日本の古くさい年功序列賃金体系は少しずつ崩れていくのかと思う。

 師匠は10日ほど後に、サクラソウ自生地の植物案内をする予定がある。暑いから木陰のベンチにいて良いよというが、何、これにへこたれてなるものかと思ってついて歩く。歯茎が痛み始める。自生地の萱が大きく育って通路を隠す。掻き分けて歩く。半袖からはみ出した腕が軽く痛む。師匠の口にする植物の名が軽く耳を素通りする。すっかり草臥れてしまった。

 こうして車に戻った。全行程4時間。歩数そのものは15000歩を少し超えたくらいだからたいしたことではないのに、帰宅したときには歯茎の痛みが酷く、横になっても眠れないようになっていた。

 こうして、冒頭の一年前の記事を読むと、動物化するということとヒトとして動物になったことを味わうということとを、一緒にしていいのか。動物と言葉を交わすというときに、ヒトは動物になっているのか。それとも、動物と同じ地平に立って世界を感じていると言えるのか。人が作った世界を「じねん」として受け容れることと、動物になることとは違うんじゃないか。

 そうか、動物化すると動物になると動物と同じ地平に立つこととをもっときっちりと区別して考える必要があると思った。

2022年6月19日日曜日

世情に触れるということ

 姪っ子がコロンビアで暮らしている。ご亭主の仕事に付き合って,子どもたちも連れて海外生活を長年続けてきた。姪の父親である兄に先日会ったとき話を聞くと、ご亭主は自分で車を運転するのは御法度。街でタクシーを拾うのもダメ。出勤も、会社指定のハイヤーを使う。誘拐とか強盗を心配しているのか。政情不安というが、ただ単に政治世界の落ちつかなさと社会の不安定は比例するわけではないが、日常的に誘拐や強盗に用心するということになると、自分たちの生活圏を現地の人達と切り離すようにしなければならない。姪やその子どもたちは、日頃の買い物や学校をどうしているんだろう。

 今月の7日の新聞に「コロンビア治安悪化深刻」と見出しを付けた記事が出た。大統領選を前にゲリラ組織と停戦協定を結んだが、それに反発するゲリラが武装闘争を続けていて、治安が不安定になっているという。

「そちらも一つのウクライナですね」と姪にメールを送った。それに対する返信。

《ご無沙汰しています。コロンビアの記事が出るのは珍しいですね。恐らく一回目の大統領選があったからかと思います。選挙前になると,左派というゲリラというか、どういう政治思想なのかはっきりしませんが、そういう立場の人がよく爆弾を設置したと表明して,存在感を出す行動を取っています。でも、ほとんどが偽情報で、実際に爆弾が見つかることは稀です。警察官も通常の何倍もパトロールに出ているので、生活は全く通常通りです。

 明後日、日曜日が決選投票で、恐らく左派が負けるといわれていて、その後治安がどうなるかは全く分かりません。元ゲリラの超左派の候補が決選投票に残るのは,十何年ぶりらしく、結果に納得いかない人も出てくるかも知れないですね。

 ここは来週から子供達は長い夏休みなので、のんびり過ごす予定です。日本は間もなく夏ですね。今年の夏も暑くなりそうですし、どうぞお身体に気をつけて》

 端から見ているよりも、ノンビリと世相を観ている感触にちょっと安心した。お隣のベネズエラもマフィアが跋扈し、国内がずいぶん荒れ、政府による治安維持そのものができなくなっているとも聞いた。(政治レベルで)停戦協定が結ばれてもそれに納得しない分派が独自に武装闘争をつづけるのを「ウクライナと同じ」と感じたわけだ。だが姪っ子の返信の感触は、ずいぶんそれとは違う。そのズレは何か。

 つまり遠く離れたアジアでみている世情と現地に身を置いて感じている世情とでは、格段の違いがあるのか。それとも、政治空間と社会空間のあしらい方が、コロンビアと日本とで違うのか。それとも新聞やTVメディアの(取材者と編集者の)力点の置き方に違いがあって、受け止める方にも胸中のざわつきが異なるのだろうか。あるいはまた、何かのドキュメンタリーか小説で読んだように、コロンビアで暮らしの身を置く階層の違いがあって、日本企業から派遣された人たちの住まう地域が、全く平穏なだけなのだろうか。それら諸々がかかわりあって、私の感触と姪っ子の感触とに違いが生じているのだろうか。

 一つ気になっているのは、いつであったか私たち同世代が集まるseminarで「日本にやって来る中国人が(街中で)煩い」と愚痴る話が出たことがあった。私も、90年代であるが、中国を旅行したときに、人を押しのけてバスに乗ろうとする人たちに嫌悪感を抱き、あるいは朝の通勤ラッシュどきの彼らの歩き方の勢いに気圧されて、若い国だと感じたことを想い出した。それと同時に、私たちが若い頃に中国古典文化に抱いていた憧憬に近い敬意は何に由来していたのだろうと対比して(私のなかの中国像を)考えたことがあった。傍らにいた、大手総合商社で世界を股に掛けて仕事をしたseminarメンバーの一人が、「具体的に接したから嫌いになったんだよ」とさっと切って捨てた言葉が、棘のように心に引っかかっている。

 現地に住まうことでいっそう親密になったり嫌いになったりすることは、よくある話し。それがしかし政治情勢と結びついてくると、「政情不安」とか「治安悪化深刻」というふうに概括される。知らない遠方の国だと余計に(わが身の裡の)「概括」が大雑把になる。その落差は、「我がこととしてとらえる」受信感度に変化をもたらす。コロンビアのことだって、姪っ子がいるからこそ私の受信機が受け止めた。ベネズエラも、姪っ子の連れ合いの仕事のカーバ範囲だと聞いていたから,辛うじて記憶にとどまっている。この、何とも固有性にこだわる受信機の性能は、いつかアフリカで研究していた日本人文化人類学者が、「言葉によるコミュニケーションは4割、後は身振り手振り」といっていたことを思い出させる。つまり、言葉による伝達以外に、その場に身を置くことによって空間が身に伝えてくる様々な情報が相まって、その土地や人のことは受け止められているのだ、と。

 もしジャーナリストなら、現場を踏めというのと同じ。現地・現場に行って感じることをしないで、何が取材よといっているようなことだ。「空間が身に伝えてくる様々な情報」って何か。それをきっちりと言葉で表すことはできない。だが、間違いなくそこに身を置くことによって感じ取れることが、ある。言葉で伝えられたり、映像で観たりする以上の何かが、ひたひたと感じられる。その身が刻んだ空間の痕跡が、起こるモノゴトを価値づけてみるときに(観ている自分の何かを織り交ぜて)皮膚感覚で感じ取っている何かが大事なのではないか。まず何より、そう思って物事を見ることが大切だと思った。 

2022年6月18日土曜日

国の事業と責任の発端

 昨日の最高裁の福島原発に関する判決は、原発の運用是非の要になるような判断であった。

《対策命じても「防げず」》《津波「想定外」国は免責》《思いもしなかった「国に動かす資格ない》

 と見出しを付けて朝日新聞の論調は、国に責任がないと判断したとして、原発の事故を繰り返さないために闘うという原告側の主張を掲載している。だが、そうか?

 論理的にはむしろ、原発の運用を国が推進することは出来ないという趣旨の判断じゃないのか,と思った。そう私が考える論脈はこうだ。

 もちろん今回の訴訟が11年前のフクシマを問題にしているわけであるから、その発生した事実に関する最高裁の判決である。まず被災者の実情や東電や国の施策。対応を子細に見つめて判断する必要がある。論理的にだけ考えるわけにはいかない。だが私にとっての「原発事故に関する最高裁判決」は、被災者に無情といわれるかも知れないが、今後のというか、今現在の国の原発推進政策に関する「司法の判断」として重要だと思う。

 この両者(3・11のフクシマなのか、現在の原発推進政策なのか)の違いは、過去に設置運用され事故に遭った既定事実としての「原発」なのか、今後も繰り返し推進運用するかを問う違いになる。つまり前者は、設置したことを問うているのではなく、運用している筋道で(国の責任を)考えている。最高裁の判決は、原発自体は他の構築施設と同じ、それ自体が問題を起こしたとはみていない。悪いのは津波、つまり大自然の脅威というわけだ。だが後者は、今後のこととして国は責任がとれるのかと考えた答えと見ている。訴訟の本筋から言えば、前者が今回の最高裁判決である。後者は、それが国の政策に与える「司法の判断」と見ている。その違いをこの新聞は一緒くたにして取り上げている。だが、分けて考えた方が良い。

 つまり後者の立場から考えると、今回の最高裁の判決は、国が原発を推進することはできないと処断したとみる。そんなことを言うと、東電だって責任を免れるのではないか。その通りだ。じゃあ、フクシマはどうしてこれほどの災厄になったのか。同じく津波に襲われた三陸海岸地方と全く違うのは、どうしてなのか。そう考えていくとこれは、別の問題を提出もしている。

 国が「対策を命じていたとしても事故を防ぐことはできなかった」ということは、いわば大自然の脅威に対していつでも備えができるわけではないということである。その言いぶりに私は、そうそうと同感している。大自然の前に私たちは無力だと考えて向き合うのが正しい。予測できないから「大自然の脅威」である。たとえそれが分かっていても、防止できないことがあることは、別に最高裁に言って貰わなくても理解できる。運不運もある。その理路は私の自然観や人間観や社会観と見合っている。

 だが原発は、大自然の脅威ではない。そもそもその出立の時点で、廃棄物の処理が十万年ほど掛けなければできないことがわかっている。ホモ・サピエンスの誕生時点に近い歴史的経過を算入しなければならない。そういう無理筋の人為的な構築物だ。にも拘わらず「安全である」と判断して原発を推進してきたのは、国策であった。

 東日本大震災と大津波が予測できない(あるいは予測できたとしても防止できない)災厄であったというのでは、国政を預けている私たちとしては、えっ? それならそれと最初から言ってよと言わざるを得ない。まして昨今の世界情勢に鑑みると、ロシアが戦争を仕掛けてくるとは思わなかったとか、北朝鮮や中国が原発を攻撃するとは考えもしなかったというのと同じだ。ひと度そういう災厄や攻撃に見舞われたら、その攻撃自体ではなく、それが引き起こす原発損傷自体が取り返しのつかない事態を引き起こす。

 つまり原発は国といえども取り扱える代物ではないよと裁決したのが、今回の最高裁判決だと言える。とすると朝日新聞は、フクシマの被害者に寄り添って「国は原発を扱う資格がない」というのではなく、原発を直ぐに止めろと判断したと(いう趣旨で)報道しても良かったのではないか。などと、訴えた当事者を離れて市井の老爺は思ったのでした。

 でもね。原発は国が取り扱う資格がないと司法が判断しても、ではでは行政も立法もそれに遵いましょうと従うか。司法って、頭が良いだけでその立場にいるんじゃないか、国民の審査も経ないで何を偉そうなことを言ってんだよ、そもそも法律を作ったのは俺たちだよ、それを無視するような判決に従えるわけがない、とふんぞり返る政治家が跋扈する国政である。司法が何と言おうが、関係ないよ。

 そう、長年国政を見てきた庶民は経験則で受け止めている。老爺はそこへも思いを致して、被災した方々を気の毒に思っている。

2022年6月17日金曜日

今朝の感懐

 朝4時前に目が覚め、トイレに行く。玄関ドアの隙間から外の通路の灯りが差し込んでいる。朝刊が来ている。ここしばらくじっくりと新聞を読んだことがない。寝床に入るのをよして、小部屋のチェアで紙面を覗く。

 アメリカのFRBが思わぬほどの利上げを発表し、紙面は、コロナ解除と人々の消費動向が変わったとスタグフレーションの気配を懸念している。不景気のままのインフレ。30年ぶりだろうか、この言葉が登場してからは。スイスやカナダなど他の欧米先進国も利上げを発表し、日本だけが低い金利を維持しようとしている。イタリアの国債金利が上がり始めて苦慮している様子も伝えられる。日銀は政府の財布、国債発行に懸念はないと気張った安倍元首相の顔が浮かぶ。日本の安定した経済状況が評価されて円高に振れているとも記事にあるが、これ以上は落ちようがない底値安定じゃないか。人々は貯金をし、それが多いから、国債発行が一千兆円を超えても平気な顔をしていられる。しかも、企業や金持ちほど金を貯め込んだり、金利の高い外貨に移転したりして利益を計る。つまり従業員の給料に回らない。経済的な成長が国民生活の豊かさに結びつかない。非正規雇用ばかりが増えて、不安定な暮らしの庶民は物価の高騰に齷齪(あくせく)しなくてはならない。

 そう言えば円安もあって、ガソリン価格が鰻上り。ま、うちの「軽」では今満タンにしてもせいぜい10㍑程度しか入らない。慌てて入れても50円程度の違い。でもそう考えるのは「値上げ許容度が上がってる」って、黒田日銀総裁にはいわれるのだろうか。

 インドネシアが議長国のG20にロシアを招くかどうかも記事になっている。外交で点数を稼ぎたいインドネシアのジョコ大統領はロシアも構成国だから招き、当事国のウクライナ・ゼレンスキー大統領も招いて、ウクライナ戦争の落とし所を探ってみようと考えているらしい。だが、アメリカはじめ欧米諸国は反発する。議長国は調整に乗り出しているというが、ロシアに出席を遠慮しろというのだろうか、それとも「停戦」をG20で決議しようと裏工作をしているのだろうか。

 その脇に、《習氏「国際人権闘争 展開を――米欧優位の価値観へ対抗》と主席が指示したという記事が並ぶ。欧米流の民主主義概念に対抗して中国は、治安と暮らしの安定を軸にした「民主」主義を専制的に進める統治を打ち出して胸を張った。中国流の「民主主義」理念を対置しようという前のめりのイデオロギー闘争だ。いかにもアメリカに取って代わる意欲を理念的にも先導する意気込みだが、ヨーロッパはどう応じるだろうか。「それぞれの国の実情に応じた民主主義がある」と中国の意向を記事は解説する。

 つまり中国は、主権国家概念をきっちりと打ち立てて、主権国家の枠を超える「グローバルな民主主義」とか「グローバルな人権」概念はないのだと、自国統治の自律正統性を普遍化したいらしい。19世紀にヨーロッパで打ち出した(国境を越える)「人権概念」を、もう一度主権国家の枠内に戻したいというわけだ。これが、主権国家を単位としてではあるが、冷戦後のヨーロッパで東側から「解放」された国々の人々が味わっている「自由」「人権」とどう論理的に争うことができるだろうか。また中国のそれは、自民党が「公共の福祉」を媒介にして主張してきた「権利概念」と同じニュアンスだ。中国の人権概念に対して自民党はどう応じるだろう。

 参院選の企画記事が載り始めた。《予算に賛成 「野党像」崩す選択――「政策実現」与党と結託してでも》と見出し。国民民主党の今国会の振る舞いを俎上にあげている。

 子細に読む気はしないが、単なる野党であるよりも、みんな自民党の派閥として活動した方が「政策実現」の可能性は大きい。もう、参院がなぜあるのか、誰も問わない。理念が行き渡ったというよりも、どう言ってもどうにかしようという気配もうかがえないのが、今の国会とか政治。言ってもしょうがないことは、もう言わない。どうでもいい、と私は考えている。野党も与党も、国会議員ってヤツはと思うが、投票にだけは行くという戦後育ちの癖が抜けない。

 知識人の中には、「日本国憲法2・0」を謳って大真面目に参院の大改革を考えている人もいるというのに。そういう言説も、もう、取り上げて論議の対象にする舞台もないのではないか。私ら市井の民からすると、そういう舞台を整えて、学者知識人の知恵を吸収し集約する舞台をこそ絶やさずにいてほしいと、政治家に望む。与党も野党も同じ穴の狢。ならばせめて、広く日本の知恵を闘わせて政策に仕上げていく舞台こそが、あらまほしき姿と思う。運動的民主主義だ。

 別の紙面には「10増10減」と決まったと衆議院の選挙区の変更が伝えられている。そうか、小選挙区制にして二大政党制に持っていこうとしたことが現在の結果だ。国民民主党の振る舞いは、二大政党制ではもう、民意を反映することはできないという証しなのかも知れない。そう言えば、「維新」が支持を伸ばしているのも、自民党もイヤだが、立憲民主党も共産党もイヤだという「世論」があるからだ。つまり二大政党制は失敗だったと見極めて、全政党が自民党に入って派閥として動いた方が「実質」が見込めるってことか。

 高度消費社会の人々の暮らしが動物化したといわれるように、暮らしの安寧が確保できれば、文句言うことはあるまいと習近平の専制主義は言うであろう。似たような統治センスを持っている自民党も東アジアの同じ穴の狢か。グローバリズムがすでに破綻したと見きれば、小さな主権国家単位の保護膜の論理で一貫できるのに、中国は市場を席巻する経済的な勢いで、グローバリズムを取り払えない。日本の為政者も、先進七カ国の名にかけても昔の夢よもう一度と、相変わらずの振る舞い。

 これも、日本の人々の知恵知識を結集するって場を整えず自然(じねん)のままに放置して、上昇過程にあった経済的勢いと緩い政治的安定に寄りかかってきたツケが回っているってところだね。誰か本気で、どうしたものだろうと考えてくれているのかね。事実も知識も、みな分節化してしまって、それぞれの分野でたこつぼを掘って自足しているんじゃ、何のための学問よ、科学よ、知識人よ、専門家よと愚痴が口をついて出てくる。

 朝の感懐としては、ちっとも清々しくない。カーテンを開けるともう外は明るい。曇り空。気温ばかりが高くなると予報が聞こえてくる。本格的な夏になる。

2022年6月16日木曜日

躰に聞け

  四万十川の探鳥の旅が終わってから一週間になるが、躰の強張りと肩甲骨の張りが収まらない。もともと体が固かった。肩甲骨と肩の張りは昨年の事故の置き土産のように続いていたから、今更といえば言えなくもないが、今更そう感じるのは、やはり鳥観の合宿3日間が響いている。ことに肩甲骨の張りは、事故の置き土産の張りとは少し箇所が異なる。肩甲骨の下の方、どちらかというと肝臓が傷んでいるのかなと思うほど。お酒も止めてみたり、湿布薬を貼ったり、リハビリに行って症状を訴えて手当てをしてもらったりしたのに、収まらない。

 疲労がこのように長引くのは、古稀を過ぎてからよく見られるようになった。若い頃には疲れが直ぐに現れて、足腰に痛みを感じたり、攣りそうになったりした。その痛みを感じ取るのが鈍くなり、疲れが体に沈潜するようになったと考えている。近頃は「80歳の壁」というフレーズも目に止まるようにもなった。

 痛みは回復過程で起こることと私はみている。疲れも、内臓の機能的な低下からくる疲れと怪我や打ち身などの神経系や筋肉疲労からくる疲れとは、身体内部での伝達次元が違うと思うようになった。内蔵機能の低下から来る疲れの方がより深い次元にある。それは回復程度の違いにもなる。そう感じている「わたし」とは「わが心」であることに気づいて、わが身の裡の「疲労」の伝達経路のメカニズムが浮かび上がってきた。

 つまりこういうことだ。動いたり人やモノゴトと関係を持つことによって生じる刺激が疲れと感じとるのは、わが「こころ」。つまり、身の裡側からの変異の模様を伝える情報を統括的に(内部・外部との関係において)受け止めている「関係感知センサー」が「こころ」だ。痛みや傷み、強張りや張り、内蔵機能の調整がうまく働いている/いないなどを、循環器や呼吸器・消化器・排泄器、あるいは神経系などを通じて伝えられる時々刻々の情報が、「からだ」のどこかで集約されて「痛み」や「傷み」・「疲れ」、あるいは「心地よさ」として感知する。その生理的・物理的変異を集約するどこかを私たちは「こころ」と呼んできたのではないか。つまり「こころ」は、わが身の総合的感受装置であり、それは同時に、わが身を社会関係に置いてみる時には、(外部との)「かんけい」の感受装置となる。その装置が「あたま」にあるかどうかは、どうでも良い。

 ただ、伝達感度が鈍くなるのか、感度が鈍くなるのか分からないが、歳をとると生理的・物理的な伝達能力が衰えてくる。例えば近頃感じるのは、水分摂取に関してわが体はずいぶん鈍くなってきた。喉の渇き、汗の掻き方、外気温の感知、排泄の不得要領などに、まず現れる。

 若い頃は、それらを気にしたこともなかった。喉が渇けば水を飲めば良かった。水を飲み過ぎれば、飲んだ先から汗になって流れ、身の疲れがぐっと感じられて歩けなくなったこともあった。今は1日経ってはじめて(おやっ、昨日は)水分摂取が足りなかったのかなと思うように便が硬くなる。ときに便秘気味になって悪戦苦闘するようにもなった。寒暖差も感知能力が鈍くなり、すっかり冷え切ってから薄着であったと反省するようにもなった。

 その鈍くなったツケは、では何処へ行くのか。内臓の機能不全になっている。あるいは歯の不安定に結びついてくる。「こころ」はしかし、統合的装置だけあって、なにがしかのサインを発している。お遍路では「飽きた」ように感じた。疲れが溜まっているんじゃないかと思うようなダルさとか、つまんないなあと思ってTVドラマを観るのをよしてしまうようなことだ。逆に、「合宿」とか「会食」などになるとつい我を忘れて飲み過ぎたり食べ過ぎたり無理をしていたりする。これもわが「こころ」の関係感知能力が然らしむるところ、たぶん、おしゃべりをしてわいわいと時を過ごすことを躰が求めていたのだと受け止める。「己の欲するところに遵いて矩を越えず」と思っているが、未だそこまでわが身の自然が出来上がっていない。あとで、ツケが回ってくる。翌日をボーッと過ごす、あるいは、一週間経っても疲れが抜けず、リハビリに通うようになる。

 歳をとると躰に聞くことが多くなる。「体」と表記する時は物理的なボディを意味するニュアンスがある。「身体」と表記すると身と心とを分けて考えている感触がこもる。日本語の「身」には、生きて活動している「からだ」、つまり、心身一如という感触が込められている。だから私は、その意味を込めて「躰」という表記を用いている。

「己の欲するところに遵いて矩を越えず」といえる躰であってほしいと願う。できうるならば「意思」の作為を用いず、身と心とが符節を合わせて衰微していって、ほどよいところで「矩を越えず」と運んでほしい。そう願って、今日もリハビリで解(ほぐ)してもらってきたところだ。

2022年6月14日火曜日

啓蒙主義がキモい

 カミサンが見ていたTVから何かを解説する聞き覚えのある声が聞こえてくる。池上彰だ。この声を聞くと私は、イヤな気分になる。どうしてなのか考えたこともあったが、啓蒙的だからイヤだという以上のことへ思いを進めたことはなかった。

 昔の自分を思い出すから(イヤなのだ)という風に考えたこともあった。だが、その昔というのは、半世紀以上も前のこと。今に尾を引いているとは思えない。

 そうだ、日本会議や日本共産党の人たちも同じような啓蒙主義だからか。それがイヤなのは、自分たちは真実を知っているが他の人たちはそれを知らないというスタンスが、初手から組まれているからだ。日本会議の櫻井よしこがそうだ。共産党の論調がそうだ。いや、それだけではない。日本の為政者たちは大体みな、啓蒙主義的スタンスをベースにしている。もちろん一括して為政者といってしまうと、中央政治と地方政治も違うし、政党によっては啓蒙主義の度合いに違いもあるように感じる。だが、ま、概括為政者と言って良いであろう。

 でも、自分の知らないことって結構あるじゃない? それを教えようってんだから、啓蒙も必要なんじゃないか? と別の「わたし」の声も聞こえる。そうだ、その通りだね。じゃあ、「啓蒙主義」って何よと、啓蒙と分けて、もう少し子細に踏み込む。

 人々の知らないことを伝えるってのも啓蒙とはいう。伝える方とその受け手との間を伝わっているものを「情報」と呼ぶと、啓蒙というよりは情報をオープンにするといった方が良い。つまり「啓蒙」と呼ぶと、単に情報を伝えるというのではなく、その情報を読み取る文脈も合わせて伝えている。伝える方が優位に立ち受け手を劣位に置くことが前提にされている。価値づけて伝達するのが「啓蒙」である。

 池上彰は、しかし、メディアのジャーナリストとして情報伝達しているだけなんじゃないか。番組をよくみると、いろんな立場を紹介しているじゃないか。

 では、ときどき池上彰とコラボしている佐藤優もイヤな啓蒙家かというと、そう(私)は感じない。何が違うか。佐藤優を私は、専門家だと思っている。ロシアや外交の専門家であり、かつ彼自身の出自(自己形成)が奈辺にあるかを、わりと子細にオープンにしてきている。専門家というのは、それ自体が身を限定している(と聞く方が見ている)。つまり自己を対象化しながら、主義主張の根拠を解き明かそうとしている。まさしく、佐藤優が自らの言葉で語っていると感じ取れる。

 そうか、池上彰は、いろんな立場を紹介するってワザを通じて、じつは自らの痕跡を消しているのだ。ジャーナリストの悪癖ってことか。池上が語るという固有性を消すことによって、じつは「真実」を語っていると偽装しているように響くわけだ。そう言えば、櫻井よしこも似たような語り口だが、池上と違って、自分が重心を掛けている地点を旗幟鮮明にしている。彼女の語りを受けとる私は、なるほどそういう視点で見てるんだと彼女のいわんとするところをわが「せかい」に位置づけることができる。だからイヤと感じるのとは異なる。私とは違う地点に立っていると思う。

 だが池上彰は、今風の若者言葉にすると、キモいのだ。じゃあお前さんは何処に足場を置いてんだよといいたくなる。「真実」を語りながら、自分の立ち位置があたかも超越的なところにあるかのように偽装しているんじゃないか。そういう透明人間のような、別様にいえば神のような視線がキモい。

 池上彰も櫻井よしこも中央政治にかかわる為政者たちの言葉をも啓蒙主義的だと一括するのは、彼らが「国民の代表」のような普遍的な立場に立っていると偽装していると感じるからだ。だがそもそも(誰でも良いが)、日本国民を代表するってことが、できるのか?

 自分が意図していることになにがしかの真実があると思わなければ、為政者ならずとも市井の人々に訴えることはできない。それは確かだ。だが、なにがしかの真実という限定とか、「わたし」の考える真実というニュアンスは、「わたし」を対象化した後に語り出されている。つまり私は真実と思うという根拠をオープンにして、あなた方がどう判断するかを聞かせてよいう遣り取りこそが、今の情報化社会において相応しいと「わたし」は感じている。

 だれもが考える「国民の代表」という「真実」は、今の情報化社会には成立しない。いやそもそも「国民の代表」ということは成立しないから、部分的な代表という意味で「パーティ(部分)/政党」が成立したんじゃないか。そのパーティの協議を通じて(つまり議会として)より「国民の代表」に近づくという理念であった。ところが現実の政党政治は「協議」よりも主導権争いとして現出し、政権を取ったところが「国民を代表する」ことになって、現在の状況に至っている。そもそもの理念がタテマエになり、ホンネが潜行するようになった。

 そこへ30年ほど前から社会が、ITによる情報化社会へと変わってきた。マス・メディアで集合的に(政党の数ほどに)集約されていた「世論」も、情報化の個別メディアでは情報受容者の数だけ「世論主体(複数)」が立ち上がり、とうてい政党の数に集約できる状況ではなくなった。政党関係者や日本会議の人たちは(国民形成しなくちゃならないと)ますます声高になっているが、それは啓蒙主義的にはもうできない時代といわねばならない。オープン・ガバメントとかオープン・ポリティクスの時代がやってきているのである。

 ウクライナもそうであった。今年の2月24日までは、親ロシアか親EUかをみても、軍事的な力を借りなければ一つにまとまることもできない。全体として(国民のアイデンティティは)ばらばらの高度消費社会であった。2014年にロシアがつけ込みクリミア半島をロシア領にしてしまったことにも、ウクライナは手が付けられなかった。

 日本も似たような状況と考えられる。どこか他国が戦争でもしかけて来れば一挙に民族的な心情にまとまるかもしれない。それがない状況では、ロシア侵攻前のウクライナと同じだ。とすると、ウクライナが現在戦っている程度に日本が備えるには、何に力を入れておく必要があるか。そう考える必要がある。マス・メディアも為政者も、もっぱら外交と軍事力の備えを解いている。

 だがそうか。社会を護るに値すると感じさせる土台を培うことじゃないか。そう感じさせる時代的な体験を、より多くの人たちで共有することではないかと私は思っている。

 私たち戦中生まれ戦後育ちの世代は、文字通り善し悪しを別として、時代の共有感覚をもっている。敗戦後の混沌、経済を中心とした貧窮からの脱出、高度経済成長を経て、一億総中流の時代である。今、その同世代でseminarを行っていて感じるのは、「豊かな共有体験」というよりも、豊かでなくとも時代を共有してきたという感覚の共通性である。

 幸いなことに、あのバブル経済の1980年代に、人の有り様の多様性が噴出し、あるいは多様性を感じ取り、将来的な「有り様」を模索する必要を多くの市井の人たちが感じていたと私の身は刻んでいる。それが崩れた後の「失われた*十年」の間に、多様性に自己責任が重なって大きな格差社会へ移っていった。人の能力が経済活動に資するかどうかに狭められてしのぎを削ることになっていった。自殺者も増え、社会は緩やかにバラバラになり、やがてボロボロになる気配を宿し、社会の(同時代を生きているという)一体感が失われてしまっている。これでは、護るべき社会の土台が腐ってきているといわざるを得ない。為政者たちの(議会という狭い世界の中での)振る舞いもまた、目を背けたくなるほどの頽落をみせている。外圧を期待して一体性を図る前に、まず土台の立て直しに力を注いで貰いたいと思う。

 啓蒙主義から逸脱して土台の再構築へ話しがいってしまうなんて、池上彰も驚くような展開だが、ま、それが市井の年寄りってものよ。

2022年6月13日月曜日

聖書の民と混沌の民

 1年前(2021/6/12)の「言葉というヒトの悪い癖」を読んで記す。

 言葉で切り分けてはじめて「せかい」が起ち上がるというのは、「わたし」からするとわが身の意識的実感である。「聖書」はそれを神が語るかのように(予言者の言葉として)著した。つまり超越的視点をもってわが身を対象化して語っている。「太初(はじめ)に言(ことば)ありき」と呪術的に記すことによって、「わたし」の意識的実感を「神」が語るという詐術的舞台へ惹き込むロジックを用いている。

 それに対してヒンドゥの乳海攪拌は、まずあるものとしての大自然を与件としている。つまり「わたし」の意識が生じたときすでに絶対的大自然の中に置かれている。それを語り出すことはできない(混沌である)として、それを分節化して「せかい」が語り出されてくるという展開である。ヒンドゥには呪術的(論理/ロゴスのねじれる)展開はない。

 この両者の違いが、ヒトが「せかい」に立ち現れる主体性の差異の根源にかかわっている。「聖書」の民は、恒に神の目を持って「わたし」を見る。大自然との関わりも「神が与えたもうた正統性」を出発点とする。だが「混沌」の民は、「混沌」からどれだけ「せかい」を曳きだしたかによるという主体性を立てている。つまり「わたし」の実存の正統性はわが身が言葉によってどれだけ(母体である)「混沌」から「せかい」を取り出すことができたかという「自己責任」を起点とする。

 この両者の主体性には、二つの大きな差異がある。

(1)聖書の民は「神」がすべての根拠。つまりあらゆることに「正」がある。その反照として「邪」もある。したがってヘーゲルのように弁証法という論理を打ち立てなければ、それをかき混ぜることができない。ロゴスが不可欠である。

 だが混沌の民は、正邪がどちらか分からない中動態を起点においている。然るべく自ずからなるという成り行きが(敢えて言えば)「正邪」となる。それは「わたし」がどう感じ受け止めるかによるところまで「主体」が「わたし」にあることを意味する。意識のさらに奥底に感性に起点を置く。ロゴスを必要としない。

(2)聖書の民は従って、自身が自然的存在であることに(「わたし」の実感を根拠に据えるにも)「神」の正邪観念を持ち出さなければならない。それもあって、聖書の民は、自然哲学と神のロゴスとの折り合いをつけるのにずいぶん長い年月を掛けることになり、いまでもその調整に苦しんでいる。それはヒトが「せかい」において特権的に振る舞う地位を捨てようとしない姿を象徴している。

 それと逆に混沌の民は、超越的視点を身の裡に取り込むのに、人生の遠近法的消失点を据える必要があった。宇宙的な視線がそれに代わるところもある。遠近法的消失点は「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是」とみて、ことごとく「空」という視線で受け止めることが「せかい」の真理という。これは(言葉によって生じる)世俗の四苦八苦を超えていく「教え」という程度の軽さで受け止められているが、しかし、「せかい」を大自然に置いてみると「空」であり、すなわち「わたし」はほんのちっぽけな存在、「空」とみることで人間の特権的な立ち位置をマクロの遠近法的消失点において大自然と同化させる。自己否定の視線でもある。

                                    ***

 上記二つの差異が、もう一つもたらす感性や思索における違いがある。身をどう捉えるかということ。混沌の民は、乳海を攪拌して取り出してくるすべてのものが、身に刻まれて受け継がれているとみている。むろんまだ乳海から取り出されていない「混沌のまま」の未知の世界が遠景に広がっていることも感じている。無明である。

 だが聖書の民は、「神の言葉」に擬した「わがロゴス」に縛られて「世界」を限定してしてきた。だからそこからの離脱に、デカルトやカントやニーチェの跳躍的足場を必要とした。そのときにどれほどの(生命体的)痕跡がわが身に受け継がれているかを話題にするには、ダーウィンやフロイトのロゴスを経由する必要があった。

 前者の「(身に)感じている」ことが、いうならば市井の民においては、広く共有される感覚である。それに対して後者のロゴスは、いうならば少数の知識人の駆使する領域のこと。だから、市井の民の次元、つまり(身の)感性の次元で受け止められる「ロゴス」は聖書の民として身に刻まれ培われた意識。かくして、「ロゴス」は「神の言葉」に置き換えられ、「人間の特権的な地位」が前面に現れ、トランプの煽動に応じて昂奮を高める。市井の聖書の民の自然である。

 ヒトの意識の根柢には、まず世界から感性が受けとる茫漠とした刺激がある。その感性を「わたし」が感じている「せかい」の「かんけい」に位置づける「こころ」の作用があり、それを経過してはじめて、茫漠たる刺激が言葉として取り出され鮮明な意識として浮かび上がる。聖書の民の末裔である欧米の知識人の「ロゴス/理性」は、さらにそれを吟味検証して作り上げられて科学や哲学として言説舞台にのぼる。その「ロゴス/理性」と「こころ」の齟齬を、学問的世界の主流において(世の東西を問わず)知識人はロゴスで語ろうと意を尽くしているが、市井の民は「こころ」のままに受け止めて「わがせかい」として理解している。

 そのとき、聖書の民の(トランプ的)振る舞いと混沌の民の(「空」的)振る舞いとは、決定的に異なってくる。その違いがかたちづくる空間の差異こそが、身を置くに心地よいと「わたし」が感じる大きな違いになっている。

2022年6月12日日曜日

為政者の怠落とは何か

 一年前(2021/6/11)の記事「枯れ木も山の花咲か爺い」を読んで記す。

 この記事には間違いがある。自分のことも「花咲か爺い」に擬しているが、「花咲か爺い」は五輪主催機関のこと。私ら年寄りは爺さんが撒く「灰」だね。ま、どうでも良いことですが。

 ただ昔話と違うのは、撒かれる自覚がなく、自ら撒いてくれと身を投じているニュアンスが強いことだ。これって、資本家社会的自由社会のモメントが作用しているからだろう。つまり(灰である)顧客がその気にならなければ、モノは売れない。商売で花を咲かせようと売る方は、広報メディアを通じて人々の欲求をかき立てる。五輪主催機関も広報戦術を大手広告会社に丸投げしていたようだから、商売同様に「世論誘導」をして、人々の「状況論的移ろい」をつくって引っ張ろうとしてきたわけだ。

 政治の方も、全く同じ次元で発想して「世論誘導」しようとするから、顧客をその気にさせる最終場面ばかりに眼が行って、「世論」の起点になる「理念」が抜け落ちる。ご当人は抜け落ちているとは思っていないのかもしれないが、「五輪は平和の祭典」などと顧客の誰も思っていない。スポーツが政治と切り離されている(べき)ってことも、ほぼ信用していない。単なるタテマエ。本筋では税金を注ぎ込み、選挙の票に結びつくエンタメと考えているから、密に群がる蟻のように政治家が押し寄せて、くちばしを突っ込んでいる。

 商売の売らんかな精神と政治の「世論誘導」とが同じ次元ですすめられているということが、現今日本政治が貧相になる根源かも知れない。理念はすっかり後退し、一つの社会に身を置く人々が安寧に暮らす土台を整えると考えれば、まず暮らしの最低限を保障することのできる政治を見落とすわけにはいくまい。「分配に力を注ぐ」「新しい資本主義」と登場した岸田政権が出立できたのは、自民党政治に呆れかえっていた一年前の人たちの「期待を繋いで」いたからだと私は思っている。そして、岸田政権の、何の説明もしないが何か考え中のようにおどおどして「検討します」「考えていきたい」というリップサービスに、まだ「期待を繋いで」いるから、支持率が菅政権ほどには下がらない。むしろ(最初の低い支持率よりは)上がる結果を招いている。

 一年経とうとしている今、岸田政権の実際的施策が単なるリップサービスにしか過ぎないとみえ始めている。ただ、ウクライナの戦争が目を引き、気を持たせているから、内政がどうなっているかに「世論」はさほど目を向けていない。いや「世論」というよりも、マスメディアかインターネットの話題なのかもしれないが。

 社会と国家は別物という私の心裡の区分けは、為政者の怠落に愛想を尽かしているからだが、なにを「怠落」と感じているかを考えてみると、「理念の欠如」。資本家社会的なセンスばかりが為政者の胸中を覆い、経済の活性化という言葉で企業収益と株価の上昇と投資の奨励に力を入れ、物価と円相場とで一喜一憂して、策を講じる。その間に、社会がどれほど疲弊していっているかに目が届かない。せいぜい選挙向けの弥縫策ばかりが提示される。そこへ踏み込むには、きっちりと目を向けて対応しているという理念が必要なのだが、マイナンバー一つとっても、「奨励金」を振る舞って登録を誘導しようとするばかり。健康保険とか、税金の徴収にマイナンバーを用いるという当初の趣旨がどこかへ行ってしまうのは、マイナンバー制度というインフラ整備を商売のように考えているからだ。

 そういう日々の施策が「理念」に裏付けられて施行されていると感じられるような政治家の言葉は、外交と防衛問題でしか現れない。これじゃあ、私たちの暮らしに結びつく社会の暮らしを整えることにどれだけ眼が行っているのかわからないじゃないか。そう感じる心持ちが、政治に愛想を尽かして、わしら知らんもんねえと思う所以だ。

2022年6月11日土曜日

人との向き合い方

 6/4の「始末に負えない」で記したことだが、廃油処理をしようとディーラーやガソリンスタンドを訪ねて応対してくれた人たちの丁寧であったこと。まるで廃油処理設備がないことを申し訳ないと謝るような気配に感心したのだったが、旅の往き来に読んでいた本の中で二人の哲学者がこんな話を交わしていたので、ちょっと見方を変えた。

    《K ……学生に接していると思うけど、本当にビクビクしている学生は多くて、人と違うことをなかなか言えないんだよね。/C 本当に遠慮しますね。ゼミみたいな空間でも他の人に異論を言うとかできない。異論を言ったら人を傷つけるんじゃないかと思っちゃうんですよ。》

 もうかれこれ十年も前になるが、同じような場面に私も遭遇したことがある。持っていた大学講座の教室で、一人の学生の発表に対して質問をした学生に、他の学生が(批判的な質問をするのは失礼じゃないか)と「(授業後に提出する)リアクションペーパー」に書いたことがあった。教室の質疑や論議がイケナイというのはどうして? 論議や遣り取りこそが、大学の教室の本命じゃないかと次の時間に私が問題提起して遣り取りをしたことがあった。人を受け容れるということと質問・批判をするしないということとは別物じゃないか。意見の相違を明らかにして何処が、なぜ違うか、共通のベースは何処かを探ることが社会関係の第一歩。それを公に遣り取りできるのが大学の教室という空間だと私は(質疑を押した学生をかばうように)展開した。そのとき「それはよくない」という学生たちの(他者の受け止め方に対する)頑なさにちょっと呆れた覚えがある。

 上記の本でそれをKは「同調圧力が強い」と受けとっている。だが、Cの言い方からすると、「忖度配慮が強い」といった方が正確なのではないかと私は思った。

 つまり、私に応対したディーラーやGSのスタッフは、廃油処理を頼みにきた顧客に対して「できないと断る」のは「異論を唱える」のに等しい、即ち顧客を傷つけてしまうと受けとっているんじゃないだろうか。これは、「同調圧力が強い」というより「忖度配慮が強い」。同調圧力というと、空気を読めないとか読まないという多数派側からの強要するトーンが滲んでいる。多数派が成立しているという前提がある。が、「忖度配慮」というと、むしろ主体側が用心して身を護ろうとするニュアンス。つまり相手が多数派かどうかに関わりなく、何を考えているか分からない。「断る」という行為が即ち顧客を否定するトーンを醸すことへの警戒感に変わる。むろん街場の遣り取りと大学の教室のそれを同列に論じるつもりはないが、街場の方がより過敏に顧客に対して忖度するとみた方が良いだろう。

 そう考えると、安倍政権のときの財務省高級役人の「忖度」も、その役人の主体的な判断であり、そんなこと要請もしていないし期待してもないという安部宰相の受け止め方も、自然なことだとみることができる。これも、街場と議会とか行政府という公的な責任が問われる場とを一緒にするわけにはいかないが、関係的主体の時代的気分としては同じような社会的気風といえよう。つまり、今の日本社会そのものに今、大きくそういう対人関係をビクビクしながら受けとる気風が覆っていると言えるのかも知れない。

 それは異質な他者に囲まれ、「忖度配慮」が行き渡る関係こそ、穏やかに(その場をやり)過ごすことのできる社会的環境をつくると身が反応していると言える。他人と感性や感覚、意見が違うってことは百も承知。まして他人のそれらを自分のそれらと噛み合わせて互いの考え方の変貌を図ろうとするなどは、烏滸の沙汰。よほど親しい人との間でなければそんなことはできないよというのが、今風の対人関係感覚。それの表出なのか。

 同調圧力が強い(とイメージする原型の戦前的社会)というのは、人の集団がある種の共通感覚に満たされている(文化的主導権が確立している)ことを前提にしている。だが、今の気風はそうじゃない。人はみなバラバラ。異質な他者から自らを護るために忖度をする。社会そのものが、共通の気風に満たされているからではなく、みな異質だと受けとるから用心しなくてはならない。廃油処理を頼みに来た年寄りが「(処理を)やっていない」と断られたことに腹を立てて、どんな乱暴を働かないとも限らない。それにはまず、へりくだって、平身低頭「やっていなくて済みません」と謝るに若くはないってことか。なんだただの身過ぎ世過ぎの手管ではないか。感心する話しじゃなくて、嫌な時代になったと思うようなことだね。

 上記本の対談者たち(たぶんアラフォーの)二人は、専門知を積んでいくと「キモくなる」と表現して、多数派から孤立することを厭わない心持ちが必要だと展開しているから、その論旨そのものは私の世代の心情と見合う。好感が持てるこの人たちのセンスは、どこで世俗の人々の「忖度配慮」と分かれてきちゃったんだろう。そこが、面白そうだ。

2022年6月10日金曜日

中央権力の揮いどころ

 1年前(2021/6/9)の記事「デジタルの臨界点」を読んで考えたこと。

 上記記事の最後に、デジタル化に適応しないお役所を皮肉って(笑)で締めくくっているが、マイナンバーカードを今年中に普及させるために全力を挙げるという政府の方針を耳にすると、おいおい、大丈夫かよと心配になる。笑っていられない。

 コロナの市中感染を早期発見する方法として厚生労働省が推奨したCOCOAは、アプリが今でも私のスマホに残っているが、一度も作動したことがない。それどころか、このアプリが使えないというメディア情報は目にしたことがあるが、それがなぜか、その後どうしたのかを政府も、マス・メディアを通しても聞いたことがない。だから勝手に私は推測しているが、政府首脳はデジタル庁をつくったり、掛け声を掛ければ全国がたちまちデジタル化するとでも思っているような「中央集権感覚」がある。たぶん明治維新の頃の中央政府の感覚と大差ないのかも知れない。

 だが、依らしむべし知らしむべからずセンスの中央集権感覚は、私たち庶民の間では第二次大戦でほぼ完全に崩壊した。中央政府を信用しなくなった。じゃあ地方は自律したか。そうはいかなかった。まず財源がない。GHQを経由した援助や経済の立て直しも、すべて中央政府を経由してであったから、中央政府がセンスをあらためない限り、地方の自律は口先だけになった。今でも厚生労働省ばかりか中央政府の省庁は(総務省も含めて)、行政基準はことごとく中央が示してやらなければならないと考えているかのごとく、地方行政のひとり歩きを制約している。まるで中央政府の「利権」を守る如くに、地方を縛り付ける。たとえば、感染拡大の日々の情報をFAXで送信しろという「文書主義」が法や省令によることであったと、これまたコロナを機縁に明らかになったではないか。つまり、中央政府が地方の自律を邪魔していることに気づかない限り、「中央集権感覚」は改善されない。

 デジタル化という文化的な改変はは、アナログ文化を総ざらいするように洗い直してはじめて、システムの改変を達成することへ向かう。それなのに、一つ一つ行政組織の「断片」に対して「命令」を行って換えていこうとするのは、その進行がまだら模様になるばかりか、ちぐはぐして「断片」部分で齟齬を来す。手間暇が余計にかかるようになる。その結果、人々は「何やってんだ、役人たちは」と不信を募らせ、政府の大号令に従わなくなる。

 明治維新後は、しかし、江戸時代の中央と地方、地方政府(藩)と各地集落との関係を、一挙に中央に集中しようという過程であった。つまり江戸時代の法が、地方自治感覚がそれなりにあった。それは地方のことは地方で決めるセンスだから、維新後は力で以て「中央集権感覚」を整えらる必要があった。

 ところが戦後、GHQの指示で「地方自治」が導入された。敗戦を承知で戦争に突入した中央政府への不審が最大値に達していたわけだから、そのときこそ、地方自治へ切り替える好機であったのに、「中央集権感覚」が抜け出そうとしない中央政府は、総務省を設置して地方自治のふりをしただけ。「指令は中央、責任は地方」というのが(市井から見た)「地方自治感覚」であった。

 ひとつ岡目八目でいうと、「教育の自治・自律」だけが辛うじて地方自治的に遂行された。だから戦後の「教育改革」で、後期中等教育(高校)のアメリカ風小学区制を採用した県と相変わらず旧制中学感覚で立て直した県とが西と東で大きく分かれる結果にもなった。

 話しを元に戻す。全国の行政を(中央・地方をまとめて)デジタル化することは、中央集権政府が唯一強権的に実施しようとしたら、容易にできることである。財源さえ保障すれば、地方も同調することは目に見えている。ところが、それができない。権力をふるうって、こういう場合にすることだろうに。省庁の蛸壺型自立が邪魔をしているのかも知れないが、だとしたら、デジタル庁をつくっても、それは腰砕けになる。その実現もできないで、マイナンバーだけを今年中に普及させるって、一体中央政府は何を考えてるんだ。

 自分の姿が見えていないってことが、最大の瑕疵だと思う。安部・菅政権のときもそうであった。岸田政権は「検討したい」と耳を傾けるリップサービスばかり。これでは「中央集権感覚」の体質を保持している省庁の「我が儘状態」はかわらない。マイナンバーっていうより、マイメンバーをしっかりと掌握して、ふるうべきところで政治権力を揮いなさいよと(笑)抜きで、思う。

2022年6月9日木曜日

先達の合宿を門前から覗く

 2泊3日の旅から戻ってきました。今回は、ヤイロチョウを見る旅。高知県の四万十川に流れ込む支流の一つである梼原川の中流域にある「ヤイロチョウの森」を、端から端まで歩き回る。参加者はどなたも鳥観の達者ばかり。門前の小僧である私が同行できたのは小僧の師匠のおかげ。

 6日に羽田を飛び立ってから8日の夕方羽田に帰着するまでの「合宿」という感触。早朝4時頃から夜9時過ぎるまで全力を尽くして探鳥してまわる。門前の小僧からすると鳥を「観る」と思っていたが、まだ薄暗いうちからの、まさしく「探鳥」。耳で鳴き声を聴く。アオバズクやフクロウという夜行性の鳥ばかりではない。早朝の森を歩くとそちらこちらからいろんな声が聞こえてくる。トラツグミやアカショウビン、サンショウクイに混じってヤイロチョウの「ピフィ、ピフィ」とふた声ずつ続けて鳴くのを聞き分ける。

 いや早朝ばかりでない。日中も、聞き分けるだけではない。驚くほど頻繁に、鳥の名を口にして周りを見回す。双眼鏡を目にあてる。細かい声が届いているのだ。いや私が耳が遠くなっているだけと思うが、この達者たちが歩みを止めて耳を澄ますのに歩調を合わせて立ち止まると、聞こえるものが聞こえる。ということが分かったのは、3日目の早朝。まだ暗いうちから森を歩いていたときの賑わいは、酉の市って風情であった。

 子細は折りあらば記すかもしれないが、今は総括的な感想。すっかり草臥れた。20kg超の荷を担いで飯豊山を縦走した後に感じた躰の強張りと肩の張り、水の摂取に失敗したような感触が、今朝も残っている。これがひょっとすると、齢80の躰って奴か。探鳥の関して私は、相変わらず門前の小僧だが、この身体状況では、門内にはもう入れない。

 だが、この探鳥の達者たちと行を共にすると、わが身の現在が浮き彫りになる。そればかりか、この先せめてこのくらいは保ち続けなきゃならないなという2年先の目標モデルにまで再会する。さらにこの人たちの話しを聴いていると、一回り年上の方が元気でまだ探鳥を続けていると聞いた。とてもこの先12年は生きられないから、現実目標にはほど遠いが、その方が未だに、この達者たちから敬意を受けながら親しみを感じる存在でありつづけていると知って、ただ単に探鳥だけではなく、生き方のモデルになっているのだと思う。

 行き帰りに機内で読んでいた本『言語が消滅する前に』(幻冬舎新書、2021年)の一節が思い浮かぶ。若手の哲学者二人の対談。専門的に何かを深めると「キモくなる」と言い合って、普通の人から「浮く」が、それはそれで悪くないと共感している対談。キモくなるほどモノゴトを深めるくらいの領域にまで突き詰めた人たちなのだ、この鳥観の達者たちはと思う。

 鳥だけに偏っているかというとそうではない。道道の植物に目をこらし、水溜まりに潜むイモリに見入り、手に取って裏返し、赤い斑の入った腹を見てカワイイと声を上げる。太く長いミミズをみつけ、あっこれ、カンタロウと呼び、いや正式にはシーボルトミミズよと由来を言葉にして交わす。これ構造色だねと光の当たり具合で色が変わるのを評し、首の辺りに赤っぽいバンドがある、どっちが頭か、後ずさりできるのか、いやいや、しているよこれっと、見入る。あとでネットで見たら、カンタロウというのはシーボルトミミズの宇和島の方言とあった。あるいは、飛び回る蝶の名をあげ、カメラに収めようと四苦八苦する。なるほど「キモくなる」気配。ヒトが自然と一体化してなおかつ自然を対象化してみようとしている人の(言葉にする)クセと考えると親しみが湧き、存在の穏やかさに気持ちがほぐれてくる。

 羨ましいが、私はこのルートでは動物になれない。わが身の来し方行く末を鳥瞰するような思いで過ごした、面白い3日間でした。

2022年6月6日月曜日

天安門33年忌

 1989年の6月4日の夜、我が家の電話が鳴った。息子からの電話。ヒマラヤの8000m峰遠征の下見から帰ってきた帰国報告かと思った。違った。

    「いま北京。天安門に近いホテル。窓のカーテンから覗くな。覗くと危険と(下見隊の誰かから)注意を受けた。外で銃撃しているような音がする」

 と声もびびり気味に尖っている。

 あれから33年。今日(6/5)の新聞では、恒例となっていた香港の祈念集会も禁じられ、天安門事件を口にすることすら封じられ、マスクに×印を付けた人も連行されて行ってしまったと報じている。中国もそう、ロシアもそう、ミャンマーもそう、アフガンもそう、ベラルーシもそう、エジプトなどもそうした傾向が露出し始めているという。

 強権的支配というが、情報メディアがまだ今のように発達していなかった。新聞やラジオやTV放送局という拠点を(経営者や資本を通じて)抑え込めばなんとかなったから、強権で抑え込むという手法を採用しなくても、権力側の意図を貫くことはある程度可能だった。そのせいで、裏技ばかりが潜行し、目立たなかったとも言える。

 ところが21世紀。ITが大衆メディアとして広まった。つまり情報も拡散して、個別に発信受信が行われる時代になった。情報統制も手を変えて、何をどう統制するかを明らかに示さなければならなくなった。裏技の恐怖政治は、相変わらず公然の秘密になっている。戦争と呼んだらダメ軍事行動作戦といいなさいと法制化しなくてはならない。拘禁・拘留・罰金などの罰則を持って取り締まる。軍事行動作戦を開始して100日という報道も、人々が「作戦行動の遅れ」を知ることになるから「触れるな」とロシアでは禁令を出したと聞くと、そのうち暮らしの細々したことまで法制化して口出しし始めるんじゃないかと、77年前までの我が国の戦時体制を思い起こしたりする。

 嫌な世の中になったものだ。

 でも、一体この私の感触は、何と比較しているのだろう?

 もちろん私がこれまで過ごしてきた戦後日本の社会的気風だ。押しつけられた憲法のおかげで、自由と平和を満喫して過ごしてきた。かつてソビエト圏にあって、その後西側諸国に加わった東欧諸国の人々も、自由と民主主義の社会に浸ってみれば、そちらの方が良く感じられるから、NATOにも加わり、強権的国家統治から離れていく。それがプーチンにしてみると皆、NATOの拡大戦略にみえる。

 統治者目線で言えば、それで平安が保たれるのなら強権的統制で何が悪いというのかも知れない。民主主義を標榜する我が国の為政者だって、ちょうど一年前(2021-06-04)のこのブログ記事《こちらも、「何を説明しろっていうの?」》で書いたが、菅宰相のように常套文句を繰り返すだけで何を説明すれば良いのか分からない人もいる。これなどは、強権的統治感覚剥き出しだと思っていた。たしかに「依らしむべし知らしむべからず」という心持ちの点では似たようなものだが、さすがに中国やロシアのそれに比べたら可愛いものだと、ふり返って思う。因みに、次のように記している。

                                    ****

 先日書いた大坂なおみと逆の立ち位置で、「何を説明しろっていうの?」と思っている人がいる。菅首相だ。もしこの記者会見を見世物・興行だとすると、全仏オープン同様に劇場型である。大坂なおみとの違いは、菅首相は主催者であり、かつプレーヤーだということ。そして多分菅首相も、記者会見で「何を説明しろっていうの?」と思っているに違いない。

 とうとう国会の場で、身内であるはずの専門家会議の尾身座長からも「オリンピックを今開催する意義とかを説明する必要がある」とせっつかれた。そして出て来た回答が「平和の祭典」だと。ほとんどジョークのような返答である。

 オリンピック実施に関するコロナウィルス対応の彼のワン・パターンの応答は、政府に対する信頼を落とすだけでなく、オリンピックに対する協賛の気分をも損なっていると、メディアは手厳しい。菅首相は、「国民の安全安心を第一として進める」と決まり文句をくり返すばかり。何をどうやって「安全・安心」を担保するのかを説明すればいいのに、それをしないで、ワン・パターンの回答を口にするだけだから、請負仕事をやむなく進める企業幹部のようだと、みている方は口性がない。

 だが、そうか。そうではなく、菅首相にとっては、これ以上何を言えばいいのか、わからない。つまり、「安全・安心」にオリンピックを遂行するのを引き受けているわけであるから、それをやりますと言っているのが、何が悪い。子細を聞いて素人である一般大衆に何がわかる。だいたい、これこれをどうやって行くから大丈夫などと細部を説明しても、それがそのまま受け止められるわけでもない。具体的に言えば言うほど、さらに具体的に求められる。泥沼に踏み込むようなものだ。だいたい具体的に言えば言うほど、ものごとはつまらなくみえるものだ。

 メディアは、想定問答をしていればいいのだろう。だが政府は、実務のバックアップ部隊だ。具体的なやり方は、諸処の実行部隊に委ねている。全体の統括というのは、漠たるものにみえるだろうが、それはそういうものなんだよ。何を説明しろというのかと、たぶん、不満たらたらであるに違いない。

 つまり、菅首相は、いまのオリンピックにかかわる政府の立ち位置を実務型の実行部隊と考えている。記者会見が劇場型のステージだということもわかっていない。ただ単に実務家として引き受けて望んでいるにすぎないから、メディアが何を求めているか理解できないというか、興味本位で突っ込んでくるメディアの関心に付き合うのも、いい加減にしたいと思っているのだ。もう少し視界を広げていえば、菅首相は、その記者会見が自らの「権力」の基盤形成につながっているとは思いもよらないに違いない。民主主義におけるメディアの位置を、政府から伝える一方通行の伝達装置と考えているのかもしれない。情報化社会がどういうものかもわかっていない。

 ただひとつ、政府の「バブル方式」に関するメディアの報道に、オモシロイ外野の発言があった。どこかの居酒屋さんが「オリンピックでできるのなら、街の居酒屋にもバブル方式を採用して、営業再開にすればいいのに」と小さい地域割りを想定していると思われる感想をポロリと漏らしていた。

 本当にそう思う。「山梨方式」と言われたやり方がこれに近い(と思う)のだが、こういう発言を拾って、小さい地域割りをどう考えるか、バブル方式のバブルの中と外との「安心・安全な」関わり方をどうやるのかとすすめていけば、民主主義的にすすめるコロナウィルス対策として、一気に菅人気は上がるだろうにと、思った。

 つまるところ、政府の宰相であるという立ち位置を菅首相は見誤っていると思う。IOCという主催者が中心にいて、その指示に基づいてオリンピックの開催が決せられると考えると、日本政府は、単なる実行部隊の「共助」的な一機関に過ぎない。そのように考えている日本の首相は、いわば戦艦の艦長という下士官、将校はIOCなのだ。そう受けとめているとすると、オリンピックって、喜んで引き受ける筋のものかどうか。何億円もの運動費を使って「お・も・て・な・し」などと言っていたのが、なんともわびしく見える。

 これって、今の世界における日本の姿じゃいのか。そう感じられて、やりきれない。

                                    ****

 話が逸れている。元に戻す。戦後日本社会の気風に日本会議の方々は「ゆでガエル」と腹を立てるだろうが、これはこれで角突き合わせて神経を尖らせている暮らしより、遙かに平和な日々。それを過ごしてきた私たちも身にしみて有難く思っている。

 最近はやりのスピリチュアルでは『Think CIVILITY「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(東洋経済新報社、2020年)という社会啓発本がお奨めのようだが、中を覗いてみると、産業経営としてはその方が儲かるよと言うお話になっていて、平和とは言え、なんだ労働力商品としての生産効率とか利潤に資するということばかり、あまり歓迎したい平和でもない。だがそれはそれとして、本当に曲がりなりにも、民主主義を標榜する自由社会を77年間続けてきたことは、ラッキーであった。

 でも一皮剝いて、トランプ流にガチで遣り取りするようになると、大自然に囲まれて自成的な民族性を培ってきたわが日本国民は、とても太刀打ちできない。市井の老人としては、言うまでもなくボーッと生きてる方が性に合ってる。そう感じるから、あまり手を加えて貰いたくないが、バブル崩壊後の世界情勢を見ているとそう言ってもいられない。

 ましてウクライナのなりゆきをみると、なんとしても負けられないと思う。

 一体何に負けられないのか。強権的統治に負けられない。つまり、33年前の天安門事件に連なる統治的支配センスに負けられない。あまり説明もしているとは思えないし、うまくもないが、まだ今の宰相の方が聞く耳を持つふりをするだけ、好感度が高いってことか。そんないい加減なことを言ってると、足下を掬われるぞっていわれそうだね。

 ま、私もいい加減、ちゃらんぽらんだが、この身に刻んだ戦後民主主義の記憶こそ大事にしたい。それ、何かって?

 オープン・ポリティクスというかオードリー・タンに倣ってオープン・ガバメントと呼ぶか。民が主体となって協同して社会をつくっていくっていう、方法としての民主主義。素人が意見の違いを、互いに言葉で交わし、試行錯誤しながら最良の施策にたどり着けるよう、「当事者研究」をする。一挙に国政じゃなくてもいい。小さい社会集団でそのような取り組みをはじめて、それを積み重ね緩やかに協同社会をつくり、手直しし、積み重ねていく。そうやって運動的というか、動態的民主主義をつくっていきたいと願っている。

 あ、もう時間がない。今日からまた、ちょっと遠方へ出かけてきます。

2022年6月5日日曜日

遠近法的消失点

 今朝(6/5)の朝日新聞「折々のことば」。

《現代人は「仕方がない」が苦手である。何事も思うようになるとなんとなく思っている風情である。養老孟司》

 そう、そう。私もそう思う。なるようになる、なるようにしかならない。ケセラセラと口癖のように言っている。それは、何事にも運不運がついて回るって受け容れること。もちろん振り返ってみると、自分の実力の無さとか、努力が足りないと思うことも多々あった。けれども、わが躰の裡側からの声に耳を傾けると、何かをしたいという「意思」よりも、「それは無理だわ」「いやだねえ、それは」という躰の声の方に重きを置いたってこと。運不運というレベルで総括すれば、ここまで生きて来て(大雑把に言うと)ラッキーであったとつくづく思う。

 なぜ現代人は「仕方がない」が苦手なのか。

 自分の願いとか世の中の期待に応えられないのは「努力が足りない」とか、「工夫が足りない」とか、戦略戦術が間違っているとか、時と場合によって表現は異なってくるが、要するに自分が悪いと責める思考回路が躰の奥深くに沈潜している。それは二つのモンダイを提出する。

(1)我が道は自分で切り拓くことができる(という社会的な気風が定着している)。

(2)自分の生き方は自分が決めなければならない(という社会的な気風が定着している)

 こうした観念が何時の時代から人々の心裡に定着するようになったのかはわからない。世間とか他人というのは、結局、当てにならないと見切ったところからだとすると、人の集団が共同性を失っていく過程と相応しているから、うんと昔からと考えることになる。だが、「当てにならない」というのが人にまつわる事ではなく、生きることすべてにおいてとなると時期が異なる。世間のことではなく自然と向き合うわけであるから、当てになるもならないも、おおよそ人事が及ばない領域があるわけで、昔日の共同体がそれを引き受けてくれようとしていたと考えられた。つまり、共同体の為すことは人事の範囲と言えるが、それが及ばない領域はヒトと大自然、つまり鬼神の世界との成り行きに任せるしかないから、運否天賦の領域ということになる。畏れと祈りの世界である。

 だが、いつからか「神は死んだ」。それを「近代」とか「現代」ととらえると、大自然と向き合う関係が変わったのだ。

 よく言われることだが、西欧では大自然にヒトが手を入れ飼いならすことと考えているのに対して、日本ではあるがまま、なるがままに放置しておくことが自然を大切にすることと考えられてきた。むろん日本でも日本庭園のように自然を箱庭のように手作りして鑑賞するワザはもっている。だがそれは、限定した人為的範囲に限られている。

 この西欧流の自然観が「近代化」とともに流れ込み、早く受け容れたところと遅いところ、順調に受け容れたところと頑なに旧来の陋習(?)を保守してきたところとちぐはぐして、まだら模様に日本社会を変えていったと私は考えている。この受容・変化のちぐはぐさは、頭のモンダイではなく躰がどう反応したかというモンダイだから、暮らし方とか暮らし向きとか、都会か地方かとか、いろいろな暮らしの諸相が様々な層で進行したに違いない。だからまだら模様も、切り口によって見え方が違うとも言える。

 話を本筋に戻す。

 上記(1)(2)の考え方が社会的に定着していったのが「まだら模様」であったとしても、全般的に日本社会で進行したのは明治以降であった。ことに「民主主義」が理念として流入して、ヒトが社会の主体であると幻想を振りまき、それが浸透していった頃から、自己責任の幻想が強まったのは事実である。

 戦後の経済過程で「一億総中流」と呼ばれるような体験をしてくると、もはや貧しくて勉強できなかったとか、いろんな不運に見舞われて致し方なかったというのは、単なる「言い訳」と受けとられるようになった。つまり、運不運は思考の枠組みから除外されるようになった。大自然と向き合って生きている感触を、ヒトは暮らしの中でもたなくなったのである。

 たとえば1970年代に入る前後だったと思うが、道路に穴が空いていて大怪我をした人が裁判に訴え、道路整備が不十分だからと地方行政当局が敗訴したことがあった。私は驚いたからよく覚えている。道を歩くときに注意するのは自分の責任じゃないかと思っていたから、そんなことまで行政責任を問われては、役人も大変だなと強く感じた。これは、大自然と向き合うことを個々のヒトは忘れてしまったし、社会的にもそれが主流になったことを意味している。そのことが個々人のレベルでは余計に、自分の人生は自己責任と受けとられるようにしたとも言える。

 一億総中流の時代が今も続いているならまだしも、もうとっくに「失われた*十年」の間に、社会階層は(所得においても)上流と下層に大きく分かたれ、辛うじて「一億総中流時代」の遺産を食い潰しているヒト(とその家族)たちが、そこそこ「中流風」に生き延びているだけ。若い人たちにとっては、厳しい時代になっている。若者の自殺が多いと聞くと、世代的な運不運を思い浮かべて、私は申し訳ない心持ちになる。

 冒頭の養老孟司の言葉を引用した鷲田清一は、こう受け止める。

《人生をふり返れば、努力ではなく「いつの間にかそうなっていた」ことがほとんどだと解剖学者は言う。今更打つ手もない。だから「仕方がない」。何かを思いどおりにしたくて使う身体、もっといえばその身体を使う「私」が、じつはもっとも思いどおりにならないものなのだろう》

 臨床哲学者を自称する鷲田清一のことだから、《「私」が、じつはもっとも思いどおりにならない》ことの根柢に、わが躰の声を聞こうとしない「私」を想定しているのではあるまいが、わが身に刻まれた人類史的痕跡に耳を傾けてみると、《身体を使う「私」》という発想そのものに、西欧的な自然観が底流していると感じられ、ああ、この人もひょっとすると「遠近法的消失点」を見失っているんじゃないかと思った。

 じゃあ、遠近法的消失点って何だ? 一つの大きな宇宙を身の裡に抱えて生命体として生きているミクロの「わたし」と大宇宙のビッグバンからここまでに至ったマクロの「世界」からヒトをみている視点とが融合するところ、それが「遠近法的消失点」。つまり私の感触で言えば、わが身が自然と一体となる、つまり一個の動物になったと感じられるところ。

 この歳になってやっと「わたし」は「現代人ではない」地点に到達したと思って悦んでいる。

2022年6月4日土曜日

始末に負えない

 古来「始末のはじめは付け木と擦り火」といって、手近にあるものを大切にすることが倹約の第一歩と聞かされてきた。それが身に染みついているのか、断捨離が苦手。要らなくなったものを捨てられない。わが身の不始末を、そう思ってきた。ところが、世の中がとっくにそうした感性を受け容れる仕組みをなくしていると痛感したことがあった。

 今年の秋に予定されている給排水管の取り替え工事の下見が行われる。写真も撮るという。「現状のままで良いですよ」と業者はいうが、チェック箇所に物が詰まっていたのでは様子が分かるまいと、片付けておくことにした。一度も使わず物置にしていた第二トイレ、半畳ほどの物入れ、押し入れの下の段、洗面所や台所の下などにおいてある物々を、ひとまず八畳間にブルーシートを敷いて出した。

 15年ぶりにお目にかかる山用品もあって、これはもう使うまいと思う物をいくつか捨てることにした。ゴミ処理場に直に持っていけば始末してくれる。車に積んで運ぶ。手続きをして燃えるゴミ、燃えないゴミなどに分けて処理施設の指定箇所に投げ込む。ちょっと心が痛むけど、わが身の現状ではもう使うまいと山スキーの板やストックなどともお別れをした。

 ところが、ホワイトガソリンは処理できないという。山で使うストーブの燃料。山用品店で買ったのだったかガソリンスタンドで分けて貰ったのか、2リットルのタンクと、持ち運ぶ燃料ボトルに大分残量がある。何処へ行けば良いのか訊ねる。車検をしている所とかガソリンスタンドとかですかねえと処理施設の係員はいう。

 車のディーラーへ持っていく。オイルの処理はしているがホワイトガソリンは処理できないという。応対した係員自身、古いバイクの整備などをしたときに残ったガソリンを始末するときGSに頼んだことがあるが、大量じゃないと引き受けてくれないから仲間と持ち寄って集めてから処理を頼んだ、と丁寧な応対。主要国道沿いのGSへ行く。廃油処理設備はもってないと断られる。もうひとつ、同じ国道沿いのGSでも、とても丁寧な応対をしてはくれたが、始末できないしできるところを知らないと申し訳なさそうにいう。参った。

 もう一つ、タイヤ交換やオイル交換をいつもして貰っている所へ行って訊ねてみようと、そちらへ車を向ける。国道を逸れて、それができるまでは主たる道路であった脇道へ入る。と、GSがある。寄って聞いてみようと車を入れる。

 ちょっと足の不自由なアラカンのおじさんが給油スタンドへ案内しようとするから、窓を開けて白ガソリンの処理をしてくれないかと話しをする。ああ、ホワイトガソリンね。どれくらい? というので、助手席の足下に置いたふたつの容器を持ち上げて手渡す。2リットル缶にはコールマンの商標も印刷され、子細が表示されている。ああ、良いですよと受けとって向こうへ行こうとする。

「無料ってワケにはいかないでしょ。おいくら?」

「あ、ちょっと聞いてきます」

 と、向こうのもう一人に話している。戻ってきて、

「300円頂戴します。でも、領収書には灯油って書きますが、それでいいですね」

 と思わぬことを言う。領主書は要らないと300円支払い、礼を言って車を出した。

 そうか、灯油の暖房機を使っていた人が、電気のエアコンやコタツに切り替えたときに、余った灯油の始末をする廃油処理には、まだ社会的な需要がある。主要国道のGSではもう灯油も売っていない。だが住宅街の只中にある裏街道のGSでは廃油処理はまだまだ無用ってワケじゃないんだ。そう思って、ちょっと安心した。

 あとで考えたこと。ディーラーやGSを回って断られたとき、ホワイトガソリンなんて物を使っている人は社会的にはごくごく少数派。それを溜め込んでいて今ごろ始末してくれと言う人はもうすっかり時代遅れ。社会的に受け容れるところは何処にもないよと宣告さたように感じていた。裏街道のGSが、辛うじて、時代の端境を生きている人たちが立ち寄って救いを求める場所になってるんだ。

 始末に負えないのはホワイトガソリンだけじゃなく、倹約が身に染みついた(断捨離ができない)古い世代なんだねと自問自答したというわけ。これって、僻みか?

2022年6月3日金曜日

なぜ「理念」は壊れたのか

 WWⅡの人類史的遺産という「理念」がなぜ壊れたのか。それから考えてみたい。

 まず私が「理念」をそれとして抱くようになったのが起点。戦中生まれ戦後育ちの受けた「日本国憲法」に基づく(自由・人権・民主主義・平和という理念)教育がそれです。

 WWⅡを戦場において体験した人たちは、そうは受けとらなかったかもしれません。彼らは敗戦の屈辱を被せて、戦勝国によって押しつけられたと思っていると後に判明します。でも自ら引き起こしたという後ろめたさを感じていたから、戦争を口にすることもなく沈黙していたとも言えます。そう思ってみると、敗戦国民(という当事者)は「反省」することはできなのかもしれません。「日本国憲法」も、その原案を制作したGHQ民政局の若手スタッフであってこそ、「人類史的」立場に立つ視点を持つことができたとも言えます。

 人類史的視点というのは、国民国家の枠組みを超えなければなりません。広島の原爆碑に「過ちは繰り返しません」と記されているのは主語が分からないと批判を受けていますが、これも人類史的視点に立った言葉と考えると、氷解します。

 もう一歩踏み込むと、戦中生まれ戦後育ちは、二つの社会通念批判としてその理念を受けとめたと私は考えています。

(1)国民国家の枠組みを取り払い人類という視点を持つことが普遍性を体現する(人類史的な)観念であること。

(2)社会と国家とを分けてとらえる(愛郷心と愛国心とを分けて考える)という観念です。

 前者の普遍概念は、たとえば、「我が国」というよりも「日本」と呼ぶことがより普遍に近づくと考えて、後者と順接するように考えられていたわけです。これは、学問の世界においても欧米発の普遍理念が当時のデファクト・スタンダードであったのを、あたかもグローバル・スタンダードとして受け止めることへとも順接し、ここにまた「誤解」があったと後に感じるようになりました。

 もう少し(1)の子細に踏み込みましょう。国民国家という観念もそうですが、人々が集団を為してからの様々な社会形態を積み重ねてきて、日本の場合でいえば、明治以降になって「ニッポンジン」という民族意識が芽生えてきました。人の心裡での発生的には「わが郷」が所属集団として意識され、それが「わがクニ」と呼ばれたときも、武蔵国とか讃岐国という、いまで謂えば郷里を意味し、明治以降に「わが国」と呼ぶようになってやっと民族の一体性を意識するように変化してきました。それもたとえばウクライナなどと違って、国境という結界が自然に出来上がっていたわけですから、ネイションシップもまた自然に生まれた観念のように思っていました。心裡での観念の発生は堆積して広まりつつ子細が捨象され、いうならば普遍性に近づくわけです。この感触は、案外ネイションシップの自然感覚に近いかもしれません。

 ところが欧米発の普遍性は(日本での場合)謂わば発生過程をショートカットして、正義性をまとった「普遍理念」として(欧米に学ぼうとする私たちの胸中に)飛び込んできて居座ったといえます。ことにWWⅡへの(大人世代への)批判的な視線が優勢となった戦後社会の若い世代においては、身の裡のどこかに受け継いで堆積している旧習の文化を否定する気持ちが強く、わが郷里を意味するクニなどは「共同体」という言葉共々どこかへ葬り去りたいとさえ感じていたのではないかと(後に私は)少し上の世代の言動に感じたことがありました。

 しかし「神は微細に宿る」。わが身に刻まれたナショナリティの原型の感触は、わが身を対象化して考えるようになると、普遍が実体的なものではなく、遠近法的消失点に位置している(目指すべき地平)であり、それに近づいていくにはわが身に刻まれた痕跡を目に留めておかねばならないと、訴えているように聞こえてくるのでした。「我が国」と呼ばず「日本」と呼ぶ視線は、ある意味で「人類」という超越的視線をもつことです。それはモノゴトをとらえるときに、まず「世界」に自らを位置づけ、然る後に「我が国」の利害得失を考えるという方法論的な視線の必要を提起するものであったと言えます。

 ところが、欧米の(なのかアメリカの)「理念」は(日本風にいうと)タテマエとなり、ホンネの部分では#me-firstを覆い隠す衣装でしかなかったことが、政治的な争いの中でいつもいつも露わにされてきました。それがWWⅡの反省を踏まえたはずの20世紀後半の国際関係で剥き出しになってきたのです。

 21世紀になってそれが明白になったのには、情報化時代という技術的な変化が寄与しています。それは「神が宿る微細」が、情報として(これまでとは次元を変えて)広く深く(個別性を湛えて)伝わるようになった。と同時に、普遍の前提とされていた「正義/真実」さえも掻き回されて、大多数の人々の共通認識から崩れ落ちて「人それぞれ」となり、一般的に目に止まらなくなっていきました。フェイクだといってしまえば、それもまた(情報は受けとる人が真偽を見極めるもの)となって「一つの真実」と受けとられる事態を招いているのです。つまり情報化社会は、その情報を受けとる一人一人が「主体」として情報の価値判断をする権利を持つようになってしまいました。

 情報によって共通体験が細分化され分節化されて、個々個別に人それぞれが真偽を見極めるという風に変わってしまったわけです。人々の持っていた共同性は失われ、社会的な連帯感は希薄になり、心裡の底に溜まっている#me-firstがあからさまに露出するようになってきたのが、トランプだったというわけですね。

 トランプの出現が激震だったのは、タテマエとしての「理念」も投げ捨てて、フェイクも利害もエゴセントリックに#me-firstを貫いたこと。それが世界一の大国アメリカの大統領だったことです。たちまちその風潮は世界の政治家たちや企業経営者たちに染み渡り、WWⅡの反省としての人類史的遺産は雲散霧消してしまいました。

 ロシアの仕掛けたウクライナ戦争は、その究極の結果でした。ただ面白いことに、それによって、それまでバラバラでまとまりのなかったウクライナは一挙に国民国家としての一体性を取り戻しました。逆にロシアは社会統制を強化して一気に独裁国家になってしまいました。それが、ロシア国民にどれほどの失望を与えたかは、もっと時間を掛けなければわからないことですが、世界の人々に自由社会と民主主義の理念がどれほどに大切であるかを再認識させたことは、間違いありません。この点で中国など、第三者的な顔をして今の状況を読み取ろうとしている国々の為政者は、戦々恐々としていると私はみています。つまり、世界世論を無視できないのです。

 ところが、為政者たちは、理念など忘れたかのように目下の戦況ばかりに注目して発言し、人々が共有する「ことば」を発していない。つまり彼らは、世界世論にさほどの重きを置いていないのです。私たち戦中生まれ戦後育ちが身に刻んで受け継いだ、WWⅡ反省の最大の人類史的遺産は、自らを主体として自らが考え、異なる意見の人々と協同して、試行錯誤して社会をつくっていくという作法です。そのベースにあるのは、「世論」のベースにある私たちの社会が醸し出す気風。民主主義といってしまうと「強権的統治も人民民主主義だ」と中国方面から言葉が飛んできますが、まさしく私が受け継いできた民主主義は、社会をつくっていく作法の有り様なのです。(つづく)

2022年6月2日木曜日

アメリカは何をやっとるか

 ご近所の「男のストレッチ」世話役の一人であるMさんから三ヶ月先の会場確保の知らせがメールできた。ついでに「愚痴」もこぼしている。

    《こんにちは。ウクライナ紛争は4ヶ月目となり、ここへ来て東部でやや押されています。アメリカは何をやっとるか😤/また、ロシアがマリウポリ港の機雷を片付けて何をしてるかと思ったら、なんとアゾフスターリ製鉄所の鉄鋼製品を盗み出していました。アメリカは何をやっとるか😤/暑くなりますが、ストレッチ頑張りましょう! M》

 それに対するメンバーの一人からの返信。

    《Mさん、会場の確保ありがとう。/ところで、Mさんのアメリカに対する、憤慨の気持ちは良く分かります。そもそもロシアのウクライナ侵攻の企みをアメリカが一早く事前に察知した時に、バイデンが強く牽制球を投げていればロシアも侵攻を止めていた可能性があったと思われ残念です。アメリカも力が落ちていることを感じます。日米同盟で、日本は大丈夫か心配になりますね。 K》

 アメリカに向けたMさんの「愚痴」が、わが胸にちょっとした波紋に感じられるのは、なぜか? それがKさんの返信にこれまたちょっと垣間見えたように思いました。

 後付けになりますが「バイデンが強く牽制球を投げていればロシアも侵攻を止めていた可能性があった」と私も思います。だが同時に「第三次世界大戦になった可能性もあった」と、口にはしないがKさんの裏思索は言っていることも感じているのです。どちらの「可能性」になったかは、プーチンの妄想具合によります。

 アメリカもあらゆるインテリジェンスを動員して策定してきたであろうと、ティム・ワイナー『CIA秘録(上)(下)』(文藝春秋、2008年)とか、スティーブ・コール『アフガン諜報戦争(上)(下)』(白水社、2011年)を思い浮かべています。いかなる手練手管を使って国際政治の情報を集め、それを用いてアメリカの意図をどう国際関係に具体化していくか。その手管の子細が、まるで映画を見るフィクションのように描き出されているドキュメンタリーです。

 ウクライナ侵攻がはじまる直前、アメリカがロシアが戦争を始めようとしているとき、これまでになく収集したインテリジェンスを公表したのは、瀬戸際の「牽制」であったと後に識りました。ロシアの侵攻が報じられた瞬間私は、第三次世界大戦になると思いました。それが現在、ウクライナ一国の悲惨にとどめられているのは、(このせいばかりではありませんが)「バイデンの牽制球」が適当であったからかも知れないと、一知半解、門前の小僧がわが身の感触を想っています。

 バイデンがウクライナ戦争が始まるかも知れないと識ったときの初発の「戸惑い」に私は共感できるような感触を持っています。同じ歳だからというワケではありません。でも、同じ時代の国際関係を別々の場所と環境からではあるが、ちょっと似た世代的共通性をもってみてきたという感触があるのです。バイデンと私を繋いでいるのは、「日本国憲法」という第二次世界大戦(WWⅡ)が残した人類史的遺産の理念です。バイデンがどういう戦後教育を受けてきたかはよく知りませんが、でもWWⅡという馬鹿げた戦争をしでかした人類の反省を理念として吸収しながら、彼はアメリカの戦後の空気を吸って育って来たにちがいありません。それは私が「日本国憲法」の理念を理想型として(批判的に)戦後の政治過程を見てきたのと相似形の、何か奥深いところの「世界の見方」を持っているのではないかと感じるからです。

 オバマやトランプに照らしてみると、ちょっと控え目にみえる語り口は、一つ一つの「正義」の確かさを身の裡に問いかけて吟味しながら繰り出しているように見えます。その逡巡がわが身の裡の感覚に響いて好ましく思っているのかもしれません。

 Kさんのいう「もっと強く牽制球を投げていれば」と思うからこそ、今回QUADの記者会見で台湾侵攻のときには軍事介入すると(バイデンは)言ったのだと、私はナイーブに受け止めています。プーチンが「核兵器を使う用意がある」とアメリカを牽制したときには、あえてその牽制を受けとめた。だがまだ「核兵器を使う」とも口にしてない中国が台湾に軍事的に侵攻するときには「アメリカも軍事的に対応する」と早々と口にすることで、ウクライナの二の舞を演じないという態度を示したのだと、門前の小僧が胸中に抱く感懐をそのままアメリカの大統領が持っているかのように感じているのです。

  いやじつはもっと、バイデンもアメリカ政府当局者も、いまだからこそ、WWⅡへの人類史的反省を口にして、ウクライナ戦争の悲惨を語るべきだと思っています。ロシアのウクライナで行っている所業は、どこからみても、戦争事態が犯罪だと教えるものだと思います。ただ単に一般市民を殺害するということだけではなく、暮らしや文化の破壊です。アゾフスターリ製鉄所の鉄鋼製品の略奪は、ロシアによる強奪です。WWⅡが「自由と民主主義と平和」のための戦いであったと、理念的に語っていたのが政治家たちだったにしても、市井の民は、それこそが守り掲げられなければならない「反省」だったと受け止めて育ってきたのです。ヒラリー・クリントンが口舌の輩であったとアメリカの庶民から処断されたとしても、それと一緒にWWⅡの人類史的反省が葬られて良いわけがありません。そこが押さえられていてこそ、ウクライナのモンダイは、香港のモンダイであり、ウィグル族のモンダイであり、チベットのモンダイであり、ミャンマーのモンダイであり、イランやシリアのモンダイであり、台湾のモンダイなのです。

 WWⅡの反省は、国家の安全よりも社会の安定保障が優先され、人が人として暮らしていくことが最優先事項となるべきだと、国際的な共通認識にしようとしたことでした。戦勝国の寄り合いとして出立した国際連合も、それを理念として掲げ、安全保障だけでなく、UNESCO、WHO、WFPなどの活動を軸に置いてきました。

 21世紀の、ことにトランプ出現以降の選挙においては#me-firstが剥き出しで前面に出て、WWⅡの反省である人類史的理念が(現実の社会生活とかけ離れてしまったために「人権」や「平和」が空虚に響いて)人々の信頼を失ってしまっていますが、ウクライナ戦争の悲惨を語るときに、それをこそ手放してはならないことだと、いまこそ力説するときではないかと強く思います。

 ま、そうは言っても政治家。そんな真っ正直に世界は渡れないというでしょうが。

 本当にそう言えるかどうかは、第二次大戦後の国際関係を総覧して考えてみなければなりませんが、それはまた、別の機会においおい考えていきます。

2022年6月1日水曜日

悟るとは?

 一昨日、訣れの言葉を発したTさんからメールが来た。その文面が、昨日の話に続いていた。

    《Fさん …(前略)…お遍路をされて、「人間とは」、「社会とは」という問いに、足下にあるじゃないかと気づかれたとのこと、成程と了解しました。…(中略)…K氏から「悟りとは」問いが発せられ私が受けてしまったのは失敗でした。貴方が加勢してくれましたが私の考えは理解してもらえなかったです。悟りなんて簡単に得られるものでなく、理論的に答えの出るようなものでないと私は思っています。……道元は正法眼蔵で「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり。自己を忘るるとは万法に証されるなり。万法に証されるとは自己の心身及び他己の身心をして脱落せしむるなり。」と説き、自己を忘れるためには「只管打坐」。坐禅をすすめています(普勧坐禅議)。/ちょっと坐禅をかじった位の私が議論し回答が出せるような問題ではありませんが、お話したことは浅薄な私の理解です。またいつかお目に掛かりましょう。T》

 KとTの「悟り」を巡る遣り取りは、普遍と特殊を巡ってマクロ世界をみてきた人とミクロ世界の住人とが遣り取りをするように、見事にすれ違っていた。私は(これまでも書いてきたように)、ミクロの世界の住人として「悟り」を語るTに加勢したというわけ。

 Kは経済学を専門として大学教授を務め、すっかり仕上がった人。Tが語るミクロの視点からの「悟り」に、そんなこと誰にでも通じるように言えるのかよと普遍を語った。「神は細部に宿る」というように、語る人の見ている立場で「普遍・真理」の現れ方は違うから、自分が何処に身を置いて喋っているのかを明らかにしないで「ちがう」というのは、遣り取りになっていないと、私は加勢した次第。だが、通じなかった。

 Kの語る「普遍」は、1960年代に大学で学んだ欧米流のそれ。サルトルの実存主義などがよく読まれ、ノーマン・メイラーも言の葉に上っていたように、その「普遍」さえもすでに変わり始めていた時代である。

 私の属していたサークルがそういう社会の文化潮流に関心を持っていたから、私もいつしらず文化状況を論じたりするようになったが、Kがそういう領域に関心をもっていたようにはみえない。経済学の方からいえば、Kも学んでいた宇野経済学の方法論で当時、武谷三男が「三段階論」を論じていたし、宇野自身も「科学的方法とイデオロギーの関係」としてきっちりと扱っていたから、そちらからアプローチしていけば、哲学的な領野も視界に入ったであろう。だが経済学の本題に入ると哲学的な方法論は傍らに置かれ、「普遍概念」だけが価値的にみえてしまう。Kもそういう道を歩いたのであろう。彼の口から繰り出される神の語る普遍世界の言葉は、自らの立ち位置から紡ぐTの「真理」を組み込むことができない。

 だが自らの実際的有り様と社会の移ろいをみてきたTには、ミクロの視線は外せない。Tにしてもメールの後半がそうであるように、仏の目に映る「普遍/万法」へ至ろうとしている。座禅の「只管打坐」は方法論である。つまり普遍そのものではなく、身を置く地点から普遍に至る道筋を具体的に提示している。Tの誠実さは、己の立ち位置を見極めて己に対処する、その姿勢にある。Kは「普遍」を実体的に考えているように感じる。Tは、方法的にとらえようとしているがために、関係的に普遍をとらえる視座を得ているように思った。

 ともあれ、昨日の記事で私は、Tの見切りを「永訣」と受けとったが、「またいつかお目にかかりましょう」という言葉が、まだちょっと余地を残していると思えて、嬉しくなっている。