2022年6月5日日曜日

遠近法的消失点

 今朝(6/5)の朝日新聞「折々のことば」。

《現代人は「仕方がない」が苦手である。何事も思うようになるとなんとなく思っている風情である。養老孟司》

 そう、そう。私もそう思う。なるようになる、なるようにしかならない。ケセラセラと口癖のように言っている。それは、何事にも運不運がついて回るって受け容れること。もちろん振り返ってみると、自分の実力の無さとか、努力が足りないと思うことも多々あった。けれども、わが躰の裡側からの声に耳を傾けると、何かをしたいという「意思」よりも、「それは無理だわ」「いやだねえ、それは」という躰の声の方に重きを置いたってこと。運不運というレベルで総括すれば、ここまで生きて来て(大雑把に言うと)ラッキーであったとつくづく思う。

 なぜ現代人は「仕方がない」が苦手なのか。

 自分の願いとか世の中の期待に応えられないのは「努力が足りない」とか、「工夫が足りない」とか、戦略戦術が間違っているとか、時と場合によって表現は異なってくるが、要するに自分が悪いと責める思考回路が躰の奥深くに沈潜している。それは二つのモンダイを提出する。

(1)我が道は自分で切り拓くことができる(という社会的な気風が定着している)。

(2)自分の生き方は自分が決めなければならない(という社会的な気風が定着している)

 こうした観念が何時の時代から人々の心裡に定着するようになったのかはわからない。世間とか他人というのは、結局、当てにならないと見切ったところからだとすると、人の集団が共同性を失っていく過程と相応しているから、うんと昔からと考えることになる。だが、「当てにならない」というのが人にまつわる事ではなく、生きることすべてにおいてとなると時期が異なる。世間のことではなく自然と向き合うわけであるから、当てになるもならないも、おおよそ人事が及ばない領域があるわけで、昔日の共同体がそれを引き受けてくれようとしていたと考えられた。つまり、共同体の為すことは人事の範囲と言えるが、それが及ばない領域はヒトと大自然、つまり鬼神の世界との成り行きに任せるしかないから、運否天賦の領域ということになる。畏れと祈りの世界である。

 だが、いつからか「神は死んだ」。それを「近代」とか「現代」ととらえると、大自然と向き合う関係が変わったのだ。

 よく言われることだが、西欧では大自然にヒトが手を入れ飼いならすことと考えているのに対して、日本ではあるがまま、なるがままに放置しておくことが自然を大切にすることと考えられてきた。むろん日本でも日本庭園のように自然を箱庭のように手作りして鑑賞するワザはもっている。だがそれは、限定した人為的範囲に限られている。

 この西欧流の自然観が「近代化」とともに流れ込み、早く受け容れたところと遅いところ、順調に受け容れたところと頑なに旧来の陋習(?)を保守してきたところとちぐはぐして、まだら模様に日本社会を変えていったと私は考えている。この受容・変化のちぐはぐさは、頭のモンダイではなく躰がどう反応したかというモンダイだから、暮らし方とか暮らし向きとか、都会か地方かとか、いろいろな暮らしの諸相が様々な層で進行したに違いない。だからまだら模様も、切り口によって見え方が違うとも言える。

 話を本筋に戻す。

 上記(1)(2)の考え方が社会的に定着していったのが「まだら模様」であったとしても、全般的に日本社会で進行したのは明治以降であった。ことに「民主主義」が理念として流入して、ヒトが社会の主体であると幻想を振りまき、それが浸透していった頃から、自己責任の幻想が強まったのは事実である。

 戦後の経済過程で「一億総中流」と呼ばれるような体験をしてくると、もはや貧しくて勉強できなかったとか、いろんな不運に見舞われて致し方なかったというのは、単なる「言い訳」と受けとられるようになった。つまり、運不運は思考の枠組みから除外されるようになった。大自然と向き合って生きている感触を、ヒトは暮らしの中でもたなくなったのである。

 たとえば1970年代に入る前後だったと思うが、道路に穴が空いていて大怪我をした人が裁判に訴え、道路整備が不十分だからと地方行政当局が敗訴したことがあった。私は驚いたからよく覚えている。道を歩くときに注意するのは自分の責任じゃないかと思っていたから、そんなことまで行政責任を問われては、役人も大変だなと強く感じた。これは、大自然と向き合うことを個々のヒトは忘れてしまったし、社会的にもそれが主流になったことを意味している。そのことが個々人のレベルでは余計に、自分の人生は自己責任と受けとられるようにしたとも言える。

 一億総中流の時代が今も続いているならまだしも、もうとっくに「失われた*十年」の間に、社会階層は(所得においても)上流と下層に大きく分かたれ、辛うじて「一億総中流時代」の遺産を食い潰しているヒト(とその家族)たちが、そこそこ「中流風」に生き延びているだけ。若い人たちにとっては、厳しい時代になっている。若者の自殺が多いと聞くと、世代的な運不運を思い浮かべて、私は申し訳ない心持ちになる。

 冒頭の養老孟司の言葉を引用した鷲田清一は、こう受け止める。

《人生をふり返れば、努力ではなく「いつの間にかそうなっていた」ことがほとんどだと解剖学者は言う。今更打つ手もない。だから「仕方がない」。何かを思いどおりにしたくて使う身体、もっといえばその身体を使う「私」が、じつはもっとも思いどおりにならないものなのだろう》

 臨床哲学者を自称する鷲田清一のことだから、《「私」が、じつはもっとも思いどおりにならない》ことの根柢に、わが躰の声を聞こうとしない「私」を想定しているのではあるまいが、わが身に刻まれた人類史的痕跡に耳を傾けてみると、《身体を使う「私」》という発想そのものに、西欧的な自然観が底流していると感じられ、ああ、この人もひょっとすると「遠近法的消失点」を見失っているんじゃないかと思った。

 じゃあ、遠近法的消失点って何だ? 一つの大きな宇宙を身の裡に抱えて生命体として生きているミクロの「わたし」と大宇宙のビッグバンからここまでに至ったマクロの「世界」からヒトをみている視点とが融合するところ、それが「遠近法的消失点」。つまり私の感触で言えば、わが身が自然と一体となる、つまり一個の動物になったと感じられるところ。

 この歳になってやっと「わたし」は「現代人ではない」地点に到達したと思って悦んでいる。

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