2泊3日の旅から戻ってきました。今回は、ヤイロチョウを見る旅。高知県の四万十川に流れ込む支流の一つである梼原川の中流域にある「ヤイロチョウの森」を、端から端まで歩き回る。参加者はどなたも鳥観の達者ばかり。門前の小僧である私が同行できたのは小僧の師匠のおかげ。
6日に羽田を飛び立ってから8日の夕方羽田に帰着するまでの「合宿」という感触。早朝4時頃から夜9時過ぎるまで全力を尽くして探鳥してまわる。門前の小僧からすると鳥を「観る」と思っていたが、まだ薄暗いうちからの、まさしく「探鳥」。耳で鳴き声を聴く。アオバズクやフクロウという夜行性の鳥ばかりではない。早朝の森を歩くとそちらこちらからいろんな声が聞こえてくる。トラツグミやアカショウビン、サンショウクイに混じってヤイロチョウの「ピフィ、ピフィ」とふた声ずつ続けて鳴くのを聞き分ける。
いや早朝ばかりでない。日中も、聞き分けるだけではない。驚くほど頻繁に、鳥の名を口にして周りを見回す。双眼鏡を目にあてる。細かい声が届いているのだ。いや私が耳が遠くなっているだけと思うが、この達者たちが歩みを止めて耳を澄ますのに歩調を合わせて立ち止まると、聞こえるものが聞こえる。ということが分かったのは、3日目の早朝。まだ暗いうちから森を歩いていたときの賑わいは、酉の市って風情であった。
子細は折りあらば記すかもしれないが、今は総括的な感想。すっかり草臥れた。20kg超の荷を担いで飯豊山を縦走した後に感じた躰の強張りと肩の張り、水の摂取に失敗したような感触が、今朝も残っている。これがひょっとすると、齢80の躰って奴か。探鳥の関して私は、相変わらず門前の小僧だが、この身体状況では、門内にはもう入れない。
だが、この探鳥の達者たちと行を共にすると、わが身の現在が浮き彫りになる。そればかりか、この先せめてこのくらいは保ち続けなきゃならないなという2年先の目標モデルにまで再会する。さらにこの人たちの話しを聴いていると、一回り年上の方が元気でまだ探鳥を続けていると聞いた。とてもこの先12年は生きられないから、現実目標にはほど遠いが、その方が未だに、この達者たちから敬意を受けながら親しみを感じる存在でありつづけていると知って、ただ単に探鳥だけではなく、生き方のモデルになっているのだと思う。
行き帰りに機内で読んでいた本『言語が消滅する前に』(幻冬舎新書、2021年)の一節が思い浮かぶ。若手の哲学者二人の対談。専門的に何かを深めると「キモくなる」と言い合って、普通の人から「浮く」が、それはそれで悪くないと共感している対談。キモくなるほどモノゴトを深めるくらいの領域にまで突き詰めた人たちなのだ、この鳥観の達者たちはと思う。
鳥だけに偏っているかというとそうではない。道道の植物に目をこらし、水溜まりに潜むイモリに見入り、手に取って裏返し、赤い斑の入った腹を見てカワイイと声を上げる。太く長いミミズをみつけ、あっこれ、カンタロウと呼び、いや正式にはシーボルトミミズよと由来を言葉にして交わす。これ構造色だねと光の当たり具合で色が変わるのを評し、首の辺りに赤っぽいバンドがある、どっちが頭か、後ずさりできるのか、いやいや、しているよこれっと、見入る。あとでネットで見たら、カンタロウというのはシーボルトミミズの宇和島の方言とあった。あるいは、飛び回る蝶の名をあげ、カメラに収めようと四苦八苦する。なるほど「キモくなる」気配。ヒトが自然と一体化してなおかつ自然を対象化してみようとしている人の(言葉にする)クセと考えると親しみが湧き、存在の穏やかさに気持ちがほぐれてくる。
羨ましいが、私はこのルートでは動物になれない。わが身の来し方行く末を鳥瞰するような思いで過ごした、面白い3日間でした。
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