2022年6月27日月曜日

1年後の感懐

  1年前(2021/6/25)の記事「コロナウィルスの声を聴け」を読んで記す。

 そうだった。1年前にはオリンピック開催の喧噪の中であった。結構大真面目に、日本の行政のモンダイを指摘している。そして1年後の今日、もうすっかりコロナウィルスの感染拡大には肚を据えたのか諦めたのか、政府も政治家もメディアも、感染拡大が高止まりで底をついたことを気にしないかのように振る舞っている。

 いや、そもそも、昨秋の衆院選挙のときに自民党内の権力争いにメディアの関心が移り、そこだけを焦点にした選挙結果で、今の政権に移行したわけだから、コロナウィルスに聞け! って言葉は、何処へいったやら。今年に入って冬のオリンピックが終わるかどうかの頃から今度は、ウクライナ戦争の話題一つにメディアは流れ、コロナウィルスどころではなくなった。それをいいことに、「じねん」のままにコロナ禍に馴れてきて、知らぬ顔の半兵衛ってワケだ。これじゃあ、行政が反省するきっかけもないし、為政者が良くなる契機もない。

 参院選だって? だから何よ? 参議院なんて、なくたっていいんじゃないか。そう思うような為体だよね。

 それで想い出した。いつだったか哲学者の東弘紀が「日本国憲法2・0」で、参議院を「貴族院」のようにしろっていっていた。子細は忘れたが、日本の知恵を代表するような「有識者」を選んで、彼らに衆議院と政府のやっていることが、長い目で見て、あるいは現実社会の展開の流れに位置づけて、妥当であるかどうかを審議する機関にしたらというような「建議」をしていた。

「貴族院」という言葉に抵抗を感じたが、今ふり返ってみると「貴族的」という言葉自体が、私たちの日常生活から姿を消している。それとともに、ひときわ抜きん出て頭角を現す存在をも、金銭感覚で平地に引き降ろすセンスが行き渡り、所謂「選良」と呼ばれた人たちも、法に触れなければいいんでしょと平然と庶民未満の行為をして恥じない風潮がふつうになっている。

 社会の何処に身を置いていても、ひときわ抜きん出た存在であることが、世の中に生きる庶民のモデルであったことがある。竹林の七賢もそうだし、縁の下の力持ちもそうであった。そう言えば私の亡父なども、八百屋をしながら書をものして、漢文の古典から菊池寛の文章まで拾っていた。私が生まれた年の秋に書いた「般若心経」が今私の枕元の条幅にある。これは、「わたし」の知的好奇心の源になっているのではないかと、思うこともある。

 つまり、文化的な「ひときわ抜きん出る存在」の私の原型モデルというわけだ。と同時に、私だけではない。私と同じ世代の人たちの「教養」のモデルでもあった。そういう「抜きん出たモデル」としての「貴族性」を日常性から追放してしまった。それが、戦後77年目の現在である。

 ま、そんなことを一般的に、原理的に嘆いても、何の足しにもならない。どこかの国の、企業経営者が「日本名滅びる」と人口減少を指して宣告なさったようだが、人口以前にすでにして、文化的に滅びははじまっている。

 そう思う私は、保守派なのだろうか?

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