2022年6月17日金曜日

今朝の感懐

 朝4時前に目が覚め、トイレに行く。玄関ドアの隙間から外の通路の灯りが差し込んでいる。朝刊が来ている。ここしばらくじっくりと新聞を読んだことがない。寝床に入るのをよして、小部屋のチェアで紙面を覗く。

 アメリカのFRBが思わぬほどの利上げを発表し、紙面は、コロナ解除と人々の消費動向が変わったとスタグフレーションの気配を懸念している。不景気のままのインフレ。30年ぶりだろうか、この言葉が登場してからは。スイスやカナダなど他の欧米先進国も利上げを発表し、日本だけが低い金利を維持しようとしている。イタリアの国債金利が上がり始めて苦慮している様子も伝えられる。日銀は政府の財布、国債発行に懸念はないと気張った安倍元首相の顔が浮かぶ。日本の安定した経済状況が評価されて円高に振れているとも記事にあるが、これ以上は落ちようがない底値安定じゃないか。人々は貯金をし、それが多いから、国債発行が一千兆円を超えても平気な顔をしていられる。しかも、企業や金持ちほど金を貯め込んだり、金利の高い外貨に移転したりして利益を計る。つまり従業員の給料に回らない。経済的な成長が国民生活の豊かさに結びつかない。非正規雇用ばかりが増えて、不安定な暮らしの庶民は物価の高騰に齷齪(あくせく)しなくてはならない。

 そう言えば円安もあって、ガソリン価格が鰻上り。ま、うちの「軽」では今満タンにしてもせいぜい10㍑程度しか入らない。慌てて入れても50円程度の違い。でもそう考えるのは「値上げ許容度が上がってる」って、黒田日銀総裁にはいわれるのだろうか。

 インドネシアが議長国のG20にロシアを招くかどうかも記事になっている。外交で点数を稼ぎたいインドネシアのジョコ大統領はロシアも構成国だから招き、当事国のウクライナ・ゼレンスキー大統領も招いて、ウクライナ戦争の落とし所を探ってみようと考えているらしい。だが、アメリカはじめ欧米諸国は反発する。議長国は調整に乗り出しているというが、ロシアに出席を遠慮しろというのだろうか、それとも「停戦」をG20で決議しようと裏工作をしているのだろうか。

 その脇に、《習氏「国際人権闘争 展開を――米欧優位の価値観へ対抗》と主席が指示したという記事が並ぶ。欧米流の民主主義概念に対抗して中国は、治安と暮らしの安定を軸にした「民主」主義を専制的に進める統治を打ち出して胸を張った。中国流の「民主主義」理念を対置しようという前のめりのイデオロギー闘争だ。いかにもアメリカに取って代わる意欲を理念的にも先導する意気込みだが、ヨーロッパはどう応じるだろうか。「それぞれの国の実情に応じた民主主義がある」と中国の意向を記事は解説する。

 つまり中国は、主権国家概念をきっちりと打ち立てて、主権国家の枠を超える「グローバルな民主主義」とか「グローバルな人権」概念はないのだと、自国統治の自律正統性を普遍化したいらしい。19世紀にヨーロッパで打ち出した(国境を越える)「人権概念」を、もう一度主権国家の枠内に戻したいというわけだ。これが、主権国家を単位としてではあるが、冷戦後のヨーロッパで東側から「解放」された国々の人々が味わっている「自由」「人権」とどう論理的に争うことができるだろうか。また中国のそれは、自民党が「公共の福祉」を媒介にして主張してきた「権利概念」と同じニュアンスだ。中国の人権概念に対して自民党はどう応じるだろう。

 参院選の企画記事が載り始めた。《予算に賛成 「野党像」崩す選択――「政策実現」与党と結託してでも》と見出し。国民民主党の今国会の振る舞いを俎上にあげている。

 子細に読む気はしないが、単なる野党であるよりも、みんな自民党の派閥として活動した方が「政策実現」の可能性は大きい。もう、参院がなぜあるのか、誰も問わない。理念が行き渡ったというよりも、どう言ってもどうにかしようという気配もうかがえないのが、今の国会とか政治。言ってもしょうがないことは、もう言わない。どうでもいい、と私は考えている。野党も与党も、国会議員ってヤツはと思うが、投票にだけは行くという戦後育ちの癖が抜けない。

 知識人の中には、「日本国憲法2・0」を謳って大真面目に参院の大改革を考えている人もいるというのに。そういう言説も、もう、取り上げて論議の対象にする舞台もないのではないか。私ら市井の民からすると、そういう舞台を整えて、学者知識人の知恵を吸収し集約する舞台をこそ絶やさずにいてほしいと、政治家に望む。与党も野党も同じ穴の狢。ならばせめて、広く日本の知恵を闘わせて政策に仕上げていく舞台こそが、あらまほしき姿と思う。運動的民主主義だ。

 別の紙面には「10増10減」と決まったと衆議院の選挙区の変更が伝えられている。そうか、小選挙区制にして二大政党制に持っていこうとしたことが現在の結果だ。国民民主党の振る舞いは、二大政党制ではもう、民意を反映することはできないという証しなのかも知れない。そう言えば、「維新」が支持を伸ばしているのも、自民党もイヤだが、立憲民主党も共産党もイヤだという「世論」があるからだ。つまり二大政党制は失敗だったと見極めて、全政党が自民党に入って派閥として動いた方が「実質」が見込めるってことか。

 高度消費社会の人々の暮らしが動物化したといわれるように、暮らしの安寧が確保できれば、文句言うことはあるまいと習近平の専制主義は言うであろう。似たような統治センスを持っている自民党も東アジアの同じ穴の狢か。グローバリズムがすでに破綻したと見きれば、小さな主権国家単位の保護膜の論理で一貫できるのに、中国は市場を席巻する経済的な勢いで、グローバリズムを取り払えない。日本の為政者も、先進七カ国の名にかけても昔の夢よもう一度と、相変わらずの振る舞い。

 これも、日本の人々の知恵知識を結集するって場を整えず自然(じねん)のままに放置して、上昇過程にあった経済的勢いと緩い政治的安定に寄りかかってきたツケが回っているってところだね。誰か本気で、どうしたものだろうと考えてくれているのかね。事実も知識も、みな分節化してしまって、それぞれの分野でたこつぼを掘って自足しているんじゃ、何のための学問よ、科学よ、知識人よ、専門家よと愚痴が口をついて出てくる。

 朝の感懐としては、ちっとも清々しくない。カーテンを開けるともう外は明るい。曇り空。気温ばかりが高くなると予報が聞こえてくる。本格的な夏になる。

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