2022年6月3日金曜日

なぜ「理念」は壊れたのか

 WWⅡの人類史的遺産という「理念」がなぜ壊れたのか。それから考えてみたい。

 まず私が「理念」をそれとして抱くようになったのが起点。戦中生まれ戦後育ちの受けた「日本国憲法」に基づく(自由・人権・民主主義・平和という理念)教育がそれです。

 WWⅡを戦場において体験した人たちは、そうは受けとらなかったかもしれません。彼らは敗戦の屈辱を被せて、戦勝国によって押しつけられたと思っていると後に判明します。でも自ら引き起こしたという後ろめたさを感じていたから、戦争を口にすることもなく沈黙していたとも言えます。そう思ってみると、敗戦国民(という当事者)は「反省」することはできなのかもしれません。「日本国憲法」も、その原案を制作したGHQ民政局の若手スタッフであってこそ、「人類史的」立場に立つ視点を持つことができたとも言えます。

 人類史的視点というのは、国民国家の枠組みを超えなければなりません。広島の原爆碑に「過ちは繰り返しません」と記されているのは主語が分からないと批判を受けていますが、これも人類史的視点に立った言葉と考えると、氷解します。

 もう一歩踏み込むと、戦中生まれ戦後育ちは、二つの社会通念批判としてその理念を受けとめたと私は考えています。

(1)国民国家の枠組みを取り払い人類という視点を持つことが普遍性を体現する(人類史的な)観念であること。

(2)社会と国家とを分けてとらえる(愛郷心と愛国心とを分けて考える)という観念です。

 前者の普遍概念は、たとえば、「我が国」というよりも「日本」と呼ぶことがより普遍に近づくと考えて、後者と順接するように考えられていたわけです。これは、学問の世界においても欧米発の普遍理念が当時のデファクト・スタンダードであったのを、あたかもグローバル・スタンダードとして受け止めることへとも順接し、ここにまた「誤解」があったと後に感じるようになりました。

 もう少し(1)の子細に踏み込みましょう。国民国家という観念もそうですが、人々が集団を為してからの様々な社会形態を積み重ねてきて、日本の場合でいえば、明治以降になって「ニッポンジン」という民族意識が芽生えてきました。人の心裡での発生的には「わが郷」が所属集団として意識され、それが「わがクニ」と呼ばれたときも、武蔵国とか讃岐国という、いまで謂えば郷里を意味し、明治以降に「わが国」と呼ぶようになってやっと民族の一体性を意識するように変化してきました。それもたとえばウクライナなどと違って、国境という結界が自然に出来上がっていたわけですから、ネイションシップもまた自然に生まれた観念のように思っていました。心裡での観念の発生は堆積して広まりつつ子細が捨象され、いうならば普遍性に近づくわけです。この感触は、案外ネイションシップの自然感覚に近いかもしれません。

 ところが欧米発の普遍性は(日本での場合)謂わば発生過程をショートカットして、正義性をまとった「普遍理念」として(欧米に学ぼうとする私たちの胸中に)飛び込んできて居座ったといえます。ことにWWⅡへの(大人世代への)批判的な視線が優勢となった戦後社会の若い世代においては、身の裡のどこかに受け継いで堆積している旧習の文化を否定する気持ちが強く、わが郷里を意味するクニなどは「共同体」という言葉共々どこかへ葬り去りたいとさえ感じていたのではないかと(後に私は)少し上の世代の言動に感じたことがありました。

 しかし「神は微細に宿る」。わが身に刻まれたナショナリティの原型の感触は、わが身を対象化して考えるようになると、普遍が実体的なものではなく、遠近法的消失点に位置している(目指すべき地平)であり、それに近づいていくにはわが身に刻まれた痕跡を目に留めておかねばならないと、訴えているように聞こえてくるのでした。「我が国」と呼ばず「日本」と呼ぶ視線は、ある意味で「人類」という超越的視線をもつことです。それはモノゴトをとらえるときに、まず「世界」に自らを位置づけ、然る後に「我が国」の利害得失を考えるという方法論的な視線の必要を提起するものであったと言えます。

 ところが、欧米の(なのかアメリカの)「理念」は(日本風にいうと)タテマエとなり、ホンネの部分では#me-firstを覆い隠す衣装でしかなかったことが、政治的な争いの中でいつもいつも露わにされてきました。それがWWⅡの反省を踏まえたはずの20世紀後半の国際関係で剥き出しになってきたのです。

 21世紀になってそれが明白になったのには、情報化時代という技術的な変化が寄与しています。それは「神が宿る微細」が、情報として(これまでとは次元を変えて)広く深く(個別性を湛えて)伝わるようになった。と同時に、普遍の前提とされていた「正義/真実」さえも掻き回されて、大多数の人々の共通認識から崩れ落ちて「人それぞれ」となり、一般的に目に止まらなくなっていきました。フェイクだといってしまえば、それもまた(情報は受けとる人が真偽を見極めるもの)となって「一つの真実」と受けとられる事態を招いているのです。つまり情報化社会は、その情報を受けとる一人一人が「主体」として情報の価値判断をする権利を持つようになってしまいました。

 情報によって共通体験が細分化され分節化されて、個々個別に人それぞれが真偽を見極めるという風に変わってしまったわけです。人々の持っていた共同性は失われ、社会的な連帯感は希薄になり、心裡の底に溜まっている#me-firstがあからさまに露出するようになってきたのが、トランプだったというわけですね。

 トランプの出現が激震だったのは、タテマエとしての「理念」も投げ捨てて、フェイクも利害もエゴセントリックに#me-firstを貫いたこと。それが世界一の大国アメリカの大統領だったことです。たちまちその風潮は世界の政治家たちや企業経営者たちに染み渡り、WWⅡの反省としての人類史的遺産は雲散霧消してしまいました。

 ロシアの仕掛けたウクライナ戦争は、その究極の結果でした。ただ面白いことに、それによって、それまでバラバラでまとまりのなかったウクライナは一挙に国民国家としての一体性を取り戻しました。逆にロシアは社会統制を強化して一気に独裁国家になってしまいました。それが、ロシア国民にどれほどの失望を与えたかは、もっと時間を掛けなければわからないことですが、世界の人々に自由社会と民主主義の理念がどれほどに大切であるかを再認識させたことは、間違いありません。この点で中国など、第三者的な顔をして今の状況を読み取ろうとしている国々の為政者は、戦々恐々としていると私はみています。つまり、世界世論を無視できないのです。

 ところが、為政者たちは、理念など忘れたかのように目下の戦況ばかりに注目して発言し、人々が共有する「ことば」を発していない。つまり彼らは、世界世論にさほどの重きを置いていないのです。私たち戦中生まれ戦後育ちが身に刻んで受け継いだ、WWⅡ反省の最大の人類史的遺産は、自らを主体として自らが考え、異なる意見の人々と協同して、試行錯誤して社会をつくっていくという作法です。そのベースにあるのは、「世論」のベースにある私たちの社会が醸し出す気風。民主主義といってしまうと「強権的統治も人民民主主義だ」と中国方面から言葉が飛んできますが、まさしく私が受け継いできた民主主義は、社会をつくっていく作法の有り様なのです。(つづく)

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