昨日の話に続ける。「日本人どうしでいる状態を失うことが怖い」かどうかはともかく、「日本人どうしでいる状態」を心地よいと考える思いは分かります。気脈を通じるという言葉がありますが、言葉にしなくても、ただそばに座っているだけでなんとなく心穏やかにしていられる顔見知りというのは、居心地が良い。これは身の覚え。
そういう気脈を通じるのに近い関わりを持ったアメリカ人もいました。コスタリカやカリフォルニア、アラスカを案内してもらったバーダー。2011年の3・11のときは「さいたまも危ないのではないか」と心配してくれたりしました。あるいはまた、ベトナム・タイの旅の途次で出逢ったオーストラリアからの旅人もいました。ビールを飲みながらバンコクからメナン川を遡る旅を共にしたことがあります。世間話が苦手ということもありますが、言葉を交わすのは草臥れます。さほどに英語がしゃべれないこともあって、いつも緊張している。母国語でない言葉を話すというのは、一言一言を意識して構成し発話する過程を取っているからだと思います。身がついていかないのでしょう。日本語で向き合うというのが、まず私にとっては緊張を高めない第一条件です。つまり身と心の心地よさは、つねなる緊張を望んでいない。
むしろ議論でもした方が、下手な英語を忘れて面白かったという思い出があります。いつであったか、タイからの帰りの飛行機の中で隣り合わせたスイスの老婦人。ワイナリーを息子たちに委ねて四国の旅の何度目かを愉しみに来ている方。彼女がスイスの自国防衛の軍事訓練を誇らしげに語ったので、ナチスがスイスを攻めなかったのは国際金融のパイプとして残しておくと見たからではないのかと話を振って、ちょっとした議論になった。老婦人はナチスが(攻め手にあぐんで)スイス攻略を断念したと力説して、スイス金融パイプ論を一蹴した。お酒を飲みながらの話しであったから、いつしか日本の自然信仰の話になり、ヒンドゥーとか仏教と対するに唯一神の自然観の話になったら、非番で移動中のタイ人CAが話しに加わって、ずいぶんあれこれと喋ったことがありました。これなどは、それ自体が意識的な発話だったからだとふり返って思います。つまり意識的な関わりのときは、緊張感にあふれる身の感触を面白いと感じているとは言えます。身の覚えが、分裂しています。
ま、私の世代と私の子どもや孫たちの世代とでは、外国人や外国語、海外情報と接する機会も多くなって、さほどの抵抗感を抱いていないようには思います。ガイジンが日常化してくると、**人という異なった文化に身を置く人との交通というニュアンスが起ち上がり、ガイジン一般が消えていっています。私たち戦中生まれ戦後育ちという世代は、戦後復興から高度経済成長を経てバブル経済の時代まで、まさしく外国とのふれあいが頻繁になり、海外文化との接触を身にしみて感じてきた、その途上の世代でしたね。エマニュアル・トッドがいう日本人の心性は、その私たち世代の(受け継いできた)文化的特徴を指しています。
子や孫の世代は、海外との交通が日常化してきています。彼らは、「日本人どうしに居心地良さを感じる」というのとは違った感性をもっていると、若い人たちの振る舞いを見ていて感じます。いうまでもなく、海外文化に対する好みも形づくられている。それに応じて、それぞれの国を出自に持つ人たちへの選好も生まれている。私たち世代のように、中国人や朝鮮人・韓国人に対して(過去の侵略を思い出すから)一歩退いて話を聞こうとするような斟酌はしない。率直に言いたいことを良い、耳を傾けるべきことには素直に遵う。海外で働くのは恒に緊張を強いられてしんどいけれども、それはそれで人々の力になっているのだと頑張っている。個々個別の人たちとの向き合い方は、若い人たちに学ぶような時代なのだと思います。
とは言え、目下の日本を牛耳っている為政者は頼りなく、昔気質のというか、古い夢をもう一度というセンスに満たされた年寄りたち。トッドが感心した「先見の明」を、相変わらず堅固に保持して30数年。人口問題など、もはや「先見の明」どころか「後顧の憂い」になっているほど放置して、一向に恥じることのない方々です。
若い人たちを大事に育てようという識見も持たっていない。相変わらずガイジンを差別的に扱って恥じない。バブル経済期の遺産を食い潰している「日本人の誇り」を再興しようと称揚して、足下を危うくしています。
この人たちが政治の主導権を握っていられるのは、市井の庶民の心持ちにおいて「日本人どうしに居心地良さを感じる」心性に依存しているからです。バブルに向けて懸命に走っていた時代の経済戦士たちは、すっかり草臥れて、これが「わたしたち」の望んでいた豊かな社会なのかと迷ったことがあります。80年代。ひょっとするとアメリカ経済を抜いて世界一の経済大国になるんじゃないかと夢を描いた経済界のトップもいたくらいです。でも下っ端の戦士たちは、世界標準の豊かな経済には、何処かついて行けないものを感じていたのではないでしょうか。
それは私たち日本人の暮らし方を見直すような声ともなり、金儲けよりも社会や暮らしを豊かにしようという方向へ舵が切られて行きます。日本の街を整備する投資が増えたのも、あながちアメリカから内需拡大を要請されたからとばかりは言えません。それに伴い海外勤務を断る人たちも増えたのは皮肉でした。そのときから日本の企業は、中小下請け企業を含めて海外へどんどん進出していったからです。その後の「失われた*十年」は、まだバブルの経済的蓄えを食い潰して来ましたから、日本経済全体が未だ先進国であるかのような顔をしていますが、その分配や活力源を見ると、そろそろ恥ずかしげにした方が良いような気配です。
まあ、社会の埒外に身を置く年寄りは、そういう日本社会の変容の邪魔をせず、むしろ岡目八目で成り行きを見守るようにすることになりそうです。何もせず成り行きを見守る。こう言うと、何だか今の政治指導者をみているようです。せめて引退勧告でもしましょうかね。
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