四万十川の探鳥の旅が終わってから一週間になるが、躰の強張りと肩甲骨の張りが収まらない。もともと体が固かった。肩甲骨と肩の張りは昨年の事故の置き土産のように続いていたから、今更といえば言えなくもないが、今更そう感じるのは、やはり鳥観の合宿3日間が響いている。ことに肩甲骨の張りは、事故の置き土産の張りとは少し箇所が異なる。肩甲骨の下の方、どちらかというと肝臓が傷んでいるのかなと思うほど。お酒も止めてみたり、湿布薬を貼ったり、リハビリに行って症状を訴えて手当てをしてもらったりしたのに、収まらない。
疲労がこのように長引くのは、古稀を過ぎてからよく見られるようになった。若い頃には疲れが直ぐに現れて、足腰に痛みを感じたり、攣りそうになったりした。その痛みを感じ取るのが鈍くなり、疲れが体に沈潜するようになったと考えている。近頃は「80歳の壁」というフレーズも目に止まるようにもなった。
痛みは回復過程で起こることと私はみている。疲れも、内臓の機能的な低下からくる疲れと怪我や打ち身などの神経系や筋肉疲労からくる疲れとは、身体内部での伝達次元が違うと思うようになった。内蔵機能の低下から来る疲れの方がより深い次元にある。それは回復程度の違いにもなる。そう感じている「わたし」とは「わが心」であることに気づいて、わが身の裡の「疲労」の伝達経路のメカニズムが浮かび上がってきた。
つまりこういうことだ。動いたり人やモノゴトと関係を持つことによって生じる刺激が疲れと感じとるのは、わが「こころ」。つまり、身の裡側からの変異の模様を伝える情報を統括的に(内部・外部との関係において)受け止めている「関係感知センサー」が「こころ」だ。痛みや傷み、強張りや張り、内蔵機能の調整がうまく働いている/いないなどを、循環器や呼吸器・消化器・排泄器、あるいは神経系などを通じて伝えられる時々刻々の情報が、「からだ」のどこかで集約されて「痛み」や「傷み」・「疲れ」、あるいは「心地よさ」として感知する。その生理的・物理的変異を集約するどこかを私たちは「こころ」と呼んできたのではないか。つまり「こころ」は、わが身の総合的感受装置であり、それは同時に、わが身を社会関係に置いてみる時には、(外部との)「かんけい」の感受装置となる。その装置が「あたま」にあるかどうかは、どうでも良い。
ただ、伝達感度が鈍くなるのか、感度が鈍くなるのか分からないが、歳をとると生理的・物理的な伝達能力が衰えてくる。例えば近頃感じるのは、水分摂取に関してわが体はずいぶん鈍くなってきた。喉の渇き、汗の掻き方、外気温の感知、排泄の不得要領などに、まず現れる。
若い頃は、それらを気にしたこともなかった。喉が渇けば水を飲めば良かった。水を飲み過ぎれば、飲んだ先から汗になって流れ、身の疲れがぐっと感じられて歩けなくなったこともあった。今は1日経ってはじめて(おやっ、昨日は)水分摂取が足りなかったのかなと思うように便が硬くなる。ときに便秘気味になって悪戦苦闘するようにもなった。寒暖差も感知能力が鈍くなり、すっかり冷え切ってから薄着であったと反省するようにもなった。
その鈍くなったツケは、では何処へ行くのか。内臓の機能不全になっている。あるいは歯の不安定に結びついてくる。「こころ」はしかし、統合的装置だけあって、なにがしかのサインを発している。お遍路では「飽きた」ように感じた。疲れが溜まっているんじゃないかと思うようなダルさとか、つまんないなあと思ってTVドラマを観るのをよしてしまうようなことだ。逆に、「合宿」とか「会食」などになるとつい我を忘れて飲み過ぎたり食べ過ぎたり無理をしていたりする。これもわが「こころ」の関係感知能力が然らしむるところ、たぶん、おしゃべりをしてわいわいと時を過ごすことを躰が求めていたのだと受け止める。「己の欲するところに遵いて矩を越えず」と思っているが、未だそこまでわが身の自然が出来上がっていない。あとで、ツケが回ってくる。翌日をボーッと過ごす、あるいは、一週間経っても疲れが抜けず、リハビリに通うようになる。
歳をとると躰に聞くことが多くなる。「体」と表記する時は物理的なボディを意味するニュアンスがある。「身体」と表記すると身と心とを分けて考えている感触がこもる。日本語の「身」には、生きて活動している「からだ」、つまり、心身一如という感触が込められている。だから私は、その意味を込めて「躰」という表記を用いている。
「己の欲するところに遵いて矩を越えず」といえる躰であってほしいと願う。できうるならば「意思」の作為を用いず、身と心とが符節を合わせて衰微していって、ほどよいところで「矩を越えず」と運んでほしい。そう願って、今日もリハビリで解(ほぐ)してもらってきたところだ。
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