2022年7月1日金曜日

外のことに気を取られている

 1年前(2021/6/30)の記事「馴れと慣れと茹でガエル」は、コロナウィルスの感染者数を前年と比較して「かわいいもの」と笑っている。

  2020年6/29……東京47、埼玉11。

 2021年6/29……東京317、埼玉68。

 2022年6/30……東京3621、埼玉1172。

 いやはや、カワイイなんてものではない。取るに足らない。

 2020年の6月末は、10日程前に「県境越境自粛解除」なるものを出して、go-toへ乗り出そうとしていたのではなかったか。2021年の6月末はオリンピック開催実施を決めて、感染防止バブルをしっかりやりますと政府はいい、IOCの下請け機関か日本政府はと批判を浴びていた。今ふり返ると、それとても(感染者数は)現在の1割に満たない。でも今年は、海外往来自粛も解除して、もうwith-コロナでいきましょうと前のめりになっている。

 去年は《ひょっとすると、「危険察知」能力が拡散して、希薄になっているとも考えられる。》と茹でガエルが茹で上がる寸前で、しかも《日常の過ごし方自体が、「お祭り騒ぎ」に仕組まれている》のだから、若い人たちが平気の平左になったとしても不思議ではないと世の趨勢を見て取り、《昨年以来の日本の高齢者の振る舞いは、褒められていい。わが身を考えてみても、自画自賛したくなるくらい、自己防衛に徹していた。》と賞賛というより、そもそも行政ってそういう(あてにならない)もんだよねと諦め顔の年寄りって感じだった。とは言え、未練たらしく次のように付け加えている。

    《もはや政治家に何かを期待する気分はないが、彼らが勝手なことをしているのに、そろそろ掣肘を加えたいと思う気分だから付け加えるのだが、大きな絵柄を描いて、上記したような「将来に対する不安」を解消する「地平」を指し示すのが、政治家の役割。細かな(非感染)五輪バブルの手立てを疎にして漏らさぬように講じるのは、役人の仕事。そう心得て、振る舞ってもらいたい。ゆめゆめ、民草は「茹でガエル」とみなして笑い飛ばすことをなさいませぬように。》

 今年は参院選の真っ只中。為政者が腰を低くしているかというと、そうではない。コロナ禍という痛みにあたふたしていた昨年に比して、今年はロシアの仕掛けたウクライナ戦争が日々実況中継されている。何か身に痛みを感じたとき、それを取り去るには、それ以上の痛みを別のところに与えるという作法を、麻酔が発達してなかった頃にはやっていたと耳にしたことがある。いやあるいは、心理学実験か何かの報告書だったろうか。つまり、ウクライナ戦争が目前に展開されて、そう言えばウクライナではコロナはどうしているんだろうとTV視聴者は気にするけれども、TV局スタッフや出演者が口にしたのを見たことがない。馴れでも慣れでも茹でガエルでもなく、外のことに気をとられてコロナ禍はどうでも良くなっているのじゃないか。

 市や区の広報誌は「4回目のワクチン接種を実施しています」と案内している。だがその「案内文書」が届かない。昨日で3回目接種から5ヶ月が過ぎたのにどうしたんだろうと、カミサンは心配している。「参院選でそれどころじゃありませんよ」っていうんじゃないのと、私は笑っている。

 などと思っていたら、東京都が「警戒段階をひとランク上げた」とニュースが流れている。忘れたわけじゃないんだ。担当部署はそれなりに気を配ってるんだ。ならば、1年前、2年前と比べて、こうだったのに、今こうしていると、足跡を辿るのにも気配りする部署はないのかね。

 そもそも論を言ってどうにかなるものではないが、小池知事もぼちぼち「東京にヒトが密集しすぎる」と首都圏拡散論を打ち出しててもいいんじゃないのか。そういう爆弾発言で気を引くのは、得意技じゃなかったか。人口減少モンダイと一緒にして、一挙解決を探る道筋を付けられそうに思うが、どんなもんだろう。

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