2022年7月18日月曜日

追い剥ぎが剥いでいった素裸の忖度文化

  そうだ、まだ1年前は菅政権であった。この記事(2021/7/17)「表通りだけで世の中は成り立っていない」は、ホンネとタテマエという言葉の使い分けで人と人の関係に「忖度」を持ち込み、強制力という形を取らずに「思惑」を押しつけるやり方を(政治手法として)とるのを、裏通りとみて批判したのであった。

 ホンネが剥き出しになるのはみっともないが、そんなことを口にさせるのは無礼だという文化がどういう社会関係の積み重ねで醸成されて、私たちの身に刻まれてきたのか分からない。たぶん礼節を基本的に海外から受け容れてそれを換骨奪胎してわが物にしてきた文化形成の列島的特性が、人の肌感覚になって来たものかと思う。

 一万数千年前にこの列島に居着いていた南方系とか北方系と後に名付けられる人たちの集団がそれぞれにもっていた文化が、交通がはじまるにつれて互いに混ざり合うときの浸透度は、異なっていたに違いない。そこへまた、半島を経由したり大陸からなにがしかの形で流入してきたのが混ざり合って、あるいは力比べをし、あるいは縄張りを張り合って共存交流し、統治を必要とする社会と国とを形作り、言葉を通じて定着を試みてきたのが、今私たちが身に刻んでいる文化である。一貫性があるわけではないし、換骨奪胎してわが物にした程度も部分も土地と人とによっていろいろであるから、その違いが往き来する場面になると齟齬も起こる、衝突も避けられない。

 こうも言えようか。戦中生まれ戦後育ちの私の世代からいうと、WWⅡの人類史的反省としてはじまった「日本国憲法」の民主主義・平和主義・基本的人権の時代が終わって、国際関係もすっかり「理念的衣装」が剥がれてしまった。辛うじて東西冷戦という舞台が続いていたために、強権的統治よりは自由で民主が良いと謂う気分で持ちこたえてきた。しかも、一億総中流の甘い味がそれを裏付けていた。ところが、資本家社会的な経済の舞台でひょっとしたらアメリカを追い越すかという立場を味わったものだから、アメリカン・スタンダードでグローバル化が流れ込んできたとき、その一つひとつを(社会経済の全体像から考えて)吟味することをせず、出来るだけ受け容れようとして、継ぎ接ぎの断片を受け容れてきた。明治維新のときには、何年か国内政治を停止するようなことをしてまで社会や経済体制を総体として見渡していた。それは、薩長政権という誹りを受けながら、なお、日本という国民国家を一つにしていかねば政権の正統性がないという差し迫った圧力が為政者の心裡にあったからだろう。

 そういう観点からいうと、中国がアメリカン・スタンダードを組み替えるとしてグローバルイメージを持って経済体制を構築しようとしているのは、日本の「失われた**十年」の轍を踏まない賢明な選択と謂わねばならない。日本の為政者にそのような知恵を授ける「識者」がいなかったわけではなかろうが、在野を含めて知恵知識を結集して日本社会をつくっていこうという気概は、小渕政権を最後に途絶えてしまった。官僚機構にそれだけの知恵がなかったのかどうかは分からないが、それを汲み上げる政治家がいなかったことは間違いない。どうしてこうなっちゃったんだろうと思うが、最初の述べた文化移入の一つひとつを子細に受け止めて、薬籠中のものとする技に何か足りないものがあったのだろう。

 こうして、アメリカン・スタンダードを我流に(ときに純粋論理的に)受け容れて、己が産業社会体制の持っている大事なものを水と一緒に流してしまうこともしてしまった。その部分部分の手直しでは追いつかないことが「失われた*十年」で警告されるづけたにもかかわらず、なるがままに任せてきた結果がここ十年ほどの間の、東日本大震災やコロナウィルス禍で露わになった。にも拘わらず、相変わらず80年代の夢をすっかり代わった舞台で踊ろうとしてきて生み出されたのが、現状の日本の社会であった。安倍=菅政治はその象徴のような存在であり、岸田首相が「新しい資本主義」を標榜して登場してきたとき、ひょっとすると化けるかなと期待を抱かせたが、ただの泡(あぶく)であった。

 当の安倍元首相が狙撃され死亡した。追い剥ぎに襲われたようなものだが、さてこれが素裸の忖度文化を見つめ直して、近代的な権力統治の表通りを立て直す一歩に出来るか、問われているように思う。

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