手掌の手術をしてから一週間の診察を受けに行った。厚く巻いていた包帯を鋏でジョキジョキと切り取って剥がしていく。その手際の柔らかい果断さに見惚れる。手の平をどのように切ったのか、私は全く知らない。
「ブラックボックスですね手術っていうのは」と口にすると、
「気が付いたときは病室のベッドにいたでしょう」と笑っている。
手の平の傷口は何本かの線と、縫合した後であろうか、それと直交する短い線とが広がっている。こんなにたくさん切ったんだ。もしこれをみていたら気を失ったかもしれないと、わが小心を思い、全身麻酔とブラックボックスを腑に落とした。ところどころを押さえて、傷口の付き具合をみているのだろうか。小指をピキッと反らせる。私はウッと呻る。
「あっ、ごめんごめん」
他の指を触って、痺れ具合を尋ねる。人差し指は痺れるというと、その中指側の側面を撫でて、ここも痺れると訊く。おや、そこは痺れの感触がない。不思議なことに、指全体と指の側面では違う。医師は、そうでしょうという顔をしている。そうか、神経の通り筋が違うのか。それを熟知しているから、何処がどうなっていると予測を立てられる。
順調に手術は進み、順調に恢復しているとみていいらしい。医師は口にはしないけど、傷口を軽く消毒して、軟膏を塗り、綿を被せ、ガーゼを何枚か重ねて置き、その上から包帯を巻き留めて、まず小指を独立して手当てし、その後に手の平全体を、指をそれぞれに動かせるように離しながら、左手の平を包帯でぐるぐる巻きにする。看護師が綿を手渡しガーゼを用意し、包帯にかかってはそれを留めるテープを切り取って準備する。言葉を交わすことなく進む運びをみると、手慣れた手順。
その間に、痛みがどうであったとか便秘気味であったとかこちらが話すのを聞きながしているのかと思ったら、「また来週来て下さい、痛み止めと酸化マグネシウムと痺れを抑える薬を出します」と笑って、釈放となった。
9時半の診察予約であったのに、医師と向かい合ったのは1時間10分後。治療は10分か15分。会計は140円。11時10分には病院の玄関にいた。17分ほど待てばバスもあったが、4km、歩けば50分ほど。暑い日差しを鍔の付いたモンゴル帽子で避けて、自動車道を離れて帰途につく。
向こうから小学生が三々五々帰ってくる。そうか、今日は終業式だ。子どもたちの姿が解放感に溢れている。小学校に近い車道では列を成して歩く子どもたちに混じって、声を張り上げて左へ寄りなさいと叫んでいる大人は教師か。これも大変だな。上履きを手に提げた中学生も二人、三人と歩いてくる。独りで俯いてやってくる女子中学生もいる。そうだ、三室中学とか東浦和中学というのが途中にあった。と、向こうから何も持たず駆け足で学校の方へ向かう制服の女子生徒がいる。忘れ物でもしたのだろうか。
こんにちはと、声をかけてきた、ひとり歩きの男子小学生がいた。5,6年生くらいか。「夏休みかい?」と応じると、ニコッと笑って、首を縦に振った。今も昔も変わらぬ子どもの姿。でも近頃の報道をみていると、小学校も20年ほどの間にすっかり様子を変えてしまったようだ。痛みや痺れが酷くなったのか、今はそうでもないが、後に痛みがやってくるのか。痛み止めや痺れを和らげる薬は処方されているのだろうか。それとも、こうした気遣いは、年寄りの冷や水か。
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