宮古島から帰ってきました。3泊4日の探鳥の旅でしたが、私にとっては初めての宮古島。他の3名の人たちは鳥観の達者な専門家。もう何度も宮古島に足を運んでいる。相変わらず私は門前から中に入ろうとせず、師匠の縁に導かれて門内境内の達者たちを見て驚嘆してばかりです。でも先月の四万十・ヤイロチョウ探鳥の「合宿」の旅と異なり、車で移動することが多く、毎日の歩行は8千歩くらいのもの。食事も、ホテルの朝食は別として町中の食堂での昼食やレストラン、居酒屋での夕食となり、食べ過ぎるということがなく、体にはやさしい旅でした。
石垣島よりも小さいが、コンパクトにまとまったリゾート地の風情に驚きました。宮古島というのは、底辺の長い二等辺三角形の等辺の一辺が東西に30km余延び、南北にもうひとつの一辺がやはり30km余延びて、長い底辺が南東から北西へ50kmほどあるという姿。三角形の頂点に小さい来間島(くりまじま)が橋で結ばれ、北西の頂点の先に池間島が橋で繋がり、南北辺の中央部の4kmほど西に大きな伊良部島と小さな下地島が、日本一長い無料の伊良部大橋で結ばれている。他にも大小取り混ぜて島は点在するが、今回それらは見るだけの宮古訪問となった。
リゾート地風情というのは、建築中かと思われるものもふくめて、平屋のコッテージが軒を連ね、聞くと、リゾート開発が進んで、完成した建物を別荘地のように求めたり、移住してきて暮らす人が増えていたが、ここ2年半以上コロナウィルス禍で凍り付いたように止まってしまった。建築途中で放置されたり、購入はしたものの足を運ぶことがなくなってしまったりしているという。やっとここにきて、コロナが落ち着くかなということで工事が再開されたところもあるが、またぞろ三桁の感染者数が出て、人口比では全国トップクラス。それもこれも、観光で成り立っている島に人がやってきて、ウィルスを持ち込んでいるからに他ならないが、痛し痒しというところのようだ。
来島客は多い。羽田からの直行便はANAやJALとあり、満席であった。那覇との便は1日何便もあり、石垣島との便も運行されている。帰りの空港は、そちこちへの乗客でごった返し、手荷物検査が追いつかない様子であった。手荷物検査が終わってから、土産物店で泡盛の古酒でも手に入れようと私は考えていたが、検査が終わってみるともう搭乗がはじまっていて、土産物屋に目を通す余裕はなかった。
島を訪れる観光客が多いというのは、夕食のレストラン・居酒屋で痛感した。予約がなければ入れない店が何軒もあった。お昼も満席で、断られることが何カ所かあった。ウィークデイ。若い人が多い。現地のガイドをしてくれた石垣島在住のMさんの話だと、十年くらい前は5万人だったのが、5年前には5万5千人、今は6万人ほどに増えているらしい。人口が増加しているとすると社会増だろうが、本当にそうかどうかは、詳しくチェックしてみなければならない。ただ、年寄りの数が埼玉に比べて少ないとは感じた。リゾート地としての仕事が増え、しかし移住してくる働き手たちの住むアパートが間に合わず、新築する端から契約が埋まっていくという。他方で、使い古した公営住宅の廃墟も結構多いように見受けたのだが、一体これらはどうしたのだろうか。
一つ気になったのは、上空から見ても高い山がないこと。せいぜい標高50mもあればいい方。川はない。水はどうしているんだろう。地下水だそうだ。たぶん50m程の深さのところに水を通さない岩盤が緩い傾斜で層を成し、その上に層を成している浸透性の良い珊瑚の堆積層に染みこんだ雨水が地下水をとなって海へと続く。その要所要所に堰止める擁壁を打ち込み、言わば地下ダムを造って水を確保している。それをポンプで汲み上げて高台の上に大きな水槽タンクを設え、そこから飲用水や農業用水、工業用水も供給しているという。昭和62年頃に工事を施したというから、本土はバブル経済のとき。まだ40年経っていない。その頃までは随分と水には不自由していたにちがいない。ホテルの水道水は飲み水としてはうまかった。
サトウキビ畑が広がっている。マンゴーを育てるハウスが畑に棟を連ねている。石垣島ほどには水田がない。豊富ならざる水のせいか。
関東と違って日の出日の入りが1時間ほど遅い。それもあって、4時頃に起き、5時前に出発して8時過ぎまで朝探鳥。朝食を済ませてから再び出発して夕食を済ませてホテルに戻るのは9時頃という行程を、足掛け4日間続けて過ごしたのは、ヤイロチョウのときと同じ。気温は関東とほぼ同じ。日差しは強い。だが、車の冷房装置もあって、疲れ方は格段に少なかった。
石垣島同様、この宮古島もガイドをしてくれたMさんの自然観察動物園という風情で、掌を指すように何処にどんな鳥がいて、どうやれば見ることができるか熟知している。そのガイドに沿って、早朝から夕方まで鳥三昧に過ごした。中でも南東端の東平安名埼の港から沖合2km程のところにある岩礁(パナリ)に集まっているクロアジサシ、マミジロアジサシ、ヒメクロアジサシの群れを観に行ったときには、10人乗りの漁船に船長を含めて6人がのり、岩礁近くに何度も船を寄せてなかなかスリリングなお邪魔の仕方をした。満潮を狙って出かけた。潮が足りないときに近づくと、3人ほどの乗船で船底が岩について、海に降りて押すようなこともしたというから、ライフジャケットを身につけたのも、あながち大げさではないのかもしれない。
こうして、私ごときが目にするのも勿体ないような鳥観の専門家たちを見て、彼が交わす言葉を間近で耳にしてすごしたことは、人が持つ才能の奥行きをたっぷりと感じさせてくれました。いまさら私が手にするのは、もう遅いのですが、でもそういう才能を持った人たちの近くにいてその発露を感じて過ごせただけで、もって瞑すべしだと思ったのでした。楽園の門前から、ちょっと中を垣間見せてもらい、そこに身を委ねる雰囲気の端っこを味わって来た次第です。
0 件のコメント:
コメントを投稿