2022年7月17日日曜日

手掌の老衰

 手術をして、左手が不自由になっている。なにしろ手の平を厚い包帯が巻いている。指は一本ずつ独立して露わになっているが、人差し指と薬指と小指は未だに痺れがとれない。ふだん左手がどれほどの役割を果たしているかに、気づかされる。

 歯を磨くとき、歯磨き粉をチューブからしぼり出すことが出来ない。指先というのは本葉に微細な加減を心得て圧を加えるってことをしているのだ。髭を剃るのも肌を伸ばすように押さえていたのだと、剃り残しの顎を撫でて思う。

 トイレの紙を切り取るのも両手でないと上手くいかない。手を洗うのも、水を流しっぱなしにしてから、液体ソープを左手の甲で押さえて絞り出して洗う。時間をかけると水を無駄にするが、致し方ない。

 シャツのボタンを合わせるのに、時間がかかる。袋から薬を取り出すのも片手では出来ない。水を扱って食器を洗うことも出来ない。手の甲で押さえておいて、右手で鋏を使ったり、小脇に抱えるようにしてペットボトルのふたを開けたりは出来るが、ふだん意識しない動作で辛うじて思いを遂げるって次第である。。

 摑む、摘まむ、触れる、軽く押さえる。その加減も含めて左手は、持つ、持ち上げる、圧す、支えてバランスを取るなど、微妙かつ精妙な動きをして躰全体の多様な活動を担っている。それに気づかずに暮らしてきたのは、まことにラッキーであったと、いまさらながら思う。

 ふと思い出す。中学の頃一時寄留していた家の義理の叔父は(戦争のせいであったろうか)片腕をなくして義手を嵌めていた。ときどき腕が疲れるのか、義手を外して(その先のない)腕の末端を撫で摩っていた姿が目に浮かぶ。青物市場で働いていたから、重い荷を抱え持って運ぶこともあったろうに、黙々と働いていた。あの叔父が、親元を離れて暮らす私のことを気遣って、ときどき優しい声をかけてくれたのも、あの失った左腕の不自由さが源ではなかったかと思い当たる。

 こんなことも言えようか。歳をとるってことは(手術をするかどうかに関係なく)躰の機能が衰えること。全箇所が一斉にってことはあるまいが、どこかが機能不全になると(それを代替する作用も働きはするものの)全体の動きに不都合が生じ、ついには動かなくなる。それを寿命というとすると、故障箇所が明白な場合は、その箇所が死因となる。だが、故障箇所が特定できず、躰の(全般的な)劣化によって機能不全が生じたとき、「老衰」と呼ぶのだと思った。

 今日(7/17)の新聞に名のあるフルート奏者の死亡記事が載った。「15日、老衰で死去、80歳」と。ああ、私と同い歳だ。私の場合、老衰(筋拘縮による左手掌)、80歳ってことか。

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