2022年7月29日金曜日

身に刻む習慣性の習い

 昨日(9/28)、手術してから2週間の診察をしてもらった。術後、一度包帯を取り換えるとき、傷を目にしたことはあったが、手の平に大きな傷口が何本かあったという印象であった。包帯でぐるぐる巻きにしているから、左手の動きは良くない。人差し指、薬指と小指が痺れている。いや、これを痺れというのだろうと思っている。なにか透明なセルロースを指に被せているような感触。ヒリヒリしている。そうだ去年、山の事故で両の手を打撲したとき、何ヶ月かの間ヒリヒリが続いた。整形外科医はそれを頸椎変形による頸髄損傷で神経が傷んでいると言っていたが、あれと同じだ水が当たっても痛みが走る。

 今日は左手の平の糸を抜いた。すっかり手の平の包帯を取ってしまったから、傷口がはっきりみえる。手の平の根元、手首に近い当たりから手の平の中程にかけて真っ直ぐに傷は入り、そこから小指の第1関節に向けて稲妻状に6本の切り後が続いている。その各所に傷口を縫ったあとが何本も入っている。医師は私を寝かせて抜糸したから抜くところを目にすることが出来なかったが、何度もピンセットのようなもので摘まんで抜き取る作業が、ゆっくりと繰り返される。その都度痛かったりツーッと軽い感触が走りすぎるように思った。取った糸を傍らのガーゼに擦り付けていたのをみせながら医師は、30針は縫ってますねとにこやかにいう。手の平は、包帯を巻いていたときと同様、傷をかばうように少し内向きになっている。まるで手に平に軽く何かを持っているかのような感触がする。医師は小指をぐっと伸ばす。痛い。「痛い」というと、ふむと頷く。人指し指を摑んで伸ばす。指は内側へ向いたままだから本当に痛い。「うっ、いてて」と我慢したあげくに声を上げる。今度は第1関節、第二関節と曲げて手の平に付けようとする。これは痛い。本当に痛い。

「引き攣る繊維を取りましたからね。でも繊維に合わせて皮膚も関節も曲がったままにしておくと、曲がったままになりますから痛いでしょうが、伸ばしてください」

 と、曲げる&伸ばすを、5秒ずつ,5分ほど、1日3回。出来ますかね? と最後は私に問う。

「できます、いや、やります」

 と部活の高校生のように応える。

 水で洗っても良いといいながら、片隅の洗面台に案内し、石鹸を付けてくれる。これは驚きであった。抜糸した後の引き攣る手の平が縮こまるような気配だったが、泡立つ石鹸が水に流され、擦る右手の柔らかい感触が、解放感を伴ってくる。やっと、包帯を取ったという気分が身に広がる。

 夜寝るときだけ小指に付けるギブスを作り、包帯を巻いて家へ帰った。巻き方などを、カミサンに伝えるためと、ギブスが包帯を解くまでの間に固まってギブスに成形されるという芸当。なるほどと感心している私は、昭和世代であったってコトか。

 こうして帰宅した。だが、リハビリの指の屈伸は、痛みが走ってなかなか上手くいかない。だがこれも、習慣性の身の習い。ゆっくり、少しずつ、繰り返し身に刻むしかないと思って、1日3回の食事の後にTVを見ながらやってはいる。だが、こういうのが私は、一番苦手だったんだとわが身の若い頃からの習癖を知ることになっている。でもそれに遵っていたら、左手は,曲がったまんまになる。身に心地よいことが身に良いことではないのだと、あらためて思っている。

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