今日(7/26)の朝日新聞に「2つのアメリカ 中間選挙へ足元はいま①」《「草の根保守」共和党も分断》と企画記事があった。ペンシルベニア州ではフリーPAというお茶会運動(ティー・パーティ)が始まり、秋の中間選挙の共和党候補を推薦する動きを見せていると紹介している。アメリカというのは、この予備選挙を含めて、「草の根保守」の市民運動が人々の「声」を集約していくところに民主主義の力の源泉があると思いながら読んだ。
このフリーPAは、RINO(Republican in Name Only/名前だけの共和党員)という標語を掲げて候補の選択をしているとあったので、反トランプ派和党員の意思結集かと私は思った。違った。ペンシルベニア州の上院選候補にあがっていたのはTVの健康番組などを通じて名のよく知られた心臓外科医。それをRINOだとしてフリーPAは、反対している、と。つまり「草の根保守」の共和党員は「既得権益」に反対なのであって、知名度の高いこの心臓外科医を排除しようとしていたのだそうだ。ところがトランプは「当選することが一番」としてこの候補に「推薦」を与えた。果たして行方はどうなるかと,記事は記している。
去年1月の議会襲撃の前後に、共和党の下院NO.3と称されていたリズ・チェイニーを引きずり下ろし、選挙でのトランプ敗北を認めていた上院院内総務のマコネルを非難して、遂に共和党を乗っ取ったトランプといわれてきたが、ここに来て「草の根保守」からトランプへの反撃がはじまったかと私は早とちりしたのであった。そうじゃない、と。「草の根保守」は、トランプの政策を「既得権益」を引き剥がすことと受けとって支持してきたと、市井の民の心裡へ一歩踏み込んで記事をモノしている。
こうもいえようか。トランプが摑んだ共和党支持者の心は、今も生き続けている。そして逆に今、トランプの(既得権益に乗っかった)化けの皮が剥がれつつあるにもかかわらず、それを切り離せないのは、既得権益の象徴的存在である民主党が、あまりにも不甲斐ないからだ。草の根保守の心根が「既得権益」の排除だとすると、民主党左派のサンダースの主張にも重なる。右と左の違いはあれ、広がる格差に不平を鳴らす右と左の「草の根」を一気に引き寄せる好機であるにもかかわらず民主党は,その支持基盤の「既得権益」に気を遣って左派サンダースの支持層を取り込めていない。この朝日の記事は(書いてはいないが)そう読める。
外交的なバイデンの施策は目下、ウクライナの支援を軸に展開しており、それは共和党の支持も得ているから、中間選挙の争点にはなりにくい。とすると国際協調を基本とするバイデンよりも、友好国であろうと競合国であろうと経済計算的な#USA-firstを口にして遠慮会釈なく外国に迫るトランプの姿は、皮肉にも内政的に格差や困難をも解決してくれる実行力にみえてくる。
2016年の投票行動で黒人貧困層の票がトランプへ流れたのも、口先だけの公約に対する無意識の反発が(既得権益を排除することへ)働いたのかもしれない。もう(政治家の)言葉に飽き飽きしているのかもしれない。「草の根」の票がサンダースとトランプに別れてくるのは、やはり下層白人の人種的な皮膚感覚や宗教的なアイデンティティの求心性に依存しているところが大きいのかもしれないが、その部分は私にはわからない。カート・アンダーセンの『ファンタジーランド』などによると、高度の消費生活を楽しむアメリカ人の精神性がすでに高度のフィクションに包まれている。それを考えると、政策がどのように展開されてわが身の現在を変えてくれるかにまで思いが及ばず、見掛けとか、感触が「そのようである」とみえれば、票はそちらに流れていくのかもしれない。
人が変わっているのだ。逆に言うと、人を見る目を変えなければ、人々の心裡をとらえることは出来ない。日本の投票行動をみても(アメリカとは基本モチーフが違うと思うが)、メディアの見立てが的を射ているように思えない。私やメディアの、古い考え方では人々の心裡をとらえることが出来なくなっているような気がする。捉えたからといって、どうにかしようとか、どうにかなると思っているわけじゃないが。
でも、冒頭のペンシルベニアのフリーPAが出遭っているように、どこかで担いでいる人の化けの皮が剥がれるのを目にすることが出来るかもしれない。それくらい、候補と支持者、象徴とわが心の思いとはすれ違いズレている。ひょっとすると私自身がワタシの無意識をとらえることが出来なくなっているのかもしれない。
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