2022年10月31日月曜日

秋色深まる

 久々に見沼田圃を歩いた。通船堀の西側部分は目下改修工事中。川床をさらい、小石を敷き詰め、その上に鉄の網を被せて泥鰌などは住めない水路に変えている。芝川が逆流している。東京湾が満潮に向かっているのだね。この辺り、たぶん標高で3、4mほどだから、こういうことが起こる。もし関東大震災が起こって津波が押し寄せたら、どうなるのだろう。海から30kmほどもあるから、ここまではこないか。我が家の標高が8mなのを思い出す。

 9時前だが、ちょっと寒い感じ。上着の下にチョッキを着てきた。ちょうどいい感じ。ゆっくりと秋が深まっている。一つ気づいたことがある。木々の大きさといい色合いといい、夏場よりも今の方が大きくて、緑色が深い。用水路沿いのサクラはすっかり葉を落としているが、照葉樹も広葉樹も、8月より大きく育っている。樹形が最大値になるのは10月じゃないかと思った。途中でチョッキを脱ぐ。

 調節池には葦や萱が背丈よりも伸びて鬱蒼とした感じを回り込んで入り込む。春には一望できる調節池の水面も、葦を刈り取ったところに行かないと大きく見えない。そういう所には、スコープや望遠カメラを据えた人たちが屯している。

 なぜ屯するのだろう。そう言えばソウルのハロウィンの将棋倒しも、ヒトが屯するからだ。あんな狭い、上野のアメヤ横町のような通りに、まるで昔のラッシュの乗客のように人が集まっている。渋谷の様子もカメラは写していたが、その比ではない。ヒトは本性的に屯していないとジブンが判らなくなる不安があるのだろうか。確かに映す鏡がないとジブンが何者かワカラナイ。でもジブンを映すだけならあんなに大勢で屯する必要はない。だが催し物にせよスポーツ観戦にせよ、観光にしても、大勢が集まるところに行きたくなる衝動が身に埋め込まれているのではないか。その本性が、ある閾値を超えたら、あとは孤独であることも平気になるし、むしろ屯することを煩わしいと感じるのではないか。ワタシはどこの段階で、一人でいることを好ましく感じるようになったろうか。

 車道を避けて森や畑を抜け、1時間余歩いて国昌寺の手洗いを借りる。このあと鷲神社を通ると見沼自然公園までに時間がかかりすぎると思う。えっ、これって、草臥れてるってことか? そう思いながら、見沼用水路東縁の道を辿って北へ進む。サクラは葉を落としているが、ハナミズキは葉を枝から垂れ下げて朱くなっている。銀杏は実を落として、あのクセのある匂いを放っている。自然公園に入ると甘い香りが鼻先をかすめる。カツラが黄葉しているのだ。

 幼い子がよちよちと池の方へかけていく。少し大きいお姉ちゃんがもっていたペダルのない自転車を放り出して、後を追いかける。スマホを見ながら付き添っていた母親が「危ないよ」と声をかけてみている。池にはヒドリガモやオナガガモが集まっている。大きなカルガモは気圧されてか隅の方にいる。オオバンも池の中央へ逃げるように急いでいる。そう言えば、調節池には、コガモ、マガモ、カンムリカイツブリも来ていた。カイツブリやウ、ダイサギやアオサギなどもぽつりぽつりとたたずんでいた。

 ベンチに腰掛けてお茶を飲み、ビスケットを食べる。草臥れたなあと身が訴えているようだ。10.7km、2時間20分くらい歩いている。市立病院の方へ抜けて、遠回りして帰ろうと考えていたが、最短距離を辿ろう。広い見沼田圃の中央を流れる水路に沿って総持院傍を通る車道に出て芝川を渡り、渡るとすぐに西縁寄りの細い畑作業道をあるく。ジャンパーが暑い。脱いで腰に巻く。近くの農家が「野菜売り場」を開いている。何かあれば買っていこうと近寄る。ほどなくお午だ。アラカンの女性が売主と何か話している。

 里芋を買うなら掘ってくるよ。1㌔くらいでいいかね。

 えっ、1㌔ってどのくらいあるの?

 そうだねえ、6,7個かな。

 じゃあ、御願いします。

 大根も持ってこようか。

 はい、いいですね。

 あ、そうだ、自分で掘る?

 えっ、いや、そういう服を着てないから。

 私も、里芋と大根はほしいと思ったが、掘ってくるのを待つほどの体の余裕がない。その場を後にして、東縁の方へ向かう。前の方を高校生くらいの男の子と母親らしい二人連れが歩いている。

 明の星の東側水路から東浦和駅に出る。駅前のロータリーのベンチに腰掛けてお茶を飲む。ホッとする。駅から家までの帰路、後ろから来たアラサーの、5センチくらいのハイヒールの女性に追い越された。自然公園から家まで7.2kmあった。1時間20分ほど。合計3時間40分ほど、17.9km歩いた。時速5キロってとこか。

2022年10月30日日曜日

門前小僧の受想行識

 昨日の記事「文化の戦争」の最後のところで、著者のことばを引用して「中国やトルコのような」統治センスだと「政敵の検閲を正当化するために反ヘイト法を利用しかねない」懸念を表明した。違う。そうじゃない。文化の戦争は法的な整備のモンダイではなく、すでに世間というか、私たちの生活の平場で戦争ははじまっていると思うネットニュースをみた。

 TBSが22日土曜日に放送した「報道特集」にフジTVが質問状を出したという。TBSの報道は旧統一教会の二世信者が「安倍元首相へのオンライン献花を呼びかけている?」というもの。番組は、二世信者へのインタビューで構成され、何人かの「呼びかけられた」とする手づるを伝って発信元を辿ったが、遂にわからないままになったというものであった。フジTVの質問状は、そういう世間の不確かな流言蜚語を番組として取り上げること自体が、旧統一教会に対する印象操作ではないかというもの。TBSは、確かな情報に基づいて取材し構成しているので、指摘されるようなものではない、という趣旨の返答をしたとあった。

 著者の言うような「恐れ」は、統治的センスの政治空間で問題とされることだ。私たちの暮らしの平場では、むしろ流言蜚語の応酬に満ちあふれ、それをSNSなどのネット空間は増幅し、加速している。それを「法的に規制する」というのは、端から統治的センスの問題解決法であった。それが通用するのには、ドイツの人々が共有する(エマニュエル・トッドがいう)哲学的な社会的共通感覚が必要になる。日本のような自然的な身の自然(じねん)を共有している一体感覚だけでは、統治は為政者にお任せになって、平場では、違う対処法をしなくてはならない。それだからこそ「文化の戦争」なのだ。

 どうしたらいいか。ことばとしては「情報リテラシー」と簡単にいう。だが、知的能力を高めて・・・などというのは、何も言っていないのと同じだ。ドイツの人たちがカントやヘーゲル哲学を常識のように共有しているように(たとえば)西田哲学や柳田國男の民俗学を共有していこうというのは、荒唐無稽な話しだ。

 文化の戦争は、日々日常の暮らしの中で行われている。私のような戦中生まれ戦後育ちの年寄りは、身に染みている或る種伝統的な文化の振る舞い作法が、SNSなどの発信に違和感を醸す。その違和感がなぜ起こるのかと、自らの躰に聞くようにしていくことが、情報リテラシーになっているのかな、と思う。

 えっ、なによそれ? と問われるかもしれない。

 昨日引用したエイミー・チュアのことば《往々にして、民族、性、文化、あるいは宗教を隔てる境界――わたしたちのアイデンティティの最も深い層――に沿って分断が起きる傾向にある》ということが、わが身の裡に起こっているのかもしれないと、まず最初の構えを作る。簡略に言えば、ジブンを信用しない地点から「違和感」の根源を探る。

「或る種伝統的な文化の振る舞い作法」がジブンの身を作っていると思っているから、その探索は、戦中、戦後の食糧難や混沌、経済の復興と高度経済成長、一億総中流という高度消費社会、そしてその崩壊と失われた*十年。その過程の、いつどこでこの「違和感」の素がつくられたのか。それはさながら自分史の総覧であり、言葉を換えて言えば、わが身から振り返る戦後史の総括でもある。

 そうして行き着いたところが、エイミー・チェアのことばじゃないが、「わたしたちのアイデンティティの最も深い層」の感触だ。

 いつかも書いたが、寿老人の一人「一万歩老人」が「ねえ、どうして人って憎しみあうんだろう」と溜息をつくように訊ねたことがあった。私が、カインとアベルの時代からそうじゃないか? と応えると、えっ、あんたいつからキリスト教徒になったのよと、すっかり神話を神話の儘に受け止めて笑ったが、それこそ世の初めから隠されていることが、わが身にきっちりと刻まれている。

 若い頃にはそれに振り回され、どうやってかワカラナイがいつしかそれをクリアしてここまでやってきた。振り返ってみると、仏教的な観想が一つの軸になっている。祖母が亡くなって暫くの間、母親が誦経するのに付き合って門前の小僧をしたことがあった。何を言ってるんだか判らないが、そのテンポ、リズム、もうそろそろ終わりだなという呪文が出逢いの一歩。その後二歩目の一歩は、濫読の御蔭で出合った仏教関連書やその解説引用本のあれやこれや。

 そして還暦を過ぎて引退後、四国のお遍路をして般若心経をしみじみと詠んだ。その一言一句をほぐしながらあじわってみると「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是」というのが、身に響いてくる。悟達というのではないし、達観というのでもない。わが身を見る起点であり終着点の感触。どちらも、ずうっと遠方に見える。わが身が誕生する遙か以前からわが身を見晴るかすとそう見える。そしていま、そう感じられるといいなあという感触。わが身が人類史だけでなく、生きとし生けるものというだけでもなく、全宇宙の大海の中に一体となって溶け込んでいく感触に、そうだこれだと膝を打ち、生きているということは、目下受想行識の途次にあると観念することとなった。相変わらず門前小僧の儘である。

 つまり、生きているあいだずうっと、違和感を媒介にしてジブンと向き合って、なぜだ? どうして? と問い続ける。この自問自答こそが、情報リテラシーなのだと思うようになった。わがアイデンティティの根源に触る寸前というような感触で受け止めている。

2022年10月29日土曜日

文化の戦争

 旧統一教会に対する文化庁の「質問権」の行使が行われるという。それが「解散請求」に繋がるかどうか取り沙汰されているが、果たしてそんなことができるのか。マインドコントロールとメディアは言うが、そんなことを立証することなどでとうていできまい。となると、せいぜい「献金」を制限することとなろうが、そうなると旧統一教会ばかりか、多くの宗教団体が「質問権」を行使されることになるのではないか。だいたい寄付行為が一般的でない日本社会で消費サイドから切り込むというのは、どんな法的隘路があるのだろう。

 そんなことを考えながら、ユリア・エブナー『ゴーイング・ダーク――12の過激集団組織潜入ルポ』(左右社、2021年)を読んだ。ネオナチ、Qアノン、ISIS、ジェネレーション・アイデンティティ、トラッド・ワイフなどの過激組織に潜入し2年間に渡って取材したルポルタージュである。彼らがどうメンバーを勧誘し、主義主張を広く宣伝し、過激な行動へつなげているかを、著者が現場に乗り込んで取材している。

 サイバーテロやSNSを駆使した「勧誘」からいつしかヘイトクライムにのめり込んでいくプロセスが活写される。その活動の様子は、旧統一教会の手練手管が「霊感商法」という呼称が持つ旧弊なイメージとは全く違って、ごく日常的な関わりからヒトの最も根源的な欲求と欲望に触れて、人の心裡にじわじわと染みこんでいくのと同じ恐ろしさを湛えている。7月に元宰相を銃撃したyの母親のように、わが子の苦難をも顧みず信仰に投企し、事件の後もyの行動の起点に自らの振る舞いがあったことに気づきもしない。その「狂気」は、彼女がすっかり旧統一教会の「群れ」に帰属していることを示している。そのように、ISIS(イスラミックステイト)の残忍なテロでさえ、日常生活の延長上に発生しているかのように思わせる。

 「アメリカの部族主義がトランプをホワイトハウスに送り込んだ」と(アメリカを拠点とする部族主義の専門家)エイミー・チュアのことばを引用して、その特徴を「部族主義」と著者は見て取る。

《部族主義は人間の根源になるものだ。その力学には政治的な色もなければイデオロギー的な方向もない。とはいえ往々にして、民族、性、文化、あるいは宗教を隔てる境界――わたしたちのアイデンティティの最も深い層――に沿って分断が起きる傾向にある。そしてソーシャルメディアは、こうした境界を際立たせたいと考える周縁の集団に、彼らの部族を無理矢理押し上げるための武器を授けてくれる。その結果は不穏なものだが、それはまた予想がつくものでもある。》

 こうも言えようか。政治的な色合いとかイデオロギー的な方向というものはヒトの根源的な欲求である「群れる」ことの上着のようなもの。ヒトは自らの内発的な衝動を意識することなく上着を着て「繋がり」群れることによって、自己の実存を確認する。個人が直ちに狂気に走るわけではなく、上着を羽織ることによって狂気が芽生え、その振る舞いを「英雄的」と錯誤するようになる。それを上手く操作するように過激集団がSNSなどを通じてアクセスしてくる。

《これは、国際人でリベラルな「どこにも属さない者」と、地元に根を張った保守派の「どこかに属する者」の対立である。それを「価値観による部族主義」と呼ぼうと「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ぼうと、どちらにせよデジタル時代はこの現象を著しく悪化させている。》

《国際人でリベラルな「どこにも属さない者」》の抽象性よりも《地元に根を張った保守派の「どこかに属する者」》の具体性の方に分がある。「神は細部に宿る」からだ。トランプの醸す熱狂も、ここに起点がある。ヒラリー・クリントンの「欺瞞性」も、彼女の理念的な呼びかけが上着とみなされたからだ。

 とすると、旧統一教会を「排除」するのはフランスの「セクト法」のような発想を日本の政治家たちがこなさなければならない。だが、宗教団体に対して(裏面での政治家との関わりが深いからこそ)腫れ物に触るようにおずおずと見ているだけの行政機関に、フランスのそれほど明確な指針が提示できるか疑問である。

 というのも、日本の「部族主義」は、自然条件に大きく抱かれて「自ずと醸成された心地良い一体感」に包まれた感触を土台にしている。しかし、「セクト法」が意味するような理念に基づく人為的な切除は、フランスのようなカトリックの伝統が根強く、その上知的エリートが取り仕切る階級社会だからこそ、庶民の苦難を救済するという視点で取り組めるている。だが、日本のような(八百万の神信仰が身に染みこんでいる)大衆平等社会に於ける心の救済システムである宗教団体に、行政的な介入は無理なのではないか。

 あるいは、ドイツのように、ナチス時代に行ったホロコーストとそれに対する厳しい自己批判を通して法的規制が成立してはじめて、実のある規制へと機能する。と同時に、エマニュエル・トッドが述べているが、ドイツ国民がごく一般的な通念として持っているドイツ観念論哲学の共通感覚をベースにしていてこそ、その法の施行が現実的な力を持ってくる。それとは異なる「自然に醸成された共通感覚」で結びついてきた人々の社会で、理知的な規制として作動するだろうか。

 先の大戦の戦争責任を曖昧にぼかし、戦争をあたかも自然災害に出くわしたかのように取り扱ってきた日本の、殊に政治家たちは「セクト」の意味合いが「部族主義」的に解され、直に人種差別的とかナショナリティを峻別する「アイデンティティの最も深い層」へ一足跳びに結びつきかねない。

 著者のユリア・エブナーは、こう警告する。

《ドイツは2017年にいち早く、バーチャル世界の過激思想のコンテンツを罰することにした。この議論を呼ぶ「ネットワーク執行法」は、アクティブユーザーが2000万人を超えるウェブサイトに対し、テロのプロパガンダやヘイトスピーチのコンテンツを24時間以内に削除するよう要求するものだ。これを浄化するための前途有望なモデルとなるとして歓迎した者もいれば、「他国にとっての危険な見本になる」と非難した者もいた。懸念されるのは、中国やトルコなどの余り民主主義的でない国が、政敵の検閲を正当化するために反ヘイト法を利用しかねないことだ》

 この末尾にある「中国やトルコなど」の為政者が持っている統治的センスを、アベ=スガ政治でみせてもらった。またそれが、それなりに選挙民に支持されてきたことを体験した者としては、そちらの方を懸念する。

 本書の著者・ユリア・エブナーが向き合っているのは、過激主義組織が繰り出す戦術ではなく、それに自らを投じていく人々の文化であり、身体性であり、そうしないではいられない社会的な構造とそれの醸し出す苛立ちである。まさしく、文化の戦争を闘わねばならない地点に着ている。そして、私たちも。

2022年10月28日金曜日

片付けの社会システム

 給水管給湯管の取替工事と風呂のリフォーム工事が終わった。

 実を言うと、風呂は別に不都合があったわけではない(と私はおもっていた)。だがカミサンからみると、あちこちに黴がつき、どうやっても取れないと苛々していたから、取替工事のときにいっそうのことリフォームしようということにした。何しろ32年も使っているのだ。

 給水管給湯管の取替工事を引き受けた業者は、オプションとしてそうしたリフォームを引き受け製品の仲介もしてくれた。風呂リフォームの大まかな希望を聞いて「要望書」を作りTOTOの商品展示館へ足を運んでくれという。行くと「要望書」はすでに届いていて、こちらの希望に添う商品を案内する。こちらは、風呂桶や壁色、鏡や物置台の要不要などを選択するだけで、さかさかと決めていける。わが身の不都合になったときのことも考えて、起ち上がるときに摑む手すりを風呂に取り付けた。カミサンは「介護が必要になったら、うちの風呂は使えないっていうから」と、人から聞いた話しをして、最小限の設備にした。もちろん新しい風呂は気持ちがいい。私は新しもの好きなんだとあらためて使い捨て文化に乗ってきたことを再確認する。

 とすると、と、私の思っていることが別の方へ転がる。

 新しもの好きのワタシが、どうして本やもう使っていない物の断捨離になかなか踏み切れないのか。リフォームには簡単に応じるのに、なぜ使いもしない物を溜め込んでしまうのか。

 リフォームとか給水管などの改修工事は、金属管の劣化という使用期限がある。風呂も黴が取れない、換気扇が劣化しているという機能的な不都合がある。つまり、私の思惑を超えたシステムが前に出ていて、ワタシの思い入れは、ほとんどカンケイなく用いている。

 ところが本や物品となると、ワタシの人生のカンケイ的な堆積がその物品に塗り込められているように感じているんじゃないか。本には、それを読んだときのこともあるが、その本を持っているだけで何だかちょっと違ったジブンになったような気がした思いも甦ってくる。花田清輝著作集とか林達夫著作集や神聖喜劇全5巻とか柳田國男全集などなど、学生の頃からのものも混じっている。果たして全部読んだかどうかも定かでないし、今となってはボンヤリとした印象すら更にボケて薄らいでいるのに、捨てるとなるとわが身を捨てるような心持ちになる。これって、所有するってこととカンケイあるのだろうか。

 ときどきに買い求めて読んできたそのほかの本も、手に取ってみていると読んだときの感触がじわじわと湧き出してくる。これはワタシの不思議のひとつだ。執着心というのとも違う。本に向き合うと何か不思議な秋気というか妖気が漂うというと妙な本を読んでいると思われるかもしれないが、その本に接したときの時代とわが身とその仲介をした本の実存的気配が湧き起こってくるような気がするのだ。

 さて話しを本題に戻そう。

 本の一回目の始末は、引き受けた本を買い取ってNPOに寄付するというシステムに乗っかった。寄付額は僅か3,000円ちょっと報告が来たが、これで残りの本も存分に始末できることが判った。ゆっくりとやっていこう。

 問題は、古いパソコンや使っていないオーディオの品。ネットで調べると大手家電量販店が宅配業者を通して無料でパソコンの廃棄をしてくれることが判った。だが困ったのは、宅配業者に任せるのに必要な段ボール箱がない。デスクトップの古いヤツは大きくないと収まらない。加えて記載する製品の番号というのが、どこに記しているのかわからない。ああそうだ、近くの量販店に聴きにいけばいいか。行って聞くと、ここへ持ち込んでくれたら1台100円で引き受けますという。一挙に二つの難題が解決する。車に積んで持っていった。

 車から運び入れる台車も、これを使ってと貸してくれる。廃棄を専門的に取り扱っている社員がやってきて、手を貸してくれる。機種番号はその社員も困っていたようだが、2台のデスクトップと1台のノートパソコン、モニターやキーボードなどをまとめて300円です、いいですか? と言う。ハイと言って私が財布を出そうとすると、笑って向こうさんが300円で引き取ると言った。一緒に持ってきたスキャナーとプリンタは、廃棄料各1100円を支払うことになり、差し引き1900円で、全部始末できた。

 オーディオ製品は燃えないゴミで始末していいとネット情報にあったので、思い切ってゴミの日に出した。ついでに大きなオーディ・ラックも大型ゴミとして出した。持って行ってくれるかどうかカミサンは後で確認しなきゃあという。

 郵便を出しに外へ出た帰り、ゴミ置き場から私の出したレコードプレーヤーをバンの荷台に積もうと運び込んでるオジさんがいる。これは処理業者じゃない。金目のものを物色する人だろう。廃棄するより使って貰った方がいい。私はホッとした。うちでカミサンにその話しをすると、さっき見たら未使用で廃棄しようとしたトースターも持ち去られていたという。でもね、と続ける。売ろうとして売れなかったらその人たち、そこらの公園に捨てちゃうんだよね、とマイ・フィールドである秋が瀬公園の話しをする。う~ん、そいつは、参ったなあ。

 夕方近くにゴミ置き場を覗くと、大型のラックも、アンプなども全部なくなっていた。やれやれ。これであらかたの電化製品関係は始末が終わった。そういう社会システムに上手く乗れたと言うことか。

2022年10月27日木曜日

始末の文法

 雲ひとつない青空。朝の内は少し寒いと思うほどで、外を歩くのが心地良い。ふと思い立っていつもの床屋に行ったら、「閉店します」と貼紙がしてある。

 この地にやってきたときは、30歳ほどだったろうか。もう一人若い共同経営者という感じのスタッフがいて、新しい髪スタイルに挑戦する競技会に出るような言葉を交わしていた。丁寧な仕上げが良くてその後ずうっと通い続けた。そのうち一人が独立したのだろう、姿を消し、おかみさんも櫛と鋏を持つようになった。

 夏前だったか、おかみさんが乳児をだいて娘さんであろう方とご亭主と、床屋前の通りで談笑しているところに通りかかり、挨拶を交わしたこともあった。そうかこの人たちも爺婆になったんだと、穏やかに過ぎゆく時を感じていた。

 先月の散髪はおかみさんがやってくれた。私はマスクを外して帽子と一緒にしまう。別のマスクを手渡し、してくれという。髪を洗い「いつものようでいいですか?」と言いながらバリカンを入れ、鋏で丁寧に整える。マスクを外して髭をあたり、肩を叩いてほぐしてくれる。50分ほどのこの手入れは、ひと月経っても崩れないほどのしっかりとした髪の型を作る。

 このところ近くを通るとき、定休日でもないのに、シャッターが降り、「本日休みます」と書いた紙が貼ってあることがあった。先月の経営者夫婦は元気そのものだったから、還暦祝いの旅行にでも行ってるのだろうか、それとも老父母に何かあったかなと思いつつ、わが身に起こった径庭を思い起こしていた。生まれ育ちがどこの方だったかも、知らなかったなあと、さして言葉を交わしたこともないことに思い当たる。

 そしてこの「閉店します」だ。都会地の幕切れはあっけない。関わりの空っぽさが、さっぱりして心地良いとも感じている。知らないこと、第三者であること、でも穏やかに人生の道を歩み、またそこに住まい方を大きく切り替えなければならないデキゴトも起こってくる。それは、幸不幸という価値評価を寄せ付けない、誰もが歩む道筋である。ここにも、次元の違うセカイがある。

 そうして昨日、いつも買い物に行く生協への途次、ニトリの入ったショッピングセンターの壁に「カット・ファクトリー1000円」と看板があるのに入った。順番待ちの男が一人。椅子をひとつ空けて座ると、その男が入口の方を指さして「チケット」と言う。なるほど、自販機がある。1000円と消費税100円を入れると、番号を記した紙が出て来る。陰になって見えなかったが、3人でやっているようだ。番号が呼ばれて椅子に座る。荷物と帽子とマスクは椅子の前のボックスに入れる。「スポーツ刈りに」と言って座る。電動バリカンで借り上げ、櫛と鋏を使ってさかさかと整える。後は掃除機のような大きな吸引器で切り落とした髪を取り払って、鏡を頭の後ろに掲げ、私がうんと頷くと掛けていた覆いを取り、肩や首回りの汚れを払うようにして終わった。洗髪も眉や生え際へのカミソリもない。髭剃りもない。言葉も交わさない。10分もかからなかったように思った。いかにもファクトリーであった。

 致し方ない。ま、これまでの4分の1の料金だ。もっと頻繁に来てカットして貰ってもいいかもしれないと思いつつ帰宅。夜、風呂で髪を洗い、髭を剃った。

 人との関わりとわが身の始末が、ほんのひと月の間に4分の1になったような気がした。薄くなり、軽くなる。こうして、世間には何のこだわりも残さず彼岸へ旅立つのか。そんな気がしている。

2022年10月26日水曜日

ことばの魔性

 昨日の話「言葉の崩壊とワタシの世界観」に続ける。昨日は、誰もが同じように受けとる「事実」そのものはなく、それを受けとる主体によって様々だというのが、話しの起点であった。それが言葉となって私に届くときすでに世間の衣を纏っている。論理的にはその衣を一皮ずつ捲ってみるということになるかもしれないが、実は、そうはいかない。私がワタシであると意識するのが世間の衣を纏うことに拠っているからだ。その大部分は既定の事実としてわが身に流し込まれている。起きたら顔を洗う、右手で箸、左手で茶碗を持つという所作もそう、主体である私はそれらをことごとく所与のこととして身につけていき、どこかの段階でワタシが起ち上がっていた。

 この所与のことが、人によって異なる。子どもにとっては環境ということになる。親兄弟を最も身近な環境として、さまざまな生い方の違いが、遣うことばの違いとなって身に染み、ある段階でワタシが意識される。それは、世界(環境)と私が異なることを意味する。私が世界を切り離すのか、世界から私が切り離されるのか、そこはわからない。だが、意識される段階というのは、たとえば3,4歳の「第一反抗期」などと心理学では名付けているようだが、たぶんそういう画期に目を止めて見ているから名付けたに過ぎない。成育中のことごとくの所作に「切り離す/切り離される小さな契機」が埋め込まれていて、日々小さな気づく積み重ねが溜まりに溜まって「ワタシ」としてブレイクスルーすることが画期として(観察者の)目に止まるのであろう。

 「切り離す/切り離される小さな契機」は、思いどおりに行かないわが身にとっての不都合の感触と環境とのぶつかり合いだ。それの発生する主導権がどちらにあるかは、もっと長い目で見るとモンダイではない。たとえばそれが幼児の方にあるにしてもそれは、長い人類史的進化の過程で埋め込まれてきた「我が儘に生き延びようとする衝動」につき動かされているからだ。意識する主体とは言え、能動的か受動的かはモンダイではない。身に埋め込まれた人類史的遺産が内発的かどうかを問うのは、もっと次元の違う状況においてであろう。人のからだという次元で考えるとき、なるべくしてなるようになっていっていると受け止めるところから、ワタシは出発する。つまりわが身そのものが所与の人類史的遺産の堆積物とみてとるってことだ。

 そのわが身に埋め込まれたコトゴトをことばで認識することが世界を認知することだ。としたら、そう簡単に越えられない壁が立ちはだかる。ワカラナイことが多すぎる。ワカラナイことというのは、判っているかどうかさえ判然としないこと。私は仏教用語を借用して無明と呼んでいるが、外の世界も判らないことばかりである。逆に、わが身に埋め込まれている人類史的堆積物も(ここまでの私が出遭った)世界と呼んでいいと思うが、これもタマネギの皮を剝くのと違って、所与のこと、既定の事実、デファクト・スタンダードといってもいいような、コトゴトに満たされている。ワタシの無意識といっても良い。

 この、外に向ける視線と裡側に向ける視線とが、巨大望遠鏡で見ているような大宇宙の始原からの発見と微細な量子論的身の始まりからの洞察と等価な響きをわが身伝えてくる。そういう意味で、私は科学的な探求に門前の小僧としてワクワクして触れている。このワクワクの一角に解くに解けない不思議にさわっている手触りを感じる。それが、「ことば」が纏っている「衣」に感じるワタシの心裡の躊躇い、余白、伸びしろ。

 「ことば」それ自体が、明々白々な語義を持つものではなく、さまざまな由緒由来径庭の人の手を経ていろいろに衣を纏っている。そのかかわった(だれともつかぬ)人の思いに辿り着けるはずもなく、だがそれが、わが身に流れ来たっている。それに対する畏れ多い心持ちと面白いという、ちょっと自らを客観視しているような面持ちとが相乗して、不思議の国に転がり込んでいるように感じているのである。

 いや転がり込んだというよりは、ことばを用いる人の世界に生まれ落ちた。それ自体が不思議であり、そこにわが身が、諸々の曖昧模糊とした世界に感じる不可知的な魔性、驚天動地の魔術的力が働いている驚異がある。

 その畏れ多い感触の自覚が、口をついて出るわがことばの慎みを整える。書き記す度に畏れ多いことをしていると自戒の念が行間に張り付き、その畏れ多い(魔性の)領域に踏み込んでいるのかもしれないというわくわく感に結びついている。

 なんだかヒトのセカイの際まで来たのかな。そんな感じにとらわれている。その先は無明、真っ暗な闇。だが暗く希望がないという感触ではない。来るべきところへ来てオモシロイという心持ちになっている。

 ヨミとヤミは語幹が同じと大野晋は記す。ヨミとは黄泉の国のヨミ。なるべくしてなるというのが、身に刻んだ人類史的自然(じねん)の心の習慣に、うまく見合っているような気分でうれしい。

2022年10月25日火曜日

言葉の崩壊とワタシの世界観

 私たちの考えている世界は言語でできているという。では、ワタシのセカイはゲンゴでできているか? ちょっと違うなあと思う。ゲンゴ以前の何か、「ことばにならない」というモヤモヤとした感触とか、それが夢に現れるのか、抽象画のような摑み所のない流体が四方八方に流動するイメージに目が覚めてから、あれは何だったのだろうと不思議な思いをしたこともあった。これもワタシのセカイであることは間違いない。だがこれをゲンゴと言うだろうか。わが「身」といった方が良さそうに思える。

 もちろんそういう夢を見たイメージや身の感触をことばにして伝えているわけであるから、「ことばにならない」というゲンゴが「あなたのセカイよ」といわれるかもしれない。外の世界と共有する「概念」が言語だと考える人たちにとっては、言葉にならないことは世界ではないというのかもしれない。では、ワタシが外に向けて表現する前の体感や想念であるワタシのセカイはゲンゴなのか? そう自問している。

 どうしてそんなことを考えるのか?

 インターネットが行き渡って、人々が勝手勝手に言葉を用いて遣り取りをしていながら、事実もフェイクもどちらもがあり得べきこととして行き交って混沌としているのが現実世界。なぜそうなるのか? その見極める軸は何なのか。

 そこでは「事実」がそれ自体として実在しているわけではない。その「事実」を誰が何処でどのように見て言の葉にしているか。それを「取り上げている主体の視線」がまとわりついている。つまり人それぞれに「事実」の持つ意味が異なる。どこでいつどのような状況に下に見ているかによって「事実」は見え方が違う。「事実」はいつもなにがしかの(見ている者の視線の)衣を纏って世界に登場しているといえる。

 従って私たちがしばしば「確定的な事実」としているコトは、大多数の人々が似たような受け止め方をしているデキゴトである。それをフェイクというのは、その「事実」と「衣」の隙間を衝いて提示された妄想ということができる。

 逆にフェイクを「じじつ」とみる人からすると、世の中に広まっている「事実」は、既定の権威が裏付けている多数派の「もうそう」であり、それが誰かの意図によって操作されたことだと考えると、陰謀論が論理的な一貫性を完結させることとして展開されてくる。このようにしてフェイクと陰謀論とは相性良く受容される。

 大多数の人々受け容れる「事実」をフェイクとする妄想や荒唐無稽な陰謀論を好ましく受け容れる人(主体)は、その主体自身の中にそのように振る舞いたい契機とか土壌を(身の衝動として)もっている。それは(たぶん)当人にもわからない衝動に突き動かされているから、論理的な展開で食い違いを闘わせて解消することはできない。じつはわが身に問うしかないし、問うたからと言ってわかるものでもないが、そこでも自問自答がその個人にとっては情報吟味の作法/リテラシーとなる。だが社会的には、感情的なぶつかり合いを生み出しながら、決定的な分断に至るしかない。いまそうなっている。

 大多数の人々が受け容れている「確定的な事実」が、揺らぎはじめた。既定の権威が疑われはじめ、大多数はいなくなり、いくつもの固まり、無数の個人が盤踞、跋扈する事態となっている。情報化社会の発信者が無闇と多くなったことによって真偽不明の「ジジツ」が世上に流れ出す。どれが本当でどれが偽物かわからなくなる。一つひとつを吟味することよりも、自分の好みに合った「情報」を受け容れ、それを紡いでワタシのセカイを築く方が心地良い。SNSの提供サイトのアルゴリズムが情報受容者の好みに合った情報をますます提供するように作動して、心地良いワタシのセカイはいっそう加速される。

 このSNS提供サイトのアルゴリズムは、その情報を必要とする人に特化して提供することによって広告主の期待にも添うことになり、また情報需要者の利便性にも資して、ますます利用頻度が高まる。だがこれは、アルゴリズムというブラックボックスの文法によって不都合な情報が取捨選択されているという疑念を払拭できない。それを「陰謀論」と考えて、大きな裏の力が働いて世界の事実情報を操作しているのではないかと、揺さぶりが入る。私はアラビアンナイトのアリババと40人の盗賊を思い出した。お目当ての内の戸口に目印をつけたことに気づき、周りの内全部に同じ印をつけたという話しだ。つまり、ある事実が報道されたときに、何もかもありとあらゆる偽情報を出し並べてしまうと「本当の事実」が何処へ行ったか隠れてわからなくなる。それと一緒だ。

 いつでもワタシが知るデキゴトは断片である。その断片の「デキゴト」を寄せ集めパッチワークして、なにがしかの文脈に乗せ、ひと繋がりのセカイとして心裡でまとめ上げている。それが、横合いから入ってくるSNSの情報によってかき混ぜられ、ワタシの内側で構成する文脈が怪しくなってくる。またそれを狙ってフェイクニュースが流し込まれてくるから、社会全体としては、人の思念のセカイを生み出す大海の潮の流れを熟知して押して加速し、あるいはかき混ぜて渦をつくるなど、いわば思念のセカイの総力戦になる。そういうことを、ロシアとウクライナの戦争は如実に浮かび上がらせた。

 もしこれが二項対立的に行われているとみたら、その双方の領域が綱引きをしている。そこを往き来する人たちがいる。その綱引きの力の入れようとして、フェイクにつぐフェイク、勧誘に次ぐ勧誘が行われる。ただ単に情報戦というのではない。本体を隠して「勧誘」する。社会に関わる人が自らの内的衝動の契機や土台に気づかぬように、ヒトの弱点を利用した入口を設ける。何をしているかは別としても、人と一緒に一つの目的のために何かをすることは心地良い連帯感と成就感を生む。ビラ配りでも電話でも、集会やイベントへの参加でも、たとえば選挙応援という活動は、躰の動きとしては充足感に満たされる。気が付けばすっかり一方の側に身を置いていることがわかる。だが政治的なその側の主義主張よりも、わが身の欲するところに遵うとその運動はそれなりに心地良い。これが、アメリカのトランプ勢力の原動力であり、旧統一教会の運動が社会的に食い込んでいる姿であり、もっと場面を身近においてみれば、日本の自民党が揺らがぬ政権を取っている土台でもある。

 このところの世界の政治社会状況から感じ取ったワタシの世界観である。

2022年10月24日月曜日

古井戸の中の権威主義

  1年前(2021-10-22)「学問研究に対する軽視の体質」と題して記事を書いた。

《ノーベル賞学者の「KAGRA計画」重力波の検出は事実上、不可能に》という見出しの週刊文春オンラインの記事。《梶田氏が(オンライン会議で英語で)明らかにした「目標値の引き下げ」は、なんと「1MPc以上」。重力波の検出には1万5千年かかる》と「内部会議」での発言に呆れ果てたようなニュース。それを行政予算の配分を含めて「学問研究に対する軽視の体質」とモンダイにした。それは、1年経ってどうなっただろうと「検索」してみた。

 驚いたことに、「KAGRA計画」当事者サイトにあるのは、2022年6月のコメントが最新のもの。文春報道に関する「KAGRA計画」推進側の発言は、全くない。サイト出発当初の意気込みを語る文書が平然と並ぶ、それどころか「2021年、學認を受けた」を誇らしげに記している。これが文春報道前かどうかはわからない。前だとしたら、空とぼけている。後だとしたら、「學認」という「権威」は井の中の蛙どころか、古井戸の中の「権威主義」ということになる。

 唯一つ《民俗宗教(部族宗教)俺らについて》というサイトが、科学者(や数学者)が社会形成をするという意志を持っていないと批判する外野からのコメントがあった。このサイトの展開軸は、そちらを覗いて貰うしかないが、古い井の中の蛙の研究視界が土台とし、且つその研究が及ぼす社会形成をみていないと、いつまで経っても井戸から出ることはできないよと警鐘を鳴らしている。

 だが研究当事者としての応答はない。私は全くの外野にいるから文春報道には大いに関心を持った。研究当事者はずいぶん慌てているのではないかと思った。この報道は、内部会議の梶田発言の暴露とは言え、報道された時点で、社会の側からの研究当事者に対する問いかけとなった。それに対して応答するのが、「責任」というものではないか。

 市井の素人が余計な口出しをするなと思っているのかもしれない。だが、重力波の研究の出立地点が、市井の民の好奇心と同じ地平にはじまったものだと考えると、梶田発言がいう「(現状では)重力波を検知するのに1万5千年かかる」というのは、大変大きなモンダイである。それを研究者はどう受け止めているかに応えることは、研究者の「良心」にも関わる大問題ではないか。「モンダイ」とは好奇心にとって大きく関わるという意味であり、「問題」とは研究の社会的責任を果たすという意味である。

 もちろん税金を使っているとか、世の中の暮らしに役立つかということをモンダイにしているわけではない。むしろ、どう実際の暮らしに役立つかはわからないが、ヒトの好奇心を満たそうとする振る舞いは、その視野の届くところまで生命の営みが続くように感じて、私は大事なことと思っている。

 もしその研究が原動力となる(大自然に対する)好奇心に支えられているのであれば、探求が進めば進むほどその好奇心は昂進/更新され、次なる好奇心を呼び起こすことで(その限りで)永続性を持つように感じられる。それが、わがことのように思えて、何ともうれしいのだ。

 ただ好奇心といっても、その息の長さは様々である。それも研究者の体調や心の習慣、暮らしの態様、世の中との関係に大きく左右され、変化する。飽きてしまうかもしれない。他のテーマへの好奇心が増して、切り替えたくなるかもしれない。探求によってある時点で満たされて研究としては終了してしまうこともあろう。あるいは生活に困窮して自死した研究者がいたように、経済的に行き詰まる人もいよう。逆に、その研究に対する社会的な評価がなされ、それに権威や名誉が付き纏うと、研究者は好奇心というよりも社会的期待に応えようとする責任に引きずられて、活動を続けることになることもあろう。その過程で、研究する時間もなくなり、研究テーマのもつ社会的関わりに応じて活動する領域も形態も違ってしまって、むしろ若手研究者の資金集めに奔走しなければならないというベテラン研究者の話も聞いたことがある。

 にもかかわらず、重力波の研究という「KAGRA計画」のような浮世離れしたことに多額の税金を注ぎ込む学術研究に対する「熱意」は、ワタシのもつ卑俗な好奇心を刺激して高貴なものにしていこうとすると思え、まるで我がことのように誇らしいのである。それが、梶田発言では、おおよそ見当違いの研究をしていると思え、研究者たちはどうするのだろう、為政者はどう対応するのかと関心が掻き立てられ、でも直ぐに、それを忘れてしまっていた。

 まあ、忘れたというのもいい加減だが、1年経ってもそれらしい応答が研究当事者からないというのも困ったものだ。世の中は旧統一教会騒ぎで一杯だし、夢も現もつまんないなあ。本当に古井戸の中の蛙になっちゃってるんだろうか。

2022年10月23日日曜日

躰の不思議をどう摑むか

 山歩きをしていた頃の必須の生活習慣が今も残っている。朝、出発前の排便。山小屋泊でもテント泊でも、出発前に排便しておかないと歩いている途中で面倒なことになる。もちろん青空トイレだが、小さく穴を掘り、後で土をかけたり枯れ葉で覆ったりする。とともに、尻を拭いた紙をビニール袋に入れて持ち替えるのが、気分的に何ともイヤ。二重三重にしていれば匂いは漏れてこないが、しかしそれを思い起こすだけで「ケガレ」が一緒についてきているような感じがした。ま、これはこれで、なぜそう感じるのか面白い論題だとは思うが、そういうこともあって、出発の1時間半前には起きて、水を飲み、荷を整え、朝食を食べ、ともかくトイレを済ませる。

 山歩きとの時は特にそうだが、一日の水の摂取が上手くいかないと熱中症になるから、特に意識的に水分を摂る。だがそれ以上に私は便秘気味になることに注意を傾けた。これは、胃腸が丈夫な証拠ですよと、いつか医者に言われたことがあるから、身体の調子を推しはかる意味でも大切なことであった。

 ところが歳をとると、水分の摂取が必ずしも歩行や運動や外気温の寒暖と相関せず、その不足や過剰を汗になって外へ放出することも不器用になる。加えて、そうした躰の機能が鈍くなるのだと私は思っているが、過不足の感知機能も上手くいかなくなって、結果的に朝の排便で苦しむことが、ときどき起こるようになった。一度は、まだ60代であったが、余りの苦闘に草臥れ果て、血便が出たりしたので、医者に行って手を貸してもらったこともあった。

 去年皆野の病院で長期入院治療を受けていたときに、そういうことが生じ、退院のときに便秘薬を処方してもらった。それを貰うときに「(飲むと)クセになるか」と訊ねたところ、「これは腸に働きかける薬ではなく、排泄される便を軟らかくするのに作用します。クセにはなりません」と説明があり、確かにそのように感じるところがあって、一月くらい続けて用いた。

 今年、手術して入院中に再び便秘気味になり、医師が同じ系統の薬を処方してくれた。ちょうど7月の暑い盛り、どこにいても水分摂取に気を遣う時期ではあったが、薬を止めると朝のトイレで苦戦する。服薬を続けているとほぼ毎日苦しむことなくルーティン通りに過ごすことができて、何とか収まっている。服薬がクセになったのだ。涼しくなって薬を止めようかと思ってはいるが、朝が難儀になるのは困るから、このままでもいいかとも思う。整形外科の医者は手掌の診察をする毎に「便秘の方はどうですか?」と訊ねる。「薬を飲んでるせいか、順調です」と応えると、黙ってひと月分を処方してくれる。

 胃腸が丈夫であることは、山歩きならずとも年寄りの暮らしには有難い体質である。だが、水分摂取への気遣いを欠かせないのが、感受性が鈍っていることと合わせて、気苦労といわねばならない。

 体調をコントロールするということではない。躰の訴えに耳をよく傾けて、その不可思議な作用に敬意を払いながら、必要と思われる処置を執る。そういう、まず不可思議を摑む。そして処置との間のブラック・ボックスを経験的な知恵を傾けて感知して繰り出す。論理的な整合性などというものではない。ある種の祈りを込めたような振る舞いが「知恵」だと感じる。それを意識的に行わなければならないのが、歳をとった躰への向き合い方だと、朝晩の飲み薬の多さを手の平に受けながら、つくづくと思っている。

2022年10月22日土曜日

兄弟という同床異夢の色合い

 三十数年続いた中国の一人っ子政策が見直されて7年になる。1970年代も終わろうという頃だったか、「一人っ子政策」を耳にしたときは、14億になろうという人口を抱える中国の苦難を共感的に思っていた。というのは日本でも、その少し前、私が小学生の頃には「多すぎる人口」が社会科の学習テーマに上がっていたからだ。ブラジルへの移民船が出るという話しも新聞記事やラジオのニュースで取り上げられていたから、十倍の人口がいる中国は大変だろうなと思っていた。

 兄弟五人の真ん中に生まれ育った私は、しかし、一人っ子がどういう心持ちを埋め込まれて育つかということには思いが及んでいなかった、ただ単に人口が少なくなる、食べ物を分けるのも容易になるという程度にしか思っていない。だが現実に、その一人っ子が成長して後に、子を生していく社会が21世紀に入って眼前に広がってみると、その事態が生む社会的困難さもまた、目に止まるようになった。

 実際に私が中国へ行くようになったのは、その頃からであった。当時の広州や武漢の街や朝の出勤風景は、まさしく過剰な人口が人を押しのけて生き抜いているエネルギッシュな気配を十分すぎるほど湛えていた。だからこの時も、一人っ子政策がもたらす困難に思い至っていない。まして、その社会的困難よりも、人間形成に於ける困難がひたひたと押し寄せていると感じられる現在の中国の苦難は、経済成長だけで片付けられない大きなモンダイを提起していると思う。

 社会的困難は、すでに国連統計などで指摘されている。

《中国の人口は14億にまで増え、国連の推計によると2022年から減少に転じます。2100年には7億6600万に減ると予測されています》

 高齢化で退職者が増える一方で若い働き手が急減する。生産年齢人口の減少が経済成長にもたらす影響は日本がすでに実証中である。日本はそれでも「一億総中流」といわれる人類史的体験をした。中国は今から「共同富裕」政策に入ろうとしている。果たして14億人の総中流が実現するかどうか。まして目下、対外的な政治経済的環境は中国にとって厳しいものがある。極端な格差をそのままにしておくと、暮らしに於ける憤懣が爆発する。ゼロコロナ政策がもたらす都市封鎖がすでに破綻しそうな画像が、ときどきTV報道される。これはただの端緒。強権的な統治体制は、ちょっとした火口で発火し、大きな暴発になる。

 たとえ総中流が実現しても、厄介なことが起こる。それが豊かになった人たちには、開かれた将来が希望になる。だが言葉狩りを始め、徹底した情報統制とメディアの国家統制は、庶民の生活の隅々にまで目配りして手を入れなければ適わない。それはほとんどジョージ・オーウェル「1984年」の実現社会である。AIによって全事象コントロールをするとしたら、まさしく人間をデジタルシステムを通じて機械化していくことに他ならない。その事象は、ゼロコロナの都市封鎖の実態がよく示している。息が詰まるというよりも、ほとんど人間を社会家畜化することに他ならない。これまたジョージ・オーウェルの「動物農場」同然となる。

 これが「開かれた将来が希望になる」裕福となった人たちに我慢できるか。空や海の向こうに、自由な社会がそれなりにのびのびと暮らすのを見て、なお、「豊かなままである」ことに耐えるというのは、たぶん、精神的に怺えることのできないことではないか、人の精神を脱け殻のような空っぽにしてしまう。

 聞く所によるとここ数年中華圏では「寝そべり族(躺平族)」というのが増殖中だそうだ。それなりに高学歴をつけたのに相応の仕事がない。国の一人っ子政策への庶民の対策が跡継ぎの男児を生むことであったから、男女の数が大きく異なり、結婚できない男子が多く輩出されている。ことに優秀な人たちは(強権的統治を嫌って)海外へ行くことができるが、大半のふつうの人たちは懸命に働いても単なる労働力として扱われるだけ。ならば食べていける程度にそこそこ働いて、のんびりと人生を送ろうではないかという若者が増えているというわけだ。そこは老荘思想の生誕地でもある。無為自然で生きて行けるかどうかはわからないが、猛烈社員は勘弁してよという声に聞こえる。20年以上前に見た「人を押しのけてでも前へゆく」という武漢の街の出勤風景はもう見られなくなる。豊かになるって、そういうことだ。

 だが私が43年後の「一人っ子政策」に感じるのは、中国の青壮年層の社会を見る気質の変化だ。兄弟姉妹がいない。大事に育てられる。経済成長期であったろうから、努力すればそれなりに報われる結果を手にすることができた。それはたぶん、彼らの親世代の薫陶も受けているから、伯父伯母・叔父叔母、従姉妹。従兄弟という関係の関わりの感触も、人と人との関係として身に刻まれている。

 だが、彼らが成人し、家庭を持ち、子を生したとき、その子らにとっては叔父も叔母もおらず、従姉妹兄弟もまた全くいない親族関係となる。地域的な近隣関係がそれを補うだけの関わりかどうかわからないが、家父長的な男系血族を重んじる宗族的な宗法制度の下で暮らしてきた人たちにとって、身に刻まれた無意識の規範感覚の違いが混乱をもたらさないであろうか。

 宗族制度の下では、後を継ぐ男児が親の面倒を見る。では一人っ子政策で生まれた女児の親は誰に面倒を見てもらうのか。一人育てた子が女児であるからといって、簡単に手放して嫁にやっておるまい。親の世話をするいわれはないとなると、親は孤立してしまう。女児の親は、嫁にやる先からたんまり支度金を頂戴することが習わしになる。謂わば、女児は「売られる」のである。

「1980 年代の末から,多くの農村地区で女性を売買する現象があらわれ,再び深刻な社会問題になった」と、『中国における婚姻と家族の研究』(張 琢著、星 明訳。佛教大学社会学部論集・第 63 号、2016年9月)は記す。

「改革開放」が掲げられた1979年から1990年代の初期までは、産業社会化の初期段階であった。こんな記述もある。都市化が進み、農村から出てきた若い労働者の間に恋愛結婚が広まると、親が決める結婚という観念がなくなり、女性もまた自立して稼ぎ手になるから、親によって売られるという(伝統的)習俗から離脱する。「売られる」のは、貧困に苦しむ(都会に出ることすらできない)農村部に残る習俗となる。

《1990 年代中期から現在までは経済が高度成長し,社会の貧富の分化が拡大した時期であり,相手の家族および個人の金銭的条件,財産獲得の能力が若い男女,とくに女性が配偶者選択をする重要な基準となった(王英侠,徐暁軍,2011)》

 こうして若い人たちにとっては、中国伝統の宗族制度は古い習俗として捨て去られる運命となったが、では親は捨てられるのかとなると、そうはいかない。一人っ子で育った娘は結婚しないことで仕事のキャリアを積み上げることもできるし、親の面倒を見ることもできる道を選ぶことができる。今度は一人っ子政策故ではなく、社会習俗的な自由によって少子化が進行する。

 あるいは、若い家族が、共々に両親の老後を見ることにして、伝統的な制度を崩していく。

《長い間一人っ子政策をとっていた影響に加え、最近では、教育費が高く2人めの子どもを持つ経済的な余裕がない人が増えていることや、価値観の多様化でそもそも子どもを持ちたくない人が増えていることがあります》

 自分たちの暮らしを味わうことに精一杯、子どもを育てること自体がメンドクサイ。ことに兄弟姉妹なしで育ってきた者にとって、自分と関わる人が増えることを煩わしく感じてしまうのは、うなずける。

 多くの兄弟で育つと、自分がワタシ一人のものではないと身が感じている。多くの兄弟の取り囲まれて育つことを私は、同床異夢の色合いと感じている。いつ知らず身に刻まれる感性や感覚や言葉や価値観や振る舞い方は、歳をとってから考えると、同床異夢であった。同じ生育環境で、互いの存在を感知することそのものが、自分の立ち位置を恒に常に意識させ、それがワタシをつくった。兄や弟はまた、それぞれにワタシをつくるが、それが、大部分は同じ空気を吸い無意識に刻みながら、異なったワタシであることを、向き合う毎に気づかされる。だが躰に刻んだ無意識が、異なったワタシを受け容れる糸口になっている。歳をとるとほとんど身の緊張を解除して兄弟と向き合える。席を同じうして黙って杯を傾けているだけで、言葉も要らないというのは、何とも年寄りに相応しい光景ではないか。何時も兄弟にあうときには、そう思う。

 アクシデントがあったときの他者や異なる振る舞いや考え方を受け容れようとする許容度も、ごく自然に大きい。だが一人っ子で育った人たちにとっては、常に意識して自分を制禦しなければならない領域のことになる。自己を解除する過程がそうなってしまう。これほどシンドイことも、そうない。「価値観の多様化」というよりも、身についた心の習慣が、結婚を忌避し、子育てを負担に感じることに通じていくのだ。

《人口が減れば不動産の需要が減るだけでなく消費も縮小します。さらに、さまざまな産業で必要な労働力も確保できなくなり、成長力が大幅に鈍るおそれが指摘されています》

 ともいう。いま中国は住宅バブルの最中。どうそれを破綻させないで辻褄を合わせるか、習近平政権は四苦八苦している。コロナ鎖国とアメリカとの対立と、目下の中国の振る舞いに向けたこれまでの取引相手の変節がじわじわと中国社会を締め付けている。

 政権の強権的体制さえ取り払えば、中国は、日本に似た社会関係になっていくような気配を感じていたが、国家体制の違いだけは、我らが庶民には手の出しようがない。社会が常に緊張状態に置かれ、なお個人として静かに気を休める場を持てないというのは、とてもシンドイ。骨の折れることというより、棲む処にならない。

 コロナの前であったが、香港を訪れ、案内してくれた現地探鳥家たちの大らかな振る舞いに、ああこういうのを「大人」と呼んだのだなと、中国の古典を思い出して感嘆したことがあった。あの人たちが、いつもいつも緊張して過ごしているのかと思うと、手も足も出ないのが申し訳ない気持ちになる。

2022年10月21日金曜日

天高く、ありがたや

 見事に晴れた。天高くというのは、こういう天気をいったのだと肌で感じる。アッパレと音になり、天晴れという文字がついてくる。朝の内は空気もひんやりとして、躰が喜んでいる。つい先日までは日陰を選んで歩いていたのに、今日は日だまりを伝って歩く。可笑しい。半袖の下着に長袖のシャツ一枚でちょうど良い。汗ばむこともなく、囂しく鳴き交わすヒヨドリの声も気に障らない。

 久々にカミサンは家に居て、八畳間にブルーシートを敷いて積み上げてある居宅工事中の避難物を仕分けしている。そのままキッチン下の物入れや押し入れなどに戻すよりも、この際、捨てるものは始末しようと頑張っている。明らかにまだ使える木製のサラダセットがあった。大きなボール、5枚の取り皿、サラダを取る木製のフォークとスプーン。でもこれ、誰かがもらってくれればいいが、我が家ではもう使わない。どうしたらいいのかなあ。カミサンは決断が早い。使わないとなると捨てようという。私はう~んと呻る。天は高いのに、何だこの、わが身の決断力のなさは、と思う。

 こういう執着を見切る所まで考え詰めればいいのに、それができない。グズグズとした見切りの悪さは、物を大切にするという子どもの頃の心の習慣を引きずっているからなのか。じゃあ捨てないで使えばいい。今使ってるのを捨てるかい、と問われると答えに窮する。じゃあ何処に置くのよとカミサンは笑って、いいよ置いとくからと包んであった紙箱に入れ直している。そうして、そうしたことを私は忘れ、物は仕舞い込まれたままになる。まるで私の記憶装置みたいだ。すっかり忘れてしまったわけではない。何かをきっけかにして想起域のボタンを押したみたいに眼前に取り出され、その時には某かの思いが甦り、わが胸中で色づけが為される。誰かが丹精込めてつくった物を使いもせず捨てるって、どうよと自問自答し、そうか人類史的遺産と思っているのか。あるいは、物に対する物神性というか、その物が放つオーラに心がとらわれてしまうのか。困ったものだ。

 ところが他方で、忘れてしまえば、そんなものに何の執着もなく、例えばカミサンが私の知らぬ間に捨ててしまえば、感嘆に断捨離できる。これって、なんだ? メンドクサイ性格ってもんじゃないか。

 そういえば、天高くの「秋」は「とき」ともいう。つまり人生の終着点からわが身の現在を見て取ること。色即是空を思って執着することがなくなり、それ故に断捨離も容易となり、さっぱりとした天晴れ気分に浸れるのではないか。

 そう考えると、私のメンドクサイ性格を断捨離することしか道はないのかもしれない。そんなことを思っていたらカミサンが、断捨離なんか自分でしなくてもいいのよ、生き残った者に任せてしまえば、さかさかと遺品整理でやってくれるから心配しないで、という。 何という慈悲深いお言葉。そうだよねえ、わが身の性分まで整理して死ぬなんてことは、誰にしてもできっこない。なにもかも未完のままで彼岸に渡るというのが、人生の作法。高い天に昇って下界を見て、子どもが遺品整理屋に頼んで始末するのを見て、ああ、それ捨てないでって口にすることはないものね。もうそのときには、すっかり肚が据わって色即是空、空即是色と思っているはず。

 そうかそうか、そうだよね。ありがたや、ありがたや。

2022年10月20日木曜日

瓢箪から駒の世論なの?

 世の中に起こるデキゴトの受け止め方が、ヒトによって異なるのは、なぜか。7月の参院選投票前日に起こったyによるa銃撃を取り上げて考えてみよう。

 a身辺の人たちにとっては、なぜ銃撃されたかなどということよりも、aが死亡したことが大きな衝撃であったろう。aの連れ合いとか母親は、また格別な思いがあろう。だが、aが目下政権党の最大派閥の領袖ということであってみれば、権力抗争に正面から突入する事態が懸念されるが、これが直ちに現政府の凋落に影響することでないとなれば、大きなモンダイではない。

 国民の受け止め方はどうだったと言えようか。私はaの私生活に関心はなかったから、彼の死にまつわって親族が心配することとすると、aの選挙区の後継者くらいかなと思うくらいであった。普通なら連れ合いの傷心を気遣うだろう・だが、ときどきTV画面に出て来る彼女は宰相の女房として演技をしていて、実生活では全くaに依存する気配もなく自律している翔んでる女とみえた。森友学園の園長を引き受けたことに関する友人のインタビューだったか、「私を利用できるなら何にでも使って」と言っていたと聞いて、その天真爛漫さに呆れ、且つ、お嬢様育ちなんだと素直に納得した。ひょっとすると「解放された」と内心喜んでいるかもしれないとさえ思うほどだったから、傷心への気遣いは全くなかった。

 aの選挙区の支持者やチルドレンと呼ばれたような政治家や政治的なファンは、本当に傷心の面持ちだったかもしれない。だがその大半は、自身の今後の立ち位置が浮遊するんじゃないかという心配に起因しているだろうから、党内抗争と同じ次元で考えていいであろう。aの主義主張に心酔していた(としたら、その)人の心情は、ちょっと私にはわからない。aの政治技術的な振る舞い方には達者だなあと感心することもあったが、何か実のあることを考えているかというと、何もない。空っぽ。いや、軽さ、薄さと言うと、どう軽い、なぜ薄いと判断したかと問われるが、空っぽな所へ、身辺の誰かが何かを呟いてくれさえすれば、それを軽々と取り入れて、後で辻褄が合おうと合うまいと一向に構わない。ときに啖呵を切って見栄を張るという技術には長けていたと思う。だからaのファンになるというのは、見掛け、見てくれ、かっこいいでわからないでもないが、主義主張に賛同して支持者になるというと、えっ、何があったの? と疑問符がつく。

 喧嘩は上手いかもしれないが、論敵を叩くだけ、話している中味が説得力を持つことはなかった。むしろ空っぽが良かったのかもしれないと、彼の宰相ぶりを見ていた。バブル時代に青年期を過ごした恵まれたお坊ちゃんの典型だと思っていた。

 窮地に立ったときのすりぬけ方で、モリ・カケ・サクラなどの手際の良さがひときわ際立ったが、あれはsという番頭の才覚だとおもっていた。二人して、国家権力の怪物・リヴァイアサンぶりを十分観させてもらった反面、政府に対する信用を、その屋台骨を支えていたエリート官僚制の力強さごと全部剥ぎ取って使い尽くしてしまったのだから、同じ党派の同士から後に、a好みの語彙である「国賊」と呼ばわれたとしても、致し方ないと感じていたくらいである。

 さてそういうわけで、国民がaの逝去に対して抱く感懐は、彼自身が作り出した毀誉褒貶の総ざらいであったことも、致し方ない。しかもその後の、旧統一教会との癒着が骨がらみであったことも考え合わせると、政権党の浮沈に関わってもいいくらいの「功績」を残したのではあるが、今そこへは踏み込まない。死者を鞭打つことをしない文化的な伝統もあるが、それよりも生きている為政者たちがaの「功績」を我がこととして、どう「反省」するのかこそが、一番問われることだからである。

 さて、そうなると、yの銃撃動機が浮かび上がる。今のところ「精神鑑定」に回されて、たぶん政権党の人たちと政府によって「落ち着きどころ」が模索されているのであろうが、yに対する強い非難の声は聞こえてこない。まるで旧統一教会がaを銃撃したような世論の移ろい方がみてとれる。この世論の動向が何に起因しているのか、実は私はわからない。自分なりにああかこうかと思案してみたが、安定した着陸点がいまだはっきりとはみえない。宗教団体というよりも、集金団体が阿漕な手練手管を使って政治支配に手を出したというところが、嫌われているのか。それとも、韓国発の宗教団体が、WWⅡまでの日本支配に対する「恨」を晴らすべく、日本から毟り取っているとみての反発なのか。でも、日本会議の人たち(やa派閥)との整合性もあるから、一体どうなっているのか。縁を切ると現宰相はおずおずと表明しているが、ホントにそんなことができる気配は、未だわからない。

 ま、結論を急ぐことではない。だが「世論」というものが今奈辺をさすらっているのか、少しばかり気になるのである。

2022年10月19日水曜日

戦争の綺麗事より虚数の理念

 ロシアのウクライナ攻撃が、いよいよ佳境に入った。生活インフラである発電所や変電所を破壊して冬を迎えるウクライナ国民の意気を挫こうとし始めた。初め軍事施設への攻撃だと「言い訳」をしていた。ウクライナは逆に、居住地や劇場、教会が攻撃されていると非難をし、テロだ戦争犯罪だと訴えていた。だが戦中生まれ戦後育ちの私たちは、戦争ってこういうものだと、「戦争犯罪」を「正当な戦闘」と区別する欧米センスを嗤う気持ちがある。

 欧米センスで言えば、戦争もスポーツと同じ、ルールを設け、その枠内で力比べをして、勝敗を決すると考えているのだろうか。それは、しかしデスクワーク。日本風に言えば、ホンネとタテマエの使い分けだ。第二次大戦がそうであった。実際の展開は、東京をはじめとする日本諸都市の空襲もそうだ。焼夷弾を使って街全体の焼き払いを策していた。ヒロシマ、ナガサキの原爆投下も明らかにルール違反、「戦争犯罪」である。これは「宣戦布告」という事前通告など比較にならないほどの「犯罪」行為であるが、敗戦国民の私たちは、そうは言わなかった。なぜか。戦争ってそういうものだと思っていたからだ。つまり戦争にルールがあるとは思ってもいない。

 もし欧米が「そうじゃないよ、やはり逸脱する行為は禁じられるべきだ」と、ナチスのホロコーストを例に挙げるかもしれない。だが、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下が、黄色人種で非キリスト教徒の(宣戦布告もしなかった卑劣な)日本人だという胸底の衝動に突き動かされていたのだとしたら、ユダヤ人虐殺と基本は変わらない。日本人は、アメリカの戦争犯罪とは言わなかった。

 戦争とはそういうものだという観念には、「戦争は政治の延長」という意識的な、自分が選び取った行為という思いはこもっていない。戦争となると、生きるか死ぬか、謂わば降って湧いた天災のようなことであって、ヒトの本性が剥き出しになると(庶民は)感じている。ルールを設けようという為政者とは違う感覚である。もちろんこう言ったからと行って、欧米為政者の意識的なとらえ方を非難しているわけではない。欧米為政者は、ヒトの本性が悪辣苛烈なものだと知っているから、意識的にルールを設けて(本性が剥き出しになるのを)限定しなくてはならないと考えているのであろう。タテマエを「神の言葉」と聞いているうちは、ルールを厳守することは厳かな美しい振る舞いとなる。逆に日本の庶民のように考えていると、加害的立場に立ったときに自己抑制が効かない。本当に赴くままの(中には恐怖に駆られて赴くままの)行為の暴発に繋がる。それを抑制する契機が何処にも見当たらなくなる。

 欧米為政者の戦争ルールというタテマエは、神の言葉が生きていた時代にはホンネに優先する誇らしい行いであったろう。だが神は死に、ヒトは自前で正義や真実を紡ぎ出さねばならなかった。それでも冷戦時代までは、自由主義と社会主義のどちらが「より正義か、真実か」が常に問われる立ち位置をもっていたから、「神」に代わって(世界の民が)「審判」する仮想の位置に立ったのだ。だがソビエトは崩壊した。

 そのとき自由主義アメリカが「審判者」の位置を手にれたわけではない。敵対する相方が崩壊消滅したために、じつは、アメリカもまた審判者の位置を失っていた。絶対神と異なり、神抜きの人智による「(正邪/真偽の)審判」が成立するには、対称的というか、敵対的というか、相方がいなくては判断がつかない。だがそれに気づかないか、気づかないふりをしてか、1990年代以降のアメリカは、アメリカン・スタンダードを振りかざして世界の警察官を務め、経済力と軍事的支配力を背景にそれなりにやっては来た。

 だが、失った「審判者」の立ち位置はごまかしようがなく、タテマエはボロ隠しの衣装に成り果てた。それが剥ぎ取られたのがヒラリー・クリントン、剥ぎ取ったのがトランプであった。つまり、タテマエが本当に着飾る衣装となり、ホンネを覆う薄衣に近いものとなり、裸の王様が裸のままで振る舞うのを誰も止められない事態が世界を覆うことになった。今そのボロ布を弥縫しようと空しく力を尽くしているのがバイデン大統領というわけだ。だが、ひと度剥ぎ取られたタテマエ衣装は、少しばかりの当て布では弥縫しきれないほどすり切れてしまっている。

 21世紀も1/5が過ぎ、アメリカに代わる「審判者」の覇権を中国が手に入れようとしている。だが残念ながら中国は、ご都合主義的に「連合国」の伝統を引き継いでいるようなことを言い、直ぐにことばを翻して古き良き(?)中華帝国の伝統に寄り添って自国利益を主張する。そこには「正邪/真偽」を感じさせる欠片もない。トランプ同様、資本家社会的利益追求の取引観念が浮き彫りになっているから、用心して付き合いこそすれ、信頼して向き合う心持ちにはなれない。まして「言葉狩り」(参照:「現代の焚書坑儒、言葉狩り」2021-10-16の当ブログ)まで行う百%監視国家である。この中国が、世界の警察官を気取っても、誰も真に受けない。

 かつては「審判者」の片割れであった旧ソビエトのロシアは、その時に蓄えた軍事力と統治制度遺産をフルに使って、まさしく恐怖政治国家として立て直しを図っている。もしこの国がウクライナの制圧に成功し、欧米体制と真っ正面から向き合うことになれば、現ヨーロッパも含めて、地上はすっかり荒廃した荒野になるに違いない。

 WWⅡ後に、日独を危険国家に指定して歩み始めた国際連合も、中軸国の「拒否権」に邪魔されて、いまやすっかり機能麻痺に陥っている。UNESCOやWHO、FAO(国連食糧農業機関)などが発足当初の理念に沿って活動を維持しているくらいだ。でもそれだけでもないよりましか。一応各国が顔をそろえて言葉を投げ交わすほどの場には成っている。合意を取り付けるのは難しいが、互いに言い訳をしている間は、まだそれなりに「正しさ」を仮構しているわけだから、形にはならないが「虚数の理念」を取り交わしているという存在価値はある。これは暫く、虚数の理念をぶつけ合い、覇権国家同士の力比べをして、共々に草臥れて何とかしなくちゃあという気分になるまで手がつけられない。メンドクサイ、ヤッカイな21世紀の中盤を迎えるようだ。

 日本はどうするのかって? 何かをなし得るほどの力は無いよ。もし何かをしようというのなら、五十年後を目指して、今から知恵の仕込みをするというのが、最良の道ではないか。孫たちよ、そう考えて頑張っておくれ。

2022年10月18日火曜日

うれしい返書

 古い友人に、訳あって私が毎月発行している私誌「ささらほうさら・無冠」を送った。早速、それへの返信が届いた。思わぬことが記されていて、「誤解」を解こうと直ぐに返事を出した。その二つを、まず掲載する。

***古い友人からのメール

Fさま

 10/14に勝沼から帰ってくると机の上に封書。差出人の記載なし。達筆の書きなれた手書き。中身は印刷物らしいので思い切って開封。貴兄からと判明。その旨、机上に配達した家内に言うと、字面から「藤田さん」と分かっていたとのこと。何でそんなことが分からなかったのかとまず反省しました。

「ささらほうさら」は、子供のころ聞いたことはあるが今は余り使われていない、懐かしい言葉です。

 以前より定期的に発行している冊子らしいですね。今回は74号とは凄い。これまで受け取ったことはなく、それを今回頂けた意味を、差出人の記載もないことも含めて考えました。

 この冊子はセミナー仲間向けに発行しているようですね。巻頭の「睡蓮の属性」は「上手い」と感心。メールの抜粋が有ったりするが、参加していない人間には理解が難しいものもありました。

 冊子の後ろのほうにはブログの抜粋あり、その中に、この間の4人での飲み会の感想がありました。「寿老人の美味しいお酒の苦汁」と題名からして難しい。文章も難しくなかなか文脈が追えないで苦労しました。

 この飲み会で、貴方の話したいと思っていた、「自分の外面をおおよそ装う苦汁は何んだったのか」との問いかけは「貴方の言っていることは普遍的ではないよ」と高飛車に拒絶された。これでは、何で今回自分に声が掛かったのかも分からず、まずい酒を飲むこととなった、というのが趣旨と読みました。

 自分としては「苦汁を飲ます」結果となってしまったようで申し訳ない気持ちで一杯です。会えば理解が深まるとばかり思っていたのにそうはならなかった。話したいことが話せなかったあなたと同様に、私にとっても不満な飲み会でした。。/確かに私は貴方の言っていることに口をはさんだ。しかし問答無用と高飛車に言ったつもりは全くないし、それから、これは貴方指摘するような場面ではなかったと思っています。

 貴方が、古典力学から量子力学への展開を語り、最近はこれに「心の問題」を入れるようになったと話を始めました。私には量子力学などサッパリわからず、話に着いていけませんでした。ただ、現代の科学が分析的になり細分すればなんでもわかるような気持ちなっているのは違うと思う。最先端の分子生物学者だった中村桂子が生命誌に方向転換したように、命や心の問題などを量子論的に論じても難しいのではないか。そこで、私の言いたいことはただそれだけでした。

 この日、ほんとに話したかったのは、松村圭一郎の「うしろめたさ」の話。

 自分はぎりぎりのだが何とか生活していける。しかし世の中になんと厳しい生活を余儀なくされている人のなんと多いことか。何か手助けは出来ないか。これまで世の中のために何もしてこなかった「うしろめたさ」から、ここ数年、週一回のペースでフードバンクのボランテイアに通っています。食品を寄せる沢山の人達、心優しくて、優秀なフードバンクの職員、色んな経験を持ったボランティア仲間などに接すると、日本もまんざら捨てたものではないなと思えてきます。小さなことですが、出来ることを一歩ずつ続けて過ごしていこうと思っています。

 本当はこんな話をしたいと思っていました。

 でもこの冊子の文章を読んで、貴方の思いと私の思いとは結構重なるところがあったような気がします。何でこんな行き違いになったのか。理解力もなく、思い込みばかりで寛容な心を持たない頑固一徹な老人は反省しています。

 またいつかちゃんと話せる機会があればよいなと思っています。とりあえず感想を書きました。ますますお元気でご活躍をお祈りしています。 T


***返信メール

Tさま

 早速のご返信、ありがとうございます。

 誤解が二つあります。

 一つは、「寿老人の美味しいお酒の苦汁」の「苦汁(にがり)」は、飲まされる「苦汁」の意味ではなく、豆腐が固まるニガリのことです。ほとんど意識することなく「ニガリ」とタイプすると「苦汁」と表示されるので、そのままにしておいたものです。ワタシが何者かつかめなかった大学在学中の私が「苦汁(ニガリ)」によって「ワタシが意識される原点の表面加工が為され」て職に就くようになったが、はてこの「苦汁(ニガリ)」とは何だったのだろう? と味わいの違いを探るような心持ちが「寿老人の美味しいお酒」の席にあるような気がしています。つまり学生の頃には「苦い思い」であった「苦汁」を(豆腐が固まる苦汁だったのではないかと)肯定的に見ています。ちょっとした自己形成のパラドクスに気づいたってことでしょうか。

 二つは、「「貴方の言っていることは普遍的ではないよ」と高飛車に……」というのを、あなた自身のことばのように受け止めていますが、そうではありません。7月に皆さんと一緒に会ったとき、あなたと遣り取りした「高見に立って決めつけるようにものをいう学者老人」のことを指しています。つまり、「そういうエライさんと会うことはないと見切った」のがあなた、という文脈です。

 ごめんなさい、わかりにくい文章を書いて、と思っています。でもこの誤解は、私のあなたに対する信頼度をいっそう高めています。あなたは人のことばを自身への批判として受け止める身の習いをもっていることがわかるからです。私はいつも「自己を対象化する」といっていますが、自分の身を振り返るようにモノゴトを考えるのがクセになっています。たぶんそれが、後段であなたが「貴方の思いと私の思いとは結構重なるところがあったような気がします」と書いているように、たぶん自分を見ているセンスが似ている所かなと好ましく思います。あなたのご指摘は私の文章の拙い点を衝いているのだと思いました。

「一徹老人」は我が道を行くという独立自尊のあなたへの敬称です。フードバンクのボランティアのように、あなたは、社会的な関わりに於いて、躰がまず動いています。それがワタシは苦手で、見知った人たちの間でしか、そのように振る舞えません。思えば学生のときからあなたは、そのように振る舞っていましたよね。そこが私の目には、「一徹」に思え、素晴らしいと感じているわけです。

「ささらほうさら」を「子供のころ聞いたことはあるが今は余り使われていない、懐かしい言葉」と受け止める方に出会えて、本当に嬉しい。この名称を用いて公民館などで「会」を開くと、ほぼ間違いなく「ささらほうさら」ってなんですか? と訊かれます。私は仕事について後、秩父事件のことを調べていたときに寄居町風布(ふっぷ)にいた、秩父事件関係者の子孫から聞いたことばです。

 いま「ささらほうさら」は、半世紀以上のグルーピングをしてきた私の友人たちの老人会のようなものです。コロナ禍のせいで今は休止していますが、月1回、交代で講師を務め、開いてきました。「ささらほうさら・無冠」は、その毎回の印象や感懐を綴った私の「個人通信」ですが、このところコロナのせいで会えないこともあって、「ささらほうさら」の「会誌」として一部を間貸しして、毎月発行しているわけです。

 今号は、あなたとの遣り取りに触れて書いた部分がありましたので、タカハシさんとあなたにお送りしました。タカハシさんからは、「難しくて読めないよ」と苦言を頂戴しました。「読まなくていいよ、こいつこんなメンドクサイことを書いて元気なのだ思ってて」と返事をしておきました。

 ありがとうございました。また機会あるときは、声を掛けて下さい。お会いするのを楽しみにしています。  2022/10/18 F

2022年10月17日月曜日

ゆとりのある仕事ぶり

 給水管給湯管排管の、我が家の更新工事が一先ず終わって、隣の階段へと移った。我が家の残りは、こちらがオプションで頼んだ浴室のリフォームだけだから、ま、おまけようなもの。来週に行われる。

 この間、7日から一昨日までの更新工事は、日中業者が出入りしてガリガリと音を立てる。家人の誰かが在宅するという条件もあったから、それなりに煩わしいと思っていたが、リビングのパソコンに向かっていたり、ソファの寝ころんで本を読んでいたて、全く差し支えなかったから、爽やかな心地で過ごすことができた。そのワケを考えている。

(1)住戸の北側と南側はほぼ立ち入らない。冷蔵庫を南側のリビングに置いてもらった。玄関から中程の2室の半分とトイレ、洗面所、洗濯機置き場、キッチンと湯沸かし器のあるベランダが施工場所。購入時から使っていなかった北側のトイレは、便器を外して物置にできるようにしてもらった。庭の蛇口への給水管は取り替えず、水栓を取り付けてもらって、もし給水管が壊れたら止めることができるようにした。

(2)中央2室の施工しない半分は、リビングや洗面所、押し入れなどにあった物をブルーシートを敷いて積み上げている。1室にはタンスなどがあるから毎日出入りするが、日中は踏み込まないように必要な衣類を南側居室にもってきておいた。

(3)作業に立ち入る箇処の床には厚手のシートを敷き末端をテープで留めて固定。そのほかに壁などを汚さないように、廊下から下駄箱、本箱、積み上げた押し入れの物やその他の物品も全部覆うように薄い養生シートを張り巡らす。固定しておいていいそのいくつかを除いて、毎日作業が終わると取り払い、トイレ便器も洗面台も使えるように元に戻した。キッチンとリビングとの境目の養生シートも毎日取り替えた。

(4)午前9時から夕方6時半までの作業タイム以外は、予測していたとおり、余裕を見て設定している。概ね5時に仕事が切り上がるようにしている。1時間半ほどが集中の続く作業時間を見てるのか、午前と午後に少しばかりの休憩を入れることも定着している。うんと遅くなったときにも6時には作業を終了した。考えてみれば、わが棟の作業に入る前すでに8月から1号棟2号棟の居室作業をしてきている。手慣れたものだ。その作業者の安定感が熟練者の手際の良さに見えて、さすがプロだとカミサンはベタ褒めであった。

(5)始まりと終わりに、作業監理をしていると思われるスタッフが挨拶に来る。今日一日の予定を伝え、終了時には翌日の予定を伝え、「何か要望・ご意見は?」と訊ねる。ときに行き違いがあったが、すぐに連絡不十分であったと訂正が入る。

(6)そうして作業を行った(休祭日を除く)6日目で「完了」した。予備日1日を入れて2日ほど早く終わった。つまり作業日も1日早く切り上げることができたのであろう。このゆったりとした進行に感じられる余裕が、爽やかさに繋がっていると思った。

(7)もちろん仕上がりにモンダイがあるわけではない。思った以上によくできている。

                                      *

 さて一昨日から、一時積み上げていた荷物の片付けをはじめた。作業開始前に、要らないものを随分溜めてるなと思いながらひとまず積み上げておいたから、今度はそのまま元に戻すわけにはいかない。今度こそ「片付けて」始末しようと取りかかる。改修作業のようには運ばない。今度はわが身の断捨離だから、断ち切る決断が問われる。唯一つわかったこと、捨ててしまえば断念できる。目に触れなければ忘れてしまって未練はない。何かを想いだしても、後の祭り。手をつけるのがメンドクサイという方が勝つから、悔しくもない。断捨離とは、後の祭りにすること。そう気づいた。

 身の回りをさっぱりしておくと、断捨離にも未練なく臨むことができる。色即是空・空即是色ってこういうことだったと、改めて実感している。

2022年10月16日日曜日

世界覇権とモラルと天の啓示

 2020年5月4日のブログ記事《【8年目からの追記】近代市民社会の理念が揮発した》は、第12回Seminarで「総合商社の仕事とは、何か」を話した講師が「全部オフレコに」してくれと要望したことがあり、えっどうして? とそのわけを私なりに考えた「商社マンとしての合理性」を書き記したものだ。簡単に言うと、経済活動がグローバル化していくと、文化文明の違いを乗り越えて取引をする。そのとき、先進国社会ではとうてい認められないような手練手管を用いて取引相手を籠絡して契約にこぎ着ける力業を用いることも多かったろう。それを公表することは憚られるから「オフレコ」にしてくれといったのだと、わが身の裡で腑に落とした。

 経済的な取引をする交通は、文化文明の交通でもある。先進国の文化文明が浸透するんじゃないかとデスクワークで考えれば思ってしまうかもしれないが、そうではない。文化文明に於いては、経済的先進性が優位に立つとは限らない。双方がフラットに向き合っているわけではないからだ。早く契約の締結にこぎ着けたい先進国が、その文化のギャップを埋めるために、おおよそ先進社会では容認されない下世話な手練手管を繰り出すこともあったろう。経済的関係だけでなく、背景にある政治的力や軍事的後ろ盾が両者の力関係になって作用するから、先進国の金でほっぺたをひっぱたくような振る舞いのみならず、ヒトの本性的な弱点を突いて、ま、越後屋のように「お主も悪よのう」といわれる様なことをしてきたのかもしれない。逆に先進国の商社マンが、そうした手管を下されて籠絡されることもあったかもしれない。

 現役をとっくに引退した講師本人はともかく、その後企業の「コンプライアンス」が厳しくなった世界にまだ事業を継続している商社としては、譬え昔話としてでも聞くに堪えない噂が行き交うのは迷惑千万、「オフレコ」にしてほしいというのは、わからないでもない。でもその時の私は、だったら、本当に「オフレコにしてほしい」様なことを話しなさいよ、まだ入口にも入っていないじゃないかと愚痴を言いたいくらいだった。

 でもそのときに思い浮かべていたのは、そこまでだった。澱のように疑問が胸底に溜まり、ときどきポカリポカリと浮かんできた。

(1)1980年代まではそれでも、ホンネとタテマエとか裏と表という風に、振る舞いの「正/邪」の分別はついていた。それがいつの間にやら、ウソとホント、リアルとフェイクというように取り扱われ、タテマエも単なる仮面のようにみなされて力を失っていった。これは、どうしてなのか?

(2)そう言えば、1990年代以降に経済のグローバル化が叫ばれ、アメリカンスタンダードが世界標準のように伸してきて、世界的なネットワークの再編が進んだ。冷戦という対立構図があった時代には、東西いずれがより正義か(より良いか)という詮索の目が世界に生きていて、世界のモラルの「正/邪」もそれなりに起動していた。その時の私の価値軸には「自由と民主主義」を好ましいものとする感覚が身についていた。

(3)ところが冷戦が資本家社会の圧倒で終結したことから、文化文明の先進性が資本家社会に認められてくるとともに、強いものが勝つという資本家社会の論理が前面に迫り出してくるようになった。産業革命の頃のイギリスの状態同様に、貧富の格差はますます熾烈に貧しい者を襲い、労働がほとんど奴隷労働かそれ以下のように苛烈な搾取に見舞われ、死んでも葬儀すら執り行えないまま放置される貧民街がロンドンの街に広がっていった。現代は、金融資本とグローバル経済の領域拡張とによって、一国だけでなく世界全体に、それぞれの民族国家の政治経済力を反映して、富の格差は拡大し、それを救済する哲学も大きく力を落としている。

(4)1990年代に、アメリカン・スタンダードの一つとして「コンプラアンス」を遵守するということが「企業倫理」として称揚され、アメリカ風の企業経営が広がっていった。それが、それぞれの国民国家が伝統的に紡いできた会社や経営の有り様を崩してしまい、優勝劣敗の利益獲得競争が剥き出しで行われ、(3)の様相が世界規模で広まっていった。

(5)アメリカンスタンダードにいう「コンプライアンス」は、法に触れなければ構わないという「企業倫理」であった。逆に法に触れて「有罪」となると法外な賠償金を取られるというアメリカ司法の懲罰が横行して、それなりに「コンプライアンス」が護られた。「法に規制されない」ことはすべて合法とみなされ、事実上モラルは崩壊したといってもいい。せいぜい「投資家保護」という帳簿上の辻褄合わせが求められ、それは会社が(経営主権者である)投資家のためのものであり、その経営の趨勢は、そこに務める労働者にも深く関わる必須の事柄という「倫理」も雲散霧消してしまった。それぞれの社会に通用している司法感覚の違いなども、「コンプライアンス」の遵守程度に差異を齎している。

(6)世界の覇権を握っていたアメリカの大統領がトランプであった4年間は、経済的な牽引すら政治的・軍事的覇権によって保たれていることを示した。アメリカが保っていた「覇権」は、文化文明的な先進性が世界各国の人々に支持されることによって、裏付けられていたことも明らかになった。トランプは自ら国際的な協調路線を破棄することによって、道義的な(覇権の)支持基盤を掘り崩し、世界の秩序を維持するというアメリカの長く保っていた役割を放棄したことになって、アメリカはただ単なる富裕な国のひとつに、今まさに転落しかけている。

(7)それに対して中国が、強権支配的資本主義国として世界の舞台に登場し、力を堅固にしようと乗り出してきた。その原動力になっているのは、国際的には経済的援助とそれに裏付けられた「取引の酷薄さ」であり、国内的には独裁を維持するための、国民生活と秩序の安定である。それがどこまで破綻を来さないで保てるか、世界はハラハラしてみている。「取引の酷薄さ」は、アメリカンスタンダードによる遵法性に照応しているが、(4)の広まりで苦しんでいる国々にとっては。大きくモラルに関わる振る舞いである。自国民第一主義が世界覇権と同義的にすすめられると、世界秩序の庇護者の位置に立つことはできない。

(8)プーチンのウクライナ侵攻は、上述の世界秩序の変転をみて、まだ強権的支配による(国民国家の操縦と)世界覇権への参入ができるとみて踏み切ったものだろう。中国のような独裁支配でないだけに、裏街道で働く政治的な手法の凄惨さが際立つが、これは、情報統制が中国ほど徹底できない政治社会体制の特性による。

(9)世界的なモラルの崩壊は、いま、ウクライナへの支持援助かロシアへの加担・または中立かをめぐって各国に問われて浮遊している。だが、どこかに世界的なモラルの平衡点は成り立つ地点は見えるのであろうか。

(10)国連もほとんど無力化している。唯一期待を持たせるのは、皮肉にも、新型コロナウィルスという共通の禍に人類が見舞われたこと。これによって、いがみ合いながらも人類は、なにがしかの相互共通利益的な対応策を採らなければならなくなった。天が、人類に「バカめ」と啓示を齎しているようにみえる。

2022年10月15日土曜日

尾を引く

 二年前と一年前のこのブログ記事を読んで、昨日の記事で紹介したジャン・ダヴィド・ゼトゥン『延びすぎた寿命――健康の歴史と未来』が指摘する環境的要素(温暖化が寿命に影響している)と同じ風景を見ていると思った。モノゴトを理解することと仮説を立てることとの根柢に、共通して流れる「構え」がある。それが「ルートnの法則」だ、と。

 二年前(2020-10-12)の「ルートnの法則」はブラウン運動に於ける主潮流に逆行する動きが一定数必ずあることを組み込んだ思考を提起している。それを元にした一年前(2021-10-14)の「「仮説」提起のムツカシサ」は、「ルートnの法則」を組み込むことによって「仮説」の中に発生する(仮説提起者の)モノゴトを理解する枠組みの縛りを解きほぐす作用があると展開している。そしてそれが、ゼトゥンの寿命に関する思索の視界を広くしていることに通じていると感じ取った。

 これは、なんだろう?

(1)身の裡にワタシの思考(嗜好/志向)に逆行する動きがあることを肝に命じ、受け容れる。私の気づいていないワタシを意識し、表層に浮かび上がらせてロゴスの一角に組み込む。

(2)ありとある現象にも、それが通用することを(思索の)土台に据える。

(3)だがそれらは思索の起点であって、逆行が正当化されるわけではない。だが(逆行する現象の)存在の合理性はあるということだから、それがなぜ「存在の合理性」なのかを論理的に明らかにする。それは無意識に沈潜するわが身の由来を摑むことでもある。

(4)身の裡の「感触」を「ことば」にする過程と言える。言葉にした瞬間、直ちにそれに逆行するモメントが発生するというパラドクスをもっている。つまり「感触」と「ことば/ロゴス)」の間の逆説的な関係をやわらかく身の裡に保つことが、ワタシを知るセカイ探求の作法である。

(5)セカイを感知しているイメージとしての「感触」は、「ことば/ロゴス」にすることによって人類共通の俎上に上がる(そのように受け止めてもらえるかどうかは、また別の次元のモンダイとなる)。とすると、(4)のパラドクスに揺蕩う「あわい」が、生きている原動力ではないか。エロス性もまた、相異なる(パラドキシカルな)次元の交わりによって発現される駆動性を指し示している。

(6)こうも言えようか。ワタシという個体に於いて駆動される(「感触」から「ことば/ロゴス」への)パラドキシカルな跳躍は、実は個体の思念から人類史的な思念の俎上に次元を換える動作である。これは「生きる」ということそのものであり、「生きる」意味であり、「生きる」目的であるとも言える。

(7)つまりここに於いてワタシは人類史の通過点であり、人類史そのものであり、人類史の未来をも背負っている欠かすことの出来ない断片である。

(8)従ってワタシの命は、私の所有物ではなく、人類のものであると共に、その視界に入るセカイを構成する生態系を含む大自然のものである。私ごときの勝手にして良いものではないと同時に、ワタシに発生する細々とした些末なことを疎かに扱っていいものでもない。その、今の私には煩わしく思うことごとをバグと呼んだりするが、じつはそれが「√nの法則」の、逆行する大切なモメントを含むものかもしれないからだ。

(9)上記(6)から(8)へのプロセスが通過する「跳躍」には、神憑り的な要素が付き纏う。古来「神が憑依する」ようにして、「感触」から「ことば/ロゴス」への「跳躍」をし、あるいはそうした「跳躍」を受け容れることをしてきた。つまり「跳躍」が含む超越的な直感性を腑に落とすには、わが身をセカイのほんの小さな欠片に位置づけて見て取る作法が欠かせない。それが「畏敬」であり、恐れ多きものに対する「畏怖」であり、「祈り」であり、「信仰」であった。

(10)神が死に、人が自らの自律の根拠を考えなければならない時代になって、人は「畏怖」することを見失った。(9)にまとめたプロセスを、しかし、憑依されることなく踏むには、無意識に蓄積した(9)の過程を意識して掘り起こし、まさしくそれが人類史的営為であることを証しつつ蓄積していかねばならない。どうやって「証す」か。大自然のほんの欠片であることを見失わず、「√nの法則」の、逆行する大切なモメントを畏れ多くもと目に留めて、自らの航跡を「ことば/ロゴス」にしていくしかない。

 あっ、尾を引いている、と思った。忘れっぽいワタシが、書き置いたからこそ、こうして3年目の感懐を綴ることができている。もし古事記や日本書紀が出来する以前の「語り部」であったりしたら、自らの自画像すら日々湧き起こる傍から消えていき、映す鏡さえも見失っていたであろう。よくぞ、書き置く文化に出遭ったものだと感慨深い。

2022年10月14日金曜日

寿命とCOVID-19と希望

 ジャン・ダヴィド・ゼトゥン『延びすぎた寿命――健康の歴史と未来』(河出書房新社、2022年)を読み終わった。著者はパリ在住の内科医。ヒトの寿命がいつごろから延びはじめ、いつごろから延びなくなってきつつあるのかを、生物学、医学、環境、行動の四つの側面から考察して、統計的な要素も加味して丁寧に記述している。原著は2021年、翻訳本は2022年の4月に出版されたこともあって、新型コロナウィルスに関する保健諸機関の対応や考察所見も組み込まれている。

 温暖化が寿命に与える影響とか、化学製品が人体に与える負荷などは(製造者は触れないこともあり)、ソレとコレという風に特定することの困難もあって不分明なことが多いが、確実にダメージを与えていることも記述されている。つまり寿命というのは、世界の総合的なヒトへの関わりが現れる一つの指標とみなされて考察されている。

 一般には寿命が延びるというのを、社会疫学と医療の発展にみようとするが、ゼトゥンは経済格差や気候のもたらす不作による飢餓など、ヒトの栄養状態の移ろいを視野に入れて先史時代からの寿命を見つめる。するとおおむね平均寿命は、産業革命までは25~30歳程度。乳児幼児の死亡率が高く、成年となるとそれなりに高齢まで生きはするが、食料生産が確保できて栄養失調がある程度解消されるようになり、感染症への対策が衛生思想の社会的な浸透に行き届き、「医学の時代」と著者が呼ぶ第二次大戦後に大人の死亡率削減に取りかかるまでは、平均寿命の延びはそう大きくはならなかった(国連統計によると20世紀半ばは45年程度だったのが、その後の半世紀で70年を超えた、と)。

 医療や薬の発展開発が大きく貢献するようになるにも、市場原理に任せたままでは難病奇病の希少疾患の薬は開発されないのを、サリドマイドベイビー事件をきっかけに(世論の動きを背景に)アメリカの上院議員が働きかけて法を作り、製薬業界が積極的に乗り出すようにするなどの、政治的なモメントが作用している。こうした径庭を知ると、ワタシの寿命も人類史の歩みの上に築かれているとひしひしと感じる。

《健康で長生きすることがスタンダードになると、私たちは自らの健康に一層気を遣うようになった。人々の健康志向は外部の要因にも作用し、周囲の環境もますます健康的になる。まさに「正のフィーフォバック」が起き……平均寿命もどんどん延びていった》

《そしてついに、上昇するいっぽうだった平均寿命が下降に転じる国があらわれた。》

 アメリカでは「絶望死」が一つの現象としてあらわれている。こうなって初めて、寿命が延びすぎていると感じるのだから、皮肉なものだ。

 著者は温暖化する環境要因を大きく見ているが、産業の発展によって豊かな暮らしを望む社会の方向性にはなかなか歯が立たない。しかしそれに、人類史的立場から目を向けさせる衝撃が天から降って湧いた。それが新型コロナウィルスであり、それに対する世界の受け容れ方だったと著者は期待を寄せる。

 本書の「訳者あとがき」は次のように希望を語る。

《感染症のパンデミックでわかったのは、集団的な対策も必要だが、それだけでは十分ではないということだった。結局、一人ひとりが気をつけるしかない。逆に言えば、一人ひとりが行動すればも大きなムーブメントを起こせるということだ》

 本書は、個人が気をつけるべき「自助」を解いているわけではない。むしろ社会的な「公助」「共助」と一人ひとりの「自助」が同一次元で語れる舞台を、新型コロナウィルスが設えたと読者である私に呼びかけているように思った。

2022年10月13日木曜日

批判精神不足が言葉足りずに

   昨日の「折角の素材をふいにしている」が、学問の入口に立っている若い人たち向けに書かれていると思い当たって、も一つ「素材」を語る語り口があると思った。テーマを定めること。

 若い人たちが「寄り道」をするというのは、どの方向に向けて歩き出せばいいか、わからないということか。この「素材」となった磯野真穂さんの場合は、はじめスポーツトレーナーであった。それが、留学先のアメリカで人類学の講義を聴いて、全く違ったテーマに刺激され、方向転換をした。でもこれがなぜ「寄り道」なのか。自分の口を糊することと探求・研究するテーマとを切り離してみると、これは寄り道でも「無駄」でもなく、次元の違う話である。

 彼女が人類学で刺激されたことは胸中に彷彿と湧き起こった「興味関心」のテーマ。それを職業と直結させる必要があるかどうかは、時の運。巡り合わせでもある。この記事をモノした記者は、磯野真穂という(魅力的な)人物が独立研究者として活計(たつき)を立てていることに引きずられて、ついつい興味関心の赴く先に仕事を想定してしまったから、この記事の焦点が散乱してしまったようだ。

 それで一つ、思い当たることがある。1960年代の大学生が皆そうであったかどうかはわからないが、大学で学ぶことと仕事とが直結していると私は思っていなかった。実際、三浦つとむという哲学者はタクシーの運転手をしていたし、吉本隆明という在野の評論家もいた。アマチュアと呼ばれた天文家や遺跡の発掘をしている考古学の「愛好家」もいた。そもそも大学で学ぶことが実用性をもっぱらにしていると考えてもいなかった。自分の興味関心で生きるということは貧乏をすることと同義でもあった。

 それがいつしか姿を変えて、大学で何を学ぶかということと卒業後にどういう仕事に就くかということが直に結びつけられて考えられるようになっていたのだ。そうか、高校の「進路指導」がそのように行われていたから、磯野真穂もスポーツトレーナーに成りたければ早稲田のスポーツ科学科が良かろうと思ったに違いない。

 この変わり目がいつ頃だったのか?

 桐田清秀が『戦後日本教育政策の変遷』を著し60年余の教育政策を振り返って次のように記している(花園大学社会福祉学部研究紀要 第18号 2010年3月)。

《……教育政策がこの数年、年表に見られるように、矢継ぎ早に出されていること自体がおかしい。教育政策が教育に関わることである限り、そんなに簡単に変えてよいものではない。「国家百年の計」ではなく、目先のことしか考えていないように思う。》

 1958年の教育課程審議会の答申以来十年ごとに改訂されてきた当審議会の「答申」を検討して桐田が指摘する要点は、教育目標が「マンパワー・ポリシー(人的資源開発政策)」と呼ばれる経済成長に資する人材育成(という目先)に向けられていったことへの批判になっている。

《……この近代化や経済発展を推進した教育政策は、「大きな物語」の終焉とグローバリゼーションの潮流の中で、すでにその役割を終えているように私は思う》

「学力」への視線が「(経済成長を支える)人材育成」に向かい、高校の「進路指導」が将来の仕事と高等教育に直結しはじめたころから、人の興味関心と職業とがダイレクトに結びつけられ、高等教育も「実学」という(現実仕事の)有用性に傾いて、人の興味関心という「探求・研究」心の向かう先と一致するのは、(才能的にも経済環境的にも)極めて恵まれた一群の人たちだけに限られるアカデミズムの領野に閉じ込められることとなった。

 そして桐田が指摘するように、「追いつき追い越せ」という高度成長期の「人材育成」も、日本がバブル経済の時代に到達する頃には限界が見えていた。これからは「国家百年の計」を意識した教育政策に転じなければならないと、教育論壇ばかりでなく経済論壇でも論じられていたのだ。だが教育政策は、バブル崩壊後の経済立て直しを「夢よ再び」路線に託して、ますます「目先のこと」を懸命に追い求めたがために、「人の興味関心」の赴く所は「無駄」と断じる社会の風潮を、大学などの研究機関に於いて、野放しにしてしまった。それが磯野真穂が独立研究者の道を選ぶ動機となるような事態をなしているというわけだ。

 ところが皮肉なことに、バブル時代の一億総中流の豊かな暮らしの効果を受けて、子どもたちの「興味関心」は、その赴く所を大切にし、それを伸ばしていくのが人間としての成長成熟だとする思いが世の中に浸透してきた。それが、冒頭朝日新聞記事の取材記者の無意識に根付いている。だから記者は、活計を立てることと興味関心の赴く所を分けて考えることができなかったに違いない。独立研究者という道筋は、社会組織の閉塞的な通念を打ち破るようなバイパスに見えたようだ。

 そう見ることは、それはそれで構わないが、だが世の中の新聞読者に伝える場合、ことに若い人たちの誰もが、独立研究者という恵まれた境遇に身を置くことはできないことにも目配りする必要がある。だとすると、わが身の裡に生じる「興味関心」と暮らしを立てる足場を置く土台とをきっちりと区別して、記事としては取り上げる必要があったと私は思う。99%の人たちは「趣味に合った暮らし」をしているわけではない。

 そう考えてみると、新聞記事というのは、やはり読者(や社会)に対する批判的な視線(「興味関心の赴く所」を「無駄」とみるな)と共に、大学や企業や政府の政策に対する批判的な視線が欠かせない。そこまで言及する記事に仕上げなくては言葉足りずということになろうか。

2022年10月12日水曜日

折角の素材をふいにしている

 今日(10/12)の朝日新聞の教育面は面白い素材を扱っているが、焦点が絞れていないから、結局何が言いたいの? と思うような残念な記事になっている。

 人類学者で独立研究者である磯野真穂さんに取材した「学の道 無駄じゃない」という記事。スポーツトレーナーになりたくて早稲田のスポーツ科学科に入り米国の大学に留学したが、そこで受けた人類学の授業がおもしろくて進む道筋を変えたという経歴を紹介し、「研究とは元来、面白くてワクワクするものだと思う」と寄り道を肯定する。

 スポーツ科学に入ったことを「寄り道」といっているのか。《でも、近視眼的な成果や実用性を求められると、寄り道は「無駄」と評価されてしまう。結果、ウケの良い研究テーマを選んで論文を書いたり、美しい報告書を短期間でつくって体裁だけ整えたりして実績にしてしまう》とあるから、大学とか研究機関など研究者の関わる社会組織の実用主義的な傾きを批判しようとしているのか。

 もしそうだとすると、文科行政批判に向かってもいいはず。それでひとつ思い出した。検索すると、2019/4/18の朝日新聞社会面「気鋭の研究者 努力の果てに」と見出しを付けた7段抜きの記事について、その翌日のこのブログで書いている。「将来を嘱望された日本思想史の研究者が、経済的な苦境から抜け出そうと結婚し、しかしそれが破たんして、命を絶ったというもの」。優れた研究者を救済する視線を持たない文科行政を浮き彫りにする哀切な記事であったが、この研究者の、研究を主眼にして暮らしを欠落させた人生の受け止め方に、私の批判の目は向いている。

 今回の記事が文科行政批判に向かっていないことは、当の磯野真穂さんの、独立研究者としての暮らしが成り立っている様子も取り上げているから一読瞭然。だが、では、「無駄」と評価して研究者の探究心を削ぐような所業をしているのは誰なのか。それへの言及はない。

 ただ、磯野真穂さんが大学に勤めることを考え応募しようとするが、「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」の多さに諦め、独立研究者になったと語っている。「元来研究とは」と語りはじめれば、まさしく「ワクワクするもの」というのはよくわかる。だが履歴書や業績書を書いたり、15回分の講義のシラバスを作成することを「クソどうでもいい仕事」というのは、「研究」と「教育」という仕事を切り分けて選ぶことができる贅沢な「研究者」だけ。恵まれた人に限られる。

 では、そのような「クソどうでもいい仕事」が無用かというと、大学にせよ研究機関にせよ、公の金を使って公正に人を採用するからには、欠かせない手順ではないか。例えば大学院の教師になるとしても、学生さんと共同の研究活動がメインとなると、シラバスならずとも研究目標や方法、手順はきちんと文書にして示さなければならない。その採用の前段で、履歴や研究業績を文書で求められることは、採用側から見ると必須の要件である。研究者と教育者が混在している日本の大学システムがモンダイだというのなら、それはそれでわからないでもない。だとするとアメリカの大学のように研究者が余計なことに気遣わなくて研究に専念できるスタッフを置くようなモンダイとして考える必要がある。でも記事は、全くそういうことに配慮して構成されてはいない。

 その煩瑣な手続きを「ブルシット・ジョブ」と「クソ」呼ばわりするのは、社会的な(他者と共有する)活動そのものを否定して、自分の興味関心の世界に閉じこもることを意味することになりはしないか。それでは、「独立研究者」としてやっていくのにも、差し支えが生じるのではないか。

 例えば私の知る数学の独立研究者・森田真生の場合。「数字を使わない数学研究」というモチーフが、生活そのものを組み込んだ展開として見られ、どうやって稼いでいるかは定かではないが、研究と暮らしが符節を合わせている気配が感じられる。

 この記事の場合、《その(ワクワクする)過程には、寄り道を許す、組織や研究者自身の余裕が必要です》といっているから、大学や研究組織自体の「余裕」がないことを皮肉っているのかもしれない。だが「研究者自身の余裕」となると、先に挙げた自殺した研究者と対照したとき、経済的にも「恵まれた方なのね」と推察するしかない。才能というより生活要件において、どう恵まれているかを差し置いて「ワクワクする」だけを取り出すのは、研究者ご当人よりも取材記者自身が「暮らし」を欠落して考えても一向に差し支えない育ち方をしているからじゃないかと思う。

 そうじゃないよ、独立研究者の需要が「人類学のオンライン講座や読書会」にあることを紹介しているのだというのかもしれない。これまで研究活動というのが、大学や研究機関という社会組織に帰属して続けることができていたが、現代では、独立研究者として自律することができる社会的需要がある。それを紹介する意図がある、と。

 もしそうなら、「オンライン講座や読書会」にやってくる「医療や福祉、メディアなど多様な現場で働いている『学生さん』」300人ほどの動機や関心が、どう、奈辺にあるのか、それと社会的な活動とはどう連関しているのかに言及することが必要ではないか。あるいは「社会貢献を考える企業の新規事業」が「家とは何か」「痛みとは何か」「苦しさとは何か」をテーマに人類学に声を掛けるのならば、《人類学は「そもそも論」へのアプローチを得意としている》と人類学だけの特異性のように片付けないで、社会の底流に哲学を求める潮流が流れているのではないかと、社会的に大きな「課題」を浮かび上がらせてもいいんじゃないか。

 ところが取材記者は「なんでそんなもの?」と世情思われるようなことをテーマに据えて、「ひたすら研究したり、何か一つのものを作り続けていたりする人の話を聞いたり……一見小さな世界の中に壮大な世界を見いだしたりしていて、そこから世界の楽しみ方が現れます」と話す磯野真穂さんの話に絞ってしまって記事を締めくくっている。

 これって、自分の興味関心がどんなにトリビアルであっても、そこを窓口にして世界を見ることはできるよってことをいいたいのかい? それでも暮らしはやっていけるよって知らせたいのかい? 誰にそんなことを伝えたいの? そんな疑問が次々に湧いてくる。

 人類学という分野であっても、独立研究者としてこれだけ社会的な活動領域があるよってことなら、それはそれで日本社会の思わぬ文化的な底堅さを示すようで、頼もしい限りと言わねばならない。でも、それならそれに相応しい記事の構成の仕方があるんじゃないか。

 折角の素材をふいにしてしまっているような気がした。

2022年10月11日火曜日

名を遺す不明を恥じる?

 手掌の手術をした私に、半世紀来の付き合いをしている友人から、「国際人になったなあ」と揶揄う手紙が届いた。

《2~30年前、中央競馬にクロフネという破格な強さを持つ名馬がいました。典型的なマイラーで芝、ダートを問わず鞍上の武豊は乗ってるだけで後続をぶっちぎるその勝ち方が豪快でファンを喜ばせたものです。で、そのクロフネの父馬(種牡馬)の名がなかなか覚えられなかったのを今でも覚えています。現在こそちゃんとフレンチデピュティと言えますが、英語に疎いのであの頃もデピュティ(deputy)が代理とか使節を意味する語とはつゆも知らず、デピュティかデピテュかデュビティかこんがらがってしまったものです。

 そんな思い出から話を切り出したのは、あなたの手掌の病名デュビュイトラン拘縮のカタカナ部分の舌を噛みそうな綴りに掛けたかったからです。デュビュなんて舌が縺れちゃいますよね。人名から採られたそうですが、いかにも口を細めてぼそぼそってな感じのフランス語臭い、ナントカランってえのも、元大統領のミッテランとか、「会議は踊る」で有名なウィーン会議のそれこそフレンチデピュティだったタレーランがお馴染みで、件のデュピュイトラン先生もきっとフランス人だと思いますね。

 セカイの山々を踏破したあなたはそれだけで十分国際人でありますが、珍しいフランス人名付きの疾病に罹患して、病理学的にも重ねて立派な国際人になったんだなあと改めて自らの手をじっと見て、その感慨に浸って下さいまし。》

 そうだね、デュピュイトランて人の名前とは聞いたが、それがどんな人でいつ頃それを「発見」したのかは、どうでもいいことと思ってきた。

 ところが、読んでいた本に思いがけずデュピュイトランの名前が出ていて驚いた。ジャン・ダヴィド・ゼトゥン『延びすぎた寿命――健康の歴史と未来』(河出書房新社、2022年)。

 感染症との闘いがどう行われ、良く名を知られたジェンナーやパスツールやコッホという「微生物による感染(推測)と発見の時代」、WWⅡ以後の「医学の時代」、21世紀の健康問題、結果としてそれが「後退」しているという現在の状況分析を、飢餓や社会の混乱に目を留めて、地球の気候の未来を予測し、気候変動や新型コロナウィルスなどの感染症への対応が意味する所を描き出そうという意欲的作品の最初の方。

 ところが「解剖学者で軍の外科医として有名なギョーム・デュピュイトラン」とあるが、ほとんど名を記す必要もないほどの文脈に登場している。彼の教え子のルイ・ルネ・ヴィレルメル(1782~1863)が、「社会疫学の創始者の一人」として果たした功績を解説する部分である。

 《「パリ近郊で生まれ」たルイ・ルネ・ヴィレルメル(1782~1863)は外科医となってナポレオンに仕えた。(1)監獄に入っている人の健康を調べ、環境を良くすれば健康が改善することを示した。(2)貧困と死亡率の関係を明らかにした。社会疫学の創始者の一人。(3)科学雑誌『公衆衛生と法医学』を共同で創刊、1829年。1840年にイギリスの労働条件を調べ報告書。イギリスの衛生運動として後に継承されていく。》

 まるで行きがけの駄賃、ヴィレルメルの枕詞のように名前が記されているだけ。生年も没年もない。このデュピュイトランが件の手掌の「拘縮」の名付け親なのかどうかも判らない。同姓別人か。ただ、半世紀来の友人が見立てたようにフランス人であることは間違いないようだ。

 そうだ「有名なギョーム・デュピュイトラン」というのだから、ネットで調べれば直ぐ判るのではないか。あった。「日本歴史学雑誌51号」(2005年)に、福岡整形外科病院の小林晶氏が生没年も合わせて「ギョーム・デュピュイトラン(1777~1835)」を紹介している。

《パリのオテル・ディウの中庭に一人だけの立像がある。文豪バルザックは彼をモデルにした小説を多数書いている。》

 と記し、「拘縮」の発見者の一人でもあることも紹介している。私にとっては、それだけわかれば十分であったが、その記述の中に次のようなおもしろいことが加えられてあった。

《ほとんどの伝記、伝承、エピソードは、彼の強い攻撃的な性格と多くの人たちとの確執を述べている。常に権力者がそうであるように、優位を得ねば承知せず、自尊心の強さと反発を考えるとき、彼を他人と同格に評価することなどが、おくびにも出せなかった院内ヒエラルキーに固執する反面、前任教授ベルタンの手術の批判は面と向かってしたし、英国のプライオリティを主張するリスフランとの確執は有名であった。》

 力は認めるが、イヤな人ということでも、有名だったようだ。さらに、

《ナポレオン軍の軍医長であったペルシは「デュピュイトランは外科医としては最高であったが、人間としては最低であった」と酷評している》

 とつけ加え、何人もの人の業績の集積であった発見に「デュピュイトラン拘縮」と呼ぶ「冠名」にまで影響を及ぼしたのではないかと、推測を書き付けている。

 いや、おもしろい。私の左手掌の、何かに触ると感じる痺れや痛み、指に力が入らない不都合に思う不快感、それらがデュピュイトランという人物像の感触と重なって、なるほど見事な「冠名」であったと感心する。コッホがパスツールにみせた蔑視や森鴎外が脚気の原因指摘に対してみせた頑なな拒否を思い出した。こういう人柄のエピソードって、科学者(医学者)の「人間要素」として欠かせないんだと強く感じている。

2022年10月10日月曜日

寿老人の美味しいお酒の苦汁

 寿老人というが、あの長頭短身の寿老人ではない。古来稀をとっくに通り過ぎ、喜寿と呼ばれる歳も、はていつだったかと思うほどになり、傘の歳を超えたと言わずとも、今日は雨が降っている。

 この寿老人4人、サザエさんの磯野波平のように昔から老人だったわけではない。60年以上も前に出会って、よく一緒に飲み食いし、おしゃべりをして、そこまで生きてきた径庭の違いを確かめつつ身の裡では何やら小難しいことをこねくり回していた。

 そう言えば、13歳でオリンピックに出て金メダルを取った少女が「これまでの人生で一番嬉しい」とインタビューに答えていて、まだまだ人生はこれからよ可笑しく思ったことを思い出した。老人になってから考えると、それとさほど変わらない、とは言え青年時代というおおきな変転の最中にあった寿老人たち。

 よく語らい、よく遊び、それが何ほどの自己確信に繋がったかも定かでなく、なぜそうしていたかもよくわからない。だが共に過ごした時間の感触だけは間違いなく身の裡に積み重なり、その後暮らしの場は全く別々になってしまったが、たぶん、それまで、柔らかく、摑むと壊れそうな「じぶん」が、なにが苦汁となって固まってきたのかは判らないが、この時期の交わりが苦汁の作用をしてある程度「じぶん」が摑める程度になってきたと、半世紀以上振り返って思うようになった。ワタシが意識される原点の表面加工が為されたといえようか。身に染みてなにが「苦汁」となったのかも見極めず、無意識に沈んでしまっているのに触れたみたいと思うのが、懐かしさの素になっているのであろうか。

 だがその後仕事に就いて共に過ごした同僚もいたのに、その人たちに感じるのとは違う「関係の感触」は、一体何だろう。「苦汁」の正体がこの不可思議に繋がっているのだろうか。日ごとよしなしごとを書き綴っている徒然老人は、物狂おしくもなく、そんなことを思っている。

 他の三人の内の一人。金融関係の仕事を退いて後に、土を耕し、親の育ててきた葡萄畑を手入れして田舎暮らしを自称する。弱きを扶け強くを挫く気風を受け継いで義理堅く頑固だが、つねにその拠って立つ根拠を問う気配を漂わせる一徹老人が声を掛けてくれて、今日の出逢いになった。

 あとの二人。一人は商社に勤めリタイア後も現役時代の取引先人脈を繋いで輸入業を片手間仕事にやってきていた方。ふむふむと書く擬態語の原点とも言えるような様子で、ふむふむと人の話を頷き聴いて「そうだねえ」と承け、「でもそれがね……、そうじゃないんだね」と転調する懐の深さを湛えている転調老人。

 もう一人は大手百貨店に身を置いて人事など裏方を担当しある大店舗の店長も務めた方。周りの人に細やかな気遣いを欠かさず声を掛け、輪の中に誘い込んで率直に言葉を交わす場をつくるホスピタリティに富む。その所作が元青年たちが集まる結節点になっている。毎日一万歩歩くのを日課にしていて、すでに地球を何周かしている一万歩老人。

 この三老人は、これまでもときどき出会って旧交を温めていたようであったが、今回徒然老人にもお誘いがかかったというわけ。

 なぜこれが寿老人か。

 この4人ばかりでなく、青年期の苦汁時代を共にした朋輩は、仕事をリタイアしてからときどき会って言葉を交わしてきた。当たり障りのない近況報告を交わし、仕事で離れていた40年ほどの間に生じた互いの違いを推しはかり、埋め合わせ、あるいは埋めることもできないほどギャップが大きいと落差を実感して、言葉を胸中に押し潰すことをしてきた。そうこうして20年ほどが経つと皆、男の平均寿命81歳を過ぎる。それに符節を合わせるように、すでに何人かが彼岸に渡った。何人かは出歩くことができなくなり、家人に見守られながら逼塞している。ま、老人たちも世の中の大衆というか庶民として平均的な生き方をしてきたのだから、小さな集団とはいえ平均寿命ぐらいで、ぼちぼち他界してもヘンじゃない。

 そう思って「平均余命」を調べると、80歳の人の平均余命は、男8・57歳とある。なんと米寿まで行くではないか。とすると態々東京にまで出向いてお酒を飲みながら一日語り合おうというのは、それこそ平均余命までいきそうな元気老人。これは、長頭短身ではないが福禄寿の仲間入りをしても不思議ではない。寿は「ことぶき」と読むが「とし」とも読む。長寿を言祝ぐという意味だが、「とし」をとったことそのものが目出度いと人文字で表している。つまり、古来稀なる後の「歳」は、もうそれだけで喜ばしい。寿老人というわけである。

 一徹老人が声を掛けたのには、も少し別な理由があるのかもしれない。もうこの歳になって、儀礼的に付き合うことはないと思っても不思議ではない。なかには、高見に立って物事を決めつけるように断言して批判する学者老人もいる。一徹老人は土を相手にしている作業の間に、来し方行く末をああでもないこうでもないと思い巡らすことが多いのではないか。行く末はそれほど長くないが、いまさら舵を切って大転回をするわけにはいかないから、概ね来し方のあれやこれやがどういう意味を持ったのか、なぜ自分はそうしたのかと考えるともなく思う。そうすると、「じぶん」が外面をおおよそ装うようになったころの「苦汁」は何だったのだろうと思案する。それを誰にともなく聞いてみようとしたときに、「いや、そんなことはないよ。あなたのいってることは普遍的じゃないよ」と高飛車に決めつけられると、思案の道筋が、そこで断ち切られる。議論したいわけじゃないんだ、でもお前さんの意見を聞きたいのに、どうして批判を受け、そんな風に否定されるのか、判らない。多分呆れてそう思い、そういうエライ人とも会うことはないと見切った風情がある。

 つまりこの歳になって、世間的なお付き合いはもう構わなくていい。心置きなく語りあえる人と語り合うってことに絞っていいと考えたであろう、一徹老人は、転調老人や一万歩老人とときどき顔を合わせて語らうことをしてきたようだった。そこに徒然老人も加えようということになって、私も同席することになった。とどのつまり、降る年を経て齢を重ね、交わす言葉も飾りがない。自分の偏見を前面に押し出して矩を超えない。矩とは何か。交わす言葉の道筋が開かれている。「あんた、それは駄目だよ」というときにも、「そんなことはないよ」と反駁する余地を残す言葉が繰り出される。その微妙な響きの揺蕩いが寿老人のお酒を美味しくしているようだ。

2022年10月8日土曜日

工事が始まった

 昨日から給水管・給湯管・排管の、各戸内更新工事が始まった。朝9時少し前に、工事前状況を写真に収めておきたいと工事監督スタッフがやってきた。すでに片付けは済んでいる。どやどやと現場スタッフが6,7人入ってくる。手際よく廊下や壁の養生を施す。概ねこちらが想定した動線の範囲で動いているから、こちらが手を掛ける所はない。襖を外す、洗濯機や冷蔵庫を移動する、日々一旦外し夕方には再設置するトイレの置き場を指定するだけで、仕事は彼らが全部やってくれる。資材を運び込む。と、みている間にバリバリと床を一部解体して給水管・給湯管に手を触れる手はずに取りかかる。一人の監督スタッフが来て、今日は一日うるさい音がするが勘弁してくれと断りつつ、何か要望はあるかと訊ねる。何とも行き届いたプロぶりに感心している。

 9時から夕方6時半までは、水が使えない。洗濯機は管理事務所脇に設置していて、土日には鍵を預けてくれる。トイレは管理事務所のものを使用する。介護に必要な方がいる家には簡易トイレを用意している。夕方にはトイレも再設置し、キッチンもつかえるようにしてくれるから、お昼を凌げばそれほどの不都合はない。

 それでも、人が出入りし作業をしている家にいるというのは、落ち着かない。管理事務所までトイレに行くというのも、冷たい雨の中とあってメンドクサイ気分がいや増しに増す。ただ、リビングと作業をしている場との間には壁の養生であろうか、薄いビニールシートが掛けられているから、ソファに寝ころんで本を読んでいても、見られているという気配は感じないで済む。

 私は午後2時間ほど公民館へ出かけたが、5時前に帰ってみるともう片付け態勢に入っている。壁養生のビニールシートを取り外し、用具を片付け、掃除機をあてている。残った作業はその後1時間ほど続いたが、終了間際には監督スタッフが来て、キッチンの水やお湯が出るかをチェックして「本日の作業は終了しました。なにかお気づきのことはございますか」と丁寧な挨拶をしていった。手順の丁寧さに感心する。終了予定の6時半より30分ほど早く夕飯の準備に取りかかることができた。

 こうした給水管・給湯管の更新工事は、この団地が築32年になるから実施しているのであるが、これが私宅となるととても取りかかることができないと、いろんなことがメンドクサクなっているわが身の現在地を思い浮かべて思う。もう5年も前から、この工事が議題になった。私は4年前に理事長をやったから、工事全体の推進方法と工事費調達の資金準備を議題として取り扱い、それらについて「説明会」を行ってきた。何しろこの団地は、全部この理事会と附属の修繕専門委員会が立案・総会決定・具体的執行を執り行ってきた。これは、ある種の住民自治の民主的実践の場であり、住民の間の、家の修繕ばかりか資金や住み方、物事の決め方や周知の仕方などについて、人それぞれに暮らしてきた社会集団の気風のズレとそれらに対する理解の違いがぶつかり合い、共に暮らしている人と人との「共和」のあり方の感覚の違いにもなって、メンドクサイものがあった。でもそれが、高度経済成長からバブル時代を経て失われた*十年の間に、街に共に暮らす人と人との関係がつくってきたモンダイを浮き彫りにして、興味深い所があった。

 理事長としてこれに向き合うことを通じて、団地に共に暮らすということと個人住宅に住むこととの違いも浮かび上がり、同時にそれは、この社会が育んでいるコミュニティ性の現在を考えさせるきっかけになった。私にとっては面白い体験であった。しかも、私の後の理事長も、更に1年おいた後の理事長も私の階段5戸の内から交代で務める理事が担ったから、余計に言葉を交わすことも多くなり、共にすすめているという感触は強まった。コロナウィルス禍が重なったから、文書での遣り取りが多くなり、きちんと読み取ることが多くなったことも影響しているかもしれない。

 これほどの事業を、業者選定や事業実施の監理、休日を挟んで十日間ほどの居宅への業者の立ち入り、その間の日夜の暮らしとの調整などを、細々と作業展開に気配りして実施に持ち込んだ理事会(と修繕専門委員会)の仕事は、とても個人では対応できないことであった。同時にそれを通じて、ご近所との応接の機会も増え、人ととる距離を含めて、この団地に住まう心地よさを感じている所であった。それが、居宅に入って実作業をする人たちとその業者の応対にも体現されているようにも感じる。ああこれが、世の中全体に広がっていれば、随分住みやすさが違ってくるなと、日本全体の政治社会状況を思い浮かべて思っている。

2022年10月7日金曜日

躰の現況

 1年ほど前(2021-10-05)の記事「自然体の妙とその対象化」には、事故後のリハビリを受けている躰の様子が記されている。これほどの期間をおいてみると、リハビリが結構効いていると判る。「日にち薬」ということも、そうかもしれないと思えてくる。

《この半年の、私が病んでいる実感からすると、山本の表現は「実感」である。だが、「楽」かどうかは「無意識の体の動き」であると「意識すること」によってみてとれる、とことばを紡がないとならないのではないか。》

 とあることも、今年の左手掌手術後の難儀で、別様の苦楽に置き換わっている。そう思うだけで、人の躰ってうまくしたものだと、わが身ながら感嘆する。

 左手掌のリハビリは一進一退、本当にゆっくりと回復している。ただ術前の手掌の動きには、まだまだ及ばない。これがほぼ術後三ヶ月の様子だと判っていたら、手術はしなかったなあと、今ごろ反省している。「人もすなる手術というものを我もしてみんとてするなり」という好奇心だけで決断した。切羽詰まるまで放っておけば良かったかなあと思う。やはり「身体髪膚之を父母に受く。毀傷すべからず」を貫くべきだったなあと、後のない年寄りは思うばかりである。

 医師は手術が失敗であったとは言わない。だが予測通りの回復過程に入っていないことを訝しくは思っているようで、小指に連なる筋が張って盛り上がっているのを摩りおさえながら、う~んと呻っている。あと三ヶ月もすれば元通りになりますよとでも言ってくれれば、私の気分は随分楽になるのだが、それも口にしないのは誠実の証しか。それとも予測通りに回復しないのは、すでに私の自己回復力がピークを越えて劣化しはじめているからなのか。ま、医療というのも生き物を相手にする仕事だから、予測通り運ばないのは、致し方ないと私は思う。「いい患者だね」とカミサンには皮肉を言われている。

 そうなのだ。躰の劣化・不調にどう手を打つかを考えるとき、寿命を視野に入れて考えなければならなくなっている。何でもあり得べき形に「直す」というセンスでいると、更新したのに寿命が尽きてしまったということになるかもしれない。まして、残された短い寿命を術後の不便な状態で過ごすというのは、トリートメント-ライフ-バランスに反する。もちろん外科的な治療だけを想定してはいない。もっと深い内臓の劣化と修復についても、どこまで「直す」かは、寿命を勘案して判断する必要がある。寿命が何処までかが判らないのが厄介ではあるが。身体の不具合と寿命という変数をいくつも抱えて変容しているのだなあと、あらためて、これまでほとんど構ってやらなかった身体を(申し訳ないと)思う。

 これは、いずれ辿る終息地点を、絵を描くときの遠近法的消失点と仮構して現在を位置づける手法である。そのとき、躰という感性や感覚、その統合装置である「こころ」が働いて「身」として一つになっているのだと、躰の形成過程を思って、不思議な思いにとらわれる。この不思議な思いというのは、ほとんど大自然の不可思議に対する畏敬の念とダブって、わが身の自然が辿ってきた動物の径庭を、凄いことだなと崇敬の思いで観ているのと同じだ。

 99%の生物が死滅してきた中で生き残っている。それだけではない。このセカイの、ほんの何千兆分の一という微生物的存在に過ぎないワタシが、身を置く世界全体をイメージしているってことは、なんと面白いことか。わが身はワタシがつくったものではない。ワタシが保っているのでもない。だがワタシが全人類史を受け継いで占有している。勝手にしてイイものではない。まさしく人類史の一コマとして存在し、後を繋いで、いずれ消えていく。ヒトという生き物に産まれてきて、こういう感懐を以て世界を眺めることができるのは、歳をとって遠近法的消失点を仮構してわが身を世界に位置づけているからである。ふふふ、うれしい。

2022年10月6日木曜日

一緒に騒げってか?

 一昨日(10/4)の朝、TVをつけていたら、地デジもBSも全部、同じ放送に変わった。伊豆七島や北海道は警戒して下さい、という。後にそれは、青森に変わり、更に青森と北海道への警戒警報となった。「頑丈な建物か地下に非難して下さい」というから、まるで空襲のようだ。北朝鮮が長距離ミサイルを発射したのでJアラートが発令されたという。

 そう言えば以前にも、同じようなことがあった。調べてみたら、2017年8月29日、白馬岳へ登ろうと大宮から長野新幹線に乗ろうとしたとき。列車が軒並み遅れていた。とりあえず早く来たのに乗って長野駅で降り、バス待ちをしていたときに事情を知った。この時も北朝鮮のミサイル発射であった。

 この唐突感は、なんだろう。

(1)北朝鮮がミサイルを発射したが何処に落下するかわからないというのであれば、そのように発表すればいい。それを、ただ警戒警報として発表するというのは、北朝鮮がいつ攻撃してくるかわからないという不審感を抱かせる。かつて北朝鮮が朝鮮戦争を仕掛けた「実績」もあるから、唐突にそういうことがありうるということは理解しないでもない。だが、北朝鮮と日本の関係がそのように緊迫しているという事前報道はない。

(2)ウクライナの例があるから、ひょっとしたらと思わないでもない。まして「青森」と警戒地域が指定発表されると、すわ三沢基地かと攻撃目標を想定してしまう。アメリカの「象の檻」と呼ばれる姉沼通信所が、北朝鮮や中国の電波監視をしていると言われてきたからだ。でもウクライナでも事前にアメリカが提供する「ロシアが攻撃してくるよ」という警告を随分前に受けている。日本国民が、日本政府から一切そういう情報提供を受けないで、突然「警戒警報」を出すというのは、一体どういうワケか。

(3)メディアが一斉にJアラート一色に染められたのは驚きであった。「国葬」報道に同調しなかったテレビ東京も右に同じであったから、総務省か何処かがそのように働きかけたのであろうか、それとも、同調の不調が相変わらず報道各局の首脳部を覆っているのだろうか。

(4)しかも(1)に述べた「いつ何処に落下するかわからない」と北朝鮮のミサイル技術に言い及ぶものはない。日本の上空を飛ぶというだけで「警戒警報」を発していると、それこそオオカミ少年になってしまう。北朝鮮は危ない国という刷り込みをしようというのだろうか。もしそうだとすると、日本の防衛関係当局者の対外認識はほとんどゲームのようなものであって、ただ単に国民向けに危ういと言うだけでなく、対外的にもちょっと危ない関係認識の仕方だと言わざるを得ない。

(5)つまり国民を、共に防衛モンダイを考えていく相手とみていない。政府のアラームに反応して警戒態勢に入ってくれれば、それで十分と思っている。これでは、中国の国民に対する強権的統治と異ならない。日本国民は、そうでなくても、政府の提示に対してわりと素直に身の動きを合わせていく従順性をもっている。だが、いつでもそうであるかというと、そうはいかない。不審が溜まっていくと、思わぬところで爆発する。それは日頃の政治家の振る舞いや言説、政府の施策とその適否が、つねに繰り返し、為政者との「信頼」の再確認をしているのだ。だからあまりにも、国民をないがしろにした振る舞いや言説をしていると、いい加減にしろよと剣突を食らうことになる。

 重要なことは、対外的な事柄にしても、国民に対する敬意を欠いた施策を粗雑に行っていると、おおきな墓穴を掘ることに繋がると肝に銘じよということだ。この国民に対する敬意を欠く態度が、この所の国会でも横行している。

 流言飛語だが、旧統一境界問題の追及にうんざりしている政府与党の人たちが、北朝鮮の長距離ミサイル発射の非道性に目を逸らそうとしたんじゃないかと言われている。防衛族と一緒に国民も騒いでよと言っているって分けだ。なんとお粗末な。でも何となくこんな粗末な流言飛語が大真面目で流通している日本の政治状況を、本当に危ないと思っているのである。

2022年10月5日水曜日

身が蠢く

 去年の10月4日の記事「想起域のスウィッチ」に、一昨年の9月29日から10月1日までのテント泊山行の記事「天晴の会津駒ケ岳」のことを記している。去年の記事は、こう記す。

《こうした「山行記録」は、私の想起域のスウィッチとして作用している。それも、単に○月×日にどこそこへいったというメモではなく、どこに泊まり何を食べ、何時に起きてどういう山歩きをして、下山して後にどのように過ごして帰ってきたかという記述の方が、ぼーっと生きてきた頭には再起性が強く働く》

 何かが、ポッと刺激される。なんだこれは? 山行記録を書くときいつも感じるのは、行程の道の凹凸や草木・景観とともに、身の裡から湧き起こる「躰の疲れ」や「足腰の草臥れ」の感触が甦る。ただ単に想い出しているというのではない。躰が反応している感触。そう思って、一昨年の山行記録を読み返す。

 三日間の行動記録。山の感触と言うよりも、kw夫妻と同行したテント泊の気配がひたひたと身の裡に甦る。ここ1年半の間遠ざかっている山歩きの虫が、身中で蠢きだしたように感じた。モノゴトを想起するというのは頭に再生することと思っていたが、それは違う。体中で再生して感じている。再現しているのとも違う。会津駒ヶ岳という山歩きの子細を総合して全体として好ましい感触で受け止めていたことを感じている。二年経ったら経ったで、身の裡の感触は違ってきている。それが距離なのかどうか、遠ざかってみているではなく、間近で遠望しているというふうな感触。子細を省略して総合的に、しかし鮮明に、全体像をまるごと摑んでいるという奇妙な感触なのだ。

 それが作動しているのか、この1年半ほど思い起こすことのなかった山歩きへの衝動が、2年前の山行記録で呼び覚まされた。テントを担いで、たっぷり飲み物も持って、ちょっとヒロシのぼっちキャンプのように飲み食いばかりになっても構わない。歩けるようなら半日程度のハイキングをして温泉に浸かって、一人宴会をして帰ってくることができれば、この上ないアウトドアになる。ふつふつとそうしたい意欲が湧き起こってきた。不思議なものだ。想起するということが、生きるエネルギーに結びついている。年寄りの「思い出に耽る」というのをほとんどバカみたいと思ってきた私だが、そのバカみたいなことが、今わが身の裡に起こっている。へえ、面白い。

 山行記録をつけているが、それを読むことがこうした想起域を刺激して、身の裡を揺さぶって行動意欲を湧き起こさせるとは、思ってもいなかった。もしそうなら、山行記録をそれとしてまとめておくのも、悪くない。たぶん65歳の高齢者になってからの山行だけでも、500山を超えるであろう。その記録を拾い出して、それぞれの時期に於けるわがアウトドアへの傾きの違いを探りながら、まとめ直すということは、過去に捨て置いた自分の足跡を辿るようなこと。かつてそれは、つまらないことと思ってきた。だが今の身の蠢きを呼び覚ますのに作用しているのだとしたら、それはそれで面白いではないか。

 だが、ちょうど来週から我が家の給水管給湯管と排管の更新工事が始まる。二週間ほど在宅しなければならないから、とうてい山に向かうわけにはいかない。だがそうした身の蠢きが感じられたのは、毎週リハビリ病院通いをいている私にとってはおおきな身の変化である。そんなことも考えながら、在宅期間中のテーマを拾い出していようか。

2022年10月4日火曜日

身体の構造と相互連携の関係

 昨日の話(私の身体が1000兆個ものバクテリアやウィルスなど微生物によって構成されている。その連携の総体がワタシになっている)につづける。身体諸器官がそれぞれの特性に従って勝手に動いているのに、全体として統一性を保つというのは、どのようなメカニズムに拠るのであろうか。

 医学や生物学の専門家はそれを子細に研究しているのであろうが、それについてはほとんど私は知らない。80年ほど生きてきた私の体験と、小耳に挟んだ身体に関する流言飛語とわが身の内側を覗いてみると、以下のようなことが言えよう。

 1000兆個ものウィルスや微生物というのは、細胞よりも更に細かい単位が自律しているようにみなして数値化した表現である。実際に数えた人がいるわけではなかろうが、といって、当てずっぽうの数値をあらわしているわけでもなかろう(ある種の統計学的な類推の方法に基づいて1000兆個とみなしていると思う)。自律した単位というと基本的に動きはブラウン運動的になると思うが、それら微生物単位の生成過程やに思いを馳せてみると、それなりの動きにまつわる範囲とか機能的な限定性を持っていよう。それらの集合が諸器官をつくり、それぞれの器官の配置と関係から総体としての機能が特定され、それらの集合的総体がわが躰の構造をつくり、かつ、相互の関係がある種の調和を保って動くように関係づけられていると考えられる。その総体が人の計る時間で80年近くも間断なく動いてきたということに、まず畏敬の念をもつ。

 だが躰は生命体である。精密機械のように動きと機能が固定されているわけではない。水分やエネルギーの補給も、躰全体の運動状況と気象など環境条件によって多様でもありばらつきもある。にもかかわらずある程度の体調が保たれているのは、生命体35億年の絶妙な径庭を表している。むろん99%の主は滅びたと生物学者は言うから、本当に偶然が重なって生き残ってきた初産と言えるのかもしれない。

 その身体諸器官が、それぞれ固有の機能を持ちながら、しかも(ヒト個体間の自在性を考えると)かなり勝手な動きをしていながら、相互の連携を絶やさずに動態的平衡を保っているのは、その連携が幅を持ち、融通無碍に作動し、精密機械のように固定的でないからだ。市井の日常語で言えば、いい加減であり、適当であり、ちゃらんぽらんだから巧くいっているのだ。これは、ウィルスや微生物の固有性と同じで、なるようになる、なるようにしかならない、出くわした状況次第に適応して対応の仕方を変える片言自在性を持っているからである。むろんいつもそれが巧くいくとは限らない。というか、35億年の経験から言わせると99%は、巧くいかないことがあるのに、期待通りに作動しない箇処の大体を他の部分が変わって担うことによって、全体としてはほどよく運ぶようにしてきたのだ。その融通無碍性が畏敬するに値し、1%の(偶然の)絶妙さに感謝したいと思うののである。

 ところがデジタル処理をする手順の運び(アルゴリズム)は、これとはまったく別物のメカニズムの論理をヒトに押しつけ、ヒトはそれに習熟することによって心の習慣を形づくるように(だんだん)なってきた。デジタルのアルゴリズムからすると、何に役立つかワカラナイ要素はバグ(害虫)として扱われる。システムエンジニアはバグを取り除くのに随分力を入れる。それはしかし、ヒトを自然から遠ざける。自然の躰が長年掛けてつくってきた(偶然の絡む)調整装置「わが躰」を、わかっているロゴスに統一し、その余のワカラナイことを白黒付けて排除する。そのロゴスの中には、ヒトをバグかどうかに仕分けして行くことも含まれる。こんなことを放置していたら、動物としてのヒトは滅びてしまう。いやもうすでに、滅びに向けての坂道に入り込んでしまっているのかもしれないと、日々感じているのである。

2022年10月3日月曜日

統合失調症というヒトのクセ

 つい先頃滋賀県の小学校の50代教師が、担任児童を「スルーしよう」などと言っていじめていたというデキゴトがあった。チラチラとTVのお昼の番組が報じているのを観て、担任教師の困った顔が目に浮かぶ。「ADHDかもしれないから医者に診てもらったら」という担任のサジェストに親が怒り狂ったというのも、わからないではない。

 全日制高校は、ある程度学力階層で分けられて生徒層が集まっているから、そういう生徒に出くわさないで教師仕事を終えてしまった。夜の学校にいた頃は、まだそういう病名が一般的に広まっていなかった。まだ統合失調症という言葉も一般的ではなく、分裂病とか多重人格、躁鬱病などとと表現されて精神科医師に診てもらう必要があるかと思案する時代であった。

 注意欠陥障害とか多動症とかADHDという分別の概念がなかったから、物忘れが激しいとか、落ち着きがないとか、他の生徒に世話を焼くお節介が多いとか、集中力に欠ける生徒だと受け止めていた(と推察される)。

 つまり学校の教師は、生徒の生活習慣を身につけさせるという視点から生徒の特性を見て取って、それぞれに応じた「注意を繰り返し与える」ことが仕事になる。たぶん滋賀県の小学校教師も、初めのうちは授業の進行を妨げる児童の質問攻めに「あとでね」とか「今ちょっと、聞きなさい」とか言っていたのだろうが、余り頻繁にそれが繰り返されたので、ADHDの疑いがあるとみて医者に相談するよう親に話したのであろう。

 親もわが子が病気であるとは思っていないであろうから、じつはその教師同様に子どもの成長過程の特性くらいに思っていたであろう。ADHDの児童は、周囲との関係の察知能力にばらつきがあって、親しい間柄に於いては感度のいい振る舞いをすることが多い。他方で、そうでない場では(進行している)全体の空気が読めないことも多く、自分の胸中に湧き起こる疑問だけに固執する傾向が現れやすい。また気分が移ろう。ことに児童となると、そうした場の進行の中に自分を位置づけて振る舞うことが「しつけ」として求められるから、どうしたらいいか、教師はほとほと困ったのであろう。親は教師がみているのとは違う姿に日々接している。その、気が利く、頭がいい、感度の高いわが子をADHDではないかと疑う教師に怒りをぶつける。そのズレの極まった所に、今回の「いじめ」が発生したと思われる。

 ヒトは文化を生育歴中に出会う人や社会関係から、空気のように吸収し、それに自分なりの文法を見つけて、振る舞い方や感性や感覚、言葉を覚え、育てていく。外から教わったことも、そのまま心中に蓄積されるわけではなく、ある種の象徴性を伴って吸収されていくから、何をどう教えたら振る舞いや感性や感覚や言葉遣いがこうなるということをパターン化できない。でもある程度、共通するやり方を体系的に見繕って学校の教育課程として文科省などが作成している。だがその文科省にしてから、その教育課程の基軸は言葉で教え、アタマで考えることに主力を注いでいるから、身体の動きが伴わない。

 子どもが成長するときの基本は身体で覚えて身につけていくことなのだが、親も教師もそこは自然に任せたままにしている。家庭は、親が懸命に子育てをしていくから、子どもの心の習慣が生活習慣と共に形成されていくことを身体で感じている。だから、子どもの成長に寄与するのは、どういう環境で育つかが4割を占めるといわれるのである。もちろん注意してみていれば、子どもの身体の内側でどうそれらの体験を身の裡に取り込んで一般化していろんな振る舞いや言葉に結びつけているか感じ取ることはできる。だが、それを言葉にして(ある程度皆さんに共通することとして)一般的に提示するのは、専門的な研究者に任せねばならない。学校の教師は、たくさんの児童生徒に接していて(子どもの成長に関する知見の)、体験的な蓄積は(たぶん)親よりも多いと思うが、文科省はそういう「しつけ」を教育とは別次元のことと位置づけているから、ほとんど捨て置かれてきている。そこへもってきて、社会の変容の速度と多様化は随分と早く、かつ、広がりが多きく、深い。親と、子どもと、教師の齟齬やズレは、ほとんど言葉で埋め尽くせないほど大きくなっている。

 親が教師を軽んじるのか、教師の質が低下しているのかと議論が為されているが、質の軽重ではない。文化的な落差と学校や家庭に対する期待のズレが広がりすぎて、共通の言葉を持たないほどになっている。もはや自然任せにしても社会的治癒力が始動して両者のギャップがいつしか埋め合わせられる様相ではない。

 ことにデジタル世代になって、モノゴトの白黒がはっきりすることを好ましく感じる若い人たちが多くなるにつけ、ちゃらんぽらんとか、いい加減なはんだんがに我慢ならない人たちが多くなっている。当然社会的な衝突は多くなる。若い人たちが(その社会的な様相を警戒して)人当たりが柔らかくなり、警戒心に溢れた「やさしさ」がずいぶんと多くなった。むろん若い人が優しくなったのは、世の中では悪くないが、実はその発端が、何が起こるかワカラナイ警戒心に起因するというのでは、若い人たちも心安まることがなかろう。この人と人の間の文化的な落差は、これまで「日本人」というある種の共通感覚によって埋め合わされてきた。言葉ばかりか、控え目とか、遠慮がち、謙虚であるという振る舞い方の好ましさも、共通する感覚と思われてきた。それが一億総中流と呼ばれたバブルまでの豊かな暮らしの中ですっかり姿を変え、更にその後の「失われた*10年」の中流の抱懐によって大きく格差は拡大し、人々の間の感性も感覚も心の習慣にもおおきな変化が訪れ、その中で育った子どもたちの間にADHDなどの(脳の障害に起因する)失敗も表出するようになった。これまで私は、統合失調症の一つと考えていたが、そうではなく、脳の機能障害による疾患とされたことによって、それはそれで治療の方途を探るようになってきた。それが妥当なものかどうかは、私にはワカラナイ。社会的な関係に起因して発症するものならば、薬剤などによる治療というよりは、その疾病を包摂するように社会関係を考え直していく方がいいのではないかと思う。

 そう思わせたのは、コロナウィルスがやってきて、結局それと共に暮らす方途へ踏み出すしかなかったからだ。それは、私の身体が1000兆個ものバクテリアやウィルスなど微生物によって構成されていると知ったとき、もし私が微生物の一個だとしたら、このワタシは大宇宙に匹敵するような壮大なスケールを持ち、しかもこの微生物がそれなりに一個の存在を示して、本当に蝶の羽ばたきにも似たうごめきをしている。これはまさしく大自然そのものである。

 そう考えてみると、ワタシというのも、実は、呼吸器や循環器や消化器や排泄器官、身体の浄化諸機関や筋肉や骨や神経やリンパの動き、水分や栄養の吸収・運搬などのために毎日幾億という細胞が世代交代を繰り返している、その総合的な運動関係の動態的均衡が保たれている、一瞬の姿である。とすると、躰に聞け! などと大雑把に言ってお終いにするのではなく、内臓諸機関に聞くのと骨や筋肉に聞くのと血液やリンパや体液の流れに聞くなどの諸人格が、巧い具合にワタシとして統合されているからこそ、こうして好き勝手なことを書き綴っていられるのだ。

 まさしくこの人格統合が失調を来すようなことは、何を契機としていつ何処で起こっても不思議ではない。あるいは、それが、脳の機能障害としてADHDとか注意力欠陥障害とみなされても仕方がない。ああそういえば、物忘れも非道くなる。二つ以上のことをしていると、どれか一つにしか注意が向かず、他のことを忘失してしまう。不思議ではないどころか、すでにあちらこちらで、欠陥障害が起こっている。

 そう考えてみると、統合失調症というのは、ヒトの悪いクセのようなもの。それを排除して成り立つ世界というのは、健全・健康・正義・正常・清浄な人たちしか住めない世界になってしまう。まるでファシストのセカイだね。そりゃあやっぱりイケナイね。こんな年寄りも含めてぼちぼちとでもやっていける世の中にしてよと、滋賀の小学生になった心持ちで(でも50代の教師を非難して済ませるのも、ちょっと違うんじゃないかと)思っているのですがね。

2022年10月2日日曜日

体質が似たようなものなのかな? それとも・・・

 ロシアのウクライナ侵攻はハイブリッド戦であったことに、「ハイブリッド・リテラシー」(2022-9-2)で触れた。表の武力侵攻の前段で、ウクライナ社会に深く浸透して、社会インフラの攪乱を工作し、気風に影響を与えて侵略への反抗心を挫いたり、ウクライナの戦闘状況を報告し形勢を左右する、謂わば裏戦術が、サイバー攻撃やスパイ活動などで行われていた。それを感知して台湾でも、大陸からの事前工作に対応すべく、すでに動き出していると新聞は報じている。

 それでふと思ったのだが、そうしたことに早くから日本社会が対応する必要があると警鐘を鳴らしてきたのが、櫻井よしこなど日本会議の面々であり、安倍元首相など自民党政権であった。日本社会の人々が「茹でガエル」だと口を極めて非難した作家も、この政治集団に加わるようにして元気ではなかったか。

 では、今回の旧統一教会の「手口」は、日本社会に浸透する「裏戦術」の見本のような活動ではないか。それに自民党の政治家の数多くが、何の警戒心もなく取り込まれていたというのは、どういうことか。韓国発ではあるが、反共宗教団体という「意を同じくする者」と受け止めたのかもしれない。だとしたら、いまさら手の平返しをするように「関係を断つ」などと言わないで、「何がワルイ」と反論すればいいではないか。だが一人二人を除いて、そうした居直りをしていない。

 といいながら、実は私は日本会議の人たちの動向や発言に注目しているわけでないから、今回のことについてどういう発言をし、どういう態度をとっているか知らないのだが、この人たちの旧統一教会に関する発言が聞こえてこない。そもそも安倍家三代、岸信介時代からの縁というから、多少ではなく他生の縁のある「骨がらみ」と受けとっていた。日本会議もまた、同じようにズブズブの関係だったのではないかと推測は広がる。

 とすると、「裏戦術」を通した社会への浸透に対する「(社会的)抗体」を醸成するには、「茹でガエル」状態の市井の民としてはどうしたらいいのか。そうしたことに、日本会議の人たちは言及しているだろうか。櫻井よしこさんの、時折耳に入る言説のイメージでいうと、政治家や社会のリーダーたちが真実をしっかり摑んで市井の民を領導しなくてはならないという趣旨のことは聞こえてくるが、ではその「真実」をどう摑むのかという「真実リテラシー」の方法については、言い及んでいない。

 いや「真実リテラシー」は、共産主義というコトの本質を摑んでいるかどうかだというかもしれない。だとしても、では、自分自身はどうやってその「本質を摑んだ」のかということを開示しなくては、習近平と同じ、「真実を知る共産党が人民を領導する」と専制政治を振り回すのと何一つ変わらない。

 いや、そんなことはない。そもそも共産主義社会と自由社会とのイデオロギー選択がある、というかもしれない。だが市井の民からすると、暮らしが成り立つかどうかが第一優先、その暮らしと不即不離の関係にあるのが社会秩序の自由と安定性である。それはヒトの暮らしに於いては、自律と依存の裏表が作用する微妙な関係にいつも影響されている。自分のことは自分で決めたい。しかしおおきな出来事が起きたときとか、おおきな社会インフラが関わる事項については、為政者がしっかり対応してくれなくては困る。そういうときには相矛盾する局面に出くわしながら、ヒトは自由社会を満喫している。

 そのとき、為政者と市井の民とはどういう関係にあるのだろうか。民主政治というが、(代議制民主主義の)自由社会日本に於いても(ごく単純に言えば)「選挙のときの主権者」にすぎない。恒に常に主権者として自らに問い自ら応える、日常的な動態的存在としての主権者という関係に於かれた活動関係は、大半の民は持っていない。これも(ごく単純に言えば)つねに主権者として遇される為政者との情報提供と意見収集とその相互討議が行われる関係があってこそ、民主政治体制下にあると自己把握できる。

 つまり、社会がある秩序で統治されていればいいというわけでもないのだ。社会を統治的に見ているのかそうでないかというのは、市井の民(人民)をどう遇しているかによる。真実を知る為政者が率いるという単純図式で考えると、自由そのものがそこなわれる。それほどに、人の社会-政治関係は、脆く危ういものだとも言える。現実には、そう単純に専制的かそうでないかを二分して選択しているわけではない。そこに、言葉のまやかしとか曖昧さとか、それに頼っているワタシとは何かというモンダイが絡んで揺れ動き、どこでその事態をとらえているかによって複雑になる。

 自由な社会というのは、人々(人民)がそれぞれに於いて理知的に判断し自在に振る舞うことをして尚且つ、社会の一体性とか秩序の一貫性を(或る程度)保持できる関係を築くことだ。為政者はその水先案内人(パイロット)であるが、どちらの方へどの道筋を通って向かうかは、舟に乗っている人々の意思を尊重しなくてはならない。

 そういう社会体制を取っている日本に於いて、果たして旧統一教会のやっていることは、妥当なのだろうか。やっていることというのは、次のようなこととまとめられようか。

(1)布教活動……本体と友好団体とを分け、本体を隠して信者を集めること。

(2)信者を隔離し、マインドコントロールをすること。

(3)信者に多額の献金を求め、信者本体の(家庭)生活を壊してでも「集金」を続けること、各種の活動に献身させること。

(4)旧統一教会本体の、政治的影響力を駆使できるようにするという(日本ばかりでなく米国や韓国や各国に於ける)目的のために、政治家(またはその候補者)への選挙支援を行い、他方で政治家の権威を利用して、社会活動の信用を築き、影響力の拡張を目指すこと。

 マス・メディアの報道で(元信者の話も交えて)非道いなあと思うのは、(1)(2)(3)だが、自民党政治家の多くは、(4)での接点を認め、それを謝罪し(?)、今後関係を断つとしている。だが(1)(2)(3)に触れて、旧統一教会を批判した自民党政治家はいるのかな。マス・メディアの報道で「反社会的活動」と表現されていて、それを「世論」の多数が支持しているから、旧統一教会を「反社会的団体」とみなしている振りをしているだけじゃないのか。とすると、ちょっと待ってよ、といわねばならないと私は思う。

 (4)がイケナイことならば、日本の他の宗教団体も政治活動とは手を切らなければなるまい。創価学会も仏教諸派の政治団体も、影響力を行使してはいけない程度の関わりしか持てないとなると、何それ? ってことになる。

 いやじつは、(1)(2)(3)についても、本体を隠して「友好団体」的に活動して勢力拡張しているのは、旧統一教会に限らない。各政党も「友好団体」をもっているし、その中枢部に本体のリーダーを送り込んで当の活動・運動をわが派に惹き込もうと綱引きをしていることは、政治家なら知らぬはずがない。派閥抗争と呼ばれているものは、彼らの生き甲斐でもあり、活動基盤でもある。

 とすると、旧統一教会の活動の、何が悪いのか。信者勧誘の仕方か、マインドコントロールか、献金か、信者を使った政治活動か。そこには、一人の独立した市民が信者となっていく過程があり、それぞれの場で各人にしている自律的判断がある(と推測している。信者二世のモンダイというのも、それはそれで考えなければならないと思うが)。もし信仰が、市井の民の生活基盤を崩すことになるのがモンダイで、そこに政治が口を挟むのであれば、その地点に於ける社会的救済のインフラ整備を考えなければならない。例えば今回の山上容疑者の母親が信者となって、家庭を顧みず多額献金をして家庭崩壊を招くような場合に、社会インフラはどう向き合うことができるのか。

 いやそれはその宗教団体が考えるべきモンダイだと放置してきたのが、今回の事件を招いたと言っても良い。旧統一教会も「改革委員会」を起ち上げて、教団内部で調査をして解決を図るから、相談を受けた消費生活センターも、その旨教団へ連絡してほしいと各地の消費生活センターへ働きかけをしているというではないか。これは、モンダイをなかったことにする手法である。社会的な問題として俎上にあげるとは、社会インフラとして問題解決の手順と舞台を整えることに他ならない。

 そういう風に考えていくと、ハイブリッド戦の「社会抗体」をつくることと、今度の旧統一教会信者のモンダイを社会的に考えることは、将来のハイブリッド戦に関して、避けては通れない道筋だと思われる。ぜひとも「茹でガエル」批判をしていた日本会議の方々に、一つの処方箋を出してもらいたいと思うのだが、どうだろうか。

2022年10月1日土曜日

秋空のワタシ

 10月になった。朝の空気が少しひんやりとして心地良い。抜けるような青空ってこういうのを言うのかと思うほど頭上は青く、雲は遠方低くに遠慮がちだ。

 そろそろ山歩きに出かけようかと思っているが、家の事情で足止めを食っている。6月からはじまった団地の給水管給湯管改修工事が個別住宅の屋内改修になってきて、今月の上旬から中旬にかけて10日間、それに合わせて浴室のリフォームが3日間ほど業者が出入りする。我が家だけでなく、わが階段の5戸を一斉に行うから、作業者がいつもいるわけではない。世帯の誰かは、在宅して下さいとなる。

 目下、その居室作業のために、資材置き場や作業空間を空けるために「片付け」をしている。先日は本を少しばかり片付けた。昨日までに、古いパソコンやオーディオ、デジカメ、CD、DVD、漆器や陶器も始末しようと玄関口にビニールシートを敷いて、畳1畳分ほど並べて、業者に来てもらった。

 お金はどうでもいい、捨てるに忍びないからといってみてもらったのに、業者は、おしゃべりしながら品定めをして、結局デジカメ3台とCD、DVD30枚くらいを持っていき、大型のPC類やオーディオには手も触れなかった。なんだこれでは、断捨離にならない。

 オーディオ機器は粗大ゴミで処分できるとわかり大崎処分場へ持っていくことにした。デスクトップPCと小型ノートパソコン3台の処分先を探している。こんなに処分業者が多いことも知らなかった。またこんなにお金を支払って始末してもらう人がいることにも、驚きであった。ひとつ、おおきな家電量販店の下請け会社が、宅配便で受け取り側負担で送れば無料で処分してくれるとわかり、これから梱包用の段ボールを近くのスーパーでもらってこようと考えている。これを送り終えれば、給水管給湯管の作業受け入れの準備は整う。

 やはり断捨離は、追い詰められないと重い腰が上がらない。山へ行くどころではないなと、溜息をついている。

 もちろんこれは、お金を使わずに身辺整理をしようと、根がケチだから手間暇がかかるのであって、親父の遺品の始末ということになれば、わが息子は何の躊躇もなく、遺品整理業者に頼んで、数十万円を支払ってさかさかと片付けてしまうであろう。そういうものだと思うと、子どもたちが家に残していった物なども、躊躇わずゴミに出せばいいのだとカミサンには言う。でもそうかな、と自問が起こる。その躊躇う所に、子育ての時のいろんな思いが付け加わってハハオヤとかチチオヤの、現在に至る一つのステップが築かれたのじゃないか。そう思うと、無碍にもできないの。その自分の身に堆積する形跡は、言葉にして外へ預け置くようにして始末しようというのが、私の今とこの先の粗筋のような気もする。年寄りの身の始末とは、そういうことではないか。

 相変わらず、その日その日のデキゴトに眼が行って、なかなか人生を振り返るってことができない。でも、いいんだ、それで。結局これまでの人生の集積が、この身なんだから、昔の出来事を振り返っても、何ほどのことがあろうか。それくらい見切りなさいよと、もう一人のワタシが呟いている。

 そうそう。今日の秋空のように、空っぽなんだよワタシは。人類史がやってきてわが身を通過し、中性子のように素通りしてどこかへ行ってしまう。その一瞬の通過感に、おやなんだろうと胸騒ぎがしたり、世の中そんなものかと思ったりして一喜一憂し、それもすぐに何処かへ飛んで行ってしまう。それこそ地上のgermの面目躍如ってもんじゃないか。秋空のように空っぽなんじゃなく、秋空と一緒に空っぽなんですよ。秋空のワタシ。