寿老人というが、あの長頭短身の寿老人ではない。古来稀をとっくに通り過ぎ、喜寿と呼ばれる歳も、はていつだったかと思うほどになり、傘の歳を超えたと言わずとも、今日は雨が降っている。
この寿老人4人、サザエさんの磯野波平のように昔から老人だったわけではない。60年以上も前に出会って、よく一緒に飲み食いし、おしゃべりをして、そこまで生きてきた径庭の違いを確かめつつ身の裡では何やら小難しいことをこねくり回していた。
そう言えば、13歳でオリンピックに出て金メダルを取った少女が「これまでの人生で一番嬉しい」とインタビューに答えていて、まだまだ人生はこれからよ可笑しく思ったことを思い出した。老人になってから考えると、それとさほど変わらない、とは言え青年時代というおおきな変転の最中にあった寿老人たち。
よく語らい、よく遊び、それが何ほどの自己確信に繋がったかも定かでなく、なぜそうしていたかもよくわからない。だが共に過ごした時間の感触だけは間違いなく身の裡に積み重なり、その後暮らしの場は全く別々になってしまったが、たぶん、それまで、柔らかく、摑むと壊れそうな「じぶん」が、なにが苦汁となって固まってきたのかは判らないが、この時期の交わりが苦汁の作用をしてある程度「じぶん」が摑める程度になってきたと、半世紀以上振り返って思うようになった。ワタシが意識される原点の表面加工が為されたといえようか。身に染みてなにが「苦汁」となったのかも見極めず、無意識に沈んでしまっているのに触れたみたいと思うのが、懐かしさの素になっているのであろうか。
だがその後仕事に就いて共に過ごした同僚もいたのに、その人たちに感じるのとは違う「関係の感触」は、一体何だろう。「苦汁」の正体がこの不可思議に繋がっているのだろうか。日ごとよしなしごとを書き綴っている徒然老人は、物狂おしくもなく、そんなことを思っている。
他の三人の内の一人。金融関係の仕事を退いて後に、土を耕し、親の育ててきた葡萄畑を手入れして田舎暮らしを自称する。弱きを扶け強くを挫く気風を受け継いで義理堅く頑固だが、つねにその拠って立つ根拠を問う気配を漂わせる一徹老人が声を掛けてくれて、今日の出逢いになった。
あとの二人。一人は商社に勤めリタイア後も現役時代の取引先人脈を繋いで輸入業を片手間仕事にやってきていた方。ふむふむと書く擬態語の原点とも言えるような様子で、ふむふむと人の話を頷き聴いて「そうだねえ」と承け、「でもそれがね……、そうじゃないんだね」と転調する懐の深さを湛えている転調老人。
もう一人は大手百貨店に身を置いて人事など裏方を担当しある大店舗の店長も務めた方。周りの人に細やかな気遣いを欠かさず声を掛け、輪の中に誘い込んで率直に言葉を交わす場をつくるホスピタリティに富む。その所作が元青年たちが集まる結節点になっている。毎日一万歩歩くのを日課にしていて、すでに地球を何周かしている一万歩老人。
この三老人は、これまでもときどき出会って旧交を温めていたようであったが、今回徒然老人にもお誘いがかかったというわけ。
なぜこれが寿老人か。
この4人ばかりでなく、青年期の苦汁時代を共にした朋輩は、仕事をリタイアしてからときどき会って言葉を交わしてきた。当たり障りのない近況報告を交わし、仕事で離れていた40年ほどの間に生じた互いの違いを推しはかり、埋め合わせ、あるいは埋めることもできないほどギャップが大きいと落差を実感して、言葉を胸中に押し潰すことをしてきた。そうこうして20年ほどが経つと皆、男の平均寿命81歳を過ぎる。それに符節を合わせるように、すでに何人かが彼岸に渡った。何人かは出歩くことができなくなり、家人に見守られながら逼塞している。ま、老人たちも世の中の大衆というか庶民として平均的な生き方をしてきたのだから、小さな集団とはいえ平均寿命ぐらいで、ぼちぼち他界してもヘンじゃない。
そう思って「平均余命」を調べると、80歳の人の平均余命は、男8・57歳とある。なんと米寿まで行くではないか。とすると態々東京にまで出向いてお酒を飲みながら一日語り合おうというのは、それこそ平均余命までいきそうな元気老人。これは、長頭短身ではないが福禄寿の仲間入りをしても不思議ではない。寿は「ことぶき」と読むが「とし」とも読む。長寿を言祝ぐという意味だが、「とし」をとったことそのものが目出度いと人文字で表している。つまり、古来稀なる後の「歳」は、もうそれだけで喜ばしい。寿老人というわけである。
一徹老人が声を掛けたのには、も少し別な理由があるのかもしれない。もうこの歳になって、儀礼的に付き合うことはないと思っても不思議ではない。なかには、高見に立って物事を決めつけるように断言して批判する学者老人もいる。一徹老人は土を相手にしている作業の間に、来し方行く末をああでもないこうでもないと思い巡らすことが多いのではないか。行く末はそれほど長くないが、いまさら舵を切って大転回をするわけにはいかないから、概ね来し方のあれやこれやがどういう意味を持ったのか、なぜ自分はそうしたのかと考えるともなく思う。そうすると、「じぶん」が外面をおおよそ装うようになったころの「苦汁」は何だったのだろうと思案する。それを誰にともなく聞いてみようとしたときに、「いや、そんなことはないよ。あなたのいってることは普遍的じゃないよ」と高飛車に決めつけられると、思案の道筋が、そこで断ち切られる。議論したいわけじゃないんだ、でもお前さんの意見を聞きたいのに、どうして批判を受け、そんな風に否定されるのか、判らない。多分呆れてそう思い、そういうエライ人とも会うことはないと見切った風情がある。
つまりこの歳になって、世間的なお付き合いはもう構わなくていい。心置きなく語りあえる人と語り合うってことに絞っていいと考えたであろう、一徹老人は、転調老人や一万歩老人とときどき顔を合わせて語らうことをしてきたようだった。そこに徒然老人も加えようということになって、私も同席することになった。とどのつまり、降る年を経て齢を重ね、交わす言葉も飾りがない。自分の偏見を前面に押し出して矩を超えない。矩とは何か。交わす言葉の道筋が開かれている。「あんた、それは駄目だよ」というときにも、「そんなことはないよ」と反駁する余地を残す言葉が繰り出される。その微妙な響きの揺蕩いが寿老人のお酒を美味しくしているようだ。
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