2022年10月20日木曜日

瓢箪から駒の世論なの?

 世の中に起こるデキゴトの受け止め方が、ヒトによって異なるのは、なぜか。7月の参院選投票前日に起こったyによるa銃撃を取り上げて考えてみよう。

 a身辺の人たちにとっては、なぜ銃撃されたかなどということよりも、aが死亡したことが大きな衝撃であったろう。aの連れ合いとか母親は、また格別な思いがあろう。だが、aが目下政権党の最大派閥の領袖ということであってみれば、権力抗争に正面から突入する事態が懸念されるが、これが直ちに現政府の凋落に影響することでないとなれば、大きなモンダイではない。

 国民の受け止め方はどうだったと言えようか。私はaの私生活に関心はなかったから、彼の死にまつわって親族が心配することとすると、aの選挙区の後継者くらいかなと思うくらいであった。普通なら連れ合いの傷心を気遣うだろう・だが、ときどきTV画面に出て来る彼女は宰相の女房として演技をしていて、実生活では全くaに依存する気配もなく自律している翔んでる女とみえた。森友学園の園長を引き受けたことに関する友人のインタビューだったか、「私を利用できるなら何にでも使って」と言っていたと聞いて、その天真爛漫さに呆れ、且つ、お嬢様育ちなんだと素直に納得した。ひょっとすると「解放された」と内心喜んでいるかもしれないとさえ思うほどだったから、傷心への気遣いは全くなかった。

 aの選挙区の支持者やチルドレンと呼ばれたような政治家や政治的なファンは、本当に傷心の面持ちだったかもしれない。だがその大半は、自身の今後の立ち位置が浮遊するんじゃないかという心配に起因しているだろうから、党内抗争と同じ次元で考えていいであろう。aの主義主張に心酔していた(としたら、その)人の心情は、ちょっと私にはわからない。aの政治技術的な振る舞い方には達者だなあと感心することもあったが、何か実のあることを考えているかというと、何もない。空っぽ。いや、軽さ、薄さと言うと、どう軽い、なぜ薄いと判断したかと問われるが、空っぽな所へ、身辺の誰かが何かを呟いてくれさえすれば、それを軽々と取り入れて、後で辻褄が合おうと合うまいと一向に構わない。ときに啖呵を切って見栄を張るという技術には長けていたと思う。だからaのファンになるというのは、見掛け、見てくれ、かっこいいでわからないでもないが、主義主張に賛同して支持者になるというと、えっ、何があったの? と疑問符がつく。

 喧嘩は上手いかもしれないが、論敵を叩くだけ、話している中味が説得力を持つことはなかった。むしろ空っぽが良かったのかもしれないと、彼の宰相ぶりを見ていた。バブル時代に青年期を過ごした恵まれたお坊ちゃんの典型だと思っていた。

 窮地に立ったときのすりぬけ方で、モリ・カケ・サクラなどの手際の良さがひときわ際立ったが、あれはsという番頭の才覚だとおもっていた。二人して、国家権力の怪物・リヴァイアサンぶりを十分観させてもらった反面、政府に対する信用を、その屋台骨を支えていたエリート官僚制の力強さごと全部剥ぎ取って使い尽くしてしまったのだから、同じ党派の同士から後に、a好みの語彙である「国賊」と呼ばわれたとしても、致し方ないと感じていたくらいである。

 さてそういうわけで、国民がaの逝去に対して抱く感懐は、彼自身が作り出した毀誉褒貶の総ざらいであったことも、致し方ない。しかもその後の、旧統一教会との癒着が骨がらみであったことも考え合わせると、政権党の浮沈に関わってもいいくらいの「功績」を残したのではあるが、今そこへは踏み込まない。死者を鞭打つことをしない文化的な伝統もあるが、それよりも生きている為政者たちがaの「功績」を我がこととして、どう「反省」するのかこそが、一番問われることだからである。

 さて、そうなると、yの銃撃動機が浮かび上がる。今のところ「精神鑑定」に回されて、たぶん政権党の人たちと政府によって「落ち着きどころ」が模索されているのであろうが、yに対する強い非難の声は聞こえてこない。まるで旧統一教会がaを銃撃したような世論の移ろい方がみてとれる。この世論の動向が何に起因しているのか、実は私はわからない。自分なりにああかこうかと思案してみたが、安定した着陸点がいまだはっきりとはみえない。宗教団体というよりも、集金団体が阿漕な手練手管を使って政治支配に手を出したというところが、嫌われているのか。それとも、韓国発の宗教団体が、WWⅡまでの日本支配に対する「恨」を晴らすべく、日本から毟り取っているとみての反発なのか。でも、日本会議の人たち(やa派閥)との整合性もあるから、一体どうなっているのか。縁を切ると現宰相はおずおずと表明しているが、ホントにそんなことができる気配は、未だわからない。

 ま、結論を急ぐことではない。だが「世論」というものが今奈辺をさすらっているのか、少しばかり気になるのである。

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