昨日の「折角の素材をふいにしている」が、学問の入口に立っている若い人たち向けに書かれていると思い当たって、も一つ「素材」を語る語り口があると思った。テーマを定めること。
若い人たちが「寄り道」をするというのは、どの方向に向けて歩き出せばいいか、わからないということか。この「素材」となった磯野真穂さんの場合は、はじめスポーツトレーナーであった。それが、留学先のアメリカで人類学の講義を聴いて、全く違ったテーマに刺激され、方向転換をした。でもこれがなぜ「寄り道」なのか。自分の口を糊することと探求・研究するテーマとを切り離してみると、これは寄り道でも「無駄」でもなく、次元の違う話である。
彼女が人類学で刺激されたことは胸中に彷彿と湧き起こった「興味関心」のテーマ。それを職業と直結させる必要があるかどうかは、時の運。巡り合わせでもある。この記事をモノした記者は、磯野真穂という(魅力的な)人物が独立研究者として活計(たつき)を立てていることに引きずられて、ついつい興味関心の赴く先に仕事を想定してしまったから、この記事の焦点が散乱してしまったようだ。
それで一つ、思い当たることがある。1960年代の大学生が皆そうであったかどうかはわからないが、大学で学ぶことと仕事とが直結していると私は思っていなかった。実際、三浦つとむという哲学者はタクシーの運転手をしていたし、吉本隆明という在野の評論家もいた。アマチュアと呼ばれた天文家や遺跡の発掘をしている考古学の「愛好家」もいた。そもそも大学で学ぶことが実用性をもっぱらにしていると考えてもいなかった。自分の興味関心で生きるということは貧乏をすることと同義でもあった。
それがいつしか姿を変えて、大学で何を学ぶかということと卒業後にどういう仕事に就くかということが直に結びつけられて考えられるようになっていたのだ。そうか、高校の「進路指導」がそのように行われていたから、磯野真穂もスポーツトレーナーに成りたければ早稲田のスポーツ科学科が良かろうと思ったに違いない。
この変わり目がいつ頃だったのか?
桐田清秀が『戦後日本教育政策の変遷』を著し60年余の教育政策を振り返って次のように記している(花園大学社会福祉学部研究紀要 第18号 2010年3月)。
《……教育政策がこの数年、年表に見られるように、矢継ぎ早に出されていること自体がおかしい。教育政策が教育に関わることである限り、そんなに簡単に変えてよいものではない。「国家百年の計」ではなく、目先のことしか考えていないように思う。》
1958年の教育課程審議会の答申以来十年ごとに改訂されてきた当審議会の「答申」を検討して桐田が指摘する要点は、教育目標が「マンパワー・ポリシー(人的資源開発政策)」と呼ばれる経済成長に資する人材育成(という目先)に向けられていったことへの批判になっている。
《……この近代化や経済発展を推進した教育政策は、「大きな物語」の終焉とグローバリゼーションの潮流の中で、すでにその役割を終えているように私は思う》
「学力」への視線が「(経済成長を支える)人材育成」に向かい、高校の「進路指導」が将来の仕事と高等教育に直結しはじめたころから、人の興味関心と職業とがダイレクトに結びつけられ、高等教育も「実学」という(現実仕事の)有用性に傾いて、人の興味関心という「探求・研究」心の向かう先と一致するのは、(才能的にも経済環境的にも)極めて恵まれた一群の人たちだけに限られるアカデミズムの領野に閉じ込められることとなった。
そして桐田が指摘するように、「追いつき追い越せ」という高度成長期の「人材育成」も、日本がバブル経済の時代に到達する頃には限界が見えていた。これからは「国家百年の計」を意識した教育政策に転じなければならないと、教育論壇ばかりでなく経済論壇でも論じられていたのだ。だが教育政策は、バブル崩壊後の経済立て直しを「夢よ再び」路線に託して、ますます「目先のこと」を懸命に追い求めたがために、「人の興味関心」の赴く所は「無駄」と断じる社会の風潮を、大学などの研究機関に於いて、野放しにしてしまった。それが磯野真穂が独立研究者の道を選ぶ動機となるような事態をなしているというわけだ。
ところが皮肉なことに、バブル時代の一億総中流の豊かな暮らしの効果を受けて、子どもたちの「興味関心」は、その赴く所を大切にし、それを伸ばしていくのが人間としての成長成熟だとする思いが世の中に浸透してきた。それが、冒頭朝日新聞記事の取材記者の無意識に根付いている。だから記者は、活計を立てることと興味関心の赴く所を分けて考えることができなかったに違いない。独立研究者という道筋は、社会組織の閉塞的な通念を打ち破るようなバイパスに見えたようだ。
そう見ることは、それはそれで構わないが、だが世の中の新聞読者に伝える場合、ことに若い人たちの誰もが、独立研究者という恵まれた境遇に身を置くことはできないことにも目配りする必要がある。だとすると、わが身の裡に生じる「興味関心」と暮らしを立てる足場を置く土台とをきっちりと区別して、記事としては取り上げる必要があったと私は思う。99%の人たちは「趣味に合った暮らし」をしているわけではない。
そう考えてみると、新聞記事というのは、やはり読者(や社会)に対する批判的な視線(「興味関心の赴く所」を「無駄」とみるな)と共に、大学や企業や政府の政策に対する批判的な視線が欠かせない。そこまで言及する記事に仕上げなくては言葉足りずということになろうか。
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