2022年10月28日金曜日

片付けの社会システム

 給水管給湯管の取替工事と風呂のリフォーム工事が終わった。

 実を言うと、風呂は別に不都合があったわけではない(と私はおもっていた)。だがカミサンからみると、あちこちに黴がつき、どうやっても取れないと苛々していたから、取替工事のときにいっそうのことリフォームしようということにした。何しろ32年も使っているのだ。

 給水管給湯管の取替工事を引き受けた業者は、オプションとしてそうしたリフォームを引き受け製品の仲介もしてくれた。風呂リフォームの大まかな希望を聞いて「要望書」を作りTOTOの商品展示館へ足を運んでくれという。行くと「要望書」はすでに届いていて、こちらの希望に添う商品を案内する。こちらは、風呂桶や壁色、鏡や物置台の要不要などを選択するだけで、さかさかと決めていける。わが身の不都合になったときのことも考えて、起ち上がるときに摑む手すりを風呂に取り付けた。カミサンは「介護が必要になったら、うちの風呂は使えないっていうから」と、人から聞いた話しをして、最小限の設備にした。もちろん新しい風呂は気持ちがいい。私は新しもの好きなんだとあらためて使い捨て文化に乗ってきたことを再確認する。

 とすると、と、私の思っていることが別の方へ転がる。

 新しもの好きのワタシが、どうして本やもう使っていない物の断捨離になかなか踏み切れないのか。リフォームには簡単に応じるのに、なぜ使いもしない物を溜め込んでしまうのか。

 リフォームとか給水管などの改修工事は、金属管の劣化という使用期限がある。風呂も黴が取れない、換気扇が劣化しているという機能的な不都合がある。つまり、私の思惑を超えたシステムが前に出ていて、ワタシの思い入れは、ほとんどカンケイなく用いている。

 ところが本や物品となると、ワタシの人生のカンケイ的な堆積がその物品に塗り込められているように感じているんじゃないか。本には、それを読んだときのこともあるが、その本を持っているだけで何だかちょっと違ったジブンになったような気がした思いも甦ってくる。花田清輝著作集とか林達夫著作集や神聖喜劇全5巻とか柳田國男全集などなど、学生の頃からのものも混じっている。果たして全部読んだかどうかも定かでないし、今となってはボンヤリとした印象すら更にボケて薄らいでいるのに、捨てるとなるとわが身を捨てるような心持ちになる。これって、所有するってこととカンケイあるのだろうか。

 ときどきに買い求めて読んできたそのほかの本も、手に取ってみていると読んだときの感触がじわじわと湧き出してくる。これはワタシの不思議のひとつだ。執着心というのとも違う。本に向き合うと何か不思議な秋気というか妖気が漂うというと妙な本を読んでいると思われるかもしれないが、その本に接したときの時代とわが身とその仲介をした本の実存的気配が湧き起こってくるような気がするのだ。

 さて話しを本題に戻そう。

 本の一回目の始末は、引き受けた本を買い取ってNPOに寄付するというシステムに乗っかった。寄付額は僅か3,000円ちょっと報告が来たが、これで残りの本も存分に始末できることが判った。ゆっくりとやっていこう。

 問題は、古いパソコンや使っていないオーディオの品。ネットで調べると大手家電量販店が宅配業者を通して無料でパソコンの廃棄をしてくれることが判った。だが困ったのは、宅配業者に任せるのに必要な段ボール箱がない。デスクトップの古いヤツは大きくないと収まらない。加えて記載する製品の番号というのが、どこに記しているのかわからない。ああそうだ、近くの量販店に聴きにいけばいいか。行って聞くと、ここへ持ち込んでくれたら1台100円で引き受けますという。一挙に二つの難題が解決する。車に積んで持っていった。

 車から運び入れる台車も、これを使ってと貸してくれる。廃棄を専門的に取り扱っている社員がやってきて、手を貸してくれる。機種番号はその社員も困っていたようだが、2台のデスクトップと1台のノートパソコン、モニターやキーボードなどをまとめて300円です、いいですか? と言う。ハイと言って私が財布を出そうとすると、笑って向こうさんが300円で引き取ると言った。一緒に持ってきたスキャナーとプリンタは、廃棄料各1100円を支払うことになり、差し引き1900円で、全部始末できた。

 オーディオ製品は燃えないゴミで始末していいとネット情報にあったので、思い切ってゴミの日に出した。ついでに大きなオーディ・ラックも大型ゴミとして出した。持って行ってくれるかどうかカミサンは後で確認しなきゃあという。

 郵便を出しに外へ出た帰り、ゴミ置き場から私の出したレコードプレーヤーをバンの荷台に積もうと運び込んでるオジさんがいる。これは処理業者じゃない。金目のものを物色する人だろう。廃棄するより使って貰った方がいい。私はホッとした。うちでカミサンにその話しをすると、さっき見たら未使用で廃棄しようとしたトースターも持ち去られていたという。でもね、と続ける。売ろうとして売れなかったらその人たち、そこらの公園に捨てちゃうんだよね、とマイ・フィールドである秋が瀬公園の話しをする。う~ん、そいつは、参ったなあ。

 夕方近くにゴミ置き場を覗くと、大型のラックも、アンプなども全部なくなっていた。やれやれ。これであらかたの電化製品関係は始末が終わった。そういう社会システムに上手く乗れたと言うことか。

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