久々に見沼田圃を歩いた。通船堀の西側部分は目下改修工事中。川床をさらい、小石を敷き詰め、その上に鉄の網を被せて泥鰌などは住めない水路に変えている。芝川が逆流している。東京湾が満潮に向かっているのだね。この辺り、たぶん標高で3、4mほどだから、こういうことが起こる。もし関東大震災が起こって津波が押し寄せたら、どうなるのだろう。海から30kmほどもあるから、ここまではこないか。我が家の標高が8mなのを思い出す。
9時前だが、ちょっと寒い感じ。上着の下にチョッキを着てきた。ちょうどいい感じ。ゆっくりと秋が深まっている。一つ気づいたことがある。木々の大きさといい色合いといい、夏場よりも今の方が大きくて、緑色が深い。用水路沿いのサクラはすっかり葉を落としているが、照葉樹も広葉樹も、8月より大きく育っている。樹形が最大値になるのは10月じゃないかと思った。途中でチョッキを脱ぐ。
調節池には葦や萱が背丈よりも伸びて鬱蒼とした感じを回り込んで入り込む。春には一望できる調節池の水面も、葦を刈り取ったところに行かないと大きく見えない。そういう所には、スコープや望遠カメラを据えた人たちが屯している。
なぜ屯するのだろう。そう言えばソウルのハロウィンの将棋倒しも、ヒトが屯するからだ。あんな狭い、上野のアメヤ横町のような通りに、まるで昔のラッシュの乗客のように人が集まっている。渋谷の様子もカメラは写していたが、その比ではない。ヒトは本性的に屯していないとジブンが判らなくなる不安があるのだろうか。確かに映す鏡がないとジブンが何者かワカラナイ。でもジブンを映すだけならあんなに大勢で屯する必要はない。だが催し物にせよスポーツ観戦にせよ、観光にしても、大勢が集まるところに行きたくなる衝動が身に埋め込まれているのではないか。その本性が、ある閾値を超えたら、あとは孤独であることも平気になるし、むしろ屯することを煩わしいと感じるのではないか。ワタシはどこの段階で、一人でいることを好ましく感じるようになったろうか。
車道を避けて森や畑を抜け、1時間余歩いて国昌寺の手洗いを借りる。このあと鷲神社を通ると見沼自然公園までに時間がかかりすぎると思う。えっ、これって、草臥れてるってことか? そう思いながら、見沼用水路東縁の道を辿って北へ進む。サクラは葉を落としているが、ハナミズキは葉を枝から垂れ下げて朱くなっている。銀杏は実を落として、あのクセのある匂いを放っている。自然公園に入ると甘い香りが鼻先をかすめる。カツラが黄葉しているのだ。
幼い子がよちよちと池の方へかけていく。少し大きいお姉ちゃんがもっていたペダルのない自転車を放り出して、後を追いかける。スマホを見ながら付き添っていた母親が「危ないよ」と声をかけてみている。池にはヒドリガモやオナガガモが集まっている。大きなカルガモは気圧されてか隅の方にいる。オオバンも池の中央へ逃げるように急いでいる。そう言えば、調節池には、コガモ、マガモ、カンムリカイツブリも来ていた。カイツブリやウ、ダイサギやアオサギなどもぽつりぽつりとたたずんでいた。
ベンチに腰掛けてお茶を飲み、ビスケットを食べる。草臥れたなあと身が訴えているようだ。10.7km、2時間20分くらい歩いている。市立病院の方へ抜けて、遠回りして帰ろうと考えていたが、最短距離を辿ろう。広い見沼田圃の中央を流れる水路に沿って総持院傍を通る車道に出て芝川を渡り、渡るとすぐに西縁寄りの細い畑作業道をあるく。ジャンパーが暑い。脱いで腰に巻く。近くの農家が「野菜売り場」を開いている。何かあれば買っていこうと近寄る。ほどなくお午だ。アラカンの女性が売主と何か話している。
里芋を買うなら掘ってくるよ。1㌔くらいでいいかね。
えっ、1㌔ってどのくらいあるの?
そうだねえ、6,7個かな。
じゃあ、御願いします。
大根も持ってこようか。
はい、いいですね。
あ、そうだ、自分で掘る?
えっ、いや、そういう服を着てないから。
私も、里芋と大根はほしいと思ったが、掘ってくるのを待つほどの体の余裕がない。その場を後にして、東縁の方へ向かう。前の方を高校生くらいの男の子と母親らしい二人連れが歩いている。
明の星の東側水路から東浦和駅に出る。駅前のロータリーのベンチに腰掛けてお茶を飲む。ホッとする。駅から家までの帰路、後ろから来たアラサーの、5センチくらいのハイヒールの女性に追い越された。自然公園から家まで7.2kmあった。1時間20分ほど。合計3時間40分ほど、17.9km歩いた。時速5キロってとこか。
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