2022年10月14日金曜日

寿命とCOVID-19と希望

 ジャン・ダヴィド・ゼトゥン『延びすぎた寿命――健康の歴史と未来』(河出書房新社、2022年)を読み終わった。著者はパリ在住の内科医。ヒトの寿命がいつごろから延びはじめ、いつごろから延びなくなってきつつあるのかを、生物学、医学、環境、行動の四つの側面から考察して、統計的な要素も加味して丁寧に記述している。原著は2021年、翻訳本は2022年の4月に出版されたこともあって、新型コロナウィルスに関する保健諸機関の対応や考察所見も組み込まれている。

 温暖化が寿命に与える影響とか、化学製品が人体に与える負荷などは(製造者は触れないこともあり)、ソレとコレという風に特定することの困難もあって不分明なことが多いが、確実にダメージを与えていることも記述されている。つまり寿命というのは、世界の総合的なヒトへの関わりが現れる一つの指標とみなされて考察されている。

 一般には寿命が延びるというのを、社会疫学と医療の発展にみようとするが、ゼトゥンは経済格差や気候のもたらす不作による飢餓など、ヒトの栄養状態の移ろいを視野に入れて先史時代からの寿命を見つめる。するとおおむね平均寿命は、産業革命までは25~30歳程度。乳児幼児の死亡率が高く、成年となるとそれなりに高齢まで生きはするが、食料生産が確保できて栄養失調がある程度解消されるようになり、感染症への対策が衛生思想の社会的な浸透に行き届き、「医学の時代」と著者が呼ぶ第二次大戦後に大人の死亡率削減に取りかかるまでは、平均寿命の延びはそう大きくはならなかった(国連統計によると20世紀半ばは45年程度だったのが、その後の半世紀で70年を超えた、と)。

 医療や薬の発展開発が大きく貢献するようになるにも、市場原理に任せたままでは難病奇病の希少疾患の薬は開発されないのを、サリドマイドベイビー事件をきっかけに(世論の動きを背景に)アメリカの上院議員が働きかけて法を作り、製薬業界が積極的に乗り出すようにするなどの、政治的なモメントが作用している。こうした径庭を知ると、ワタシの寿命も人類史の歩みの上に築かれているとひしひしと感じる。

《健康で長生きすることがスタンダードになると、私たちは自らの健康に一層気を遣うようになった。人々の健康志向は外部の要因にも作用し、周囲の環境もますます健康的になる。まさに「正のフィーフォバック」が起き……平均寿命もどんどん延びていった》

《そしてついに、上昇するいっぽうだった平均寿命が下降に転じる国があらわれた。》

 アメリカでは「絶望死」が一つの現象としてあらわれている。こうなって初めて、寿命が延びすぎていると感じるのだから、皮肉なものだ。

 著者は温暖化する環境要因を大きく見ているが、産業の発展によって豊かな暮らしを望む社会の方向性にはなかなか歯が立たない。しかしそれに、人類史的立場から目を向けさせる衝撃が天から降って湧いた。それが新型コロナウィルスであり、それに対する世界の受け容れ方だったと著者は期待を寄せる。

 本書の「訳者あとがき」は次のように希望を語る。

《感染症のパンデミックでわかったのは、集団的な対策も必要だが、それだけでは十分ではないということだった。結局、一人ひとりが気をつけるしかない。逆に言えば、一人ひとりが行動すればも大きなムーブメントを起こせるということだ》

 本書は、個人が気をつけるべき「自助」を解いているわけではない。むしろ社会的な「公助」「共助」と一人ひとりの「自助」が同一次元で語れる舞台を、新型コロナウィルスが設えたと読者である私に呼びかけているように思った。

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