2020年5月31日日曜日

日頃が日頃だから、ザンビアの反乱


 中国が香港の締め付けをはかる「国家安全法制」を決めたことに対して、アメリカのトランプ大統領が「香港優遇策を撤廃する」と発表した。抜き差しならない「関係」に突入するような気もする。だがわからないのは、トランプさんの方。
 彼は本気で、香港の自由や人権を考えているのかね。中国が香港の締め付けを強化しようと考えていることは、疑いない。彼らは共産党独裁を維持するためにも、香港の自在さを公認しておくことはできないとみている。たとえ50年とは言え、自由社会の自治的な運営を香港が「共産党独裁・中国」に見せつけ続けるとしたら、「国内問題として」捨て置けない「世論」が熾火のようにくすぶり続け、いつ発火するかわからない火種になる。ウィグル自治区への強圧的な「民族浄化的な弾圧」も、それゆえに、そこまで過酷な事態に行ってしまったといえるからだ。もちろんすべての事実は(国内問題であるとして)「極秘匿」のままである。

六日の菖蒲十日の菊


「緊急事態宣言」の解除になったあとの金曜日、「ビールパーティをやろう」という呼びかけでご近所のたけのこ公園に集まって、3カ月ぶりのおしゃべりに興じた。年寄りばかり。銘々が飲み物とお弁当を持ち寄り、3時間ばかりを過ごした。通船堀の竹林脇に設けられたたけのこ公園は、訪れる人も少なく、東屋があり中央の支柱を丸く取り囲むようにコンクリートのテーブルと固定椅子が設えられている。
 2月までは毎週一回のストレッチ体操で顔を合わせていたが、その後は無沙汰していた。久々の顔合わせ。コロナにまつわる世間話に花が咲いた。集まってもののうち、「定額給付金」を受け取っていたのは一人だけ。「使わなくちゃあ、経済の活性化に役立たないからね」と、テレビのモニターを大きくするとか、スマホの旧機種を新しくするなどとお気楽に弾む。と同時に、この先どうなるんだろうと、新型コロナウィルスという大自然に向き合うジンルイの心もちを示すようにも広がる。
 持ち込んだ缶ビール1本とワイン2本を私は空けて、どうやって帰宅したかもよく覚えていない体であった。

2020年5月30日土曜日

アフターコロナ―:アメリカからの自律が問われる事態に


 東洋経済onlineの2020/05/26号と5/27号の《8割おじさん・西浦教授が語る「コロナ新事実」》のインタヴュー記事が面白い指摘をしている。西浦教授というのは、疫学の専門家会議のメンバーで、北大の教授。「8割おじさん」という異名は、外出や営業自粛の根拠となった「蜜になる度合いが8割減になれば」と提唱したことから生まれた。
 この中で西浦教授は、実行再生産数について詳しくやりとりしている。簡略に言えば、新型コロナの感染度合いを推し量る数値のことだ。一人の感染者から何人にうつるかという理論値である「基本再生産数」に関しての世界的な認知が得られているが、実際の感染者から何人に感染しているかという「実行再生産数」は、いろいろな算出法が行われていて、これぞという確定的な方法ができているわけではない、という。
 どういうことか? 「基本再生産数」は人の振る舞い方のモデルを設定して、それに基づいて算出する。つまり人の異質性を考慮しない。だが「実行再生産数」は、年齢による違い、生活環境による違い、文化による違いなど、人が一様でないさまざまな振る舞いをすることを算入して、感染度合いを割り出すから、確定的なパターン化ができていないということらしい。
 そう聞いて私は、ああこの専門家の目の付け所は信頼できると思った。

2020年5月29日金曜日

アフターコロナの山歩き


 昨日、登山四団体が(5/25)「自粛解除後の山岳スポーツ再開にむけての活動ガイドライン」を発表したことが報道されました。要点は以下の6点。主要には2~5の4点です。

1、近距離100km圏内程度でできるだけ都道府県を跨がない日帰り登山から始めましょう。
2、体調不良(平熱を超える発熱、悪寒、倦怠感、息苦しさ、咳等)での登山は止めましょう。
3、登山は、少人数で行いましょう。(パーティーは、当面5名以内で。)
4、登山中でもマスクを着用しましょう。マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。
5、登山、クライミングジムでのソーシャルディスタンスを守りましょう。 一般的には2メートル前後ですが、登山中の場合は、さらに距離が必要と言われています。
6、自粛期間中、季節や地震による山容の変化、登山道の荒廃など思わぬ危険が潜んでいます。十分な登山ルートの下調べと地図、コンパスの持参、登山届けは必ず提出し、家族にも残しましょう。

2020年5月28日木曜日

「特別定額給付金」の「寄付」を予算化すること


 兵庫県加西市が、新型コロナウィルス感染にともなう「特別定額給付金」10万円の市職員分6000万円を「寄付」してもらうとして、議会で可決したことについて。
 加西市長は「圧力と感じている職員はいない」と記者会見で述べているが、どうかしてるんじゃないか? 「皆さん、賛同してくれている」とも。
 おまえさんがいうことではないだろうと、思わずTVの画面に毒づいてしまった。

2020年5月27日水曜日

「解除」後の世界


 今日カミサンに植物案内のオファーがあって、荒川河川敷へ送っていった。「自粛要請」中に何度か出かけたところだから、どれくらい時間がかかるか、おおよその見当はついていたつもりであった。ところが、おやっと思うほど、車が混んでいた。むろん、コロナ以前ほどの混みようではないが、然るべきところは渋滞気味であった。何より前を入るバスが、停留所の一つひとつで止まる。駅へ向かう通勤客が待っているのだ。「自粛要請」中は、バスに乗る人もそれほどおらず、バスはさかさかとすすんでいたのに。
 荒川河川敷の車を止めるところも、1台止まっていただけ。自粛中にはずらりと並んでいた車は、もうお休みが終わったというのであろうか。土手の上を走る人の数も、明らかに少ない。秋ヶ瀬の森の中を散策する人の数は、明らかに少ない。私が出会ったのはわずか3人。

2020年5月26日火曜日

#コロナウィルスと政治家・マスメディアの言葉


 東京高検の黒川検事長が賭けマージャンをしていたことで辞任したのを問われた首相が、自らの責任を認めたという報道を聞いて、ヘンな感じがした。首相は自分が任命するのだから当然責任はありますといっただけなのだ。つまり制度的な仕組みを認めただけ。だが、首相の責任を問うたのは、彼の黒川検事長の定年延長を、「解釈を変更して」閣議決定したことを問われたのであるから、制度的な仕組み上の位置を認めるかどうかは、論外のはず。だが彼は、(定年延長の)発議をしたのは法務省だからと、法務大臣に責任を転嫁している。黒川さんの賭けマージャンに関する「処分」も同じ。法務省の提案を了承しただけとケロリとしている。こういうのを「責任を認める」というと、そうか、昭和天皇の戦争責任というのも、こんな感じだったのかと、当時、腑に落ちなかったことを思い出した。
 記者会見などでのやりとりは「再質問」が認められなかったりするからムツカシイのかもしれないが、首相の口先だけの回答をに対する「追求」は、行われない。記者たちも馴れあいの片棒を担いでいるのかと(黒川検事長の麻雀仲間がいずれも新聞記者だったことと合わせて)思ってしまう。政府も官庁も、取材記者たちも、エリートと思っていた人たちが皆つるんで、日本社会をイイように弄んでいると思える。

2020年5月25日月曜日

#コロナウィルスと鬱


 待っていた「緊急事態宣言解除」が発表された。「待ち切れない人」の問い合わせに応じて、6月の山行計画の子細を確認しておこうと、プランをたてたメンバーに「もし実施することになった場合の詳細をお知らせください」と依頼したのが、昨日のこと。
 
 帰ってきたひとつの返信をみて、驚いた。
「このウィルス騒ぎで体調を崩し、今回リーダーですのに、大変無責任で申し訳ないのですが、最近の騒ぎで、元気・意欲・食欲・不振、体調不良でして、何方かにお願い出来れば有難い」
 とあった。
「体調不良」ならば仕方がない。「中止にしましょう」と返信をした。

2020年5月24日日曜日

待ちきれない


 TVで「緊急事態宣言解除」の予測報道が出始めると、これまで我慢してきた人たちも蓋が取れそうになって、ソワソワする。今日も、来月中旬の山の例会山行は集合地点の駅から登山口までの移動手段は何かと問い合わせが来た。ここひと月半以上も「休止」していたから、私は、すっかり忘れている。
 あらためて予定表をみてみると、2月中旬に策定した「2020年4月~12月山行計画」がある。さらに4月初旬に出した「コロナウィルス対応の山行プラン4月~6月」というのもある。そして、その後者も「休止」としたわけだった。意気も挫かれ、ほぼ山の会の山行は終わったと私は感じていたのだったから、「問い合わせ」に驚いた次第。
 さっそく、「解除」後の登り方を考えなくてはならない。

2020年5月23日土曜日

#コロナウィルスとヒト


「コロナウィルスって、なんだかワルイ感じがしない」
「えっ、どうして?」
「だって、国会議員だってお金持ちだって貧乏人だって有名人だって、みんな同じように襲うじゃない。先進国も途上国も。自由と民主の国も独裁国家も」
「なんだ、神の前に平等ってことか」
「う~ん、ちょっとチガウな。みんな、マスクをするってこと。手洗いをするってこと。人が人を仕分けしないってこと。等しく恐れる。」
「負の平等ってこと?」
「う~ん、それもちょっと違って、アカルイじゃない? コロナって」
「・・・」
「セカイがこんなに等しく注目して、等しくわが身へやってくるのに気遣い、あっという間に蔓延してる。ビョードーってこともビンボーってこともどうでもいいって感じ。ジゲンが違うよって言ってるみたい」
「でも、対応の仕方で被害の広がり方は違うようだよ」
「そうね、その当事者は違いで一喜一憂するんだろうけど、政治体制や社会体制をモンダイにするなら、グローバリズムとか一帯一路とか#ミーツーとかも問題になっていることね」
「自由社会がいいのか独裁体制がいいのかも・・・」
「いや、そういうんじゃなくて、ヒトが生きてるその存在の仕方のぜ~んぶがモンダイになってるってこと」
「神の前っていうより、大自然の元にどう過ごしているか・・・ってことか」
「そうね。食べ方や暮らし方もそうだし、遊びや楽しみ方もモンダイになったってこともそうだし、群れるってことにも限度があるよってことがモンダイなんじゃない?」
「どういうこと?」
「せいぜい百人の村で暮らしなさいよって」
「根源的な問いを突き付けてるってことね。とすると、アカルイわけないじゃない」
「でも若い人にはそれほど厳しくなくて、年寄りには知命的ってのもアカルイひとつかな」
「なるほど人類の先行きを見通すと、クラクはないってことか」
「今ならまだ間に合うって感じで、問いかけているように感じるからかな。それに問い方がグタイ的ですよね。チューショー的じゃない。それがアカルイのかな」
「ふ~ん、でも、群れるってことがモンダイなら、よほど根源的に受け止めないと、イケナイって言われているみたいだな」
「そうですね。ワクチンとかは小手先の躱し方ですよね。でも、群れ方って考えると、ここまでやってきたヒトの歩みと現在のなかにヒントはあるように思うのね」
「コレって思うことをひとつひとつ試して、評価して、考えなおして、また次の一歩を歩くっていうふうにしろってことか」
「そう、そうだけど、これまでの知的な蓄積も一度チャラにして考え直すようなことも必要かもね」
「演劇とかも、劇場でというより、野外劇を広い場所を使ってやるようなことか。まるでギリシャのエピダウスやタオルミーナの円形劇場みたいな」
「う~ん、理屈を言うとね、迷ったら原点に還れって言うじゃない? もともとヒトは野外で演劇も歌も始めたっていえるでしょ。円形劇場だって、反自然なのよ。でも、ギリシャだって、何千人を収容するようになって、今のように音響装置がない時代だから、劇場の設えそのものが音響だったわけね。いまはそのハンデを凌駕するくらい音響装置そのものもよくなって、むしろ野外に還ってロックコンサートってやってるでしょ。でもその規模は大きすぎるんじゃない? もっと百人の規模でとかそれより少ない野外の集まりで、地声で行う演劇ってのも、考えてくれてもいいんじゃないかなって、思うの」
「だけどそれじゃあ、商売にならないよ」
「そう。ショーバイって考えること自体、考え直してよっていわれてるみたい」
「なんだ、カミに祈りを捧げるエンゲキってこと?」
「ああ、それって、面白いかも。エンゲキだけじゃなくて、ウタもカミに捧げるって、祈りみたいね」
「三波春夫みたいだな」
「ヒトがヒトにじかに向き合うんじゃなくて、カミというか、自然を介在させて、自然やカミに祈りを捧げる心もちの振る舞いが求められているような気がするっていうと、いいかな」
「そりゃあヒトが人間になる前の原点に戻れってことかい?」
「いや、ここまで来たからゲンテンてことが、意味合いを増すんじゃないのかな。そんな感じよ」

2020年5月22日金曜日

やってみるものだ


 36会Seminarの7年のまとめの校正が終了し、印刷にまわった。当初、23日に行われる予定の岡山での「同窓会」参加の皆さんにお渡しできるように、会場へ一括送付する予定であったが、同窓会が延期になった。といって、半年先まで置いておくわけにもいかず、「同窓会」の現地幹事に名を連ねていた40人ほどの人たちと、Seminarの常連参加者たち20名弱と、若干の私の知り合いに送り届けることにした。

2020年5月21日木曜日

近未来の東京とコロナウィルスの教訓


 まだ渦中にいるから「教訓」などと訳知り顔に話すわけにはいかないが、1月下旬から4カ月ほど、ウィルス禍への対応に接して、すでにいくつか肝に銘じた方がいいことがある。

2020年5月20日水曜日

妙な夢


 妙な夢をみた。先の見えない、茫茫たる葦原をすすんでいる。沼地もある。足元もおぼつかない。ただ、「言葉の葦原」を歩んでいるということだけは、なぜか、わかっている。「言葉の葦原」ってなんだ? とは全然思っていない。一つひとつの言葉にくっ付いている「わたしのイメージ」が、背の高い葦原になって視界を遮っていることだけは、わかっている。
 かき分けて進むのを遮るのは、「ほかの人のイメージ」のようだ。何を目指してすすんでいるのかは、わからない。ただすすむ方向を「前方」と思っているだけだから、お前何してんだ? と問われたら、その地点で歩みが止まるかもしれない。
 やっと葦原を抜けた。視界の広がる草原とでも言おうか。でも、向こうに何かコレといったものが見えるわけではない。ああここがフヘンの地平かと、心のどこかで承知している。と同時に、目指していたのは、こんなところ? と感じてもいる。
 フヘンの丘の先へ行ってみたいという思いが、湧いてこない。葦原へ引き返そうかという思いの残っている感触が、懐かしい。
 そうか、ここで旅が終わるのかと思ったところで、コレって夢だとわかった。

2020年5月18日月曜日

やはりちゃらんぽらん


 手がけている本の校正の3回目が終わった。初稿の校正と二稿の校正はモニターの画面をみながら行った。だいたいこれでいいんじゃないかと思ったが、出版社の方は三稿をプリントアウトして送るからそれでもう一度見直してくれと、300ページ近いのを印刷して送ってきた。
 一つ一つ丁寧にみると、まだ手直しの必要なところが、ある。人の名前が漢字であったり、字画数の多い旧字体であったり、カタカナであったりするのは、小学校時代に使かっていたものと、大人になってから戸籍にしたがって旧字体に戻したものもあり、また、やり取りの合間に呼び捨てにするのをカタカナにしたりしているから、そうそう簡単に、どれかに統一することはできない。
 段落を切り替える冒頭が一文字分下げるのも、デジタル文書の下げないやり方が混在していて、見 落としていたのがわかる。ことばの重複やいらない文字が混入していたりもした。

2020年5月16日土曜日

感度が違う


「マスクしてないんだって?」
「いや、もって歩いているよ。密になる場面ではマスクをするよ」
「外でも、ジョギングをしている人や自転車で走る人も、マスクをしてるでしょ?」
「野外の、距離をとっている処じゃあ、大丈夫なんじゃないの?」
「でもさ、海外ではマスクをしないで外出している人に警察官が罰金を科しているじゃないか」
「そうか。よくわかんないのは、その辺だよね。人影のパラパラとしかいない住宅街でも、マスクをしなくちゃいけないの?」
「……」
「ウィルスに感染しない、させないためでしょ?」
「ウィルスって、飛沫感染ていうけど、空気中を少しばかりは漂うでしょ。少々距離をとっていても、すれ違う時に吸い込んじゃうんじゃないかな」
「そっか。ジョギングしてたりする人は、マスクしてる方が染さないよね。」
「歩いている方も、マスクをしている方が、ウィルスを拾わないんじゃない?」

2020年5月15日金曜日

引きこもらざるを得ない事態


 一昨日(5/13)、9時45分頃家を出る。通船堀から遊水地の西側を抜け、見沼田んぼの東縁へ寄って見沼自然公園へ向かう。遊水地ではセイタカシギを一羽みる。見沼大橋を越えてから東の大宮台地に上がり、樹林の間を通って国昌寺の東を巻いてマルコの竹林の脇を通り、総持院の東側を回りこんで鷲神社に至る。東縁に再び合流し、自然公園に着く。ほぼずうっと樹林の中を歩いた感じだ。

2020年5月14日木曜日

まだ、わからない外出の仕方


 緊急事態宣言が解除されるところが出てきた。首都圏は、相変わらず、「外出自粛要請」がつづく。最初の発表のときから、よくわからないことがある。不要不急の外出は自粛してください。でも適度な運動は構わないですよ。その端境は、何処にあるんだ?

2020年5月13日水曜日

PCR検査の現実と実効再生産数


 5月14日に「緊急事態宣言」の緩和とか解除を控えて、地方自治体が「判断基準」を公表したり、緩和・解除後の「ウィルスとの共生」の方法をいろいろと思案して提起している。  たぶんその判断の一つになるのが「実効再生産数」だと山中伸弥教授が「新型コロナサイト」で取り上げている。

2020年5月12日火曜日

「いつまで働かせるのか」


 標題のようなネットニュースの見出しをみて、検察庁の上級役人の憤りだと思った。検察幹部官の定年延長の法改正を強行しようとする政権に、定年間近の現役上級検察官が怒ったと思った。
 そりゃそうだろう。まず「あとづけ」だ。閣議決定で延長を決めて置いて、後で法改正をして正当化しようなんて、泥縄もいいところだ(というか、逆だね)。現政権の保身のために自分たちの仕事まで延長されてはかなわないと考えても不思議ではない。しかも上級の彼らには、定年後も「天下り」先が待っている(はずだ)。

2020年5月11日月曜日

言葉が意味すること


 新型コロナウィルスの感染を確認するPCR検査を抑えてきたことについて、厚生労働省が見直しを発表した。37・5度の発熱、4日間などを取り払って、呼吸困難などを感じたときは検査を申し出てほしいと、訂正することにした。それに付け加えて加藤厚生労働大臣が「誤解があった」といったものだから、「ひどい」と非難を受けている。だが、加藤大臣は、何が「ひどい」のか、わかっていないと思う。
 マスメディアも、検査を受けることができず死亡して後にPCR検査で陽性と判定された人たちに心遣いしていないというニュアンスの非難を浴びせ、対応が遅いとはいうが、何がネックになっていたかについて、厳しく追及していない。
 もちろん政府の対応は、遅い。ほとんど対応できていない。民間の医療機関や大学などから盛んにPCR検査の準備はできているといわれながら、どうしてこんなに遅いのか。それが、加藤大臣の「誤解」発言で明らかになったと私は、思う。

2020年5月10日日曜日

豊葦原瑞穂の国の感触


 「古稀の構造色」というSeminarの7年をまとめる冊子の校正が二稿まで終わった。20日仕上げを目標にしてきたから大車輪なのだが、三稿もやるという。一稿はpdfで送られてきたものをプリントアウトして構成した。手直しした二稿は、おおよそのページ割りをして、大きくスペースが空くところを埋めてほしい気配であった。何本か書き足して、おおむね埋めた。それでも、何十カ所か手直しが必要だったから、人の目というのも、あてにならない。

2020年5月9日土曜日

人に触れる微妙さ


 昨日(5/8)朝ラジオで、スポーツ雑誌の取材記者が、「外出自粛」「三蜜回避」にどう対応しているかお喋りしている番組を聴いた。アメリカの大リーグにいる選手、スペインのバルセロナで活躍する選手などにLINEなどで取材することができるのは、当然ながら顔見知りの記者だけになる。新規の記者は締め出されるから苦労するだろうとか、お茶の間で取材を済ませると80点くらいの記事ができるとなると、交通費や宿泊滞在費を大枚はたいて87点の記事をつくるくらいなら、費用を節約して80点の記事でいいと出版社が言いはじめると、ちょっと違うんだよねと話している。

2020年5月7日木曜日

快晴、夏空だが涼しい


 今日(5/7)は雲一つない快晴。歩きに出た。通船堀から見沼田んぼの東縁に向かい、鳥を観ながら、草花の話を聞くという、わが師匠のお伴。タケノコ公園のタケノコが、もうすっかり大きくなって、中には、タケノコの皮をつけたまま3メートルの高さに伸びているのがある。この成長力はすごい。中が空洞だから生長が早いのだろうか。竹は水をどこから吸収しているのだろうか。篩管というのは、竹の木質に備わっているのだろうか。考えてみると、私は、竹について何も知らないと分かる。

2020年5月6日水曜日

国防概念を変える必要がある


 この間の新型コロナウィルス禍に対応する、政府と地方自治体とメディアの伝える情報とを耳にしながら、2月から準備を進めてきた「古稀の構造色――36会Seminar私記」の出版準備を進めていて、ひとつ気づいたことがある。このSeminarの満7年最終回は「日本の防衛という問題」であった。
 講師の「防衛」に関する身裡の不安を探り、参加者の「核武装をした方が良い」という意見の深層意識に触れ、「平和的・文化的に防衛モンダイを考えよう」とコメントを加えてきた。それは多分に、「わたし」の身の裡に感じるへなちょこな、「平和ボケした非暴力主義」を肯定したいという動機にあるんじゃないかとも思ってきた。戦中生まれ戦後育ちの「わたし」は「新憲法世代」といってもいい「押しつけ憲法」下で小中高の教育を受けてきた。その上、冷戦下における問題処理の武力的部分はすっかり米国に預けて、経済に専心するだけの社会構築に、浸ってきた。それは「日本の国体はアメリカ」といわれ、軟弱・弱腰の「平和ボケ」と謗られ「エコノミックアニマル」と揶揄されながらも、「一億総中流」と呼ぶほどの大衆的な高度消費社会をかたちづくってきた。そしてそれはそれで、悪くないと感じていたことは間違いない。

2020年5月5日火曜日

これじゃあ実態がわからない


 昨日「緊急事態宣言」の延長が公表された。でも、このウィルス禍の現下の情況がどうなっているのか、わからないままだ。
 アメリカ在住の冷泉彰彦は「私の住むニュージャージー州における一日ごとの死者数が、ニューヨーク州を上回るようになってきました。人口900万の州で、今日新たに発表された死者が311名、その前日は460名と非常に厳しい状況です」と5月3日に報告しています。アメリカのPCR検査は日本の十倍以上といいますから、事態の深刻さは一層厳しく感じられるでしょうが、神奈川県と同程度の人口の州で一日の死者数が300とか400というのは、けた違いの猛威。なにか重要なことが日本では、隠されているのかとサクラの会とかモリ・カケとか想いうかべて、考えてしまいます。

2020年5月4日月曜日

【8年目からの追記】近代市民社会の理念が揮発した


 「うちらぁの人生 わいらぁの時代」をまとめていて、この五年を振り返るところに付け加えておきたいことがあります。
 第12回Seminar「総合商社の仕事とは、何か」を「オフレコに」という要望に沿って割愛することになりました。そのことに、じつは私たちの時代の変化のもっとも大きな様相をみるように思っています。このSeminarのテーマは「人生」や「時代」を語るうえで、社会の変貌にじかに手を触れてきた形跡を表明するものでした。ただ話は参加者のいろいろな質問に答えるというかたちをとったため、あちらこちらに飛んで散漫になり、これのどこがオフレコ? と私は疑問に思ったものでした。だがあとで気づいたのですが、商社に勤めていた講師が、何を話したかではなく、現役時代のことを話したということが、企業の琴線に触れることだったのではないか。企業秘密に触れるというのではなく、大手商社という企業活動が孕んでいる「裏事情」が、社会通念に反する要素を多分に含んでいることだったのではないか。

2020年5月2日土曜日

真夏日の陽ざしの中、荒川河川敷を回遊する


 「外出自粛」が呼び掛けられてから、余計に出歩くようになった。
 それまでは週に一回、山へ出かけていれば、健康保持には十分とでもいう「心裡の言い訳」があったからだろう。となると、「3蜜」を避けて車でアプローチすればいいんじゃないかと考え、4/7に奥多摩の市道山と臼杵山へいってきた。
 その日の夕方に、政府から「緊急事態宣言」が出され、「外出自粛」となった。だが、東京都知事はまるで選挙戦が始まったかのように、日々記者会見をし、政府とも齟齬を隠さず、「キーワード」を交えて状況を説明しているから、都県境を越境するのはやめた方がいいかと考えていた。
 埼玉県知事はまるで声を上げない。ひょっとするとメディアがとりあげないのかと思ったが、そうでもないらしい。ま、それはさておこう。
 ところがそうこうするうちに、「山岳四団体」までが、山へ行くのを控えようと呼びかけたと知った。えっ、山は3蜜じゃないじゃんと思う。4/7にしても、誰にも会わなかった。
 だが、皆さんが都会の蜜と喧騒を逃れて山野に行くとしたら、そちらが密になるじゃんと言われたり、遭難事故があっても、今、山岳救助に向かう余裕がないと救助隊の事情を持ち出されると、それを押し切るほどのコトでもない。
 まあ、それくらいの我慢は年寄りなのだからしなきゃあねと、散歩程度の外出にとどめている。

2020年5月1日金曜日

老朽化している日本国憲法に手を付けるか


 今日(5/1 )は私の弟ケンジの誕生日。73歳になった。ケンジのケンの字に「憲」をつかっているのは、誕生の二日後に憲法の発布があったからだ(と思ってきた)。親は、それなりに「新憲法」に関心を寄せていたように、勝手に解釈してきた。憲法もまもなく発布後73年になる。
 振り返ってみれば私の親たちが「新憲法」のことをどう考えていたか、聞いたことがない。押し付けられて不快と思っていた様子はない。当時の新聞に掲載されたであろう「新憲法」の条文に目を通したかどうかも、わからない。それまでの「明治憲法」と大きく違うことはラジオのニュースや新聞の見出しなどで知っていたであろう。それをどう受け止めていたか、戦争のことも親父は口にしなかったし、子ども私も聞いちゃならないことと、憚る気配があった。いま思うと、もっと率直に話を聞けばよかったと思わないでもないが、でも子どもの頃は、私自身がそのような関心を傾けていたわけではない。