2020年5月16日土曜日

感度が違う


「マスクしてないんだって?」
「いや、もって歩いているよ。密になる場面ではマスクをするよ」
「外でも、ジョギングをしている人や自転車で走る人も、マスクをしてるでしょ?」
「野外の、距離をとっている処じゃあ、大丈夫なんじゃないの?」
「でもさ、海外ではマスクをしないで外出している人に警察官が罰金を科しているじゃないか」
「そうか。よくわかんないのは、その辺だよね。人影のパラパラとしかいない住宅街でも、マスクをしなくちゃいけないの?」
「……」
「ウィルスに感染しない、させないためでしょ?」
「ウィルスって、飛沫感染ていうけど、空気中を少しばかりは漂うでしょ。少々距離をとっていても、すれ違う時に吸い込んじゃうんじゃないかな」
「そっか。ジョギングしてたりする人は、マスクしてる方が染さないよね。」
「歩いている方も、マスクをしている方が、ウィルスを拾わないんじゃない?」

 
「自治会の広報に、バドミントンをしてる子どもたちへ注意してほしいって記事があったよね」
「うん? まだ見てないけど」
「ほらっ、団地の東側の少し広いところ。あそこでバドミントンしてる子たちがいるじゃない。それが迷惑って訴えた人がいるんだって」
「でもあの子たち、わりと気づかいしてるよ。私が通るときには、やめて通り過ぎるまで待ってたり・・・さ。目くじら立てるほどじゃないんじゃないかな」
「でもすぐ近くの部屋の人には、声がうるさいっていうんじゃない?」
「マスクのことじゃないんだ。」
「いやいや、それにマスクもしてないって。〝感染予防要請に従いマスクを〟って書いてるよ。」
「そんなふうに、すぐに一般化することなのかな」
「マスクってのが、象徴化されてきてるよね」
 
「もし万一何かがあったときには親御さんの責任になりますから、しっかり注意監督してくださいって書いてるよ」
「そんなふうに言われると、喧嘩腰だね。言われる方も、素直に聴けないよ。」
「それにひょっとすると、訴え出た人って体調がすぐれないのかもしれないしね。」
「そうね。ふだんなら、子どもの声って我慢できるけど、外出自粛を文字通り受け取って〝がまん〟している人には、3カ月って長すぎるわね。」
「子や孫のいない人だと、そういう生活音にも共感性が湧かないってこともあるかも」
「そうだね。集合生活に対する感度の違いってことが大きいのかな。その時置かれている一人一人の情況にもよるし。それを周りの人には知られたくないし。でも、ワタシの感度はピリピリ反応するし。どうしてくれんのよって、ことね」
「それを〝万一の時の責任〟って法的次元に持ち込むと、コミュニティのモンダイっていうよりも、市民社会の問題になるような気がする。」
「えっ? ということは、市民社会って法的次元で取り仕切られてる空間ってこと?」
「う~ん、コミュニティっていうのは、ともに暮らしているという共感性をベースにするから、ただ単に、この団地のこの部屋を買ったのであって、周りの人とともに暮らすってことは承知していないと思う人にとっては、法的次元で始末してよって思うんじゃないかな」
「市場社会的交換のセンスと共同生活空間に暮らす共感性というのも、浮き彫りになってるってわけね。」
「そう、感度の違いでね」

0 件のコメント:

コメントを投稿