2020年5月12日火曜日
「いつまで働かせるのか」
標題のようなネットニュースの見出しをみて、検察庁の上級役人の憤りだと思った。検察幹部官の定年延長の法改正を強行しようとする政権に、定年間近の現役上級検察官が怒ったと思った。
そりゃそうだろう。まず「あとづけ」だ。閣議決定で延長を決めて置いて、後で法改正をして正当化しようなんて、泥縄もいいところだ(というか、逆だね)。現政権の保身のために自分たちの仕事まで延長されてはかなわないと考えても不思議ではない。しかも上級の彼らには、定年後も「天下り」先が待っている(はずだ)。
違った。PRESIDENTonlineの、その記事は、47歳のネットニュースの編集者。斯界ではよく知られた方らしい。その方が今年の8月いっぱいで退職すると表明したことを取材したもの。理由は、「もう疲れた」とご当人の言葉。だが読んでみると、この業界、なかなか熾烈な「才能争いの場」が絡んでいるようだ。なるほど、CMなどをみていると面白いものがどんどん飛び出す。ほんとうに、つまらないものもある。
そこをどう、斯界の人たちが見分けているのかわからないが、岡目八目で関心を持ってみると、ドラマ性も含めて、才能に溢れていると思う。しのぎを削っている。疲れるのも、無理はない。しかも、ご当人の疲れるワケは、その業界の人付き合いの仕方とそれに向き合う才覚と年齢とが密接にかかわっているとわかる。
対する相手との関係が「基本設定」されている学校の教師仕事と違い、仕事をどれだけとれるか、どう継続できるかは、どれだけ人と接触してどうあしらって、関係を築くかにかかるところがある。月に20回くらいは飲みに行くということをきくと、ご接待かと思ってしまう。むろん「取材」かもしれない。身がどっぷりと業界に浸かっていると思える。
47歳で「隠居する」というのを取材記者は、「セミリタイア」と書いている。そりゃあそうだ。本格リタイアというには若すぎる。だが記者は、セミリタイアする方の言葉として「老兵は去り、後進に道を譲る」と記している。才能あふれる業界で感じていた自身の感触への目も届いている。若いころは、才能あふれる「作品」をみると、ケッ、負けるものかと思ったそうだが、近ごろは「いいのをつくるなあ」と感心しているのに気づいている。餅は餅屋というが、そうなだねえ。プロスポーツの世界と同じなのかもしれない。
記者は、男性の平均寿命は81.25歳、女性は87.31歳、健康寿命は男性72.14歳、女性74.79歳というのを引いて、60歳を過ぎると身体も頭も劣化するとし、年金受給年齢をさらに引き上げられては適わないと政府の施策批判へと向かっている。
だがそういうことよりも、還暦というライフサイクルのひと回りを機にして、家住期から林棲期へさらに遊行期へ切り替えていく、生き方の受け継ぎ方を忘れているんじゃないかと感じる。政治家たちはずいぶんと元気で高齢の人たちが場を占めている。そのセンスで、下々の暮らしや人生を見積もられては困る。さらに彼らは、長い目で人生をみているつもりかもしれないが、現実の施策をみていると、短期的な目の前の契機しか見ていないと、ここ二十年ほどを眺めていて痛感している。
世を受け継ぐためには、老兵は立ち去らねばならない。それをとことん絞りに絞って、年金受給もあとへ後へと引き伸ばし、彼岸に送り届けてしまおうというのでは、林棲期も遊行期もないまま、まさに、今いる自分だけを充実させていくライフサイクルじゃないか。
いやだねえ。
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