2020年5月25日月曜日
#コロナウィルスと鬱
待っていた「緊急事態宣言解除」が発表された。「待ち切れない人」の問い合わせに応じて、6月の山行計画の子細を確認しておこうと、プランをたてたメンバーに「もし実施することになった場合の詳細をお知らせください」と依頼したのが、昨日のこと。
帰ってきたひとつの返信をみて、驚いた。
「このウィルス騒ぎで体調を崩し、今回リーダーですのに、大変無責任で申し訳ないのですが、最近の騒ぎで、元気・意欲・食欲・不振、体調不良でして、何方かにお願い出来れば有難い」
とあった。
「体調不良」ならば仕方がない。「中止にしましょう」と返信をした。
もう一つの返信は、期日を定めてあったから、皆さんへの「お知らせ」の準備は整った。あとは、政府の「解除泉源」を待つだけになった。今日は久々の晴天。先週の天気は、まるでもう梅雨入りをしたかと思うほどの雨と曇りがつづいた。歩かざるべからず。見沼田んぼへ繰り出した。
通船堀に、大量の水が流れている。見沼用水の西縁から芝川への堰を開け、水を通している。どうしたことだ? 田圃がなくなって、用水路の水が要らなくなったのか。あるいは、田植えがすでに終わり、田圃に水をやる時期が過ぎたのに、このところの「ハシリ梅雨」のせいで水が多すぎて、芝川に戻しているのか。
遊水地の水は相変わらず少ない。鳥影も少なくなった。アオサギの幼鳥が何羽か、立ちつくす。留鳥のカルガモが6羽、首を羽根にうずめて眠っている。あとはほんの少しのカワウばかり。お、お、コアジサシが一羽飛んでいる。今年の初到来だ。帰りに西側から見ると4羽いるのが分かった。カワセミが芝川沿いに飛び去った。スズメの幼鳥がまるで寝起きの髪の毛のように羽毛をけば立てて飛び交っている。やっと飛ぶのを覚えたばかりという気配がかわいい。自然公園の池ではカルガモが大きな鯉の背びれをつついて遊んでいる。鯉もカルガモも公園に遊ぶ人に何かをおねだりに来ているようだ。
相変わらず人はまばらに、散歩をする人、ジョギングをする人、サイクリングを楽しむ人と、三々五々、マスクをして行き交う。産業廃棄物業者のトラックが何かを運んできて降ろし、敷地内の重機がそれらを5メートルもの高さに積み上げている。これって、許可を得ているのだろうか。建築物を作ることを制限している見沼田んぼで、産業廃棄物の処理場が許可されるってことは、あるんだろうか。
自然公園でお昼にする。食べていると、昨日の「体調不良」の山の会の方からメールが入る。
「PCの調子が悪く、ウィルス感染、正常に(超有名なサギサイトでした)」と意味不明の記述のあとに、「かなりのコロナ鬱です。」と付け加えてあった。いつもは山を歩きながら歌を歌い、詩吟もやり、かつては国体選手にもなったという健康そのものの方。いったい何があったのか。古稀を過ぎて、わが身が若いころのように動かないことを気に病んでいるのだろうか。昔日の、半世紀も前の
イメージが強く記憶に残って、今の自分を叱りつけ続けているのだろうか。
ご当人が「コロナ鬱です」というのだから、それほど重症ではないと思うが、どう言葉を掛けたらいいか、わからない。「お大事に」と付け加えて変身した。
強い陽ざしが午後になって雲に覆われ、風も少し出てきて歩くのが楽になった。東縁沿いにあるマルコの東屋に立ち寄る。大きな竹林の脇の大木の囲まれた少し広い場所に東屋を置き、竹細工で竜やカエルや河童などを作って「案内板」を飾っている。見沼田んぼのトラスト一号地とある。竹林も手入れが行き届いて、うっそうと茂る東縁沿いの森は、その後背地の樹木育成農地と相まって自然の豊かな力を感じさせている。ボランティアの人たちがときどき作業をしているそうだ。
その葦原で突然、ギョギョシギョギョシケッケッケッと鳴き声がたつ。この地にはじめてオオヨシキリが来てくれたと、カミサンはすぐにこの地の主宰者にメールを送る。オオヨシキリが調整池や自然公園にやってきてずいぶんになるのに、このトラスト地の葦原にだけは、なかなかやってこない。すぐ近くで電動草刈り機などを使ってバリバリ音をたてているからじゃないかと心配していたから、主催者は大喜びであったようだ。
結局お昼をふくめて、6時間も歩き回っていたことになる。歩いていると何も考えなくていい。ボーっと生きてんじゃねえよと叱る人がいるが、ボーっと生きているのが、一番体にいい。それにはおろおろとでも、うろうろとでも、さかさかとでも歩き回るのがいい。今日のように、陽ざしを浴びて汗を流しながら歩いていると、コロナの心配をすることも、何処へともなく消え去っている。
こういう馬鹿な生き方のほうが、鬱に縁もなくていいのじゃないかなあと、素人判断をするが、聞いてくれるはずもない、か。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿