2020年5月21日木曜日
近未来の東京とコロナウィルスの教訓
まだ渦中にいるから「教訓」などと訳知り顔に話すわけにはいかないが、1月下旬から4カ月ほど、ウィルス禍への対応に接して、すでにいくつか肝に銘じた方がいいことがある。
ひとつ。東京は人が多すぎる。昼間人口は1560万人ちかい。夜間人口も1300万人余もいる。普通に散歩するだけでも「3蜜」になる、といえなくもない。
ふたつ。あらゆることが市場経済に載せられるから、都会生活が快適・らくちんという暮らし方を、「外出自粛」生活は変えなさいと呼びかけている。食べ物を自分で調理する。出来得るならば家庭菜園でもはじめ、いろんなことをDIYでこなす自立生活をする。それにはまず、東京を脱出する。
みっつ。東京都のコロナウィルス「感染源不明」の大半は電車やバスにちがいないと、通勤ラッシュにもまれながら戦々恐々であった人たちも多かったろう。できるだけ歩く。あるいは自転車通勤にする。電車やバスを使うほどの長距離通勤はしない。職住接近を考える。それにはまず、企業が東京を離れることが必要だ。
よっつ。コロナウィルスへの取り組みで地方自治体の首長がいかに頼りになるか、頼らなければならないか、中央政府がいかに頼りないか、判然としてきた。だが財政的に自立しているのは、東京都だけだ。基本は地方自治体が取り仕切っている。それに見合う財源を中央から地方へ移す。中央を頼りにする割合をできるだけ少なくすることも、今回の教訓としたい。
いつつ。人口同様、経済の一極集中が「自粛」自体を窮屈にしている。ヒト・モノ・カネのどれをとっても、東京は全国からの流出入の中枢であり、その活動自粛は日本経済の傾く不安につながる。産業も、地方が自治的・自立的に分散できる社会設計をした方が良い。
むっつ。何よりも暮らしに必要な基本的な品々まで、海外からの輸入に頼っていることが、デマの拡散による「買占め」にもつながった。サプライチェーンと経済学者は言うが、少々高くついても、基本的な品々の国内自給率をある程度確保する重要性が、わかる。景気浮揚とグローバル化と国際競争力と、外へばかり目を向けないで、暮らしの基本は国内である程度調達できるような、社会設計が必要に思う。因みに、国内でも、地方は地方で自らで賄うサプライチェーン、地産地消を増やすことを考えたいものだ。
ななつ。観光客をたくさん呼んで、遊んでお金を使ってもらおうという、短期に利益を上げる産業振興のセンスを、切り替える必要がある。もっと長期的に腰を落ち着けて過ごす文化的な充足感を得ることのできる佇まいの街づくりを考えたらどうだろう。まずはシンプルライフ。
やっつ。今回のコロナウィルスに向き合う防疫対策のシステムが、公共の福祉として重要なことではないかと、考えさせられた。厚労省がコロナウィルス感染状況の集約もできていないことを知って、驚いた。日本の官庁の劣化があからさまになっている。これは深刻だ。
近未来の東京は、コロナウィルス以前と以後とで、大きく書き換えられなくてはならないのではないか。
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