2020年5月23日土曜日
#コロナウィルスとヒト
「コロナウィルスって、なんだかワルイ感じがしない」
「えっ、どうして?」
「だって、国会議員だってお金持ちだって貧乏人だって有名人だって、みんな同じように襲うじゃない。先進国も途上国も。自由と民主の国も独裁国家も」
「なんだ、神の前に平等ってことか」
「う~ん、ちょっとチガウな。みんな、マスクをするってこと。手洗いをするってこと。人が人を仕分けしないってこと。等しく恐れる。」
「負の平等ってこと?」
「う~ん、それもちょっと違って、アカルイじゃない? コロナって」
「・・・」
「セカイがこんなに等しく注目して、等しくわが身へやってくるのに気遣い、あっという間に蔓延してる。ビョードーってこともビンボーってこともどうでもいいって感じ。ジゲンが違うよって言ってるみたい」
「でも、対応の仕方で被害の広がり方は違うようだよ」
「そうね、その当事者は違いで一喜一憂するんだろうけど、政治体制や社会体制をモンダイにするなら、グローバリズムとか一帯一路とか#ミーツーとかも問題になっていることね」
「自由社会がいいのか独裁体制がいいのかも・・・」
「いや、そういうんじゃなくて、ヒトが生きてるその存在の仕方のぜ~んぶがモンダイになってるってこと」
「神の前っていうより、大自然の元にどう過ごしているか・・・ってことか」
「そうね。食べ方や暮らし方もそうだし、遊びや楽しみ方もモンダイになったってこともそうだし、群れるってことにも限度があるよってことがモンダイなんじゃない?」
「どういうこと?」
「せいぜい百人の村で暮らしなさいよって」
「根源的な問いを突き付けてるってことね。とすると、アカルイわけないじゃない」
「でも若い人にはそれほど厳しくなくて、年寄りには知命的ってのもアカルイひとつかな」
「なるほど人類の先行きを見通すと、クラクはないってことか」
「今ならまだ間に合うって感じで、問いかけているように感じるからかな。それに問い方がグタイ的ですよね。チューショー的じゃない。それがアカルイのかな」
「ふ~ん、でも、群れるってことがモンダイなら、よほど根源的に受け止めないと、イケナイって言われているみたいだな」
「そうですね。ワクチンとかは小手先の躱し方ですよね。でも、群れ方って考えると、ここまでやってきたヒトの歩みと現在のなかにヒントはあるように思うのね」
「コレって思うことをひとつひとつ試して、評価して、考えなおして、また次の一歩を歩くっていうふうにしろってことか」
「そう、そうだけど、これまでの知的な蓄積も一度チャラにして考え直すようなことも必要かもね」
「演劇とかも、劇場でというより、野外劇を広い場所を使ってやるようなことか。まるでギリシャのエピダウスやタオルミーナの円形劇場みたいな」
「う~ん、理屈を言うとね、迷ったら原点に還れって言うじゃない? もともとヒトは野外で演劇も歌も始めたっていえるでしょ。円形劇場だって、反自然なのよ。でも、ギリシャだって、何千人を収容するようになって、今のように音響装置がない時代だから、劇場の設えそのものが音響だったわけね。いまはそのハンデを凌駕するくらい音響装置そのものもよくなって、むしろ野外に還ってロックコンサートってやってるでしょ。でもその規模は大きすぎるんじゃない? もっと百人の規模でとかそれより少ない野外の集まりで、地声で行う演劇ってのも、考えてくれてもいいんじゃないかなって、思うの」
「だけどそれじゃあ、商売にならないよ」
「そう。ショーバイって考えること自体、考え直してよっていわれてるみたい」
「なんだ、カミに祈りを捧げるエンゲキってこと?」
「ああ、それって、面白いかも。エンゲキだけじゃなくて、ウタもカミに捧げるって、祈りみたいね」
「三波春夫みたいだな」
「ヒトがヒトにじかに向き合うんじゃなくて、カミというか、自然を介在させて、自然やカミに祈りを捧げる心もちの振る舞いが求められているような気がするっていうと、いいかな」
「そりゃあヒトが人間になる前の原点に戻れってことかい?」
「いや、ここまで来たからゲンテンてことが、意味合いを増すんじゃないのかな。そんな感じよ」
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