2020年5月5日火曜日
これじゃあ実態がわからない
昨日「緊急事態宣言」の延長が公表された。でも、このウィルス禍の現下の情況がどうなっているのか、わからないままだ。
アメリカ在住の冷泉彰彦は「私の住むニュージャージー州における一日ごとの死者数が、ニューヨーク州を上回るようになってきました。人口900万の州で、今日新たに発表された死者が311名、その前日は460名と非常に厳しい状況です」と5月3日に報告しています。アメリカのPCR検査は日本の十倍以上といいますから、事態の深刻さは一層厳しく感じられるでしょうが、神奈川県と同程度の人口の州で一日の死者数が300とか400というのは、けた違いの猛威。なにか重要なことが日本では、隠されているのかとサクラの会とかモリ・カケとか想いうかべて、考えてしまいます。
日本ではどうしてPCR検査をしないのか、私はずうっと疑問に思ってきました。今朝の新聞に、専門家会議の見解が出ていました。それによると、過去の感染症であるSARSやMARSが国内で広がらず、「検査を担う地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と応じています。
えっ、公衆衛生については、そこまで地方分権が行き渡っているの? と思いましたね。私はすっかり、そういうことについては、所管の厚生労働省がコントロールしているものとばかり思っていました。
どちらが的を射ているか。私は、後者の私の実感の方が正解に近いと思っています。
今回の事態に直面して、自分たちの失態を隠すために「地方衛生研究所から要請がなかった」と言い訳をしたに違いありません。そりゃそうでしょう。SARSやMARSの感染症の(全国的な)広がりを「地方衛生研究所」がつかめるはずもありません。まして広がりの実態からして、「地方」が要請するモンダイではないでしょう。所管官庁が掌握して体制整備をするべき事柄ですよ。
でもモンダイは、それをやってなかったことではないと私は思っています。
今回の新型コロナウィルスについては「これまで経験したことのない感染症」だったわけですから、厚生労働省といえども、予測できなかったのは失態でも落ち度でもありません。モンダイなのは、「地方衛生研究所から上申がなかった」といい逃れていることです。つまり所管官庁の自分たちが考える問題だと考えていなかったと自白しているようなものです。文字通り「無責任体制」が、露わになっています。これが「深刻」だと思います
でも、ならば、今回事態がかなり深刻になるとわかった2月末の時点で、どうして地方衛生研究所の拡充を急遽進めるとか、あるいは地方衛生研究所以外の検査機関を使えるようにするシステム改正や法整備をしなかったのか。。もし所管官庁の「お役人」ならば、「所管の大臣や副大臣、政務官から体制拡充を求める声がなかった」とでも言うのでしょうか。政治家主導の政府の方々はこれにどう応えてくれるでしょうか。これが深刻なのは、もう対応できないというのではなく隠蔽しようというのでもなく、どんな手を使ってでもその場その場を切り抜ければいいという態度が行き渡っています。内部から腐りきっているのです。
さらに専門家会議は、医療機関が使えるマスクや防疫衣料が足りないといっている。ならばどうして、国民全体にマスクを配るなどというより先に、集中的にそれらの製造と調達と配布を指示できなかったのか。国会は会期中です。しかも首相が「全国小中高の閉鎖要請」をしてから2カ月以上が経ちます。政府が強力に指示すれば、それくらいのことは、容易にできるのではないか。そもそも首相は、検査体制は十分ある、調えるといっていたではありませんか。そう言えばすぐに官僚が動く「忖度」を期待していたわけではありますまい。
専門家会議はもう少し踏み込んだ質問に応えています。「検査数が少ないために、多くの感染者が見逃されている懸念がある」というのに応えて、「不十分な検査体制を認めているものの、海外と比べて必ずしも見逃しが多くはない」と見方を示しているそうです。その理由として、「検査者に対する陽性者の割合(陽性率)が高いと、見逃しも多い傾向がある…。陽性率は欧米では20%近い国もあるが、…厚労省の資料では5/3時点で9・4%だ」としているという。マスメディアでは、不審死の人や死亡後の陽性判明者が出来して、感染者数は判明数の十倍はあるといわれている。私たちは、どちらが実態に近いと考えるか。
答えは明白だ。ニューヨークの状態、ヨーロッパの報道、そして冷泉のニュージャージー州の報告を耳にすると、厚労省の数字に心を置いて情況判断することは、危険を招く。きっと後世に所管官庁の専門家会議はこういうに違いない。
「各地方の市民からはぜひともPCR検査をやってほしいと求める声がなかった」
と。
現下の実態がわからないから、所管官庁や専門家が何かを隠しているか、何も考えていない/していないとしか考えられない。とすると、どうして日本の感染者数はこの程度に収まっているのか。
なぜかわからないが、政府を信用しない人々が、何か大きな脅威を感じて自己防衛に走っている、それが、これもなぜかわからないが、感染拡大の防疫に役立っている。そう考えて、祖谷日本の市民社会の育ててきた「社会規範」も、まだ捨てたものではないと、自賛するしかないではないか。
おいっ、がんばろうぜ。
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