2020年5月7日木曜日
快晴、夏空だが涼しい
今日(5/7)は雲一つない快晴。歩きに出た。通船堀から見沼田んぼの東縁に向かい、鳥を観ながら、草花の話を聞くという、わが師匠のお伴。タケノコ公園のタケノコが、もうすっかり大きくなって、中には、タケノコの皮をつけたまま3メートルの高さに伸びているのがある。この成長力はすごい。中が空洞だから生長が早いのだろうか。竹は水をどこから吸収しているのだろうか。篩管というのは、竹の木質に備わっているのだろうか。考えてみると、私は、竹について何も知らないと分かる。
鳥は姿をみせない。シャクヤクの花がひときわ目に着く。オオデマリの花びらが足元に散っている。風が強い。イチジクの実が大きく膨らんで幹から飛びだしている。
目を上げると、富士山が白い山体を大きく突き出して、遠景の焦点になっている。調整池の水が、昨日の大雨のせいか、以前より多くなっている。だが鵜がみえない。ダイサギ、コサギ、チュウサギ、アオサギばかり。カルガモがいた。コガモもいた。ハシビロガモも遠くに群れている。ハシビロはまだ帰らなくてもいいんだろうか。
植物園の朱回路で周回路でおまわりが二人、マスクをして、立ち番をしている。こんなところで交通取り締まりもないものだと思う。さぼっているのか。人通りは、ぽつり、ぽつり、ほとんどないのに。大崎公園の脇にいて、師匠が大木の足元を指さす。大木を取り囲むように先端の丸い木の何かが、何本か出ている。タケノコではない。ラクウショウの気根だそうだ。その向こうのもっと背の高いメタセコイアと、木全体の姿が違う。別所沼公園のそれらはとても似ていたのに、これはどうしたことか。
頭先稲荷大明神の扁額を掲げた鳥居がある。「頭先」って、ヘンな名だなと思う。それに誘われるように、細道に入り込む。初めて通る道だが、こんな時くらいしか、迷い道くねくねと歩くことはないから、何処へ出るか楽しみだねと言いながらどんどん細道の先へ進む。師匠は植物を丹念にみて名前を私に教えながら、私は私で右から左へ耳を素通りさせて、ずうっと前向きだ。ときどき行き止まりというか、民家の庭に入り込みそうになって、少し引き返しては、なんとか道を通り抜ける。おおよその方向の見当を、陽ざしのつくるわが身の影の向きで推し測る。大きな石の大黒さんに出会う。師匠はこの地域の鳥ガイドをしているから、「ああ、これで国昌寺へ行くのがわかる」と、少し心配していたことを漏らす。山ではないが、私は、迷い道くねくねは、得意というか、いつものことなのだ。
木傘神社という石の鳥居をもった社がある。由緒書きをみると、日本武尊が云々と書いてある。どこまで本気なのかねと思う。でも奥行きがあり、古びてはいる。師匠が指さす方を見ると、朱い実のついた木がある。よく見るとサクランボだ。カメラに収める。昨日師匠のところへ一人の鳥友から写真が送られてきた。サクランボの身のついた枝を一本折って車の中で食べている写真だ。こちらは、人の家の庭にあったから、そういう不作法はしない。
太子堂に出る。そこから見沼田んぼの東縁に移る。今日は水量がうんと多い。昨日の雨か? といったら師匠に嗤われた。まもなく田植えが始まるからよ、と子どもの頃に沁みついた記憶が戻ってきたように明快になる。東縁は散歩をする人、自転車で走り抜ける親子、ジョギングをする若い人たちで、人は出ている。だが蜜というほどではない。国昌寺を過ぎて用水路の対岸を見上げると、いつの間にか夏の雲が空に浮かび、手前に墓、後にこんもりと繁った楠や薄赤く色づいたボタンの花が並んで、ああ、夏が来たなあと思う景色が目に入る。
師匠がボランティアをしているマルコを通る。出発してから3時間ほど経っている。お昼を食べるのに、マルコをつかうと顔見知りがいるからと、自然公園まで行ってもいいよと、先へ足をのばす。だが途中に、ベンチが設えてあり、用水路に背を向けて座ると、白と黄色の花々が咲き乱れる広い草原と遠方の街路樹が見事な景色を作っていて、お弁当を開くのに、ちょうどいい。腰掛けて、ポットのお湯で味噌汁を作り、お弁当を開ける。草原の片隅ではひとり大きな一眼レフを抱えた人が花の撮影をしている。ずいぶん座り込んでいると思ったら、小さな折り畳み椅子に腰かけていたのだ。
帰りには芝川の左岸を歩いて調整池の西側を通過し、強い風の中ラジコンヨットの競技をしているのをみながら帰ってきた。約4時間。師匠は25000歩を歩いたとスマホを覗いて満足そうであった。不思議なことに、疲れを感じない。帰宅して5時半まで「校正」にとりかかる元気があった。
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