2020年5月10日日曜日
豊葦原瑞穂の国の感触
「古稀の構造色」というSeminarの7年をまとめる冊子の校正が二稿まで終わった。20日仕上げを目標にしてきたから大車輪なのだが、三稿もやるという。一稿はpdfで送られてきたものをプリントアウトして構成した。手直しした二稿は、おおよそのページ割りをして、大きくスペースが空くところを埋めてほしい気配であった。何本か書き足して、おおむね埋めた。それでも、何十カ所か手直しが必要だったから、人の目というのも、あてにならない。
だが、デザインが出来上がってみると、みている感触が変わる。私がデザインしたときよりも、大胆に見出しなどのスペースをたっぷりととり、文字も大きくするところは、ずいぶん大きくする。かと思うと、本文と同じ大きさで、ゴチックにして質朴な感じがする。デザイナーのセンスというのがあるんだなあと、強く感じる。
こうして二度目の校正を全部やり終えて、先ほど送信した。向こうさんもテレワークというか、在宅で仕事をしているらしく、そうなると、ついついオーバーワークになっているのかもしれない。
こちらはぼちぼち送付する準備をしなければならない。調べてみると、一冊200円内で送ることができる。送付するケースも、一冊160円~40円ほどと幅が広い。何とかネットで手に入るから、これも送ってもらう手筈を調えなければならない。
昨日(5/9)は秋ヶ瀬公園を歩いた。土手の上からみる河川敷は、すっかり田圃が整い、代掻きをしているところと、いま水を張っているところとすでに田植えが終わっているところがあって、転々とサギ類が舞い降りている。ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アオサギ。おっおっ、アマサギが一羽いる。師匠はこれを見ただけで今日は十分と嬉しそうだが、では帰るかというと、そうはいかない。やはり隅から隅まで見て回り、サンコウチョウがいましたよというのを聞いて、森の中で目を凝らしている。
かと思うと、田島ヶ原のサクラソウ自生地を出て、土手の外にまで足を運ぶ。お目当てがあるらしい。これこれとしゃがみ込む。ニワゼキショウの花に似ているが、薄朱色ではなく、白い花が咲いている。白いからセッカニワゼキショウというらしい。セッカって? 雪花で、セッカと読む。ふ~んと話しを聞き流していたら、ニワゼキショウは朝10時ころに花開くが、セッカニワゼキショウは11時にならないと花が咲かないと、花友が観察した話をする。どうやって観察したんだろう。しゃがみ込んで、時計をにらみながら何時間かみていたのだろうか。それを聞いただけで、私は畏れ入ってかしこまってしまいそうだ。
河川敷の一部にこんもりとした盛り上がりがあり、葦原が取り囲んでいる。その葦原からギョギョシ・ギョギョシ・ケッケッケッと騒ぎ立てる声が響き立つ。向こうも負けじと、ギョギョシ・ギョギョシとやる。オオヨシキリが縄張り争いをしているのだそうだ。まずオスがやってきて、縄張りを張る。あとからメスがわたってきて、ペアが成立するのだそうだ。
その声を聴きながら土手に上がり、一面に広がる田圃と葦原とサギとオオヨシキリを眺めると、豊葦原瑞穂の国という言葉が浮かんできた。古事記の記述の延長上にいま立っているのかと思うと、気持ちがゆったりとほぐれていくように感じる。
そういえば電話をしてきた師匠の友人が、このコロナウィルス禍を「教科書に載るような出来事に立ち会っているんだと思うと気持ちが引き締まる」といったそうだ。そうだね。そういう「権威付け」もあるんだと思った。
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