2020年5月30日土曜日
アフターコロナ―:アメリカからの自律が問われる事態に
東洋経済onlineの2020/05/26号と5/27号の《8割おじさん・西浦教授が語る「コロナ新事実」》のインタヴュー記事が面白い指摘をしている。西浦教授というのは、疫学の専門家会議のメンバーで、北大の教授。「8割おじさん」という異名は、外出や営業自粛の根拠となった「蜜になる度合いが8割減になれば」と提唱したことから生まれた。
この中で西浦教授は、実行再生産数について詳しくやりとりしている。簡略に言えば、新型コロナの感染度合いを推し量る数値のことだ。一人の感染者から何人にうつるかという理論値である「基本再生産数」に関しての世界的な認知が得られているが、実際の感染者から何人に感染しているかという「実行再生産数」は、いろいろな算出法が行われていて、これぞという確定的な方法ができているわけではない、という。
どういうことか? 「基本再生産数」は人の振る舞い方のモデルを設定して、それに基づいて算出する。つまり人の異質性を考慮しない。だが「実行再生産数」は、年齢による違い、生活環境による違い、文化による違いなど、人が一様でないさまざまな振る舞いをすることを算入して、感染度合いを割り出すから、確定的なパターン化ができていないということらしい。
そう聞いて私は、ああこの専門家の目の付け所は信頼できると思った。
もうひとつ西浦教授が注目しているのが、「集団免疫」といわれる、社会全体の感染割合が何%になれば爆発的な感染状態が収まり、社会的な定常状態(自然減)に移行するかという%数値である。今のところ私は、イギリスの首相が当初「60%になれば収まる」と、高齢者の致死率の高さも、やむを得ない社会的コストのようにみていたことで、「集団免疫」の%数値を知った。西浦教授は、「基本再生産数」と「集団免疫率」とが逆数になっているとして、表(略)をあげて話しを展開している。
そして従来、「基本再生産数2.5の想定では、人口の60%が感染すると、新規感染者数は自然に減少に転じると、これまでの数理モデルでは計算されてきた」が、「集団免疫率」が30%程度で自然減に転じるといえるのではないかと、具体的な数値を提示する。
スウェーデンは、この「集団免疫」を獲得するまではやむを得ないとして、放置状態でコロナウィルスに向き合っているという。その死者数は4000人だが、人口比で日本に適応すると、4万人の死亡者数ということになる。5月29日現在900人未満にとどまっている日本の死亡者が4万人となったら、どうだろう。果たして日本人は、この数字に耐えられるだろうかと、西浦教授は問う。
日本は、奇跡的に感染度合いが低く、死亡率も低い。西浦教授は、日本の「集団免疫」の割合は、大きく推定しても1%にみたないとみている。その謎はまた、別に追求されているようなのだが、西浦教授の関心は、国際的な感染率や集団免疫率の跛行状態が生じているために、コロナ後の世界関係で、面倒が起こると指摘する。
彼の指摘の一つがアメリカのコロナウィルス感染の進行と経済活動に関するアグレッシヴな態度である。つまり、アメリカがある程度の集団免疫を獲得したとき、当然のように日本に対しても市場の開放や往来の自在を(航空経路の復活をふくめて)要求してくるだろう。その時日本は、「防疫」を理由に、制限を加えられるだろうかと苦慮している。
つまり疫学の専門家といえども、アメリカの現政権にべったりの日本政府の態度からして、経済活動の制限ができないのではないかと、心配している。この地点に来て、日米関係における日本の基本的立ち位置が露わになる。
もしアフターコロナの国際関係を思い描くなら、米中対立の相剋をとらえて、自ら歩きだす道筋のイメージをしっかりつかんでおく必要がある。つまり、疫学的な感染の広がりを示す数値だけでなく、独自に科学的な数値で進路を選択することのできる立ち位置を築いておかねばならないのだ。
疫学の専門家がそこまで思慮を巡らしていることに感心するとともに、そういう不安を、言わば専門外の人たちに抱かせる日本の外交関係の定まりがたさを、まず自認することから再スタートするしかないよと思う。
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