2021年6月16日水曜日

専門家分科会への本格批判

 サッカーのアジア予選、日本とキルギス戦の休憩タイムに切り換えたBSフジの「プライムニュース」で、米村滋人という東京大学法学部大学院法学政治学研究科教授・内科医という方が、コロナウィルス感染症対策分科会の会長・尾身茂批判をしていて、オモシロイと思った。どういう成り行きで、その発言に至ったかはわからないが、米村滋人は「尾身さんという方は、去年から政治的な発言をする方ですから」ときっぱり。それが尾身という方のどことなく鵺的な印象を指しているようで、耳に留まった。

 その上で、「緊急事態宣言をして感染がどう収まったか収まらなかったか、データ提示して政府に進言するのが専門家の役割であるのに、専門家会議としての役割をしてこなかった」と手厳しい。つまり、「人流が拡大すればもっと感染が酷くなる」と素人が見るような発言をするのは専門家ではないと切って捨てていたのが、印象的であった。

 加えて、「メディアも話題性ばかりを追って、そういう本格的なモンダイへの切り込みをしていない」と言い、ちょうどこの日の、この番組のテーマが「自民党内権力闘争」であったのを揶揄うかたちになり、司会者が「どうもすみません」と謝っていたのが面白い。

 他の番組参加者・ジャーナリストが「専門家と政治家の間をつなぐ役割を果たす人がいない」と言ったのを受けて、「台湾の蔡英文も学者、ドイツのメルケルも学者」だと返す。つまり、うまく運んでいる国は政治家自身が専門家の言葉を読み解いて政治家として組み立て直す力をもっているというわけだ。

 もう一人の政策研究大学院大学教授が「それ(両者の中継ぎ役)を果たしてきたのが役人だった」と口を挟んで、役人の劣化も露わになった。

 総じて直観的にいうと、次のように言えようか

(1)日本は素人が政治を行っている。「専門家」も皆、素人論議に加わるから、専門家としての役割を果たしていないそれは、「専門家」という「限定」を取り払ってしまって、国民として「事態」に向き合っているからだ。これは「情報化社会」のもたらしたものである。

(2)役人の劣化を先導しているのが政治家だとすると、引き起こされている「事態」は、まさしく自業自得。だが、政治家まかせ、お役人まかせでのほほんとしてきた国民にとっても「自業自得」と言えようか。

(3)それでも、米本のような指摘のできる「学者」はいるのだ。私は、台湾の「唐鳳/オードリー・タン」を思い浮かべていた。これは「希望」である。

(4)米本に感じた「希望」的直観は、(己の)身を限定することと、「論理的に率直であること」と言えようか。そういう風土が、いまだ日本(の政治風土)には定着していない。


 日本とキルギスの対戦は、とっくに練習試合のようになっていた。


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