2021年6月4日金曜日

こちらも、「何を説明しろっていうの?」

 先日書いた大坂なおみと逆の立ち位置で、「何を説明しろっていうの?」と思っている人がいる。菅首相だ。もしこの記者会見を見世物・興行だとすると、全仏オープン同様に劇場型である。大坂なおみとの違いは、菅首相は主催者であり、かつプレーヤーだということ。そして多分菅首相も、記者会見で「何を説明しろっていうの?」と思っているに違いない。

 とうとう国会の場で、身内であるはずの専門家会議の尾身座長からも「オリンピックを今開催する意義とかを説明する必要がある」とせっつかれた。そして出て来た回答が「平和の祭典」だと。ほとんどジョークのような返答である。

 オリンピック実施に関するコロナウィルス対応の彼のワン・パターンの応答は、政府に対する信頼を落とすだけでなく、オリンピックに対する協賛の気分をも損なっていると、メディアは手厳しい。菅首相は、「国民の安全安心を第一として進める」と決まり文句をくり返すばかり。何をどうやって「安全・安心」を担保するのかを説明すればいいのに、それをしないで、ワン・パターンの回答を口にするだけだから、請負仕事をやむなく進める企業幹部のようだとみている方は口性がない。

 だが、そうか。そうではなく、菅首相にとっては、これ以上何を言えばいいのか、わからない。つまり、「安全・安心」にオリンピックを遂行するのを引き受けているわけであるから、それをやりますと言っているのが、何が悪い。子細を聞いて素人である一般大衆に何がわかる。だいたい、これこれをどうやって行くから大丈夫などと細部を説明しても、それがそのまま受け止められるわけでもない。具体的に言えば言うほど、さらに具体的に求められる。泥沼に踏み込むようなものだ。だいたい具体的に言えば言うほど、ものごとはつまらなくみえるものだ。

 メディアは、想定問答をしていればいいのだろう。だが政府は、実務のバックアップ部隊だ。具体的なやり方は、諸処の実行部隊に委ねている。全体の統括というのは、漠たるものにみえるだろうが、それはそういうものなんだよ。何を説明しろというのかと、たぶん、不満たらたらであるに違いない。

 つまり、菅首相は、いまのオリンピックにかかわる政府の立ち位置を実務型の実行部隊と考えている。記者会見が劇場型のステージだということもわかっていない。ただ単に実務家として引き受けて望んでいるにすぎないから、メディアが何を求めているか理解できないというか、興味本位で突っ込んでくるメディアの関心に付き合うのも、いい加減にしたいと思っているのだ。もう少し視界を広げていえば、菅首相は、その記者会見が自らの「権力」の基盤形成につながっているとは思いもよらないに違いない。民主主義におけるメディアの位置を、政府から伝える一方通行の通信装置と考えているのかもしれない。情報化社会がどういうものかもわかっていない。

 ただひとつ、政府の「バブル方式」に関するメディアの報道に、オモシロイ外野の発言があった。どこかの居酒屋さんが「オリンピックでできるのなら、街の居酒屋にもバブル方式を採用して、営業再開にすればいいのに」と小さい地域割りを想定していると思われる感想をポロリと漏らしていた。

 本当にそう思う。「山梨方式」と言われたやり方がこれに近い(と思う)のだが、こういう発言を拾って、小さい地域割りをどう考えるか、バブル方式のバブルの中と外との「安心・安全な」関わり方をどうやるのかとすすめていけば、民主主義的にすすめるコロナウィルス対策として、一気に菅人気は上がるだろうにと、思った。

 つまるところ、政府の宰相であるという立ち位置を菅首相は見誤っていると思う。IOCという主催者が中心にいて、その指示に基づいてオリンピックの開催が決せられると考えると、日本政府は、単なる実行部隊の「共助」的な一機関に過ぎない。そのように考えている日本の首相は、いわば戦艦の艦長という下士官、将校はIOCなのだ。そう受けとめているとすると、オリンピックって、喜んで引き受ける筋のものかどうか。何億円もの運動費を使って「お・も・て・な・し」などと言っていたのが、なんともわびしく見える。

 これって、今の世界における日本の姿じゃいのか。そう感じられて、やりきれない。

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