2021年6月17日木曜日

太古のイメージ

 コロナウィルスが教える「暮らしの基本」に前回触れました。人類史をさかのぼって、太古をイメージすると、森の民が思い浮かびました。奥野克己『ありがとうもごめんさないもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』が調査したプナンの民は、ボルネオ島に暮らす少数民族です。

 森林開発を進めるマレーシア政府に反対して、自分たちの暮らす区域に手をつけないことを約束させます。でもマレーシア政府は、子どもたちに教育を受けさせてプナンの人たちを近代的な暮らしへ誘(いざな)おうとします。プナンの人たちは、自分たち流の森の暮らしを続けながら、反対はしないが従わないという態度で、なかなかそのお誘いには乗りません。人類学者の奥野さんは、ひょっとして私たちの近代的暮らしの方が間違っているんじゃないかと「考え」ている、面白い本です。

 また、カナダ先住民を研究してきた人類学者が、動物と話す少数民族の記録をいくつも見つけています。山口未花子「動物と話す人々」は、「北米先住民にとって動物と話すことはすべての狩猟者に備わった能力であるらしい」と知り、「生物学から人類学へ舵を切った」と述べています。

 カナダがアラスカと接するユーコン準州とブリティッシュコロンビア州の境界地域に、伝統的な生活領域をもつ先住民、カスカの人たち。山口がとりあげる人々の人口は725人。同じ地域の街に暮らすヨーロッパ系カナダ人は545人という規模。病院や図書館、スーパーなどのサービスも受けられ、日用雑貨も手に入るし、車で移動するから、現金も必要。それらを、狩猟採集した自然資源を利用しながら、成り立たせている。いわば、半農半猟の混合経済を営んでいる。その人々が、動物と話すという。

 動物と交わす言葉は夢であったり、焚火の音であったり、森の中で出くわした獣の振る舞いであったりする。それが話していることをつかみ取り、危険を察知する。どちらかというと、つねに危険にさらされ、自然におびえながら、禁忌(タブー)を護りつつ、動物が出すサインを読み取る。つまり原初の人間が、恵みでもあるが、動物に襲われる危険、天候気象や災害の予兆など、大自然の諸事象を読み取りながら、しかし大自然の恵みによって暮らしが成り立っていることに感謝しつつ、営みを続ける姿が思い浮かんできます。なかには、獲物を教えてくれ、幸運をもたらすライチョウやグリズリーやオオカミやカエルなどをメディシン・アニマルと読んで「(自身の)守り神」とみなしていると聞くと、日本にもかつては、そのような話があったことを思い出します。

 つまり私たちは、太古のそのような「暮らしの基本」を忘れて、いま今日の日々を過ごしています。「ボーっと生きてんじゃねえよ」と誰かさんに叱られるというのも、じつは、昔のことを忘れるほど、私たちの日々の変わりようが早いってことでもあります。

 何をそんなに生き急いでるのよ。ときどきは、人類史が歩いて来た径庭を振り返って、どれほど遠くへ来ているかを眺め渡してごらんよと、声をかけているのかもしれませんね。

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