カート・アンダーセン『ファンタジーランド狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社、2019年)に触発された話を続けます。
20世紀になって「第2部 理性への傾斜の時代」に入ったとアンダーセンは見立てている。だが、19世紀末までに「幻想・産業複合体の基礎が築かれた」のが、華々しく実を結んだのが、20世紀初頭であった。
その事例のひとつとして、1910年代半ばに「恥知らずな」クー・クラックス・クラン(KKK)のプロパガンダ映画が上映され、1920年代初頭には、「アメリカ白人の5パーセントがKKKの会員だったと思われる」事態を迎えている。
またもう一つとして、テネシー州で「科学による怪しい学説を禁じる法律が制定され」、「あらゆる公立学校の教師が、…神による人類想像の物語を否定する学説や、人間が下等動物から進化したとする学説を教えることを違法」としたという。1925年の夏には、テネシー州のデイトンという田舎町の高校教師が訴えられ、これは全国的な注目を浴び、科学派と反進化論派の論争がマスメディアの紙面で取り上げられて、文字通り劇場化裁判の走りとして取り上げられている。判決で高校教師は有罪となり罰金を科されることになった。これは、21世紀になってからも同様な騒ぎがあったことを私も耳にしている。
つまり「理性傾斜の時代」は、「幻想」が、科学の進展を排除し、電信や写真や社会技術的な進展に伴う時代の変容に「ノスタルジー」をベースに花開く時代と同時進行だったのである。なるほどそうしたことが可能になるのは、アメリカ大陸という「広大な未開地」へ先住民を駆逐して乗り込んだ「フロンティア」だったからかもしれないと、狭い日本の「自然」を私は想いうかべてみている。そうした「自然」は身に沁みたものだ。「広大な未開地」の感触を知らないものが、イメージする「自立/自律」とは、そのスケールにおいても、その運びにおいても、まるで桁違いの進行がみてとれる。それが「自然/じねん」であると得心するには、現地を知る作家のイメージを介在さあえねばならないのだと、わが身を振り返っている。
ただ結論がどうあれ、裁判までもが劇場化したことは、逆に、すべてを明らかにして公にやりとりする「おおやけ」を構築したことでもあり、そういう意味でアメリカは、大衆が参加する基礎条件を整えたとも言える。そしてそこが、日本の近代的な政治設計と決定的に異なった地点なのであった。古い大陸を見限り、反抗し、棄てられて、「新大陸」へ伸して来た気概が、なおのこと推進力になったことは疑いない。
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20世紀が「理性傾斜の時代」となったもう一つ大きな要素が、映画、ラジオ、出版であった。アンダーセンの指摘で面白いのは、それらマス・メディアを通じて、アメリカの大衆文化に誕生したのは「セレブ」だったということ。なるほど、そうしたマス・メディアがなければ、大抵の著名人は「知る人ぞ知る」存在に過ぎなかった。
ところが、マス・メディアが誕生し、それに載せて広告宣伝が行われ、その手法があれこれと創意工夫を重ねていくうちに、映画館も増え、映画の制作本数も増加していく。ラジオは声だけではあるが、無料で情報を届ける。人々は文化を共有し、あるいは共感し反撥して、場を為していく。まさしく週や都市単位であるとはいえ、「ユナイテッド・ステイツ」の土台がかたちづくられていく。新聞や出版の発行部数も、後にそれに載せる広告・宣伝も、商品や出来事の文化として社会的に共有されていく。「19世紀までに基礎がつくられた」狂熱のファンタジーランドの並みに載ったのは、アンダーセンが謂う「セレブ」だけではなく、「コマーシャル」も「デキゴト」も、つまり社会文化のありとあらゆるコトゴトが、「アメリカ人」の共有する文化として「セレブ」として著名化していったのであった。狂熱をベーシックな気質とするアメリカ人にとって、第一次大戦と第二次大戦を経て、「自由社会の自由と人権の旗手」として「理性の時代」を迎えたことが、そのまんま、敗戦を迎えアメリカによって占領された日本に流れ込んできたのであった。
戦中生まれ戦後育ちの私たちが、「日本国憲法」や「アメリカ」を新しい時代の「希望の指針」と受け取って吸収していったのも、むべなるかなであった。
その「情報化時代」が、さらにその後、テレビやインターネットを通じて、量も変え、質も変わり、かたちを変えて大衆の自己表現へと移り変わってきたことは、よほど人間を変えてきたと見なければなるまいと、78年の径庭を振り返っている。
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