昨日のつづき。「独りぼっちになる不安」とはなんだったんだろう。
それまで何もかも親任せにしてきた「暮らしの基本」を自分で取り仕切らなくてはならないという「不安」を感じていたわけではなかった。賄い付きの下宿だったこともあるが、そうした日常的なことにさほどの価値を置いて、自分の暮らしをみていなかったからだ。じっさい、大学在学中、特別奨学金を受けていたのだが、どうやってそれを受け取っていたか、思い出せない。当時銀行に口座を持っていたわけではない。郵便局に定期的に受け取りに行っていた覚えもない。多分当時の大卒の初任給の6割くらいに相当する多額を、どうやって受け取っていたのか忘れてしまうほど、日常の「暮らし」に価値おいて受け止めてはいなかったとだけは言える。むしろ、田舎と都会の暮らし方の違いが圧倒的であった。
お恥ずかしい話だが、公衆電話を掛けようとして、どうダイヤルを回したらいいかわからず、電話ボックスのドアを開けて、通りかかった人に電話番号を見せ、どう回したらいいか尋ねた覚えがある。電話番号の「×××-****」のダッシュがどこなのか分からなかったのだ。アメリカ映画を観ているとダイヤルが二つついていたのを使い分けると思っていたのに、それがない。田舎の電話は、ぐるぐると電話機の横についたハンドルを回すと交換手が出て、「何番をお願いします」というと、つないでくれるという旧式であった。あるいは、食堂に入ったとき、お皿にご飯も盛り付けた洋式にナイフとフォークが添えられていて、戸惑ったこともあった。そのときは一緒にそのお店に入った同学年の友人が、器用にフォークの背にご飯をのせて口へ運ぶのを真似はしたものの、文化的な落差にショックを受けた覚えがある。
こうした文化的なショックは、その後いくつも体験することになるが、「独りぼっちになる不安」は、そうした文化的な落差に対応することへの不安も、混じっていたとも思える。学校では同じ教科を学び、同じ試験を受けはしたものの、過ごしている環境とか考えていること、用いる言葉の抽象性などは、ちょっと想像もつかないほどの落差を感じさせ衝撃的であった。それまで、それなりに本を多く読んできたという自負を持ってはいたが、そんなものはいかほどのものでもないと突きつけられたようであった。
こうも言えようか。初めての山歩きのようなもの。おっかなびっくりでバランスをとり、難所を通過する。岩場にとりつきながら、ルートを探す。もし先行者が一人でもいれば、それについて行けばよい。前を歩く人が言ったところであれば、私もいけると見当をつけることはできる。その水先案内人がいないことの不安が、東京へ出てきたときに私が抱いた「独りぼっちになる不安」だったと言えるように思う。
それはたぶん、その後の自律の動機となったし、ほかの人との違いを認知し、自分がそう感じたり考えたりしていないのは、なぜだろうと自問自答する最初のステップともなった。その「違和感」は、その後氷解するどころか、ますます大きくなり、後期高齢者になった未だに続く私のクセとなった。クセにまでなってみると、「独りぼっちになる」ことは何の不安もなく、むしろ当然となった。他人と対立し、口も利かなくなってついには断絶するということも、なんの苦もなくやってしまうようになった。
そこまで考えてみると、「独りぼっちになる不安」というのは、それまで水先案内人とか先行者がいたりしたことの残響ではないか。とどのつまりヒトは独りで生きて行くものだと思うようになってから、「不安」が消えた。それがいつの頃からなのか、もう思い出せないが、そうした諦念は(悟りを開くように)一挙にやってきたのではなく、あれやこれやを経験していくことによって、緩やかに身にしみるようにかたちづくられてきたと思える。
0 件のコメント:
コメントを投稿